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2003/5/6 update

宇都宮 養育里親傷害致死事件

事件の報道資料 / 緊急シンポの報告 / 緊急要望書

3月18日(木) 第2回公判の報告

2月6日(木)初公判の報告
第3回公判 5月6日(火) 13:30〜17:00 於:宇都宮地裁 301号法廷 被告人尋問


 3月18日午後2時半より、宇都宮地方裁判所で「養育里親傷害致死事件」第二回公判が開かれました。
当日、一時間前に裁判所につきました。メールで知り合った栃木県の里親さんが来てくれて、栃木県の里親の様子や東京での取り組みの状況について、情報交換をしました。ほかに、栃木県里親会の方たちが来ているというので、挨拶をいたしました。栃木県は地区ごとに里親会があり、その里親会の連合体として(財)栃木県里親会連合会があります。県連合会の副会長が見えていたので、「この裁判については、東京でも関心があり、会の機関紙でも初公判の傍聴報告を載せさせていただきました」と挨拶し、会報「こんにちは!通信」を手渡しました。すると、「これは宇都宮児相からもらい、読みました。ただし、紙の色は白でしたが」と言われました。「こんにちは!通信」はピンクの用紙ですので、28ページもの会報をコピーして県内の里親に配布したようです。
宇都宮児相の職員が見えているというので、挨拶をいたしました。
さて、時間となり、法廷に入ると、32席の一般傍聴席はすぐに満席となりました。16席の記者席もほぼ満席となり、関心の高さをうかがわせます。 

 
※以下、当日の公判メモです。二人のメモを付き合わせて再構築しました。実際の発言と多少違っていますが、ご了承下さい。
(裁) 前回の宣誓は、引き続き効力がありますので、よろしくお願いします。
(弁) 前回、女の子についても里子にしたらどうかと、児童相談所より話があったという所まででした。確認ですが、女の子の状況について、どのような説明を受けましたか。
(証) 同じ年ぐらいの子と比べて、1年ぐらい未発達だと聞きました。具体的には、言葉が少ないと伺いました。
(弁) 言葉の問題は、将来改善されるのか、されないのか、その見通しについては聞きましたか。
(証) 専門家の検査によっても、今後どうなるかは分からないと聞きました。乳児院の方々、具体的に順子の担当をしていた方からも、肯定的な話は聞けませんでした。場合によっては、このまま行くんじゃないのというお話でした。
(弁) 女の子の状態について、今のような話を聞いて、あなたはどういうふうに感じましたか。
(証) 将来どうなるか分からないということでしたが、とても否定的に聞こえたし、私達との年齢差も考えると、このまま行くと、ただでさえ孤児なので、兄に面倒を見させなければならないと感じました。具体的に話しますと、年齢差があるので、自分たちが年を取った時、この不況だと経済的にも厳しい。10年後には、経済的に努力しても限界になるので、その後は、兄が面倒を見なければならないと考えました。
(弁) 今のような、あなたが考えたことを、被告人にも話しましたか。
(証) はい、しました。
(弁) それに対して、被告人はどのような態度を示しましたか。
(証) 自分なりにもう少し時間をかけて考えてみるという反応でした。
(弁) 女の子を里子にもらうまでに、あなたのお父さんやお母さんから、何かアドバイスを受けましたか。
(証) はい、ありました。
(弁) どういう内容のアドバイスだったのですか。
(証) 父が幼い頃、祖父母を早くに亡くし、孤児になりました。父には弟がいたのですが、親類が引き取る時、2人は難しい、ひとりならと言う方が多かったそうです。そういう時、ひとりの方が、裕福ではないけれど、食べさせることはできるので、兄弟を引き離すことはできないという方が現れました。その時、その話を聞いて、弟と離れ離れになると、本当に真っ暗だったので、その人の話を聞いて、嬉しかったという話をし、何とか努力して、できるなら兄と妹を離さない方が良いとアドバイスされました。
