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1997/12/30 中国新聞

里親と楽しい年越し 新生学園の11人、県北へ(広島県)
中国朝刊 広B/広C/北B/呉B 写有 (全464字)

 家庭の温かみを味わってほしい―と、県北備地区里親会(牧田繁喜会長、三十三人)は二十九日、東広島市西条町の児童養護施設、広島新生学園(上栗哲男園長)の児 童、幼児十一人を招いた。三次市などの里親十家族と一月四日まで生活を共にする。
 三次市大田幸町の田幸公民館で、里親家族と子どもたちが対面。「一週間、家族としてよろしくお願いします」と学園児代表があいさつ。毎年訪問している児童は「お母さんよ りも背が高くなった」などと喜んでいた。子どもたちは里親と一緒についたもちをぜんざい、きな粉もちにして食べながら「何をして過ごそうか」などと相談。それぞれの家庭へ引き 取られた。
 里親は五回目という双三郡三良坂町皆瀬、教員藤川菊子さん(46)は「毎年成長した子どもを見るのが楽しみ。二、三日たってお母さんと呼んでくれるとうれしい」。比婆郡東 城町塩原に住む牧田会長は「しめ縄づくり、牛の世話など普段と変わらない生活を見せるつもり」と話していた。
 里親会は、家庭の事情などで帰省先がない子どもを約二十五年前から正月と夏休みに受け入れている。

里親と一緒に「よいしょ、よいしょ」ともちをつく広島新生学園児

中国新聞社


1997/12/30 毎日新聞

正月は里親の元で 三次市で受け入れ式行う−−広島新生学園/広島
地方版/広島 写図有 (全370字)

 東広島市西条町田口、社会福祉法人児童養護施設・広島新生学園(上栗哲男園長、80人)の5歳から中学2年までの子供たち11人が29日、県北備地区里親会(牧田繁 喜会長、33人)の会員宅で正月を過ごすため県北入りした。
 子供たちは上栗園長ら3人の先生と一緒に三次市立田幸公民館で受け入れ式に出席。牧田会長、近藤盛男・三次児童相談所所長らが「風邪をひかないよう気をつけ、楽しい正月を過ごして下さい」とあいさつ。園生を代表して前田直行君(6年)が「この日を楽しみにしていました。よろしくお願いします」と、謝辞を述べ、里親と共に記念撮影した。
 この後、全員で6キロのもちをつき、ぜんざいやきな粉もちにして会食。ひと足早く正月気分を味わい、県北2市2郡内、10人の里親宅に落ち着いた。1月4日まで滞在、大掃 除やもちつき、初参りなど年末年始の家庭生活を満喫する。

毎日新聞社


1997/12/28 毎日新聞

愛の手運動へ114万円を本社社会部が寄託/奈良
地方版/奈良 17頁 (全274字)

 毎日新聞大阪本社社会部はこのほど、家庭に恵まれない子供たちの里親探しを続けている社団法人「家庭養護促進協会大阪事務所」(大阪市天王寺区)に114万5307円を寄託した。
 寄託金は、室生村下田口で創作切り絵の会を主宰する江本幸雄さん(50)ら社内外の協力を得て、今月19日に開いた「愛の手チャリティーオークション」の収益金。深井麗雄社会部長が、同市北区の毎日新聞本社を訪れた岩崎美枝子大阪事務所長に手渡した。寄託金は、同事務所の運営資金として活用される。
【ご協力いただいた方々】(敬称略、順不同)井上一稔▽阿部誠▽赤崎正佳▽細谷有香▽壺阪寺▽室生村有志

毎日新聞社


1997/12/28 毎日新聞

愛の手運動に114万円を寄託−−本社社会部/滋賀
地方版/滋賀 17頁 (全230字)

 毎日新聞大阪本社社会部は26日、家庭に恵まれない子供たちの里親探しを続けている社団法人「家庭養護促進協会大阪事務所」(大阪市天王寺区)に114万5307円を寄託した。
 寄託金は、社内外の協力を得て今月19日に開いた「愛の手チャリティーオークション」の収益金。県内では信楽町の西川恵二さんらのグループが信楽焼を多数提供した。
 この日夕、同市北区の毎日新聞大阪本社を訪れた岩崎美枝子大阪事務所長に深井麗雄社会部長が寄託金を手渡した。同事務所の運営資金として活用される。

毎日新聞社


1997/12/27 毎日新聞

愛の手運動にオークション収益金114万円−−毎日新聞大阪本社社会部/大阪
地方版/大阪 17頁 (全947字)

 毎日新聞大阪本社社会部は26日、家庭に恵まれない子供たちの里親探しを続けている社団法人「家庭養護促進協会大阪事務所」(天王寺区)に114万5307円を寄託した。
 寄託金は、社内外の協力を得て今月19日に開いた「愛の手チャリティーオークション」収益金。深井麗雄社会部長が、毎日新聞本社を訪れた岩崎美枝子大阪事務所長=写真右=に手渡した。寄託金は、同事務所の運営資金として活用される。 高島屋も10万円寄託
 また、高島屋大阪店(中央区)も、愛の手運動のために、チャリティークリスマスキャンペーンの売り上げから10万円を同事務所に寄託した。

【ご協力いただいた方々】(敬称略、順不同)大阪府庁▽大阪府教委▽大阪府警▽大阪市▽吹田市▽豊中市▽池田市▽箕面市▽高槻市▽東大阪市▽東大阪ラグビーグッズ創生クラブ▽岸和田市▽堺市▽泉大津市▽和泉市▽泉佐野市▽京田辺市▽八幡市▽八幡市社福協▽大阪弁護士会▽池田美郎▽大阪刑務所▽高村薫▽木谷悦子▽MBS川村龍一スタッフ▽スポニチ▽沖芝信重▽山本雄一▽妖精村▽近藤昭仁▽加藤登紀子▽キョードー大阪▽テイチク▽フォーライフレコード▽H・I・P大阪▽サン・クリエイティブ・パブリシティ▽クラリオン▽ソニーミュージック▽エル・カンパニー▽宝塚歌劇団▽毎日放送▽FM802▽朝日放送▽関西テレビ▽読売テレビ▽東宝▽そごう▽大丸▽阪神百貨店▽西武百貨店▽京阪百貨店▽近鉄百貨店▽高島屋▽阪急百貨店▽松坂屋▽JR西日本▽近鉄▽阪神高速道路公団▽住宅・都市整備公団▽家庭養護促進協会▽ホンコンフラワー▽大塚製薬▽エーザイ▽松下電器▽タイガー魔法瓶▽日本航空▽全日空▽JT▽エールフランス▽関西空港会社▽日本製紙▽ニッペグラフィック▽王子製紙▽富士写真フィルム▽プロセス資材▽大王製紙▽河野荘二▽オリオンズ▽慈恵園▽西川恵二▽井上一稔▽西条和彦▽阿部誠▽赤崎正佳▽勝部明生▽細谷有香▽ガンバ大阪▽セレッソ大阪▽スイスオルゴール友の会▽タマトメ花遊館▽壺阪寺▽帝国ホテル大阪▽インターナショナル堂島ホテル▽ミズノ▽住友銀行▽天野誠一▽奈良県室生村有志▽アップリカ葛西▽レイク▽シチズン▽総合デザイナー協会▽龍神内科医院▽大関▽サントリー▽キリンビール▽サッポロビール▽通天閣観光▽阪田庄乾

毎日新聞社


1997/12/27 産経新聞

「のら猫の日記」きょうから公開 リサ・クリューガ監督“家族のきずな”って何?
 東京夕刊 6頁 文化 写有 (全712字)

 アメリカのリサ・クリューガ監督=写真=の「のら猫の日記」=同左=が、きょう二十七日から公開される。男たちが繰り広げるロードムービーが多い中で、本作品は風変わりな三人の女性を描く新感覚のロードムービーだ。
 十六歳のローは孤児。里親にあずけられた十一歳の妹マニーを連れ出し、町から町へとあてのない旅を続けていた。やがてローは体の変調に気付くが、なんと臨月の状態。切羽詰まったふたりはマタニティーショップで働くちょっと変わった中年女性エレーンを誘拐し、隠れ家に監禁するが…。
 妊娠にいらだつ自然児のロー、現実を楽観的に見守るマニー、誘拐された身にもかかわらず孤独な人生に光を見つけだすエレーン。物語は、妹マニーの視点を通して家族とは何か、きずなとは何かといったテーマを軽妙な演出の中につづっていく。
 リサ監督は、カリフォルニア大学在学中にパリ・フィルム・コンダクツに参加。その後、ジム・ジャームッシュ監督やジェームズ・アイボリー監督らのもとで研さんを積み、一九九三年に発表した短編映画が高く評価された。その追い風を受けて本作品が本格的な長編デビュー作品となる。
 「私が映画のテーマにしたいのは“無条件の愛”。この映画では性に目覚める前の子供(マニー)と、目覚めた後で後悔のもとになってしまったティーンエイジ(ロー)というキャラクターを対比させることで、家族のきずなとは何かというテーマを定義したかったのです」と、リサ監督。
 実弟のトム・クリューガが撮影を担当。ジョン・ルーリーによるクールな音楽が、センチメンタルな感情を吹き飛ばし、作品にリアリティーをもたせている。東京・渋谷ユーロスペースでレイトショー上映。その後全国を回る。

産業経済新聞社


1997/12/26 中国新聞

愛情じんわり 里親と年越し 福山 施設の子どもたち対面(広島県)
中国朝刊 東A 写有 (全298字)

 県東部の養護施設の子どもたちが、里親の元で新年を迎えるための対面式が二十五日、福山市本町の市社会福祉会館であった。県東部地区里親連合会(友井一三会長) の主催。福山や尾道市の施設の小学生ら八人のほか、既に里親と一緒に暮らしている子どもたちも出席した。
 友井会長が「家庭的な雰囲気の中で、わが子と同じように愛情を注いでほしい」とあいさつ。子どもたちは、一人ずつクリスマスケーキや図書券、文房具などのプレゼントを受 け取り、里親と一緒に各家庭に向かった。来年一月五日まで生活し、楽しい年末年始を過ごす。
 同連合会は盆と正月の時期に合わせて年二回、家庭の事情で帰省できない子どもたちを預かっている。

里親と一緒にプレゼントを見る子どもたち

中国新聞社


1997/12/26  読売新聞 里親の映画

映画「のら猫の日記」 母性とは何かを問う リサ・クリューガ監督が来日
東京夕刊 16頁 写有 (全556字)

 二人だけで旅をする孤児姉妹の姿を描く映画「のら猫の日記」が二十七日から東京・渋谷のユーロスペースで公開される。公開を前に来日したリサ・クリューガ監督に聞いた。

 十六歳のロー(アレクサ・パラディノ)は、妹マニー(スカーレット・ヨハンセン)を里親の家から連れ出し、食べ物などを盗みながら二人で気ままな旅をしていた。ある日ローは自分が妊娠していることに気付く。出産について何でも知っているように見えたエレーン(マリー・ケイ・プレイス)を誘拐し、人里離れた山荘で、三人の奇妙な生活が始まる。

 クリューガ監督は、「母性ということはどういうことか、母親になるとはどういうことか。そういう問いから、この映画が始まりました」と語る。

 エレーンは元看護婦ではないし、言動も少々おかしい。マニーはすべてを見通しているが、姉のローは何も気付いていない。「女性三人にすることで、人物のコントラストを強調したかった。疑似家族を作ることで三人はそれぞれ救いを得る。マニーは、私の考えを表す代弁者です」

 脚本を若手映画作家を発掘・育成するサンダンス監督ワークショップ(ロバート・レッドフォード主宰)に参加して練り上げ、昨年のサンダンス映画祭で高い評価を得た。

 写真=「人物のコントラストを強調した」と話すリサ・クリューガ監督

読売新聞社


1997/12/25 毎日新聞

チャリティー収益金66万6000円を家庭養護促進協に寄付−−本社神戸支局/神戸
地方版/兵庫 21頁 写図有 (全330字)

 毎日新聞神戸支局は24日、19日に開いたチャリティー・オークションの収益金66万6000円を、家庭に恵まれない子供たちの里親探し運動を続けている社団法人・家庭養護促進協会に寄付した=写真。
 赤松成明・毎日新聞神戸支局長から寄付金の小切手を手渡された同協会の橋本明・事務局長は、「この運動は善意の寄付に頼っていますが、不況の影響で集まりが悪くなっています。年末に毎年、寄付をいただけて非常に助かっています。年末年始は、家庭に帰れない養護施設の子供たちに温かい家庭で過ごしてもらう一時里親を募る運動を展開しています。その費用を含め、有用に活用させてもらいます」と話していた。
 オークションは今年で6回目。県内を中心に企業、団体、個人の協賛と物品の提供を受けて開催した。

毎日新聞社


1997/12/20 毎日新聞

本社神戸支局でチャリティー・オークション 愛の手ありがとう /神戸
地方版/兵庫 25頁 写図有 (全955字)

 家庭に恵まれない子供たちの里親探しを続ける財団法人・家庭養護促進協会を支援する第6回「愛の手運動」支援チャリティー・オークション(毎日新聞神戸支局主催、ディスプレイタモン、ライナー企画、サンセンター協力)が19日、神戸市中央区の毎日新聞神戸ビル3階ホールで開かれた。
 同協会は1960年に神戸市で発足。現在までに約3万人の里親の申し込みがあり、約1900人の子供たちが里親家庭に迎えられている。毎日新聞神戸支局は、5年前から年末にオークションを開き、収益金を寄付している。
 今年も県内外の企業、団体、個人から、家電製品や婦人服など約1000点の物品提供があった。うち、将棋の谷川浩司さん自筆の扇子や、ヴィッセル神戸の永島昭浩選手のサイン入りボールなど約30点を競売した。
 この日は約150人を迎え、午後6時開場。バザーコーナーの商品は、あっという間に完売。支局員が競り人を務めた人気の競売も、次々と落札されていった=写真。 物品を提供いただいた企業、団体は次の皆さん。(順不同)
 NTT神戸支店、フジッコ、北村春江、津田貞之、モロゾフ、神戸阪急、コープこうべ、神戸ベイシェラトンホテル&タワーズ、神鋼パンテツク、三菱重工業神戸造船所、新神戸オリエンタルホテル、大阪ガス、山口竹彦・日本銀行神戸支店長、神戸製鋼所、バンドー化学、UCC上島珈琲、ロックフィールド、エンドー鞄、キリンビール神戸支社、そごう神戸店、ネスレ日本、ワールド、大丸神戸店、ホテルオークラ神戸、神戸ポートピアホテル、ダイエー、家庭養護促進協会、ノーリツ、ナブコ、川崎重工業、関西電力神戸支店、山陽電気鉄道、大阪商船三井船舶神戸支店、三幸宝飾、オリックス野球クラブ、ヴィッセル神戸、佐藤國吉・内航海運総連合会長、仁尾徹・神戸税関長、小野昭生・第5管区海上保安部長、ベルギー王国総領事館、ドイツ連邦共和国総領事館、角本稔・神戸港を考える会代表、友澤鶴山、亀井一成、県野球連盟、田中秀春、公和交通、コムシノワ、エーワン、土井たか子、清水・東洋・中村特定建設工事共同企業体、谷商会、Kiss―FM KOBE、兵庫県、神戸市、谷川浩司、神戸西ライオンズクラブ、小山泰三・「紫明」編集長、ラジオ関西、神戸ゾンタクラブ、小野富次、毎日事業社、神戸毎日広告社、神戸毎日舎

毎日新聞社


1997/12/18 毎日新聞

[社告]19日、「チャリティー・オークション」−−毎日新聞神戸支局 /神戸
地方版/兵庫 19頁 (全377字)