(弁) あなたは、お父さんの経験に基づくアドバイスを、被告に話しましたね。
(証) はい、しました。
(弁) 被告は、どういう反応でしたか。
(証) 本当にかわいそうだね。もっとよく考えてみるという話でした。
(弁) 上の子は、下の女の子について、あなたに引き取られてから、何か話していたことはありますか。
(証) はい、ありました。私が直接聞いたのではなく、家内から聞いた話ですが、兄が時々、「妹の順子がかわいそうなんだよ」と言っていると聞きました。
(弁) 最終的には、あなた方は、下の女の子の方も里子にもらおうと決心したのですね。
(証) はい。それは後日、家内と話した所、私としては、子どもを育てた経験がないのに、兄ひとりでもたいへんなのに、未発達で、将来どうなるか分からない子を受けるのはたいへんと話しました。家内は、お兄ちゃんと妹を離れ離れにするのは忍びない。自分が努力すれば離れ離れにしないで済むからと決心してくれました。
(弁) 妹を引き取ることが、お兄ちゃんのためにも良いと考えましたか。
(証) はい、考えました。家内の話によると、最近は一人っ子が多くて寂しいだろうし、それで道を踏み外す子もいるので、妹がいた方が彼を引き戻す力になると話していました。それに、妹の順子は将来どうなるか分からない状況なので、自分たちが引き取らなければ、他所へ行くことになりますが、他所の里親が年を取って面倒を見られなくなった時、どうするか。やはり兄と一緒に居なければいけないんじゃないかと話していました。それと、一生懸命に愛情をかけて育てれば、もしかしたら正常な発達状態になるかもしれないと話していました。
(弁) 最終的に女の子を里子にもらうことにし、乳児院に会いに行った時、女の子はどのような状態でしたか。
(証) 最初に、私たち夫婦の顔を見た瞬間から泣き出し、「イヤダー、イヤダー」とたいへんでした。
(弁) 言葉の状態はどうでしたか。
(証) 言葉は、泣きながら「イヤダー、イヤダ−」以外は喋りませんでした。説明通り、未発達なのかという印象を受けました。
(弁) その後、何度か女の子を外泊して預かりましたね。
(証) はい。
(弁) 記録によると、平成14年4月14日、21日、5月4日から6日、5月26日から29日、6月2日から5日。そして、6月17日からはずっとということになっていますが、間違いないですね。
(証) 具体的な日にちは覚えていませんが、大方そのような日にちだったと思います。
(弁) 外泊中の女の子の様子はどうでしたか。
(証) 最初だけでなく、乳児院に面会に行くと必ず最初は泣きました。「イヤダ−」と。ただ、最初はたいへんな勢いで泣くのですが、車に乗ってもしばらく泣いていますが、声をかけたり、抱っこすると静かになり、笑顔になったと覚えています。ただ、それ以降家に居ても、私はあまり接していないせいか、仕事から帰宅して顔を合わせると、泣いていました。
(弁) 6月17日からはずっと預かって、7月13日に正式に里子として預かったのですね。
(証) はい。2人目の順子を引き取る時は、もっと時間をかけて連れて来ようと思っていましたが…。少しずつ少しずつ時間をかけてと考えていましたから、なんでこのペースで、ちょっと速いと不思議に思っていました。ただ、その時、ほとんど6、7月以降ずっと家に居たので、実質上、家に居るので、後は手続き上の問題だけでしたので、手続きははなるべく早くしてくださいと、児童相談所に言いました。
(弁) あなたの判断では、少しペースが速いかなということでしたが、早くなった原因は何か考えられますか。
(証) 今思うに、乳児院は基本的に3歳までとなっているので、なるべく早く里親を見つけない限り、孤児院になってしまうということはあったと思います。私が思いますに、乳児院と孤児院では、環境に大きな違いがあります。乳児院は孤児院より、先生の数が多く、子ども対大人の割合が孤児院ほどではありません。できれば孤児院ではなく、里親へという思いもあったと思います。
(弁) 7月12日から里親として、正式に女の子を育てることになりますが、育てる上で、親としてどうしていくか、被告と話したことはありますか。
(証) はい。何回も話しました。順子の未発達の部分を何とか良い方向へ向けてあげたい。可能な限り、たくさん声をかけたり、たくさん言葉を言わせるようにしたいと話しました。家内はよく理解して、何かあるごとに声をかけ、言葉を話すように仕向けていました。ただでさえ泣く子でしたが、話しなさい、言いなさいと言うと、やはり泣きました。家内と順子がそうやっているのを見ながら、ヘレン・ケラーの映画を思い出していました。
(弁) 当初、被告は、一生懸命気を使い、関わっていたと見えたのですね。
(証) はい。それはもう、一生懸命やっていました。
(弁) ところで、被告が女の子を叩く所を見たことはありますか。
(証) はい、あります。
(弁) 女の子が死亡する事件の前に、何度ぐらい見ましたか。
(証) はっきりは覚えていませんが、2、3度ぐらいです。
(弁) あなたの見た2、3度の状況は、具体的にはどんな内容で、その時はどんな様子でしたか。
(証) 順子がお兄ちゃんのおもちゃをいたずらしたり、嫌がらせをした時に、お尻や手の平を叩いたのを見ました。ただその時は、強く叩いていなかったので、特別に深刻には捉えていませんでした。
(弁) それほど強くなくても、叩くのを見たわけで、その時に、被告と何か話しましたか。
(証) はい、叩かない方が良いんだよと話しました。家内は、はい、分かりましたと言い、その場は収まりました。
(弁) その後、被告は女の子の腕や太ももをつねったりしたわけですけど、アザとかに気が付いたことはありませんでしたか。
(証) いいえ、ありませんでした。あまり接する時間がありませんでしたし、家事や家の中のことは、たいへんだから手伝うと言っても、男の人がやることではないと言ってやらせてくれませんでした。私は帰りが遅く、お風呂に一緒に入ることもなかったので、見たことはありません。
(弁) 被告とあなたが、平成10年8月に、日本に戻ってきたことに間違いはありませんか。
(証) はい。
(弁) 記録によると、平成10年10月に被告が胃潰瘍と十二指腸潰瘍の診断を受けていますが、その記憶はありますか。
(証) はい、あります。
(弁) 日本に来て直後のことですが、原因は何と考えますか。
(証) 家内は、元々精神的に強い方ではありませんが、外国に初めて来て、環境の変化や友達もいない、私も仕事でいない寂しさが、精神的な重圧になったのではないかと考えています。
(弁) その後、胃の様子は良くなったのですか。
(証) それに関しては、はっきりとしたことは分かりません。家内は元々、医者に行こうとしないので、よっぽど痛くないと行きませんが、悪化はしてないと思います。悪くなっていれば、医者に行ったと考えています。
(弁) 次に平成14年9月9日の未明に通院していますが、その時はどのような状況だったのですか。
(証) はっきりは覚えていません。昼に私の所に電話があり、胃の調子が良くないと言っていました。私が遅く帰って、どうなんだ?と訊くと、大丈夫と言うので、そのまま寝てしまいましたが、その後、何回か吐いた、痛いと起こされたので、夜間診療所へ行ったと思います。
(弁) 夜間診療所に行って、そこでどのような処置を受けましたか。その後、通院は続けましたか。
(証) 痛みが凄いということで通院しました。痛み止めの入った点滴をしてもらったと記憶しています。医師からは、これはあくまでも臨時の処置なので、昼間に必ず診察を受けるようにと言われましたが、薬が効いたためか、痛みが和らいだようで、その後は通院していません。
(弁) なぜ、この時期に、急性胃炎になったと考えませんでしたか。