 毎日新聞神戸支局は19日(金)、年末恒例の「チャリティー・オークション」を開催します。
 家庭に恵まれない子供たちの里親運動を進めている社団法人「家庭養護促進協会」を支援するため、県内の企業、団体など各方面の皆様から提供していただいた物品をせりにかけ、収益金を寄付します。
 今年も神戸市在住で、将棋の第17世永世名人の資格を取得した谷川浩司名人の直筆扇子▽神戸製鋼ラグビー部フィフティーンのサイン入りボール▽プロサッカー・ヴィッセル神戸の永島昭浩選手のサイン入りシャツと主力選手のサイン入りボール▽プロ野球のオリックス、ダイエーの主力選手のサイン入りグッズ――などをはじめ、お買い得の物品なども多数用意しています。多くの方のご参加をお待ちしております。
◇時間 午後6時開場、6時半開演(9時ごろまで)
◇場所 神戸市中央区栄町通4丁目3の5 毎日新聞神戸ビル3階ホール

毎日新聞社


1997/12/16 毎日新聞

[97記者メモから]わが子を虐待する親、どうしても理解できぬ/長野
地方版/長野 写図有 (全660字)

 「この子の将来はどうなるのでしょうか」
 北信地方の福祉施設。初冬の陽光が差す室内で、施設園長(60)は1歳半の男の子の頭をなでながら、つぶやいた。
 両親は、男の子が生まれて間もなく離婚。父親が引き取ったが、20代前半の父親は慣れない育児で思うようにならず、暴力をふるうようになった。数カ月後、自宅でぐったりしている息子に気付いた父親は、慌てて病院に駆け込んだ。脳挫傷。脳の内部に大量の出血が見つかった。全身不随になり、視力も失った。
 男の子は乳幼児約20人と一緒にベビーベッドで、寝たきりの生活を送る。視力がないとは信じられないほど、ぱっちりと見開かれた愛くるしい目。そっと手を握ると、気持ち良さそうに目を細め、キャッキャと笑い声を上げた。なぜこんな子を虐待しなければならなかったのか、やり切れない思いがした。
 施設の子供たちは、養子縁組をして引き取られることもある。県内でも200組以上の夫婦が里親登録をしている。だが、重度の障害児に里親が現れる可能性は低い。母親は1度も面会に来たことがないし、時折訪れる父親にも、もはや育てる力はない。
 男の子に出会ったのは12月、長野市内の病院の前に男の赤ちゃんが捨てられた事件の取材でだった。この赤ちゃんも母親が見つからなければ、福祉施設で暮らすことになる。生まれたばかりのわが子を捨て、虐待する親たち――。記者になって約9カ月、どうしても理解できない事件の一つだった。
 昨年、全国で報告された幼児虐待は約4100件、県内では61件だった。2年前に比べそれぞれ2〜3倍に増えた。【井上俊樹】

毎日新聞社

1997/12/13 毎日新聞

刀匠、沖芝信重さんが「愛の手」オークションに今年もわき差しなど寄贈/大阪
地方版/大阪 23頁 写図有 (全394字)

 毎日新聞大阪本社社会部が歳末に社内で行う「愛の手」チャリティーオークションのために、八尾市太田新町の刀匠、沖芝信重さん(74)がこのほど、わき差し一振りを社会部に寄贈した。
 オークションは、毎週大阪版などに掲載している「あなたの愛の手を」にちなんで、毎年、社員を対象に開催しており、今年が29回目。収益金は、里親運動を推進している家庭養護促進協会(天王寺区)に寄託、活動資金となる。
 沖芝さんは、文化庁から刀剣の製作承認を受けている全国でも少ない刀匠の一人で、「愛の手」キャンペーンに賛同。毎年、一振りずつ刀を寄贈している。今回のわき差しは長さ30・6センチで、チャリティーに合わせて完成した。また、今回は茶道用の火ばしも寄贈した。
 沖芝さんは「幼い時に母を亡くしており、子供たちのために少しでも役に立ちたい。世間への恩返しの意味もある。体が動く限り、贈りつづけたい」と話している。 【砂間裕之】

毎日新聞社


1997/12/09 毎日新聞

[社告]19日、毎日新聞神戸ビルで「チャリティー・オークション」 /兵庫
地方版/兵庫 18頁 (全288字)

 毎日新聞神戸支局は19日(金)、年末恒例の「チャリティー・オークション」を開催します。 家庭に恵まれない子供たちの里親運動を進めている社団法人「家庭養護促進協会」を支援するため、県内の企業、団体など各方面の皆様から提供いただいた物品をせりにかけ、収益金を寄付します。
 今年も神戸市在住で、将棋の第17世永世名人資格を獲得した谷川浩司名人の扇子など、多くの出品を予定しています。ご家庭でのクリスマスプレゼントをお求めいただくご気分で、皆様のご参加を心よりお待ちしております。
◇時間 午後6時開場、6時半開演(9時ごろまで)
◇場所 神戸市中央区栄町通4丁目3の5 毎日新聞神戸ビル3階ホール

毎日新聞社


1997/12/08 毎日新聞

「あたたかい心を育てる運動」の大阪記念大会 子どもは希望
大阪朝刊 17頁 特集 写図有 (全3051字)

 シンポジウム「愛の目、子どもの目――今、子育てに求められているもの」の内容を紹介する。コーディネーターは「月刊少年育成」編集長の松宮満さんが務め、パネリストに家庭養護促進協会大阪事務所長の岩崎美枝子さん▽永瀬小児科内科医院院長、永瀬伸一さん▽「こころの子育てインターねっと関西」運営委員、石井智子さん▽神戸こども シンポジウム主宰、林由美子さんの4人が参加した。

岩崎 私は、いろいろな事情で親が育てることのできない、施設の子どもたちに養子里親を探す仕事をしている。信頼する親から引き離された子どもたちは心に大きな傷を負い、愛そうとする大人に心をなかなか開かない。里親にさまざまな抵抗を試みる。血がつながらない中で、親子関係を作っていく過程の中から、子どもが親に対して求めるもの が見えてくる。

永瀬 子どもたちにとって厳しい世の中。小児科学会のシンポジウムで「子育て」がテーマになるなど状況が変わってきた。精神的に健康の不安を感じる子どもが小児科窓口に来るようにもなった。さらに21世紀に向けて少子化が進む。これからの子育ては昔とは全く変わってくるだろう。子どもたちが健康で生き抜くために、どういう社会をつくればいいか考えたい。

石井 各地でサークルの活動をしている方々と情報交換しながら、地域でもボランティアとして子育て支援を進めている。私自身、小学校1年と3歳の子どもがいる専業主婦。子育て支援はかなり進んできたが、専業主婦に対するサポートはまだまだと思う。上の子が2歳になるまで保育関係の仕事をしていたが、その時、専業主婦はゆとりをもって子どもと接することができてうらやましいと思っていた。しかし、そうでもない。うちの子育てネットワークには、0歳児の母親からの相談が多い。母親には助けてくれる人がいない。そして、孤独で不安だ。

 私はベビーシッターの養成を専門としている。7年ほど現場にいたが、ベビーシッター会社ができ始め、養成に転向した。今年で11年になる。ベビーシッターは、子どもの世話をするだけでなく、お母さんたちの相談役になるなどバックアップもする。ベビーシッターの保育は「在宅保育」と呼ばれている。専門学校は全国に3000校ほどあり、72万 人が学んでいる。学生たちを見ていると、いろいろな悩みを持っており、思春期の子どもたちを含めて話したい。

岩崎 ベビーシッターをする目的は?

 養成講座に来る人たちは、昔は子育てが一段落した40〜50代の人が中心だった。余裕ができたので、他の家の育児をサポートすることが目的だった。ところが、ここ1、2年多いのは、20代の若い女性たち。将来自分が子どもを産むということを、どのようにとらえたらいいのか、子どもについて情報を得たい人が目立っている。

岩崎 他人の子どもを引き取り、必要な期間預かる養育里親のなり手が少ないことについて、どう思うか。

 ベビーシッターとは、全然違うと思う。ベビーシッターは出張して子どものうちに行って世話するが、自分は自分の家庭を持っている。

松宮 ベビーシッターは限られた時間だけ、他人の子どもの世話をして「ありがとう」って感謝されるが、里親の場合は、自分の自宅に子どもを引き取って暮らす。その大変さがある。

岩崎 うちの申込者たちは、長年、不妊治療をやったがうまくいかなかったりして、40歳前後になってやって来る人が多い。みな、子どもが欲しくて欲しくてたまらない様子だが、私たちが強調するのは「子どもはかわいいもんと違う」ということ。時には、悪魔と思うぐらい、かわいくない時もあり、まして心に傷を受けて大人を信頼しようとしない子どもたち。わが子として20年付き合う自信があるか何度も問う。それでも「育てる」というレベルまでいく人は、子育てを楽しめる。楽しむまで半年から1年ぐらいつらい時期があるが、それを越えると子どもがかわいくなる。子どもを産んで育てるのは、ある意味で自由を拘束されること。しかし、それもたかが2、3年。なぜ、子どものペースに合わせてのんびり、楽しんで子育てしないのかと思う。それぐらいの覚悟を持ってほしい。

永瀬 今の社会は、どんな場面でも大人が出すぎて、子どもの発言を抑えていると思う。だから、子どもが言いたいことを言えない。子どもの心を閉ざしている。大人のレベルで育児は難しいと言うが、統一した育て方はいらない。それぞれ思い通りの子育てをすればいい。それと、子どもを非難する前に、もう一度、大人の方が一歩さがって、環境を少しでも変えていけば、いろんな問題が解消する。

岩崎 子どもはこうしてもらいたいというのをいろいろな形で訴える。それが問題行動。そのサインを大人がつかんでいないと思う。母親が試行錯誤するなかで親子という関係ができてくるが、特に大事なのは0歳から2、3歳までの母と子の最初のかかわりの時期だと思う。

石井 若い母親はマニュアルや、子育てはこうあらねばならない、という考えに自分を縛った状態で子育てを始めるので、岩崎さんの言う「たかが2年」は、すごく長く感じる。しんどいし、だれも助けてくれない。

永瀬 母親も大変だが、子どもも苦しい。父親だって外に出て働いて大変。家族みんな一緒なので、相手の立場を理解し感謝すべきだ。また、今の社会は子どもの意見を聞かないが、むしろ子どもの話に耳を傾ける時代。「子どもたちも頑張っているから、私たちも」というプラス思考が大事だ。そして、子どもがどうすれば喜ぶか、どうすれば明るくなるかを考えるように変えていくのも面白いかもしれない。もっと気楽にやればいい。

岩崎 子どもがあっち行ったり、こっち行ったりしているのに、その後ろからのんびりついていく。百貨店のおもちゃ売り場に弁当持参で出掛けていき、子どもを半日遊ばせる……。こんなふうに子どものペースに合わせる里親さんが10年ほど前にいた。夫もそれに理解を示しているらしく、「そういう子育てもあるのか」と思った。決してできないわけじゃない。

石井 そんな、ゆったりとした時間や余裕がない。洗濯や掃除をしなければいけないとか、子どもの世話とか、どこか後ろから押される気持ちがある。

 「(つらいのは)2、3年だから我慢する」ではないと思う。子育ては2、3年で本当に終わるのか、というと違う。その後の思春期も大変だし、子育てって結構長くかかる。短いから頑張れじゃなくて、長いんだから、ゆっくりやったらという考え方に変えたらどうか。

永瀬 大人を心配させようと思って心身症や拒食症が起こる。親がそれに気づかないケースがあるが反省すべきだ。子どもはいろいろな身体的症状で大人に警告を発している。子どもの立場で考えるべきだ。

岩崎 子どもが問題を起こしてくれることをありがたいと思って、その時やり直せばいい。そんな時、父親は、母親をぐっと抱きしめて「愛してるよ」というのが最高の応援になる。

石井 お母さん自身も孤独にならない状態を自分たちで作るのが大事。人の子育てを見る機会、人の子どもを見る機会がある。自分の子どもの欠点と思っていたことが、逆に長所であるのに気づいたり、冷静に見ることもできる。日ごろたまっている愚痴も言い合える。リラックスして子育てができる。気持ちを外に向けてほしい。

松宮 子育てに求められるのは時代とともに変化しているが、基本はゆったりと子どもを信じて、のんびりと好きなように育てたらいいということ。問題が起これば、それはサインだから手当てをすればいい。

毎日新聞社


1997/12/08 毎日新聞

「あたたかい心を育てる運動」の大阪記念大会 パネリストの方々
大阪朝刊 17頁 特集 (全582字)

岩崎美枝子さん 大阪市中央児童相談所を退職後、家庭養護促進協会へ。親元で育てることができない子どもの里親探しに取り組む。1988年には「思春期妊娠危機センタ ー」(APCC)を開設し、子どもたちの性、10代の妊娠についての相談に応じている。57歳。

永瀬伸一さん 和歌山県立医科大卒後、1967年に大阪市立大医学部小児科入局。同市立桃山市民病院勤務を経て、大阪市立大小児科助手、関西労災病院小児科副部長を歴任。81年に兵庫県西宮市内で小児科内科医院を開業した。58歳。

石井智子さん 福祉施設で8年間勤務の後、地域活動に専念するため退職。現在、高槻育児サークルネットワーク「ティピー」代表を務める。また、子育て中の親と専門職によ るボランティア団体「こころの子育てインターねっと関西」運営委員。2児の母。35歳。

林由美子さん 1990年から、子どもについての研究会「神戸こどもシンポジウム」を主宰。同年に日本初のベビーシッター入門書「パーフェクト・ベビーシッティング」を出版。現在、大阪と京都の保育関連専門学校で講義を受け持つ。働く母の会会員。41歳。

松宮満さん 1973年に社団法人大阪少年補導協会職員。同協会発行の月刊誌編集に携わり、89年から編集長。著書に「非行克服の現場と理論」「犯罪とメディア文化」「解体される子どもたち」「少年犯罪論」(いずれも共著)などがある。49歳。

毎日新聞社


1997/11/29 毎日新聞

[お知らせ] /神戸
地方版/兵庫 25頁 (全210字)

◆こどものボランティア里親になりませんか?
 12月6日13時半、中央区橘通4の市総合福祉センター。社団法人、家庭養護促進協会主催。季節里親・週末里親などについての説明会。参加無料。問い合わせは同協会(078・341・5046)。

◆秋名残りウォーク
 12月4日10時、須磨区の地下鉄妙法寺駅前集合。県歩け歩け協会主催。鵯越森林公園、烏原貯水場、湊川公園のコース。参加費500円。問い合わせは事務局(078・792・9037)。

毎日新聞社


1997/11/26 毎日新聞

[ひとものがたり]40年間里親として尽力 中村文裕さん /愛知
地方版/愛知 写図有 (全385字)

 里子8人を育て上げ、40年間、三重県里親会会長を務める中村文裕さん(76)=写真・同県二見町三津=は「子供は家庭的な愛情の中で育てるのが一番」と強調する。これまでの労苦が報われ、今秋の叙勲で勲五等瑞宝章を受章した。
 特攻隊員として終戦を迎え、同町職員を経て、1971年から同町内の二見浦保育園長、83年から町議として活躍。「一度無くしたはずの命。生き残ったからにはこの命を、恵まれない子供たちのためにささげよう」と、55年に里親に登録。57年に県里親会長となり、72年からは全国里親会理事も務める。59年の里親大会で、伊勢湾台風被災児の救済をと壇上に飛び上がり、緊急動議を提出したり、私財をなげうって自宅の一角に「子どもの館」を建設するなど、子供たちのために全力投球。「日本の里親は減少傾向にある。今後は、里親制度の改善、法整備のための運動を進めたい」と語る。【丸林康樹】

毎日新聞社

1997/11/25 西日本新聞

福岡県/市民33人と12団体表彰 社会福祉ボランティア大会が開会式典 北九州市30日にシンポと分 科会も
朝刊 26頁 0版26面1段 (全558字)

 北九州市社会福祉ボランティア大会(同市社会福祉協議会など主催)の開会式典が二十四日、戸畑区一枝一丁目の明専会館であり、ボランティア活動を続けている市民三 十三人と十二団体が大会会長表彰された。十三年前から聴覚障害者に発言内容を筆記で伝える活動に取り組む「北九州要約筆記サークル月曜会」(田中旬子代表、約九十 人)にボランティア功労者厚生大臣表彰が伝達された。
 会長表彰されたのは、福祉施設で美容奉仕を続ける人や里親の会のメンバーら個人と「北九州手話の会・新虹の会八幡東支部」「折り紙ボランティアすぎな」などの団体。末 吉興一市長は「高齢少子化の社会では、ボランティア活動はどうしても必要となり重要。地域で支え合う仕組みを試行錯誤しながら考えていきましょう」とあいさつした。
 「月曜会」の田中代表(59)は「手話に比べて要約筆記は、まだ歴史が浅い。これを励みに研究を続けます」と語った。
 大会二日目は三十日、小倉北区浅野三丁目の北九州国際会議場で開催。地域扶助や障害者福祉、国際交流などをテーマにした五つの分科会、シンポジウムなどを通じ て、ボランティアの“これから”を語り合う。

西日本新聞社


1997/10/25 中国新聞

里親制度支援アピール
中国朝刊 二社 (全206字)

 親が育てられない子供を預かる里親制度の関係者らが集まり、「全国里親大会」(厚生省、中国新聞社会事業団など主催)が二十四日、広島市中区の厚生年金会館で開か れた。広島県内での開催は初めて。
 大会には全国の里親や民生委員ら千四百人が参加。同県内の里親や里子ら三人が体験発表した。
 参加者全員で、児童福祉法を改正し、親権と同じように里親にも法律上の権利と義務を明確にすることなどを国に要望することを申し合わせた。

中国新聞社


1997/10/24 毎日新聞

26日、ポートアイランドで「愛の手フェスタ」−家庭養護促進協会神戸事務所/神戸
地方版/兵庫 25頁 写図有 (全319字)

 親が養育できない子供たちの里親紹介に取り組んでいる社団法人家庭養護促進協会神戸事務所主催の「愛の手フェスタ・親子で遊ぼう」が26日10時から中央区・ポートアイランドの神戸貿易促進センターで開かれ、ボランティアらが準備に追われている。
 活動35周年を記念し、里親制度を知ってもらおうと計画。当日は会場に落書きコーナーを設けて自由に絵を描けるようにしたり、模様染め、手品や南京玉すだれの公演を予定。オリックスブルーウェーブのネーム入りのリュックサック30点が当たる福引大会もする。
 このほかバザーでは、県内の50社・団体から提供された食料品や日用雑貨約1500点が市価の3〜5割引きで販売される。問い合わせは同事務所(078・341・5046)。

毎日新聞社


1997/10/21 毎日新聞

「愛の手運動」活動35周年 26日に“フェスタ”−神戸・ポートアイランド/大阪
地方版/大阪 20頁 (全250字)

 親が養育できない子どもたちのために里親を探す「愛の手運動」の活動35周年を記念し、「’97愛の手フェスタ親子で遊ぼう」が26日午前10時から午後3時まで、神戸市中央区港島中町(ポートアイランド)の神戸貿易促進センターで開かれる。
 愛の手運動に取り組んでいる家庭養護促進協会神戸事務所の主催。運動を紹介するパネルや写真の展示コーナー、漫画、プラバン、落書きなど遊びや手作りのコーナー、 バザーコーナー、舞台でのパフォーマンスなどがある。
 入場無料。問い合わせは同協会神戸事務所(078・341・5046)へ。

毎日新聞社


1997/10/17 毎日新聞

もっと「あなたの愛の手を」 大阪駅前で訴え−−家庭養護促進協会/大阪
地方版/大阪 27頁 写図有 (全307字)

 「あなたの愛の手を」運動を続けている家庭養護促進協会(今井鎮雄理事長、天王寺区)は16日、里親制度の理解を求めようと、JR大阪駅前で街頭キャンペーンを行った=写真。大阪曽根崎ライオンズクラブ会員の協力を得て、運動の趣意書を付けた風車約2000本を配り、「家庭に恵まれない子どもたちのために温かいご支援を」などと通行人に 呼びかけた。
 乳児院や養護施設などで生活している子どもたちは府内に約3000人。同クラブの元梅照男会長は「子供たちには温かい家庭が必要。里親制度を広めるためにもPR活動を続けていきます」と話していた。
 10月は里親月間。愛の手運動についての問い合わせは同協会(06・762・5239)へ。 【大橋公一】

毎日新聞社


1997/10/14 中国新聞

第42回 中国社会事業功労賞 受賞者の業績と横顔 山口県里親会前会長 三吉カネさん(81) 宇部市南小羽山町2丁目 9人の「子」に愛情
中国朝刊 特集 特集 写有 (全797字)

 ▽現在は幼稚園運営に意欲
 「栄養障害で病弱な女の子をみていると、放っておけなかった」と里親を引き受けた当初の記憶をたどる。宇部市内の中学校で家庭科教師をしていた一九五九(昭和三十四) 年、知り合いの小学校長から「面倒をみてもらえないか」と頼まれた。
 その女の子は小学生だった。両親はいたが、生活が苦しく、しかも五人の弟や妹の世話に追われていた。
 三吉さんの夫の岩雄さんは四〇年に中国で戦死。ひとり娘の宏子さん(58)も東京の大学に進学していたので「引き受けても構わない」と思った。中学を卒業するまで、母親 代わりを努める。以来、九人の里子を育てた。生活の面倒だけでなく、ピアノや絵画を習わせた子も。看護学校に通う宇部市内の若者には、今も日用品を贈っている。
 仕事をしながらの里親にも「子どもが好きだから苦にならなかった」とさりげない。一度に四人が同居したこともある。その一人が万引で補導された。「心を痛める出来事だっ た」とつらそうに話す。
 「幼児期からきちんと教育していれば、どの子も立派に育つ」。里親をしていて痛感した。七六年、同市藤曲に持っていた田畑を造成し保育園を開園。八〇年には、所有地の 売却や預金の解約で資金をねん出し、市内の別の場所で幼稚園を始めた。保育園は現在、実弟に任せ、自身は幼稚園の運営に打ち込む。
 今年二月に疲労が重なって二週間寝込み、九月にそれまで六年間務めた山口県里親会の会長を退いた。だが「おばあちゃん先生と慕う園児たちの成長をずっと見守りたい」 と、幼稚園の園長としてこれからも頑張るつもりだ。
 《略歴》みよし・かね 1916年3月28日、徳山市生まれ。東京女子専門学校(現東京家政大)卒業後、同校の補助教員に。48年、宇部市立神原中教諭になり、55年に退 職。59年から里親を引き受け、山口県里親会の会長など歴任。80年から小羽山学園理事長兼幼稚園長。

中国新聞社


1997/09/13 毎日新聞

[募集]大阪府 (小学生の「週末里親」)
大阪夕刊 11頁 特集 (全552字)

◆小学生の「週末里親」
 養護施設の小学生の「週末里親」募集。月1・2回程度の土・日および冬休み・夏休みの数日間、家庭で一緒に過ごす。対象児は大阪府北部・南部の各養護施設の小学5年生・2年生。長期継続を希望。問い合わせは大阪市立社会福祉センター内家庭養護促進協会(06・762・5239)。

◆国際交流のスタッフ
 「’97国際ネットワークまつり」運営スタッフ。会場設営、受付、販売など。10月19日・25日・26日9時〜18時で相談、豊中市北桜塚3、とよなか国際交流センター。当日はディスカッション、世界の歌や踊りの発表、日本語によるスピーチ・朗読・漫才発表、エスニック料理、世界のクラフト、ビデオ上映などが行われる。説明会は10月4日14時、同センター(06・843・4343)。各コーナーの外国人出演者募集中(9月19日締め切り)。

◆老人の入浴、移動の介助
 老人保健施設で入浴や移動の介助。毎火・金曜9時半〜正午で相談、寝屋川市内の各施設。寝屋川市民たすけあいの会(0720・26・4655)。
◆在宅高齢者の送迎 「地域デイケア交流会」運転ボランティア。在宅高齢者の会場への送迎。25日11時〜17時で相談、枚方市中宮大池4、市総合体育館。枚方市ボランティアセンター(072 0・41・0181)。17日締め切り。

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1997/09/06 毎日新聞

大きな愛、ささげ続け ゆかりの人々「理想、引き継ぎます」−−マザー・テレサ死去
東京夕刊 9頁 社会 写図有 (全1930字)

◇悲しみに決意新た
 Love is Giving――「愛はささげること」を信条に、全世界の貧しい人々や難病の救済に力を尽くしたマザー・テレサが6日未明(日本時間)、87歳の生涯を閉じた。「どんな人も、かけがえのない大切な存在」と説いたマザーは何度も来日し、日本人にもなじみが深かった。「マザーの理想を引き継いでいきたい」。生前に接した人々は彼女の死を惜 しんだ。
…………………………………………………………………………………………………
 「マザーは愛のために殉教したのだと思う」。1974年からマザーの活動を撮り続けてきた報道写真家、沖守弘さん(68)は死去の報に触れ、静かに語った。
 今年8月26日のマザーの誕生日。点滴などの医薬品を持参しカルカッタを訪れた知人の看護婦から「(マザーは)とても元気です。むしろ沖さんの健康を心配していました」と聞いた。しかし沖さんは「マザーの最期が近いのでは」と漠然とした予感がしたという。もしもの場合に備え、2日前に飛行機のチケット入手法などを航空会社に問い合わせた。その直後の悲報だった。
 最後にマザーと会ったのは、今年1月。昨年5月に食道がんの手術を受けた沖さんは「これがラストチャンスになるかも」と、カルカッタのマザー・ハウスに見舞った。初めて通されたマザーの部屋は、マザーの信条とする「清く貧しく」を体現するかのように何の飾り気もなく、粗末な鉄パイプのベッドに横たわっていた。「早く回復するよう祈っています」と 声をかけると、「私は神を信じているから大丈夫」とほほ笑んだという。
 埋葬に間に合うよう現地入りする予定の沖さんは「数百年に一度しか生まれないような聖人。世の中に必要なすべての愛のために身をささげた方だった」と振り返った。

 マザーの活動を世界で初めてカメラに収めたのは日本人の映画監督、千葉茂樹さん(64)だった。76年に初めて出会った時、マザーのはだしの親指は、どこに行くにもゴムぞうりしかはかないため外側に曲がっていた。「貧しい人は素晴らしいのです」。その言葉に不思議な感動を覚えた千葉さんは、マスコミ嫌いのマザーのところに何度も足を運んで 撮影を依頼。2年後、記録映画「マザー・テレサとその世界」を完成させた。
 「私たちは弱者や貧しい人に出会うことで、自分自身の生き方を問われる。マザーは世界最悪の居住環境といわれたカルカッタに自らの身を置くことで、世界の人々に生き方を問い直していた」
 長女照紗さん(17)は「テレサ」にちなんで名づけた。小学4年のときにマザーの孤児施設を見学した照紗さんが「大きくなったらマザーのようになりたい」と手紙を送ると、マザーはとても喜んだという。照紗さんはマザーと会話ができるようにと現在、オーストラリアで英語を勉強中。千葉さんは「お見舞いのため、帰りにマザーのもとへ寄りたいと話して いたのですが……」と絶句した。 「でも悲しむだけでなく、マザーが問いかけた人間としての本当の生き方を、引き継いで考えていかなければと思います」と言葉をかみしめるように話した。

◇「墓守は私たちの使命」−−マザーの教会と“養子縁組”の母娘
 「マザーは亡くなったけれど、私たちにはお墓を守るという、新たな使命が生まれました」。マザー・テレサの訃報(ふほう)に、東京都港区に住む工藤朋子さん(58)と長女裕美さん(31)は涙をぬぐい、決意を新たにした。
 2人はマザーがまつられる予定のカルカッタのセント・ジョン教会を財政的に支援するため1994年、同教会の“里親”となる「養子縁組」を結んだ。
 88年、2人はインドへ遊びに出かけ、偶然出会ったマザーに祝福を受けた。以来、毎年クリスマス前後に数カ月、マザー・ハウスに住み奉仕活動を手伝った。
 工藤さん母子は「マザーの眠る教会は私たちの養子ですから、お墓を守れというのが天の意志なのでしょう」と話す。
 セント・ジョン教会は、マザー・ハウスから徒歩20分ほどの距離。その荒廃ぶりを見かねて工藤さんが養子縁組を決意したほどの小さな教会。マザーは生前「いつでもミサにあずかれるから」という理由で、墓地が隣にあるセント・ジョン教会への埋葬を希望していた。墓地ではなく「教会内に祭壇がしつらえられ、聖人としてまつられることになるでしょう」(裕美さん)。2人は10日、マザーに別れを告げるため日本をたつ。【斉藤希史子】

■写真説明 「子供たちに世界に被爆の記録を贈る会」の人たちから英文の「広島・長崎――原子爆弾の記録」をプレゼントされ、食い入るように見入るマザー・テレサ=82年4月
■写真説明 マザー・テレサと語らう工藤朋子さん(左)、裕美さん(中央)母娘=カルカッタのマザー・ハウスで95年1月

毎日新聞社

1997/09/06 読売新聞 里親

マザー・テレサ死去 愛運んだ「20世紀の聖女」 来日3度、山谷へ広島へ…
東京夕刊 11頁 写有 (全2061字)

 ◆あふれる情熱、感銘残し

 「二十世紀の聖女」と全世界から慕われたカトリック修道女、マザー・テレサ(87)が六日未明(日本時間)、亡くなった。貧困や病と闘う人々のために生涯をささげ、その救いの行脚は世界各地に及んだ。来日も三度。東京・山谷や大阪・あいりん両地区などを見て回り、「ラブ・イズ・アクション(愛は行動だ)」と訴えた。その「愛の天使」を失った悲しみと追悼の祈りは、世界中に静かに広がっている。(本文記事1面)

 テレサさんから派遣された修道女の活動拠点「神の愛の宣教者会」(東京・足立区)では、悲報を知った六日午前四時ごろから修道女六人が祈りを続けた。
 同会は、テレサさんの初来日をきっかけに一九八一年に江東区内に設けられ、十二年前に現在の場所に移った。出産を望む未婚の女性を病院に入院させたり、出産後、里親探しをして養子縁組の手助けをする活動を続けている。
 外国人の修道女の一人は「大事な人を亡くし、とても残念です。今後もマザーの教えを守っていくことを誓います」と静かに話した。午前八時すぎには、ニュースで訃報(ふほう)を知った女性信者二人も祈りをささげるために同会を訪れた。

 テレサさんの活動を初めて日本に紹介した報道写真家・沖守弘さん(68)(練馬区)は、「今年の正月、カルカッタのマザー・ハウスに見舞いに行ったのが最後の別れになりました」と肩を落とした。その時、初めてテレサさんの私室に入ったが、すでに起き上がれない状態だったという。
 沖さんは七四年にインドを訪ね、初めてテレサさんに出会った。貧民救済活動を写真に撮り続け、七八年に初の写真集を出版、日本でも大きな話題を呼んだ。以来、八十回以上もインドを訪れ、活動をつぶさに国内に紹介してきた。