(証) はい、しました。この時期は、順子を引き取って、2ヶ月ぐらいだったので、家内は一生懸命に、言葉をかけたり、話すように仕向けたりしていました。順子だけではなく、上の子も居るので、子育てと家事の負担が重なり、胃が悪化したと考えています。
(弁) そう考えて、これからどうするか、生活を改善するためにはどうすれば良いかを被告と話し合いましたか。
(証) はい、しました。まず、通院することを勧めました。それと育児と家事がたいへんだと言うので、1日だけでも臨時に預ける所があったら良いなと話しました。
(弁) 女の子を一旦児童相談所に戻すことは考えなかったのですか。
(証) 私は考えました。胃が悪化するぐらいだから、よっぽど家内はたいへんなのだと思いました。ただ、家内は、もう少し頑張る、2人は引き離したくないと言っていました。
(弁) 被告は、9月8、9日に体調を崩したが、子どもの養育については被告が努力する、頑張るということで、特に変化のないまま進んだわけですね。
(証) はい、そうです。
(弁) 11月1日に児童相談所の職員が家庭訪問をしていますね。
(証) はい。
(弁) 訪問の連絡は、事前にあったことに間違いないですね。
(証) 10月にはあったと思います。いや、9月くらいから訪問の打診はありましたが、私が仕事が忙しいので、10月末から11月初めということで、11月1日になりました。
(弁) 被告に児童相談所の職員が来るということを伝えた時、被告はどのような反応だったのですか。
(証) 11月1日のことは、10月半ばに話しました。昔から、人の目を気にするので、他人の訪問がある時は、あちこち大掃除してたいへんになります。今回も、片付けたりいろいろたいへんだねと言っていました。
(弁) 先程の話の中で、たいへんなら、ひとり戻すのを考えても良いんじゃないかと話したと言っていましたが、それは児童相談所の訪問の前ですか、後ですか。
(証) 確か、前にも、後にも、似たような話をしたと思います。
(弁) 11月1日に、児童相談所の職員が来た時に、子育てがたいへんだから、場合によってはひとり戻すかもしれないという話はしていますか。
(証) いえ、していません。
(弁) 結局、児童相談所には、深刻な話はしていないようですね。
(証) 家事、育児でたいへんだということは話しました、児童相談所の方は、今はまだだけど、来年になれば制度ができて、臨時で一日預けることもできる施設ができると話していました。どちらにしても、深刻な話はしていません。
(弁) 後のことを考えると、被告がもっと積極的に話をしていれば、児童相談所が気が付いたのではとないかと思うのですが、被告はあえて話をしなかったのですか。
(証) あくまでも私と家内との話し合いの中では、たいへんだけど、2人は引き離せない。もう少し努力をすればなんとかなると話していました。
(弁) 児童相談所の職員の訪問の翌日に、事件が起きたわけですが、あなたは、その11月2日の23:50に帰宅したことに間違いないですか。
(証) 23:50だったか、24:00を回っていたか覚えていませんが、それくらいの時間だと思います。
(弁) あなたが帰ってきた時、順子ちゃんが出てきましたか。被告と供述が喰い違っていますが。
(証) 兄の方は出てきましたが、順子は見ていません。
(弁) それが、あなたの記憶で間違いありませんか。
(証) はい。
(弁) その後、あなたは寝てしまって、起こされるまで、何が起きたのか知らないのですね。
(証) はい。
(弁) まとめになりますが、今回、事件が起きてしまったわけですが、現時点で自分の責任、考えていることを述べてください。
(証) 最初から、2人目の子はたいへんな子を引き受けて、未発達の子を受けて、たいへんになることは分かっていました。もっと家内と話し合いをし、自分のできる手助けを何でもやらなければいけなかったと思っています。今回の事件は、夫として、親として、父親として、自分に責任があったと思っています。順子、○○、家内に対して申し訳ないと思っています。