 また、七九年にドキュメンタリー映画「マザー・テレサとその世界」を作った監督の千葉茂樹さん(64)は、「生きているだけで大きな存在感があるので、一日でも長く生きてほしかった。彼女が示したことを引き継いでいきたい」と悲しみを語る。
 テレサさんはマスコミ嫌いのため、カメラを寄せ付けず、撮影の許可を得るのに二年ほどかかったが、「撮影を通じて、人と存在の大きさに圧倒されてばかり」と振り返った。

 テレサさんの来日のたびに同行した世田谷区のカトリック松原教会主任司祭のボーガルト神父(60)は、「小さな体に力があふれている」と話し、その行動力に感銘を受けたと話す。
 初来日の八一年。東京の山谷地区を回った後、大阪にも同じような労働者街、あいりん地区があることを知ると、テレサさんは「行かなければ」と思い立つ。その日の夕食会を途中で抜け、新幹線で大阪へ。翌朝の午前四時半には同地区を回った。その情熱にあふれた姿が印象深いという。

 聖心女子大の和田町子名誉教授(68)もテレサさんの生き方に深い感銘を受けた。九一年に生地の旧ユーゴスラビアを訪ね、翌年にはテレサさんが始めたカルカッタの救援施設で働いた。
 テレサさんの生涯をつづった著書もある和田さんは、「亡くなっても、彼女の生き方は日本の人々の心の中にも生き続けるでしょう」と話している。

 三度目の来日の際、広島の平和記念資料館を案内した元館長・川本義隆さん(65)は、「目の輝きの素晴らしさに心を揺さぶられた。マザーが遺品に手を合わせる姿を見ていると、いつのまにか自分も手を合わせてしまうような崇高で神々しい存在だった」。広島駅で見送る時に、「広島の心を二十一世紀に伝えてください」と励まされたのが忘れられないという。

 ◆8日、追悼のミサ

 テレサさんの死を悼み、カトリック東京大司教区では八日午後四時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区関口三)で追悼のミサを行う。一般の人も参加できる。

 ◆ラブ・イズ・アクション 愛するより愛することを 愛は身近な人から始めよう

 「日本は美しい国なのに、なぜ道に倒れている人に手を貸そうとしないのか」
 初めて来日した一九八一年、テレサさんは、こう訴えた。分刻みのスケジュールの中で、東京・山谷、大阪・あいりんの両地区を“お忍び”で歩き、路上で生活する労働者や、職探しに集まる失業者たちの姿をつぶさに見てのことだった。

 この直後に上智大学で行われた「囲む集い」でも、二千人の学生を前に、「愛されるより、愛することが大切。愛は身近な人から始めよう」と語り、熱狂的な拍手と握手攻めにあった。

 翌八二年に再来日した際にも、兵庫県宝塚市で開かれた「愛と平和の集い」に一万五千人、長崎市の「母と子の大集会」に五千人の聴衆が集まり、その優しく穏やかな語り口に熱心に耳を傾けた。

 最後の来日となった八四年には、広島市の原爆養護ホームを訪問、年老いた被爆者たちの手を一人一人握って励ます一方、核兵器廃絶を訴えるメッセージを世界に向けて呼びかけた。

 写真=学生との対話の後、手をさしのべるマザー・テレサ(1981年4月26日、上智大学で)

読売新聞社


1997/08/21 産経新聞

【ドリアン助川の正義の新聞ジャンベルジャン!】生みの親に会いたいが…
 東京夕刊 9頁 塾1面 写有 (全997字)

 【問】生みの親に会いたい。ぼくは両親に経済力がなかったせいで零歳で施設に預けられ、今の両親に引き取られて十八年間、何不自由なく育てられてきました。しかし、本当の母親が生きているということを知り、会いたい気持ちが高まっています。この話をすれば、育ての両親を傷つけそうで怖い。昨年夏、父が病気で倒れ、母が働いて生計を立てている状態なので、なおさら自分の気持ちを話しにくい。どう相談すればいいでしょうか。(高三男子)
 【答】経済力がなかったとはいえ、自分で産んだ子供を施設に預け、里親に出したあなたの生みの親は、これまでどんなに苦しんだでしょう。いつもあなたのことが頭の中にあったはずです。
 そして生みの親ではないにしろ、あなたを本当の子のようにかわいがり、事実本当の子だと思い、これまで育ててきた現在のご両親は、どれほど、あなたに愛情を注いできたことでしょう。
 また、あなたは生みの親がどこかにいるということを知りながら、現在のご両親に十分に感謝をし、思いやりを持って生きてきたのですね。
 それぞれの人が、それぞれの思いを抱く中で、あなたは十八歳になりました。そのそれぞれの思いがあなたには理解できているようですから、あなたが実の母親に会いたいと思うのであれば、僕は会うべきだと思います。
 一般的に両親といえば父と母の二人。しかし、あなたには現在のご両親と、あなたに会うことを我慢してきたもう一人の母親がいると思ってよいのではないでしょうか。
 現在のご両親の生活がうまくいっていないのであれば、これまでの思いに今後も揺らぎはないということを、もう一度きちんと話した上で、「生みの親の苦しみも救ってあげたい」と言ってあげたらいかがでしょう。
 大事なことは、単に「生みの親に会いたい」と言うのではなく、「生みの親の苦悩も理解できる」とあなたがひとこと、言うことです。
 あなたは人の痛みや思いやりが分かる人ですから、きっとうまくできるはずです。 (叫ぶ詩人の会、ボーカル)
                  ◇
 ドリアン助川さんの本格的エッセーが夕刊フジに連載されています。タイトルは「ゆっくり行こうぜ!」(月−金)。「現代の苦労人」と称されるドリアンさんの生き方や、彼が世界中で拾ってきたオイシイ話をたっぷりと描いています。「人生、ゆっくり行くのもいいもんだ」。そんな気分にさせてくれるエッセーです。

産業経済新聞社


1997/08/12 毎日新聞

施設の子供130人が「1日里親」と楽しい思い出−−和歌山市/和歌山
地方版/和歌山 写図有 (全256字)

 和歌山市の児童施設の子供たちに家庭の雰囲気で1日を過ごしてもらおうと市民生委員・児童委員協議会は11日、同市小雑賀の湯とぴあ和歌山健康ランドで「1日里親」を開いた。
 旭学園、こばと学園、虎伏学園の子供ら約130人と民生委員ら約100人が参加。里親の組み合わせを決めた後、子供たちはそれぞれの“お父さん”や“お母さん”と一緒に昼食のハヤシライスをおいしそうに食べたり、ゲームコーナーで楽しい1日を過ごした。
 同会の石田修会長は「子供たちにゆっくり楽しく遊んでもらうためにもこのような催しを続けていきたい」と話している。

毎日新聞社


1997/08/12 産経新聞

マリリン・モンロー 沒後35年 素顔に迫る「企画」相次ぐ
 東京夕刊 10頁 エンタ2 写有 (全2748字)

 華麗な男性遍歴の裏に孤独と苦悩の影がつきまとう女優マリリン・モンロー。没後35周年を迎えた今年、追悼記念展やビデオ発売、映画公開などの関連企画がいつになく盛り上がりをみせている。いずれの企画も、人に愛されることを渇望し続けたマリリンの素顔に独自の切り口で迫っている。(柳谷昇子)
 東京・日本橋三越で開催中の「マリリン・モンロー展〜マリリンが本当に伝えたかったこと」(十七日まで)は連日、四千人を超える入場者でにぎわっている。同展は、世界のカメラマンが撮った約二百点の秘蔵写真ほか、マリリンが映画やプライベートで着用したアクセサリーや愛用品などが展示されている。
 来場者の六割は女性で、アンケートでは「普通の女性としてのかわいらしさを知ることができた」「新しい一面を発見できた」といった回答が寄せられているという。
 「セックス・シンボルとして語られてきたマリリンのプライベートな部分にスポットを当てました。六〇−七〇年代ブームもあり、特に若い女性はマリリンをある意味で手本としてみているのかもしれません」と、同店文化企画担当主任の高松真理さん。
 会場各所ではマリリンの生涯をつづったドキュメンタリー映像も流されており、来場者は足を止めて熱心に見入っていた。
 また、ビデオ&LD「All My Life」(東芝EMI)も発売された。
 「All−」は、里親との記念写真や映画のリハーサル風景など、本邦初公開の写真や貴重な映像がふんだんに使われたドキュメンタリー。綿密な取材をもとに、なぜスターにあこがれたか、子供時代はどうだったか、母親をどう思っていたか、セックス・シンボル化していく自分、三回の結婚と離婚についてなど、マリリンの独白とナレーションという形で仕上げられている。
 「これまでもマリリンに関する書籍や映像作品は数多く出ていますが、スキャンダルやなぞの死に注目したものが多かった。『All−』は、偏った見方ではなく、残された膨大な資料を検証し、より素顔に近いモンロー像にせまる作品です」と、東芝EMIの関明子さん。
 また、ミラ・ソルヴィーノとアシュレイ・ジャッドの二女優が主演する映画「ノーマ・ジーンとマリリン」(ティム・フェイエル監督)が今秋から全国で公開される。
 ノーマ・ジーン(マリリンの本名)にはアシュレイ、マリリンにはミラが扮した“二人一役”というざん新なアイデアで、製作には五年が費やされた。三十六年という短い生涯に凝縮されたエピソードを大胆につなぎながら、二人がまるで光と影のようにお互いの存在を主張しあうことで、マリリンの表の顔と本心が理解できる傑作だ。
 九月には、マリリンのバービー人形「バービー アズ マリリン・モンロー」(マテル ジャパン リミテッド)が発売される。映画「七年目の浮気」で、地下鉄の換気口の風でスカートが舞い上がる有名なシーンをモチーフにしたものを皮切りに、「紳士は金髪がお好き」からピンクのサテンドレスと赤のガウンをまとったものなどが順次、登場する。
 さらに、九十六人の作家がマリリンとエルビス・プレスリーを描いた「マリリン・モンローとエルビス・プレスリー展」が現在、大阪・大丸ミュージアムで開催されており、九月には高松市、十一月には横浜でも開かれる。
 マリリンが創刊号の表紙を飾った「PLAY BOY」誌(日本版)も、命日の今月五日、米国ロサンゼルスにある彼女の墓にカードと花をささげるイベントを行った。
 没後三十五周年とはいえ例年にはない関心の高さ。関さんは言う。
 「三十五周年だからというより、どこがはかったわけでもなく盛り上がりました。マリリンは結婚して子供を産むという普通の小さな幸せが欲しかった。コンプレックスをもシンボル化した女優の物語ではなく、ひとりの女性としての心の叫びがいまようやく注目されるようになったのでは」
 アンソニー・サマーズのノンフィクション「マリリン・モンローの真実」の翻訳なども手掛ける作家の中田耕治さんは、「(一連の記念企画は)思想的、社会的な意味から意図的に火がついたものではなく、果敢に生きたという意味でいまの女性たちにもありうるべき姿のひとつとしてみられているのでは。美的観念を絶えずわれわれに突きつけてくる存在と しては、ほかにはいない女優でしょう」と語っていた。
                  ◇
 【プロフィル】
 1926年6月1日、米国ロサンゼルスに生まれる。本名ノーマ・ジーン・モーテンセン。母親が精神病院に入院したため、幼少期は孤児院や里親を転々とする。
 42年、16歳で航空機整備士のジム・ドゥアティと結婚。このころからモデルの仕事も始める。
 46年、ジムと離婚。ハリウッドでの生活が始まる。20世紀フォックスと契約し、芸名をマリリン・モンローに。映画では端役しか与えられず、ついには同社を解雇され、写真モ デルをしたりカレンダー撮影でヌードになったりしていたが、大物エージェント、ジョニー・ハイドに出会い、再契約。その後、ジョン・ヒューストン監督「アスファルト・ジャングル」で 注目を集め始め、数々の映画に出演。
 53年、「ナイアガラ」でモンロー・ウォークが有名になり、「紳士は金髪がお好き」でトップに躍り出る。雑誌「PLAY BOY」創刊号の表紙を飾る。
 54年、野球選手ジョー・ディマジオと結婚。ハネムーンで日本を訪れる。わずか9カ月で別居し、翌年は20世紀フォックスとの対立もあり、写真家のミルトン・グリーンらとプロ ダクションを設立する一方、演技派女優への転身をはかる。
 56年、劇作家アーサー・ミラーと結婚するが、子宮外妊娠で2度の流産。
 60年、「お熱いのがお好き」でゴールデン・グローブ賞を受賞。大統領に就任したジョン・F・ケネディと交際。翌年、ミラーと離婚。アルコールと睡眠薬におぼれる日々が続き、 精神病院に入院。
 62年8月5日、ロサンゼルス近郊の自宅で死亡しているところを発見される。36歳だった。死因は睡眠薬の過度の服用による急性中毒死と発表。遺体はジョー・ディマジオが 引き取り、葬儀は内輪で行われた。 【写真説明】 ◆バービー人形も登場 世界同時発売される「バービー・アズ・マリリン・モンロー」 36歳で波乱の人生に幕をとじたマリリン・モンロー《(C)1978 Richard Miller/MPTV》 ジョー・ディマジオと。ディマジオは自身が亡くなるまでマリリンの墓にバラの花を届けたという(ビデオ「All My Life」から) (左)ノーマ・ジーンのころ(下)ジョー・ディマジオとの離婚を発表《(C)PASSPORT INTERNATIONAL PRODUCTIONS INC.》

産業経済新聞社


1997/08/09 中国新聞

心にぬくもり 里親と夏休み 福山で対面式(広島県)
中国朝刊 福山/尾三 写有 (全354字)

 家庭の事情でお盆に帰省できない福山、尾道市の乳児院、養護施設に入所している幼児や児童と、受け入れる里親との対面式が八日、福山市東深津町三丁目の備後地域 地場産業振興センターであった=写真。
 県東部地区里親連合会(友井一三会長、二十五人)の主催。三つの施設の十人と里親、養護施設の職員ら約七十人が出席。友井会長らが「短い間ですが、少しでも家庭の 雰囲気を味わわせてください」とあいさつした後、子どもたちと里親が顔合わせをした。
 初の対面に泣きじゃくる幼児もいたが、楽しそうに会話を交わす家族も多かった。子どもたちは十八日までの十一日間、里親と過ごす。初めて一歳の女児を受け入れる福山 市駅家町万能倉、会社社長三島博志さん(48)は「家庭の味や人の愛情に触れられる経験をできるだけさせてやりたい」と話していた。

八日、福山市東深津町三丁目の備後地域地場産業振興センターであった、家庭の事情でお盆に帰省できない福山、尾道市の乳児院、養護施設に入所している幼児や児童 と、受け入れる里親との対面式

中国新聞社


1997/07/31 読売新聞 海外援助里親

[?????]大使館の役割 戦闘拡大で
 大阪夕刊 10頁 (全569字)

 大阪府八尾市に本部があるNGO「国際飢餓対策機構」からカンボジアに派遣されている男性(28)が今月六日、同国内の戦闘拡大に危険を感じ、プノンペンの日本大使館に避難しようとした。しかし、玄関前で立ちはだかるカンボジア人に「入れない」と言われ、日本人職員の顔を見ることすらできずに追い返された。

 男性は一月から、現地でドイツ人や韓国人のボランティアたちとともに里親活動をしている。門前払いを食わされたその日、他国のボランティアは、いずれも自国の大使館から、事前に決めたホテルに避難するよう指示されたという。

 日本人が銃弾を受けた翌日の出来事で、男性は、なんらかの指示があるだろうと期待していた。連絡はあった。だが、午後の九時過ぎで「待機しておけ」だけだった。

 「何かあっても、頼れない」。そんな男性の声を国際電話で受けた日本のスタッフは「大使館の危機管理はどうなっているのか。彼の両親に大丈夫ですよと言ってもいいのだろうか」と戸惑う。深刻なのは、かなりの数の現地の日本人たちが、同じ不安、不満を訴えていることだ。(柳)

社会部06・311・3111 FAX06・361・0733
電子メールはosaka2@yominet.or.jp
読売新聞社


1997/07/29 中国新聞

里親の家庭で温かい夏休み 東広島の園児22人(広島県)
中国朝刊 広C (全239字)

 県北二市二郡の里親で結成する北備地区里親会(牧田繁喜会長、三十一人)は二十七日から八月二日までの七日間、今年も東広島市西条町の児童養護施設・広島新生 学園(上栗哲男園長、七十五人)の園児を夏季一時里子として招き、家庭生活を体験してもらっている。
 招かれたのは幼児五、小学生十七の計二十二人。二十七日朝、園のバスで三次合同庁舎に到着。出迎えた里親に、上栗園長や園児代表が「温かい家庭生活を通して豊か な心情、人格の形成が促進できます」「楽しい思い出をつくりたい」とあいさつした。

中国新聞社


1997/07/25 西日本新聞

九州の里親たちが交流
朝刊 29頁 18版29面1段 (全279字)

 九州地区里親研修大会(全国里親会など主催)が二十四日、二日間の日程で北九州市小倉北区の弥生会館で始まった。
 九州・沖縄で里親や児童福祉関係者ら約百七十人が参加。初日は西南女学院大保健福祉学部の岡本栄一教授が「里親になって学んだこと」と題して講演。子供の養育をめ ぐる悩みなどについて、参加者が意見交換した。
 北九州市里親会によると、九州・沖縄の里親登録は七百三十世帯で、里子を養育しているのは二百四十一世帯(昨年九月末現在)。研修会は交流のために毎年開かれてい る。

西日本新聞社


1997/06/09 産経新聞

【ポンフェイさんのコラム 彭飛的専欄】「養子」の反響
 東京朝刊 7頁 経済面 写有 (全909字)

 先月、このコラムで外国人の孤児を養子として育てる提案を書いた。今日は読者からのお便り(抜粋)を紹介しよう。
 辻良樹さん(大阪市)からは「素晴らしいことですね。小生もフィリピンとケニアの子供の里親をさせていただいていますが、さらに進めて養育という直接的な手助けに心より拍 手を送りたいと思います。子供は地球の宝。この間、インドネシアのへき地へ行きました。貧しい中でも子供たちの輝く笑顔がとても印象的でした。世の中には子供ができない 夫婦や定年後、時間をもてあましている人も多いと聞きます。ぜひ前向きにやりましょう」と言う。
 関東地方の匿名希望さんからは「私どもにも子供がおりません。夫は四十歳目前、私は三十代後半です。養子を迎えたいと思ったのですが、それはホルモン剤投与や人工授精よりその方がはるかに自然だと考えたからです。しかし、夫や婚家から猛反対にあいました。あくまでも自分の血、自分の遺伝子に固執してしまうらしいのです。『血縁関係の ない子を育てるくらいなら育てないほうがマシ』と夫は言い、義父母は『異民族にわが家の墓を守らせ、名字も名乗らせるなんて想像もできない』と言います。これはもう理屈を超 えた生理的嫌悪感なのでしょう。私の周辺でも晩婚で不妊の友人はたくさんおります。外国人のもらい子をしたいと思っている人もおります。しかし、『世間の壁』にはばまれて 残念ながら実現できずにいるのです」。
 坂本久美さん(広島県)のお便りによれば、「日本人は特に血縁にこだわる傾向があるように思いますが、実の親が育てるから子どもが幸せになるとは必ずしもいえません。日 本で教育を受けた子ら(外国人)が成長すれば、彼らの祖国との大切なかけ橋となっていくこともありましょう。さまざまな人種の子どもらが日本で生活をしている姿がもっと見か けられるようになれば、髪の色や目の色が違うだけで拒絶反応を示したり、排他的になってしまう日本人独特のムラ意識を改善していくうえでもよい刺激となるに違いありませ ん」と言う。
 外国人の孤児を養子として迎えることは賛否の意見が出るのが当たり前だが、賛成の意見が多かったことは想像以上だった。
 (京都外大助教授)

産業経済新聞社


1997/06/01 朝日新聞

舞踊家囲み、里親が交流 途上国の子ら励まそう 浦和 /埼玉
朝刊 24頁 埼玉版 写図有 (全233字)

 途上国の子どもを励ます活動を続けている里親たちの集まり「フォスター・ペアレ ント浦和の会」(世話人・越智三佳さん)が三十一日、浦和市民会館で集会を開き、 ゲストのカンボジア舞踊家イム・キムスールさんを囲んで交流した=写真。
 同会のメンバーは、アジアやアフリカなどの国々に毎月五千円の援助金を送ったり、 その地域の子どもたちと文通したりしている。集会には、浦和市や大宮市から十二人 が出席。手や指のしなやかな動きが特徴的なカンボジアの踊りを習い、現地の教育事 情などを聞いた。

朝日新聞社


1997/05/31 毎日新聞

養子育てたい人に21、28日、神戸市で講座−−家庭養護促進協会/神戸
地方版/兵庫 27頁 (全297字)

 家庭を失った子どもたちのために里親を探している「家庭養護促進協会」は6月21、28日の両日、神戸市中央区東川崎町1の神戸市総合児童センター7階で「養子を育てたい人のための講座」を開く。
 21日はビデオ「ドキュメンタリー親子のむすび」の上映会と懇談、28日は実際に里親となった人たちの体験を聞き、養子制度の手続きなどを学ぶ。時間はいずれも午後2〜4時半。定員は夫婦15組(どちらか1人でも可能)。受講料は資料、茶菓子代などで夫婦1組5000円、1人の場合は3000円。
 同協会は県、神戸市から委託を受け、県内の児童相談所と協力して里親事業を行っている。
 問い合わせは同協会(078・341・5046)。

毎日新聞社


1997/05/30 毎日新聞

「女の気持ち」欄の特集「子供がほしい」に、さまざまな反響
東京朝刊 21頁 家庭 写図有 (全2475字)

 今月12、13、14日の本欄で、子供がほしくて治療を続ける人、体外受精で7年目に子供に恵まれた人、そしてせっかく妊娠しながら、順調さを欠き、中絶を決断した人の「女の気持ち」を掲載したところ、大きな反響がありました。「子供はいなくても」「自然にまかせれば」などさまざまな意見が寄せられました。その中から主な声を特集してみました。

◇なぜ、結婚→子供なの−−そっと見守っていて
 私も不妊治療中です。昨年は一番悩んでいて何かにすがりつきたく、不妊の本を読んだり病院に行ったりしました。排卵誘発剤の治療もしました。でも医者とのコミュニケーションがとれないなどもあり、無理でした。
 その後、子供ができない悩みをもつ仲間に出会い、みんなに励まされ、また不妊専門のクリニックへ通い始めています。周りの人たちのあいさつのように出てくる「子供はまだ?」「結婚して○年でしょ」という言葉は、私たちにはすごいプレッシャーなのです。治療も頑張っているのだからそっと見守っていて下さい。  <東京都板橋区・遠藤真理 主婦・28歳>
  ×  ×  ×
 どうして結婚したら、即子供なのでしょうか。私だって「子供は苦手」といっても、何が何でもつくらないといっているわけではありません。もう少し夫婦だけの時間を過ごしたいし、私自身の問題として、心の底から素直に「子供がほしい」と思える日まで、そっとしておいてほしいのです。
 人一倍子供好きの主人には申し訳ないし、お互いの親もきっと一日も早く孫の顔を見たいと思います。でも周囲の期待に応えるために子供をつくるというのも、何だか違うような気がします。
 いつかは子供を持ちたいと思いながらも、仕事などの関係で、「赤ちゃんはもう少し先に」と考えている女性はたくさんいらっしゃると思います。どうか周囲の方は、悪気はなくても「赤ちゃんはまだ?」と尋ねるのは遠慮して頂きたいのです。 <東京都三鷹市・匿名 パート・26歳>

◇どの子も可愛い
 保母という職業から見ると、自分で産んだ子でなくたって、愛情を持って育てれば、どの子もみんな可愛く、どうか良い子に育ってほしいと願わずにいられません。なぜそんなに血のつながりにこだわるのですか。不幸な星の下に生まれた子供たちを温かい家庭で育ててやれないものでしょうか。
 里親、里子でよいではありませんか。もっと日本も欧米のように、実子ということにとらわれず、ごく自然に我が子を育てるように里子を育て、周りもそれを当たり前のこととして、温かく見守る環境にならないかと思います。  <千葉県山武郡・岩井久江 保母・56歳。>

◇答えが出せない…
 「普通の妊娠はできません」と医者から言われ、頭の中が真っ白になり、次の瞬間、涙があふれました。体外受精とは、予測していないことだったので、ピンと来ませんでしたが、それでもほしいと一度は決断しました。
 夫にそのことを話した時「今のままでも幸せだし楽しい、子供がいてもそれはまた楽しい。もし体外受精をするなら協力をする」と言われました。本当にほしいのか、夫の言うように今のままでいいのか、どちらにも決められないまま医大の検査を受けました。時間的制約、費用のことなど自分たちにとって今の生活を乱してまでも必要なのか。
 毎日、自分に問いただしてみても答えが出せずにいます。 <埼玉県大宮市・匿名 会社員・31歳>

◇自ら追い詰めないで
 私も一通りの病院通いを経て、もうこれで大丈夫ですよと言われたが、なんの音さたもなし。だけど排卵剤などは思いもよらず、過ぎてしまった。子への執着がなかったのか、食べていけなかったのか、それでもなんとか普通に暮らしている。
 世の中には子のない暮らしもまた、特に変わったことでなくあるのだと分かってほしい。それと子供がほしいということと、自分の子供がほしいということは少し意味が違うのだということも。人それぞれ考え方が違っていてこれが正解と言い切れないが、自分を責めたり、追い詰めたりだけはしないでほしい。  <横浜市神奈川区・小山光子 主婦・54歳>

◇「幸せ」に決まった形ない
 幸せって何だろう。「幸せ」に決まった形などない。なのに多くの人が幸せとはこうあるべきだ、というような固定観念にとらわれていないだろうか。私は「結婚」や「出産」イコール「幸せ」だと思ったことなどない。結婚しなくても、子供がいなくても、輝いて生きている女性はいる。
 だから、子供ができなくて悩んでいる人に言いたい。子供を産むことだけが幸せではないのだと。もちろんあきらめろと言うつもりはない。ただ、子供をつくるために多くの犠牲を払い、そのいつ得られるとも知れぬ「幸せ」のために、自分をすり減らし、自らを不幸にしてしまってはいないだろうか。
 出産、子育てに注ぐはずのエネルギーを自分の人生のためにもっと違う方向に向けてみてもいいではないか。ちょっと視点を変えれば、違った幸せが見えてくるかもしれない。最近は、子供を産まない人も増えていると聞く。決まった形に縛られず、肩身の狭い思いをせずに、自分なりの生き方が選べる社会になりつつあると信じたい。  <千葉県船橋市・匿名 主婦・26歳>

◇人生は心で選ぶ
 私の息子は低酸素性脳症で生まれ、リハビリに通って、ある母子に出会いました。先天性か出産時のアクシデントがほとんどの中で、その子は4歳で事故に遭って寝たきりでした。「元気に走り回ってた子だからどう受け止めたらいいか」と言った彼女ですが、「生まれてこなければ」とは決して言わないのも彼女でした。今は多分12歳、お母さんより背が高くなったことでしょう。
 障害。生まれる前に分かる、生まれてから分かる、ある日突然に……。どれが一番つらいかなんて比べられるものじゃない。じゃあ、それさえなければ幸せか、と問われたら私は「イエス」とは言えません。
 息子は不運にも障害を持ちましたが、今のところ不幸とは無縁です。自由な人生、または不自由でも生きがいのある人生は、自分の心が選ぶのではないでしょうか。 <埼玉県鴻巣市・佐伯史子 パート・37歳>

■写真説明 こんな笑顔が見たい……

毎日新聞社


1997/05/30 毎日新聞

県警上申書問題で告発検討 西尾義行・ブルー十字社長が富山で記者会見/石川
地方版/石川 (全1334字)

 約70億円の負債を抱えて倒産した動物医薬品メーカー「ブルー十字」(本社・金沢市)の西尾義行社長(47)は29日、富山県小矢部市小森谷にある系列の「ブルー十字動物血液センター」で記者会見し、倒産で行き場をなくした採血用犬猫の里親探し活動を行っている富山市の動物愛護団体に「私の不祥事でご迷惑をおかけした」と陳謝、活動続 行を容認する意向を表明した。また、動物のQ熱判定検査や、アトピー治療などの事業で会社再建を目指す方針を明らかにし、石川県警の上申書問題では告発も検討する、と述べた。
 犬猫約440匹は、同センターが4月初旬に約18億円の負債を抱えて連鎖倒産したため行き場を失い、社会問題化。このため、「北日本動物福祉協会」(富山市・村田美南子代表)が倒産直前の4月6日にセンターと委託契約を結び、新しい飼い主や飼育ボランティア、資金カンパの募集活動を全国に呼びかけ、29日現在で330匹が新しい飼い主に 無事引き渡された。残りも6月末までに終える予定。 同社長は記者会見で、5月上旬に出した動物引き渡しの中止要請を全面撤回したうえ、「今後は活動に必要な人件費などについても協力する考えがある」ことを示した。
 会見に同席した従業員やボランティアからは、会社側の動物の飼育実態や、同活動への非協力的姿勢に批判が続出した。
 村田代表は「中止要請に応じる気は最初からなかったが、とりあえずほっとした」としながらも、「個人的な気持ちだが、今後事業を再開するなら、動物愛護精神で飼育してほしい」と要望。また、従来の会社側の姿勢について「特定の犬猫が特殊な血液型なので中止してくれ、などと企業利益を言うばかりだった。ボランティアが怒る気持ちはわかる」と話していた。金沢本社など売却 会社再建計画は、福井銀行などの債権者と協議中。西尾社長は、「全国で動物のQ熱を判定できる技術はブルー十字にしかない」と強調し、再建に自信を示した。同社長によると、金沢市にある本社、東京支社、富山県福光町の施設などは売却、アトピーのケアセンター、同県小矢部市の動物血液センターなど中心に再建を目指す。
 一方、動物血液センターについては「ここ1、2年は動物を入れることは考えていない」と話し、Q熱判定など検査事業の施設として運営するという。また「センターの役員が機器などを数億単位で勝手に売却した」として法的な手段をとることも明らかにした。
 西尾社長は、先月末に金沢地裁で開かれた初公判で有印私文書偽造の起訴事実を全面的に認めた。
 しかし、取り調べた県警捜査2課の警部補(49)が「捜査の進め方に疑問がある」とする上申書を県警本部長あてに書いていたことが明らかになった。西尾社長は「3月15日に松任署の取調室で、警部補から上申書を見せられた」と説明。その場で取調室から同社長の関係者に連絡、関係者が複写した後、弁護士に届けられたという。西尾社長はこの後、「人権侵害救済申立書」を今月28日、金沢弁護士会に提出した。
 西尾社長は「取調室で私が(警部補を)脅迫することは不可能だし、警部補は自分の意思で提出した」と反論、「取り調べにあたった警部について、(名誉棄損などで)告発することも考えている」と話し、強気の一面をのぞかせた。