(弁) 被告が今回、ここまで追い詰められてしまったことについて、どう考えますか。
(証) 家内は、元々精神的に強い人間ではなく、子育ての経験もありませんでした。2人一緒に、それも未発達な子を…。しかも、外国の地で、友人もなく、話し相手は夫である私だけでしたが、仕事で夜遅いので、話し相手もいませんでした。また、胃潰瘍の診断を受け、順子を何とか正常な発達にしてあげたいという親心で、普通の子でも育児はたいへんなのに、未発達の子に、非常に困難な状況の中で、普通の状態ではない所で、今回のようなことになってしまったと思います。
(弁) あなたとして、裁判官にお願いしたいこと、この裁判に対する気持ちは何かありますか。
(証) たいへんな事件になって、亡くなった順子のことを思うと申し訳ない思いです。一旦、子どもとして、私達夫婦の元に来たからには、私たちの子どもです。可能であれば、家内と2人で、亡くなった順子の供養をしていきたいと思っています。それが唯一私達にできる罪滅ぼしだと思っています。それができるように、裁判所のお力添えをお願いしたいです。
(裁) それでは、検察側の尋問に移ります。弁護人と重ならないようにお願いします。
(検) 証人の仕事についてお尋ねします。休みはいつで、勤務時間は何時から何時ですか。
(証) 基本的には、日・祝祭日は休みです。9時から18時が基本ですが、ただ、現実は日曜日に出ることもありますし、残業や早出もある状況です。
(検) 休日も不定期で、休みでも、証人が家事を手伝うことは無かったのですか。
(証) 休みの日に食器洗いや掃除はできますが、しようとすると、「男のすることではない」とさせませんでした。家内に言うとやらせてもらえないので、黙ってやっていても、すぐ飛んで来て止められました。
(検) 家事全般を被告がやっていたということですが、その念入りさは、どの程度でしたか。それは、あなたから見て、ほど良い程度でしたか。隅々までやる方でしたか。
(証) 何でも完全はありませんが、私が見ても、完全にやる方でした。例えば、台所を片付けるというと、石鹸も水で流して洗うぐらいでした。
(検) 食事については、例えばレトルト食品を使う人もいますが、被告はどのように作っていましたか。
(証) 私が特別に食べたいと言って、インスタントのカレーを食べることはありましたが、普段は、使いませんでした。基本的には、ひとつひとつ確実にやっていました。例えば、もやしは一本一本、丁寧に洗って料理に使うタイプです。
(検) 今回の事件は、11月の初めにあったわけですが、その時点までに、家事が雑になったり、料理を作ってくれない等の変化はありましたか。
(証) 変化があったかもしれませんが、気付かなかったです。
(検) 順子ちゃんの変化についてはどうでしたか。引っ込み思案になるとか、笑顔が見られないとか。
(証) 順子の変化は確かにありました。前と違って、話し言葉が多くなりました。お兄ちゃんもそうですが、ジグソ−パズルが頭の発達に良いということでやらせていましたが、上手にひとりでできるようになりました。私たち大人がやるよりもよくできました。それを見て、言葉をかけ、話させたいと、家内のたいへんな思いで接している成果が現れていると思いました。そういう変化は見られました。
(検) 証人の認識では、順子ちゃんの様子や家事の変化について、この時期、比較的上手くいっているというものだったのですか。
(証) 順子の変化に関しては、良い傾向だと思いましたが、そうなるように努力している家内は、たいへんだろうなという認識でした。
(検) 2人だけの時期、お兄ちゃんが来て3人の時期、順子ちゃんが来て4人の時期と三つの時期で、夫婦間の会話が多くなった、少なくなったという違いはありますか。
(証) 一つ目より二つ目、二つ目より三つ目と、話す時間は徐々に少なくなってきたと、今振り返って思います。
(検) 少なくなった?