毎日新聞社

1997/05/07 琉球新報

しごと曼荼羅 <5> 里親あっせん 神様に代わり 幸せ探し ほんの手伝いから30年 「親子」の姿に喜 び・感動…
中国朝刊 特集連載 特集 写有 (全2085字)

 これから親になる大人に、初めて会った時に見せる子供たちの反応はさまざまだ。泣きじゃくる子、愛想よく振る舞いながら里親の表情をうかがう子、何か大きな変化が起きる ことを察してか、かたくなに拒否する子。
 「みんな心と体を張って懸命に新しい事態に対応しようとしている」と、里親をあっせんしている家庭養護促進協会大阪事務所の岩崎美枝子所長(56)。
 そして「親子の組み合わせは本来は神様のやるべき仕事。それを人為的に…恐ろしく思うときもあるけれど、そこに関与する重大さに喜びも感じる」と、こう述懐する。
 この協会は、大阪府内の乳児院や養護施設で暮らす子供たちのための民間団体。週一回、全国紙の地域版で子供を紹介、新聞を読んだり人づてに聞いたりして全国から応 募してくる”親の候補者”を調査の上、子供を託す。新聞に出ると、一人の子で平均五、六件の申し込みがある。
 岩崎さんら五人の職員が勤務する事務所(大阪市天王寺区)は一九六四年に発足、主に一般からの寄付で運営されてきた。給料は高くないが、「やりがいで仕事が支えられ ている」。これまで新聞で紹介した子供は計千六百人を超え、うち約九百人が養子縁組をした。
 大阪府や大阪市の依頼を受け、施設に子供を訪ねることから仕事は始まる。対象になる子供はゼロ歳から六、七歳まで。親が育てられなくなった事情、子供の性格や生活の 様子を保母らから聞き、写真付きで新聞に載せる。
 写真写りのいい子には申し込みが多い。申込者のほとんどは「生きがい」や家の跡取りを求める人たちだ。
 里親への面接調査は繰り返し綿密に行われる。子供が欲しい理由、夫婦仲、経済状態、夫婦の成育歴・親との関係…神ならぬ人の手で親子関係をつくっていくことがどんな に大変かを、何度も何度も説き、心構えを問い掛ける。
 最初の申し込みで引き取り手が決まるケースは少ない。実の親の事情を知って断念したり、ほかの人に決まったり。「そのうち親になる準備ができてくる。機が熟すというか、 この夫婦ならあの子を託せるという直感が働く瞬間が来る」と、職員の佐藤三樹子さん(38)。
 おっぱいを欲しがるなどの「赤ちゃん返り」、過食、盗みやうそ、反抗的な態度。引き取られた当初、子供はさまざまな行動で里親を戸惑わせる。岩崎さんはこれを「試し行動」 と名付ける。「この人は、自分のことを本当に大事にしてくれるのか」と、里親の愛情を試す行為だ。
 だから里親に対しては必ず「子供の要求を何でも聞き、徹底的に甘やかしてあげて。子供の存在を丸ごと無条件に受け止めてほしい」とアドバイスする。何らかの機会に養子 だということを、できるだけ話すようにとも。
 ある里親は四年前、当時五歳の早苗ちゃん=仮名=を協会を通じて養子に迎えた。一週間ほどすると、おっぱいとおむつをねだった。ちょっと横を向いただけでも「早苗を見 て」と訴え、里親の意識のすべてが四六時中、自分に向いていないと満足しない。
 「早苗と鉛筆とどっちが好き?」。スリッパ、コーヒー、近所の子と、あらゆるものと比べて繰り返し聞く。
 岩崎さんは「赤ちゃんは泣くだけで親を動かし、親はひたすら振り回される。その過程を経験しないと、子の親に対する基本的な信頼感が培われない。まして養子はさまざま な事情で実の親と引き離され、幼くても深く傷ついている。人一倍愛されたい一方で疑い深い」と話した。
 里親が悲鳴を上げるほど苦しいこの期間が半年から一年ほど続いた後、次第に親子関係が出来上がる。職員の山上有紀さん(25)は、里親から送られてきた写真を見なが ら「最初はぎこちなかった子供の表情がどんどん自然になって、雰囲気も何となく里親に似てくる」とほほ笑んだ。
 協会の仕事はそこでは終わらない。子供が思春期になれば再び激しい葛藤(かっとう)が起こる。新しい親子はほとんど特別養子法で結ばれるが、うまくいかない場合でも離 縁は基本的に不可能。「親側の逃げ道が閉ざされた」「どんなに大事に育てても、持って生まれた素質は変わらない」といった声も聞かれる。
 三歳の時に引き取られた自営業の上田慶一さん(34)=仮名=は、中学、高校のころ徹底的に反抗した。幼いころから積み重なった里親への小さな不満が「自分が実の子 でないからでは」との思いと結び付き、爆発した。
 岩崎さんは、十八歳になった慶一さんと会った。実の母親の墓探しに協力した。里親には正面から向き合うよう促した。親子は少しずつ歩み寄っていった。仲人も務めた。「今 は普通の親子以上の間柄」と慶一さん。
 岩崎さんが児童相談所勤めを経て「ほんの手伝いのつもりで」始めた仕事は三十年目を迎える。「一人ひとりの子供が歩くようになり、学校に行き、成人になる。何度経験して も、感動的」
 愛されることに対し、子供は「ど厚かましくてどん欲で執拗(しつよう)でこうかつ。決して”天使”とばかりは言えない」。だからこそ面白くていとおしい、と岩崎さんは思ってい る。
 ▽毎週水曜日に掲載します
 文・福島聡 写真・村田誠司

3歳の時に里親をあっせんした上田さん(右)=仮名=を訪ね、彼の結婚式のアルバムを見る家庭養護促進協会大阪事務所の岩崎さん

未婚の母から生まれた子、親が行方不明、養育拒否などさまざまな理由から施設に預けられた子供たちだが、元気に遊んでいる(大阪府内の養護施設)

中国新聞社


1997/05/07 中国新聞

しごと曼荼羅 <5> 里親あっせん 増える養子縁組
中国朝刊 特集連載 特集 (全419字)

 社団法人・家庭養護促進協会は一九六二年に神戸事務所、続いて大阪事務所が発足。この二カ所で「子供の成長のためには特定の大人との安定した関係が必要」との理 念から、施設で暮らす子供たちのために里親を開拓する「愛の手運動」を展開している。
 当初は半年から一年といった短期間や週末のみの里親委託が目立ったが、現在は養子縁組するケースが多い。この二年間に新聞掲載された子供はゼロ歳児が四一%、一 歳児が二五%、二歳児が一六%。
 親が育てられなくなった理由は、事務所発足当初は「親の家出、行方不明」が三七%で最も多かった。しかし最近は「十代での未婚の出産」「不倫関係での出産による養育 拒否」が、いずれも二〇%でトップになっている。
 里親の申し込みの動機は「実子なし、生まれる可能性なし」が八六%で大半を占め、次いで「実子が一人なので」(二・八%)「社会福祉のために」(二・二%)が続く。
 ▽毎週水曜日に掲載します
 文・福島聡 写真・村田誠司

中国新聞社


1997/04/18 毎日新聞

[招待席]「マルセリーノ・パーネヴィーノ」の試写会に御招待
大阪夕刊 3頁 3面 (全366字)

 17世紀のイタリアを舞台に、少年と11人の修道士たちの心のふれあいを描いた「マルセリーノ・パーネヴィーノ」(東宝東和配給)が26日(土)〜5月9日(金)まで、テアトル梅田で公開される。緑濃いウンブリア地方の修道院に暮らす修道士たちはある朝、キャベツ畑で赤ん坊を拾う。里親が見つからず、修道士たちは赤ん坊にマルセリーノと名付 け、自分たちの手で育てる決心をする。11人の“父親”の清らかで温かい愛情に包まれて、伸びやかに育っていくマルセリーノ。でも、ママに会いたい気持ちも募るばかり。そんなある日、横暴な領主がマルセリーノを 自分の子にしたいと言い出し……。
 公開中有効の劇場招待券を5組10人に。はがきに住所、氏名、年齢、電話番号を書き、〒530―91 大阪中央郵便局私書箱46号、毎日新聞社「たのしネマ・マルセリーノ」係へ。22日消印有効

毎日新聞社


1997/04/16 毎日新聞

[ビッグ追跡]無国籍児、いまだ“認知”されず(その1) 乳児院
東京朝刊 25頁 総合 写図有 (全1217字)

◇父に捨てられ、制度にも「差別」
 法務省が3月末に発表した1996年の外国人入国者数は424万4529人。前年より約51万人増えてバブル期をも上回り、初めて400万人を突破、「ボーダーレス時代」を数字で裏づけている。アジア諸国を中心とした入国者の増加傾向が顕著になったのは80年代半ばからだった。街の光景に外国人の姿が自然に溶け込む時代になった今、その子供たちをめぐる問題や制度上の不備が浮き彫りになりつつある。ジャパンマネーを求めて入国した人々と日本人の間に生まれた混血児たち。国際カップルによる幸せな家庭がある一方で、無国籍児や「父親に捨てられた」と感じながら暮らす多くの子供たちがいる。【井田純】

◇「せめて子供だけでも…」
 東京都中野区にある聖オディリアホームは、都内に12ある乳児院のひとつ。何らかの事情で親と暮らせなくなった4歳未満の乳児を児童福祉法に基づいて預かっている。3月末現在、約60人の入所児のうち10人が「外国人措置ケース」と呼ばれる子供たち。両親のうちいずれか、もしくは両方が外国人だ。
 「どの子が外国人の子か分かりますか」。施設長の入江嘉子さんは、にぎやかな声を上げながら動き回る十数人の子供たちを前に、そう尋ねてきた。日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれた2歳半の女の子・Mちゃんも、ほかの子供と一緒にブロックのおもちゃで遊び、見慣れない記者にも笑いかける。両親が離婚、母は行方不明だという。
 Nちゃんは男の子。昨年8月、日本人男性とオーバーステイのタイ人女性の間に生まれた。父の行方は分からなくなり、母は未婚のままNちゃんを出産。仕事を続けるために、と里親を探す民間救援団体に預けた。一時まとまりかけた里親の話が立ち消えになり、乳児院に入所してきた。Nちゃんには国籍もない。
 入江さんは言う。「『帰国するために働きたい』と預けに来て、1年以上引き取りにこないタイ、フィリピン人女性も多い。家に送金してしまって帰国費用はなかなかたまらない、もう少し働こう、という気持ちになるんでしょうね」
 「子供だけでも、いい環境に置きたい。親と別々というハンディはあるが、清潔にのびのびと暮らすことができる。でもここに来る子はごく一部で、子供を抱えながら無理して働いているお母さんはもっと多いでしょう」。オーバーステイの発覚を恐れて役所に行けない母親。出生も届けられず、外国人登録すらされない子供の存在を、入江さんは指摘した。
 横浜市にある外国人女性救援施設「サーラー」事務局では、最近の相談内容を「人身売買、強制売春などの事例はかなり減り、かわって男女間のトラブルが増えた」と説明する。定住化も進み、施設を利用する女性のほとんどが子供連れか妊婦。その子供のほとんどが日本の役所にも自国の大使館にも出生が届けられず、「無届け状態の無国籍児」になっているという。

■写真説明 マリコちゃんは日本人の父親そっくりだという=マニラ市の自宅で

毎日新聞社


1997/04/15 毎日新聞

[事件その後]「無国籍児童」の未来は… フィリピン人の母は強制送還/千葉
地方版/千葉 写図有 (全1477字)

◇日本人の父急死、法的保護に限界−−関係者「一番の被害者は子供」
 3月11日、浦安市内のスーパーマーケットで迷子になっていた3歳の男児が保護された。引き取り手はなく、その後の調べで、日本人の父親とフィリピン人の母親の間の子供と分かった。だが、父親は都内で死亡、母親はすでにフィリピンに強制送還されていた。出生届は提出されておらず戸籍もない。日本の社会は今後、この男児にどう手を差し延べていくのだろうか。【浜名晋一、中田卓二】

 男児は市川市内のアパートに父親と二人で暮らしていた。江戸川堤防に沿って住宅や町工場が雑然と立ち並び、川をわたる県道からの騒音は終日絶えない。
 1枚の写真がある。男児を抱きながら、やさしそうにほほえむ母親。近所の人が撮影したものだ。どこにでもある幸せな親子の姿がうかがえた。しかし、親子3人の生活は約2年前、突然、終わりを告げた。
 「アパートにパトカーが来て、外国人を何人か連れて行きました」。連行された外国人の中に男児の母親もいた。母親は、出入国管理法違反で本国フィリピンへ強制送還された。
 母親がいなくなった後も、父親は周囲に「妻は入院している」と話していたという。自転車の前かごに男児を乗せて外出する父親を、近くの人がたびたび見かけている。男児に近所から古着が差し入れられたこともあった。
 父親が東京都内で死亡したのは、男児が浦安署に保護された翌日のこと。男児に関する情報提供の呼びかけが新聞報道された際、通報した主婦(49)は「母親がいない間、一生けんめい育ててきたのに…」と父親の死に言葉を詰まらせた。
 男児は現在、市川児童相談所に保護されている。しかし、両親は正式に婚姻しておらず、男児の出生届は出ていなかった。父親が死に、母親の所在もつかめないため、男児の国籍は不明確なままだ。
 本国に住むと見られる母親が名乗り出る可能性は低い。男児が日本で暮らしていくには日本国籍取得という方法もあるが、(1)日本で生まれ、継続して3年以上住んでいること(2)父親が日本人であること――の2点を証明しなければならない。現行の国籍法では、両親ともにまったく不明な「遺棄児童」の方が、国籍取得が容易なのだ。
 同相談所が3年前に保護した子供の場合は、外国籍の母親が出産直後に蒸発、父親も行方不明だった。現在、里親のもとで家庭裁判所に日本国籍取得を申請中だが、結論は出ていない。
 同相談所によると、このような無国籍児童の問題は5年ほど前から顕在化してきたという。多くの外国人が日本に出稼ぎに来ることが背景にある。ある児童福祉司は「現行の制度で、一番の被害者は子供」と不満をもらす。
 男児は今後、養護施設に入るか里親に預けられることになる。しかし、無国籍のままでは、法的な保護には限界がある。
 在日外国人の人権問題に取り組む市民団体「hand―in―handちば」によると、無国籍児童は、外国人登録をしていても、自治体によっては就学を許可されないケースがあるという。同会に1995年度に寄せられた相談では、結婚や子育てに関するものが44件と最も多く、全体のほぼ3割を占めた。
 同会の小林順子さんは「(不法滞在者は法的に)『存在しない』という見方が問題。日本で生まれた子供は、最低限、日本で暮らしていけるような社会になってほしい」と訴える。
  × ×  ×
 保護された男児は、年上の子供に混じって元気に遊んでいる。しかし、両親のことは一切、口にしないという。男児はまだ、父親の死も知らない。

■写真説明 ほほえましい親子連れ。日本社会は無国籍児童にどんな手を差し延べるのか=市川市内で

毎日新聞社


1997/04/09 中国新聞

里親制と宅配便PRへ 「ばらのまち」根付かせよう 福山の商店街振興連とJC 栽培依頼し祭りで展示(広 島県)
中国朝刊 東A 写有 (全657字)