(証) はい。
(検) 少なくなったということは、被告に子育てのウェートが行ったということですか。
(証) はい、そうです。
(検) 1、2回、お尻を叩いた所を見たと言っていましたが、同じ程度で叩くことを、お兄ちゃんにもやっていましたか。
(証) はい。
(検) 特にお兄ちゃんは少なく、順子ちゃんに多いということは感じられなかったのですか。
(証) ええ、そういうものは見えませんでした。夫婦としては、最初、女の子が欲しかったこともあって、そういうことは見えませんでした。
(検) トイレに血痕がありましたが、鼻血をよく出すことがあったので、鼻血と思ったということで良いのですか。
(証) はい、そうです。
(検) 本当に鼻血かどうか、被告に確認しましたか。
(証) いいえ。
(検) なぜ、追求しなかったのですか。
(証) 自分の見ている時も鼻血を出していることがありました。順子と呼ぶと振り向きますが、鼻血が出ていて飛んだ時もありましたので、それで、特に疑いを持たなかったと思います。
(検) トイレの中で見た血痕は、どの程度のものでしたか。
(証) 非常に小さい水滴、血滴というのでしょうかの後が、壁のあちこちに見られました。
(検) それを見て、鼻血について、被告に聞かなかったのですか。
(証) それを見た瞬間、また鼻血が出たのかなと思いました。その内、お医者さんに行かないとという話はしたと思います。
(検) 休みの日に、順子ちゃんをトイレに連れて行ったことはありますか。
(証) はい、1、2回あります。
(検) その時、順子ちゃんは、トイレに行くことに対して怯える様子はありませんでしたか。
(証) いいえ、ありませんでした。
(検) 先程と重複するかもしれませんが、調書や先程からの証言を聞いていると、育児に対して及び腰と言うか、逃げ腰という印象を受けますが、あなた自身もそう思いますか。
(証) 今思うに、家内が家事や育児をさせないこともありますが、それに甘え、その通りだと思います。
(検) 今回の事件を振り返って、被告が育児ノイローゼで見境がなくなったために起きたのか、複雑な要因のため、いろんなことが重なって起きたことなのか、例えば、日本語のこととか。どう分析しますか。
(証) 育児ノイローゼが大きかったと思います。しかし、複合的なものもあると思います。日本語は直接的なものではないと思いますが、友人がいないということでは、間接的な原因になったと思います。たったひとりの話す相手が、帰りが遅い、話す機会が少なくなった、寂しいという点において。これらが複合的にあったと思います。
(裁) 韓国に住んでいましたが、韓国での子育てやしつけを見ていて、日本との違いを感じたことはありますか。
(証) はい。
(裁) それはどういうことですか。
(証) 確かに体罰という点を比べると、時代をさかのぼると分からないと思いますが、日本の十年ぐらい前、自分世代の人々、ある一定の年齢以上の者は、日本以上に体罰があったと思います。
(裁) それはしつけの一環としての体罰ということですか。
(証) はい、そうです。
(裁) 証人と被告が、順子ちゃんを引き取ってから、児童相談所と定期的なやり取りはありましたか。
(証) 難しいです。あったと言えばありますが…。2、3ヶ月に1回、電話で話したことはありました。順子が来てからは、1回ありました。もう少し長く居れば、定期的と言えたかもしれませんが。
(裁) お兄ちゃんを預かってから、2、3ヶ月に1回程度のやり取りがある程度ですか。
(証) いいえ、それよりも少なかったです。
(裁) 里親の制度で、困った時に、親が相談できる制度はありましたか。
(証) はい、ありました。何かあったら、連絡してくださいと言われていました。ただ、実質、どこまで話して良いのか、疑問があったのも事実です。
(裁) 被告より、順子ちゃんに暴力を振るってしまうという相談はありましたか。
(証) 今日、言う事を聞かなくて叩いたという報告はありました。
(裁) 内容としては、ちょっと叩いたという程度のものでしたか。
(証) はい、そうです。
(裁) いつ頃ですか。
(証) 9月にもあったと思いますが、10月にもあったと思います。
(裁) 相談は1回ですか。
(証) いいえ、2回あったと思います。
(裁) 平成14年の4月の下旬頃、順子ちゃんを引き取るかどうかの相談に行った時に受けた心理テストの結果について、説明を受けたことがありますね。
(証) はい。
(裁) 発達の遅れがあると聞いたと思いますが、心理テストについては、どのような説明を受けましたか。
(証) 明らかに心理テストの話は出ていましたが、結果については、思い出せません。