 「ばらのまち」を市民とともにはぐくもうと、福山市商店街振興組合連合会(木村恭之理事長)や福山青年会議所(金光憲正理事長、JC)が、五月二十三日から三日間開かれ る「’97福山ばら祭」に合わせて、バラの里親制度と宅配便キャンペーンを展開する。
 商店街連合会が取り組む「バラの里親制度」は、市民が里親になってバラ栽培に携わってもらう。
 連合会がまず、バラのプランター千鉢に購入し、商店街に置いて祭りを盛り上げる。同時に、各商店街のイベント会場などで、市民に一鉢千円で購入の申し込みを受け付け、 ばら祭最終日の二十五日に鉢を引き渡す。
 鉢には約一年分の肥料が入っており、各家庭で育ったバラは、十月に連合会が開催するイベントの際、商店街に持ってきてもらう。「育て方教室」も開く予定で、商店街連合 会の北村洋一総合事業委員長は「来年も実施し、その時には今年のバラも出品してもらい、商店街をより多くのバラで飾りたい」と言う。
 一方、福山JCは「ばらの宅配便キャンペーン」を実施。九日午前十時から、春日町七丁目のスーパーベルファニー春日店をはじめ、市内や深安郡神辺、沼隈郡沼隈町内のス ーパーやホームセンター約十カ所を、JCのメンバーやミスばらによるキャラバン隊が訪問。バラの花束やばらワイン、ばらネクタイなどをプレゼントする。
 その際、バラのプランター約二百五十鉢を千円で販売。約一カ月間、自宅で育ててもらい、祭りの期間中、会場となる緑町公園内にあるモニュメント「天の恵み」の周りに、鉢 で巨大な四つ葉のクローバーを描く。

キャンペーンで販売するプランターの積み込み作業をする福山JCのメンバー

中国新聞社


1997/04/07 読売新聞 海外援助ボランティア里親

貧困に負けぬスラムの歌声 世界里親会が比の子供合唱団招き、無料公演/大阪
大阪朝刊 30頁 写有 (全493字)

 フィリピンのスラムで暮らす八―十五歳の少年少女による「ホープ合唱団」が日本国際飢餓対策機構・世界里親会(本部・大阪府八尾市)の招きで十一日に来日、今月末まで全国十二か所の教会などで無料公演を開く。

 世界里親会は一九八七年に創設、国内で公募した里親から月額四千円の善意を受け、開発途上世界七か国の子供約二千人に就学援助している。

 マニラ周辺にいる里子は、粗末な建物に住み、家計は貧しく、大半の子供が慢性的な栄養失調の状態。
 九五年のクリスマスを前に、歌やダンスが大好きな子供らが「お金をもらうだけでなく自分たちも努力したい」と合唱団を結成。伝統音楽や賛美歌のチャリティー公演を重ねてきた。

 同会は、発足十周年の記念事業として今回初めて、十五人を日本に招待。ホームステイで里親らと対面しながら各地を回り、十八日に兵庫県芦屋市・日本イエス芦屋川教会、十九日に尼崎市・武庫之荘福音自由教会、二十日に八尾市・グレース大聖堂などで歌う。
 同会の有江健・総主事は「一日一食も満足に食べられない子が、希望を持って練習した成果を多くの人に見てもらいたい」と話している。問い合わせは同会(0729・95・0123)。

読売新聞社


1997/03/23 中国新聞

新刊選 「失われた楽園を求めて」 マルセル・メーリンク著
中国朝刊 読B (全234字)

 ラフ、サム、リサ三人の兄妹の両親は交通事故で死んだ。兄のラフが十四歳、双子のサム、リサが十二歳の時だった。別々の里親の元で育った三人は、両親が死んで九年 後にようやく再会した。だが、サムは両親の死以前の記憶を失っていた。
 リサは、サムの記憶を取り戻すべく幼少時の出来事を語り始めた。二週に一度、三人は顔を合わせることに決めた。リサが語る幸福な子供時代の回想は、「エデンの園」の物 語のように過去の輝きに満ちていた。=亀井よし子訳=

(ソニー・マガジンズ・一八〇〇円)

中国新聞社


1997/03/22 毎日新聞

[愛の手探して]家庭養護促進協会の36年/4 養親講座 子どもと向き合えますか
大阪夕刊 11頁 特集 写図有 (全1163字)

 里親を希望する人は多いが、だれでもなれるというわけではない。血のつながらない大人と子どもが親子として新たな関係を築いていく過程には、想像以上の困難がある。家庭養護促進協会大阪事務所(大阪市天王寺区東高津町12の10)は年に3回、里親希望者のための研修会(養親講座)を開き、養子縁組の手続きから心構えまでを現実に即 して講習している。
 1回の講座は3、6、10の各月、連続3回の土曜日に行われる。初日は現に里親をしている経験者の話や手続き面などについて。2回目は大阪事務所長の岩崎美枝子さん(56)が、真の親子関係ができるまでに生じるさまざまな問題などを事例を挙げて解説。最後は、里親希望者同士の意見交換や、現実に起こりうる問題を想定して演じるロールプレイなどを行う。
 今月は講座開催月にあたっており、8日午後、第1回が行われた。参加は夫婦約20組、40人。想像以上に多い。30組ほど参加することもあるという。

 この日は、3歳の男の子を育てている体験者の話から始まった。
 養親講座の時は「まさかそこまで」と思いながら聞いていた子どもとの“格闘”が、現実はそれ以上だったこと。子どもを受けとめる大変さと、そこから得られる喜び。現在進行 形の生の声だけに、聴き入る参加者の表情は真剣そのものだ。
 続いて、岩崎さんが養子縁組制度について説明する。手続き、戸籍など、法的側面については意外に知らない人が多い。
 「たとえ1人の子どもに20組の希望者がいても、その子を受け止める力がないと判断したら、全員を『不適当』とする時もあります」。岩崎さんの言葉が、改めて里親になることの厳しさを思い起こさせる。
 職員の竹原尚美さん(26)は「楽しいことは言わなくてもわかるから、講座で『いいこと』は言わない。『しんどいこと』を話す」という。
 里親の元に来る子どもが必ずみせる反応がある。
 幼児が赤ちゃんのようになったり、施設ではできていたウンチやオシッコをもらす、食事の皿をひっくり返す、かみつく。これらは「試し行動」といい、子どもが「ここは本当に自分のおうちなの?」と確かめ、受け入れられることで不安を解消しようとするものだ。
 「全存在をかけて里親にぶつかる子どもをみていると、自分の生き方まで考えさせられる。親との関係、友だちとの関係。自分の気持ちを素直に見せず、表面的にしか付き合ってこなかったんじゃないかって」。竹原さんは、親にとって一番大切なことは「子どもがホッとできる場所になること」と話す。
 養親講座で突きつけられる、さまざまな「しんどさ」。里親たちはそれを実際にどう生かし、子どもと向き合っているのか。昨年末から子どもを育て始めた、奈良県の家庭を訪ね た。【増田 宏幸】=つづく
 事務所への寄金は郵便振替00930―1―35191、「社団法人家庭養護促進協会」へ。

毎日新聞社


1997/03/15 毎日新聞

[愛の手探して]家庭養護促進協会の36年/3 経験の“分与”気前よく
大阪夕刊 11頁 特集 写図有 (全1243字)

 今月3日午後、家庭養護促進協会大阪事務所(大阪市天王寺区東高津町12の10)のある市立社会福祉センター3階会議室で、同事務所主催の「第8回児童相談所里親担当者連絡会」が開かれた。
 連絡会は毎年1回、同事務所が各地の児童相談所に呼びかけ、情報交換や事例研究を通して里親委託の経験・ノウハウを共有し、役立てようと行われている。開催費は交通・宿泊費などを除き事務所が負担。案内状の送付や会場費など計約3万円程度だが、楽ではない台所事情の中で心意気を感じさせられる。
 今年度、事務所は愛の手運動について約2400万円の予算計画を立てた。だが、これはいわば「架空の数字」でしかない。というのも公費、準公費からの補助といえるのが大阪市の130万円、府の80万円など予算計画の1割程度しかないからだ。残りは会員として支援してくれる人たちの会費や、個人などからの寄付。中でも、必ず集まるという保証のない寄付金が計画の4割近く、1250万円を占める。
 平成5年度約1400万円▽6年度約1100万円▽7年度約970万円。阪神大震災後の6年度から、実際に寄せられた寄付金の額は大きく減り続けている。まだ正確な額は出ていないが、今年度も当初見込みの1250万円を割り込むのは確実。予算は必要不可欠な支出をもとに組んでいるため、事務所長の岩崎美枝子さん(56)は「今年は積立金の取り崩しで対応することになりそう」と話す。
 蓄積してきた経験やノウハウは知的財産だが、事務所はこの“財産分与”に実に気前がいい。岩崎さんは「血のつながらない親子関係を築くのは容易なことではない。一つ間違えば、子どもはもちろん里親の人生も狂う。結論の出ない問題もあるが、いろいろなケースを共有することで判断の幅が広がり、結果的に子どもにとってより良い選択になる。そのために自分たちが役立てることであれば、お金も労力も負担していい」という。
 そもそも、児童福祉予算自体が少ない。連絡会が終わった後、参加者は自費でささやかな懇親会を開いた。その席で何人かに質問したところ、ほとんどの人が「少ない」と感じていた。例えば、「役所の優先順位は高齢者、障害者の順で、児童は付け足しに近い」「養護施設は建物も古く、夏の冷房代すら節約しているところがある」「業務に必要な備品にもなかなかお金が出ない」……。
 岩崎さんは「それでも、少子化の問題が出てきて児童福祉も見直されつつある」という。「高齢者問題は急務だし、障害者の予算は親や関係者が長い間かかって、必死に獲得してきた。児童福祉も現場の人間が声を上げていかないと」
 事務所は職場であると同時に、「運動体」でもあるという。予算不足は職員の努力で埋め合わせてきた。寄付金の大半は、愛の手運動に何のかかわりもない人たちから寄せられている。見返りを求めず、時には名前さえ名乗らない大勢の人たちが、活動を支えている。【増田宏幸】=つづく

 事務所への寄付は郵便振替00930―1―35191、「社団法人家庭養護促進協会」へ。

毎日新聞社


1997/03/11 中国新聞

施設の新入児 50人に学用品 本社、今年で26回目(広島県)
中国朝刊 尾三 写有 (全268字)

 中国新聞社は十日、県東部の養護施設などの新入学児童五十人に学用品を贈った。「愛の贈り物」として企業の協賛を受けて毎年実施し、二十六回目になる。
 福山市瀬戸町山北、県福山児童相談所であった贈呈式では、福山、尾道両市や沼隈郡内にある六つの障害児、養護施設の子供や里親たち約三十人が出席。藤平三郎中 国新聞福山支社長が「待ちに待った一年生ですね。この品を勉強に役立てて、元気に過ごしてください」とあいさつし、筆箱やノートなど十八点の学用品が入った箱を手渡した。
 子供たちは「何が入ってるかな」「早く使いたいな」と、入学を心待ちしていた。

藤平支社長(右)から学用品を受け取る新1年生

中国新聞社


1997/03/08  毎日新聞

[愛の手探して]家庭養護促進協会の36年/2 「最善の選択」を手助け
大阪夕刊 11頁 特集 (全1125字)

 家庭養護促進協会大阪事務所(大阪市天王寺区東高津町)の重要な事業の一つに、1988年に始まったAPCC(思春期妊娠危機センター)がある。発足のきっかけは、毎日新聞の「あなたの愛の手を」欄に掲載された子どもたちが里親を必要とする理由の中で、昭和50年代後半から「10代の未婚」が目立ち始めたことだった。
 協会が設立された昭和30年代から同40年代初めまで、里親を必要とする理由の上位は実親の家出、行方不明、離婚、入院、死亡の順で、これだけで7割近くを占めていた。この傾向が大きく変わるのは昭和50年前後から。
 まず、昭和40年代まで1割以下だった「養育拒否」が急速に増え、約20%にもなった。同50年代後半からは経済的理由によらない養育拒否が増加。同時に「10代の未婚」が目立ちはじめた。10代での妊娠は、本人の心と体はもちろん、進路や家族関係などに大きな影響を及ぼす。APCCは、「多くの相談者にとって、それ自体が『危機』である」という認識に立って発足した。
 95年度をみると、計209件の相談は、年齢を言わない子を含め未成年者本人が大半とみられる。相談してくるのはどんな子どもたちなのか。職員の佐藤三樹子さん(38)は「親に知られることを最も恐れる、普通の子が多い」という。

 APCCが行っているのは、電話や来所による相談とカウンセリング、妊娠判定や産婦人科医の紹介など。多くの場合、相談者は「妊娠したかもしれない」という不安を一人で抱え、だれにも相談できず深刻に悩んでいる。不特定多数を相手にするような性交渉のケースはほとんどない。「ある意味で、まじめな子だからこそ相談もしてくる」と佐藤さんはいう。
 来所した時の妊娠判定ではマイナスだったが、その後も生理が来ず、泣きながら電話してきた高校生。妊娠という現実を突きつけられる恐怖から、病院に行くのが遅れてしまう子もいる。
 高校時代の佐藤さんの親友も、いわゆる“非行少女”だった。「私たちの世代では性の一線を越えるのに曲折があったのが、今の子は一足飛びという違いはある。でもそれは、親の意識や社会規範など外部の環境の変化が影響している。今の子も当時の私たちも、本質的には変わらない」と話す。
 APCCは中絶を勧める組織ではない。本人の意思と成熟度はもちろん、相手の男性や家族との関係も含め「最善の選択」を手助けするところだ。佐藤さんは「妊娠と体のメカニズムの知識がほとんどない子が多い。危機の時に少しでもかかわり、切実に助けを求めている子を精神的にサポートできれば」という。掲載理由のうち「10代未婚」は平成に入って2割を超え、その後ずっとトップのままだ。APCCの電話相談は06・761・1115。【増田宏幸】

毎日新聞社


1997/03/01 毎日新聞

[愛の手探して]家庭養護促進協会の36年/1 間口広げず、専門性保つ
大阪夕刊 13頁 特集 写図有 (全1416字)

 すべての子どもには、家庭で育つ権利がある。1961年4月の発足以来、さまざまな事情で実親の手で育てられない子どもたちのために、里親を探してきた家庭養護促進協会。神戸と大阪に事務所があり、毎日新聞は大阪事務所(大阪市天王寺区東高津町)と協力して、64年5月5日から毎週1回、里親を求める子どもを紹介する「あなたの愛の手を」キャンペーンを行ってきた。
 当初は大阪面だけだった連載も、その後奈良、京都、滋賀各地域面に広がり、これまでに1094人の子どもに新しい家庭ができた。運営費のほとんどを寄付金に頼りながら、少ないスタッフで奮闘している、大阪事務所の息長い活動を紹介する。【増田宏幸】

 先月18日午後、協会常務理事で大阪事務所長の岩崎美枝子さん(56)は、大阪府南部の施設で小学生の男の子と向かい合った。「愛の手」で紹介するのは、この子が1623人目になる。
 「何が好き? カレー? そう、カレーが好きなの」。取材記者や児童相談所の職員などに囲まれ、緊張気味の子どもをリラックスさせようと話しかける。養子縁組を求めるこの子にとって、新聞掲載は大きなきっかけだ。短い時間の中で、少しでも多くいい面を引き出してあげたい、という気持ちがにじむ。
 「愛の手」運動は62年、神戸新聞の協力で誕生。大きな反響を呼び、毎日新聞の連載へとつながった。両社でキャンペーンを始めた当時、大阪市大を卒業した岩崎さんは同市児童相談所の福祉司として生野区を担当していた。その時の忘れがたい経験が、現在につながる。
 スリ、盗み、不登校。経験の浅い福祉司にとっては、無我夢中の毎日だった。「子どもたちの福祉のためにと、自分では一生懸命やっていた。ところが、気がつけば『子どもの首をしめた』といえるような結果になったこともある。それは直面している時にはわからなかった。
 例えば、ある子を施設に入れた措置が本当に良かったのかどうか。茶わんを洗っていても、掃除をしていても失敗したケースが頭に浮かんできて、後からしたたか反省した」
 うまくいかないケースは今でもある。里親の選択、その後のフォロー。いろいろな要因があるかもしれないが、「子どもには何もできない。だからこそ、今の『この判断』にベストを尽くす。それを職員と確認し合うしかない」という。