(裁) 記録よると、既に外泊をしていたということで、証人達に対する思い等の心理状態を調べたとなっています。証人の写真を見せたら嫌がった等の説明はありましたか。
(証) 心理テストの結果の内容については思い出せません。ただ、もし結果に問題があったなら、自分たちの所へは出さないだろうから、問題なかったと思います。
(裁) 韓国での被告と証人の会話は、何語で行なわれていましたか。
(証) 韓国語です。
(裁) 日本に帰って来てからは。
(証) 韓国語です。
(裁) お兄ちゃんを引き取る時、児童相談所との交渉は、何語で対応しましたか。
(証) 基本的には日本語ですが、ちょっと難しいことは、自分が通訳をしました。
(裁) 被告の日本語の能力について、日常生活に必要な会話はできたということですが、どの程度のものですか。
(証) 日常生活に必要なものというのは抽象的ですが、ひとりでどこかに出かけて、道を聞くことや買い物に行くことは可能でした。
(裁) お兄ちゃんを引き取ってからのコミュニケーションは、証人から見て、きちんとできていましたか。
(証) はい。
(裁) 子どもなので、大人とは違いますが、特に支障はなかったのですか。
(証) 子どもと話す時は、可能な限り日本語を使っていました。自分が見る限り、支障はありませんでした。もっと大きくなって、話が複雑な内容になれば分かりませんが、当時は支障がありませんでした。
(裁) 児童相談所が順子ちゃんを委託した決定的な理由は何だったのでしょうか。
(証) 理由はいくつかあったと思いますが、どれが決定的だったのかは分かりません。
(裁) いくつか点というのは、どこにあったのですか。
(証) 家内が幼稚園で長い間勤務していて、子どもと接していたことは、普通の人より問題がないと判断されたと思います。家内は専業主婦だというため、子どもと接する時間が多く持てるので、短期間で親しくなれるということもあったと思います。
(裁) 証人も順子ちゃんを引き取る際、少し考えましたが、児童相談所は、どういう考えだったのでしょうか。
(証) 担当者の話しによると、私たち夫婦は3番目でした。1番目、2番目の里親の時は、2人一緒、専業主婦の家庭でトライしたけれど駄目だったと聞いています。
(裁) そこまででいいです。お兄ちゃんを外泊させた時は、比較的スムーズにいったのですか。
(証) お兄ちゃんは泣くこともなかったですし、「イヤダ−」とも言いませんでした。全然違っていました。
(裁) 子どもによっては、人懐っこい子もいるし、そうでない子もいます。順子ちゃんと証人宅とは、必ずしも上手くいっていないように思いますが。
(証) 確かにお兄ちゃんと比べると、そういう点があったように思います。
(裁) 連れて行く時に、よく泣いたということですが、それについて児童相談所はどう説明していますか。
(証) 特別、そのことについての説明はありません。
(裁) 順子ちゃんを引き取った後、よく泣いていたので、手を上げたということでしたが、児相が訪問した時の説明と喰い違いがありますが、どのように説明しましたか。
(証) 新しい里親の所へ来ると、居着いて良いのか確認するため、反抗的な態度に出る時ことはあるが、半年か一年かかる。泣くこととの関連については、聞いていません。
(裁) 被告の話では、順子ちゃんのような小さい子どもは、愛情を試す行動は当り前だと言われたとなっていますが。
(証) それは確か、泣くことの関連について話しましたが、泣くことと、愛情を試す行動とは、必ずしも一致しないと捉えています。
(裁) 証人が家に帰ってきた後、順子ちゃんと顔を合わせていませんか。
(証) 何度も聞かれると、本当にそうだったのかと思ってしまいますが、お酒を飲んでいたし、ビールを飲んで直ぐに寝入ってしまったので、記憶が定かではありませんが、あるいは顔を見たのかもしれませんが、私の認識では、会っていません。
(裁) 泣いているので、なんで泣いているのかと思ったことはありませんか。
(証) 最初来た時からよく泣いていたので、また泣いているのかと思いました。
(裁) 順子ちゃんと一緒にお風呂に入ったことはありますか。
(証) ありません。
(裁) 一度もですか。
(証) はい。
(裁) それはなぜですか。
(証) 私がお風呂に入れるよと言っても、家内は「疲れているから」とやらせませんでした。
(裁) 本件が起きる前の一週間に、順子ちゃんの衣服を脱がせたり、着替えさせたことはありますか。
(証) ありませんでした。1か月も2ヶ月も無かったと思います。
(裁) 順子ちゃんから殴られているという訴えはありませんでしたか。
(証) ありませんでした。
裁…裁判官、弁…弁護人、検…検察官、証…証人
被…被告

2003/2/22 sido