 67年3月、結婚を機に3年半勤めた児童相談所を退職。「勉強しなおそう」とモグリで大阪市大に通ううち、恩師で協会理事長の岡村重夫氏に誘われ、大阪事務所の非常勤職員になった。以来、30年。
 「昔は、単純に『自分は子どもが可愛い、好きなんだ』と思っていた。でも今は、『おもろい』存在。子どもは本来、どん欲で、こうかつで、執ようなもの。愛してほしくて仕方がない。そういう存在であることを認めてやらないといけない。そうしないと幸せになれないし、愛情は満たされるべきだ。じゃあ、それはだれがやれるのか」
 30年の間には、給料が払えず、一度は解散を決議したことや、調査に行った帰りの電車賃がなく立ち往生したこともあった。
 財政面の不安定さは今もあるが、岩崎さんは「この仕事は、すごく大変なこと。神様がする仕事を人為的にやってるんだから。その中で、自分たちがかなめにいるのは確か。間口を広げず、発展してこなかったことが、逆に専門性の維持につながったと思う。協会が存続しているのは奇跡的だけれど、その専門性が『なくてはならない存在』にもしてく れている」と話す。=つづく

毎日新聞社


1997/02/24 毎日新聞

[あっとインタビュー]「愛の手」運動に日本刀を寄贈 沖芝信重さん /大阪
地方版/大阪 23頁 写図有 (全2000字)

◆「愛の手」運動に日本刀を寄贈し続ける八尾の刀匠、沖芝信重さん
◆朝野富三・社会部長
 毎週日曜日のこの面に掲載される「あなたの愛の手を」。家庭養護促進協会(天王寺区)が続けている家庭に恵まれない子供たちに里親を探す運動は、33年に及ぶ。運動を支援するため、毎日新聞社会部は毎年暮れに「愛の手チャリティーオークション」を開いている。自治体や企業などからの提供品を社内でセリにかける歳末の恒例行事。そのオークションの「目玉」は、府内では数少ない刀鍛冶、沖芝信重さん(73)=八尾市=が毎年、精魂込めて鍛えた日本刀の寄贈だ。かつて西成区のあいりん地区で暮らしたことのある異色の刀匠は「幼い時に母を亡くし、その寂しさは身にしみている。恵まれない子供たちに少しでも役に立つなら、体の動く限り、続けたい」と、運動への思いは深い。

◆「世間へお返し」――毎年1本ずつ寄贈してきた刀はもう27本。随分続きますね。
沖芝 私が初めて新作名刀展に出品したのが昭和40(1965)年。当時、貧しくて炭を買うカネもなく、生命保険をもとに融資を受け、材料を買って短刀を作り、出したのです。以来、入選を続けることができるようになりました。それまでは、建設現場で働きながら刀を作っていたのですが、少しは余裕もでき、「何か世間へお返しをしたい」と思っていた 矢先に、毎日新聞大阪版の「愛の手キャンペーン」を知ったのです。父も戦前から別の新聞社の歳末助け合い運動に刀や包丁を寄贈していました。そんな影響もあったのかもしれません。刀は生活にどうしても必要なものではありませんが、私の作った刀が幸薄い子供たちへのアメ玉一つにでもなれば、こんなにうれしいことはありません。

◆あいりん生活も――あいりん暮らしはどうしてだったのですか。
沖芝 沖芝家は室町時代以来の刀鍛冶で、私は京都・山城鍛冶の流れをくむ刀工の家に生まれました。9歳の時に母が病死し、父は男手一つで5人の子供を育てました。職 人肌の男で、子供の鍛えかたも厳しく、仕事を手伝わないと飯も食わせてもらえませんでした。
 小学校を出ると、刀作りの修業を始め、20歳で山城・平安城という流派の十八代目を継いだのですが、軍隊にとられ、戦後、復員してきたら、刀剣を作ることは一切禁止されていました。結局、食うのに困って西成に入ったのです。家族4人が4畳半一間の安アパートで暮らす生活が続きました。そんな中でも、どうしても刀を作りたいという気持ちが消えませんでした。そこで、月の半分は建設現場で働き、残り半分は知人の元で刀作りを始めるようになったのです。

◆製作、月2本限界――文化庁から刀剣の製作承認を受けている人は現在、府内で11人。実際に製作している人は沖芝さんを含めて4人だけです。少ないですね。
沖芝 刀を作るには手間暇がかかります。砂鉄を溶かしてまず玉鋼というこぶし大の材料を作り、これをハンマーでたたいて板状にします。これをフイゴを使い、焼いてはたたき、鍛え上げて刀の原型にします。少しでも傷が入れば、満足なものには仕上がりません。今は鍛造機があるので1人でもできますが、昔は3人1組の作業でした。1本鍛え上げるのに、手の早い人でも1週間、遅い人なら1カ月以上かかります。文化庁の規定では、「10日以上」鍛えることが必要で、1人の刀鍛冶は月に2本しか作れない計算です。私の場合、1本は材料費に、もう1本を生活費にあてます。ですから貧しい暮らしです。オークションへの寄贈も、このうちの1本を割いてきました。

――刀作りの魅力は。
沖芝 毎日同じ作業を同じペースでやっていても、みんな違うものが出来上がります。今度は、どんな顔をした刀が仕上がるのだろうかという楽しみでしょうか。
 でも、生活面は苦労します。私も父から「貧乏するから刀鍛冶はやめとけ」と猛反対されました。息子も文化庁の製作承認を受けていますが、今は違う仕事をしています。何人も弟子入りの申し入れがありました。親子で申し込んできたケースもあります。でも、その度に「食えませんよ」と説得してあきらめてもらっています。
 堺市生まれ。旧制堺高等小学校卒。1944年、山城・平安城十八代目。54年に文化庁から伝統美術日本刀製作の承認を受けて刀匠に。紺綬褒章、大阪府文化功労賞などを受賞。住所は八尾市太田新町8の186、電話0729・49・3185。

◆「愛の手」運動
 1960年に神戸市が全国で初めて「家庭養護寮制度」を発足。翌年に大阪市も実施し、家庭養護促進協会の前身の家庭養護寮促進協会が発会。64年5月から毎日新聞大阪版で「あなたの愛の手を」掲載がスタート。社会部のチャリティーオークションは67年からで、売り上げは家庭養護促進協会の活動資金にあてられている。
 同協会大阪事務所は、天王寺区東高津町12の10、市立社会福祉センター2階、電話06・762・5239。

毎日新聞社


1997/02/07 毎日新聞

3月2日、チャリティー映画会 仮設住宅の親子を無料招待−−家庭養護促進協/兵庫
地方版/兵庫 24頁 (全371字)

 さまざまな事情で家庭に恵まれない子供たちの里親を探す「愛の手」運動を続けている社団法人・家庭養護促進協会(今村鎮雄・理事長)は3月2日、神戸市中央区の神戸文化小ホール・シーガルホールで、チャリティー映画会を開く。また、この映画会に、仮設住宅で暮らす親子100組を無料招待する。
 映画会は約20年前から、活動資金を集めるために毎年、開催。今回は、宮崎駿監督作品のアニメ「天空の城 ラピュタ」。午前10時半からと午後1時半からの2回で、それぞれゲーム大会の後、上映する。うち、無料招待は午前の部のみ。
 入場料は前売り900円、当日1000円。前売り券の申し込みは、電話(078・341・5046)か、はがき(住所、氏名、年齢、連絡先を明記)で、同協会へ。また、無料招待は先着順。電話か、はがき(この場合、参加する人数も加えて書く)で、同協会へ申し込む。

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1997/01/10 朝日新聞

9歳、太郎 血縁なくとも子は宝(牛になる:8)
朝刊 1頁 1総 写図有 (全1649字)

 冬日の差すネギ畑のなかをワゴン車が帰ってきた。
 太郎君(九つ)はたい肥の小山などで道草をして、帰りが遅い。時々、父(四六) が迎えにいく。
 目が赤い。
 「珍しいな、けんかか」と父が言った。
 「負けたけど、二、三発返してやった」と太郎君は答えた。
 「かあちゃん、はら減った」。母(三六)は手を引いて台所に連れていった。握っ たばかりのおにぎりがおやつだ。
   ■
 二人には子がなかった。
 六年前、熊本市の養護施設「慈愛園子供ホーム」を訪ねた。
 遊び場で一輪車を押している子がいた。「いまは、あの子しかいない」と園長が言 った。
 赤ん坊を期待していたから、ちょっとがっかりした。「こんにちは」と話しかけて も、ただ、にこにこしている。
 生まれた直後に、産婦人科病院に置き去りにされた。体重二〇二〇グラムの未熟児 で、まだヘソの緒がついていた。
 生まれて半年後の母子健康手帳には、「軽い脳委縮がある」と書かれている。人と の接触が少ないなど、誕生後の環境が影響したとみられる。
 二歳でこの施設に移された時、言葉はなく、目の焦点は合っていなかった。
 二人は迷った。週末ごとに施設を訪ねた。
 この施設には、さまざまな事情で親元にいられない子が預けられている。だが、だ れも訪ねて来ないのは、実母の知れない太郎君だけだった。
 一カ月ほどして、ホームの子に「あんた、太郎君のおとうさん?」と聞かれた。 「そうだ」と、思わず強い口調で答えた。
 こうして二人は、父と母になった。
   ■
 養子といえば「一歳半の女の子」だった。
 まだ、物心がついていないから養子とさとられずにすむ。一方で、この年になれば 障害があるかどうか、はっきりする。女の子は育てやすい。
 そんな子ども選びが「最近、やや変わってきた」と、東京都子ども家庭部里親担当 係長の廣崎米子さんは言う。
 昨年度、東京都内の養子縁組希望の登録をした人のうち、女子希望五六%に対し、 「性別を問わない」が三〇%で、わずかずつだが増えている。子の年齢や実親の経歴 を気にしない、という人も、とくに若い世代に多くなってきたという。
   ■
 「お母さんは産んでないけど、でもお母さんよ」。松浦美代子さん(三一)が話し かける。
 夫の高校教師、誠さん(三二)は「東京生まれなのに、こっちに来て、コウ君はカ ントリーボーイになったね」と言う。
 二人に見つめられて、生後五カ月のコウ君は「ケッ、ケッ、ケッ」と声を出して笑 う。
 山口県萩市の新居は浩平君を養子に迎えて、にぎやかな正月になった。
 これまでの養子縁組は夫婦で転居を繰り返したり、しばらく実家に身を寄せたりし て、実子を装うことが多かった。だが、この夫婦はコウ君を迎えたことを隠そうとし ない。
 「だって、私たち、生みの親でなくても、本当の親よ」と美代子さんは言う。
 居間の床の間に、「命名 浩平 平成八年八月八日生」と書かれた色紙がある。コ ウ君の生みの母(四〇)が書いた。
 「東京のお母さんはきれいな人よ」「お母さんに、この写真送るからね」
 まだ、言葉も分からぬコウ君に、美代子さんは語り続ける。
   ■
 慈愛園によると、障害のある子が養子になったのは、太郎君が園始まって以来だと いう。
 「どうしても頭のいい後継ぎをと期待したわけじゃあ、なかったですから」と父は 言う。太郎君の障害は、この家に来て消えた。
 子は宝、という。
 親が子を手にかけ、子が親を殴る。「血」をたよりにした関係が揺らぐ一方で、自 分なりの価値のものさしで、宝を見つけだそうという人たちがでてきている。
 ある日、祖父(六八)が軽トラックに太郎君を乗せて隣町に出かけた。
 「じいちゃんの宝物は何か」
 「わしの宝物は太郎じゃ」
 「そうか、太郎が宝か」
 太郎君はそう言って、にこにこと、うなずいた。
 (通信部・青柳正悟)
              *
 このシリーズの写真は吉村功志が担当しました。=おわり

 【写真説明】
 父と母へ。「とうちゃんは、やさしい。かあちゃんは、よくおこる」

朝日新聞社


1997/01/06 朝日新聞

愛された自信 乳児院が結んだ絆(家族さがし:3) /栃木
朝刊 37頁 栃木版 写図有 (全1840字)

 「おいちょー、おいちょー」。まだ口が回らない子供たちの掛け声が飛ぶ。小さな うすに入っているもちをつこうと、きねを奪い合う。音が怖いのか、保母のズボンの すそをつかんで離そうとしない子供もいる。やんちゃ坊主が時々うすをひっくり返す。 年末恒例のもちつきは歓声が絶えない。つきたてのもちは、あんこと納豆をからめて 食べるのだが、そこまでこぎつけるのが大変だ。
 宇都宮市にある済生会乳児院。主に三歳ごろまでの子供たち四十八人が暮らす。保 母と看護婦の合わせて三十五人が三交代で世話をしている。
 子供たちの境遇は様々だ。父や母が病気だったり、受刑中や失跡中で家にいなかっ たり。小児虐待の親、育児不安で子育てができなくなった親と別れたケースもある。 昨年九月、佐野市内のファストフード店わきに捨てられていた赤ちゃんも、ここにい る。
 ほとんどの子供がお正月も院内のベッドで過ごす。しかし中には、正月休みに里帰 りする保母たちが、「おじいちゃん、おばあちゃんのいる食卓でごはんを食べさせて あげたい」と、担当する子供を連れていくこともある。
 年に三十人から四十人が入所や退所で入れ替わる。二十人余りが実の親の元に戻り、 五人前後が年齢の高い子供向けの施設へ巣立っていく。そして五人前後が、新しい家 族の絆(きずな)を求める里親に引き取られていく。
           *
 葛西健さん(五四)と知美さん(五〇)夫婦=いずれも仮名=は、県内のある市で 理髪店を営む。十五年前、当時二歳だった康平君(一七)=仮名=を乳児院から引き 取り、里親になった。その後、康平君の妹(一二)も引き取った。
 結婚して十年間、子供に恵まれず、健さんは、酒席で「うちの子は……」という話 題が出ると押し黙っていた。康平君を育て始めてからは「火の消えた家に明かりがと もったみたいに、バラ色でね」と、笑みがこぼれる。
 しかし、「我が子」のつもりで注いだ愛情が時に脅かされる瞬間がある。康平君が 五歳のとき、「もらわれっ子って本当なの」と聞かれた。近所の人の話を耳にしたら しい。夫婦は一緒に入ったふろの中で「康平を産んだお母さんは死んで、今はこっち のお父さんとお母さんが、お父さんとお母さんなんだよ」と言い聞かせた。
 高校入試のとき、康平君の本名の姓で合格通知が届いた。「この名前では人に見せ られない」と言って、夫婦の前で康平君は泣いた。そんなつらい思いはさせたくない。 二人は今、康平君がオートバイの免許を書き換えるときまでに、本人と養子縁組の相 談をするつもりでいる。
 この年ごろの男の子の照れなのか、康平君は最近、「お父さん」「お母さん」の 「さん」を略して呼ぶ。地元の女子綱引きチームで代表を務める知美さんは時々、 「今晩、綱引きに行ってくれや」と呼び掛ける。近くの体育館での夜間練習の相手に なってもらうためだ。康平君は「うーん。靴がないよ」とうるさそうに答えるが、結 局付き合ってくれる。その心優しさが知美さんはうれしい。
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 済生会乳児院では、春になると、決まって見られる光景がある。里親のもとで成長 した少女たちの何人かが、たいていは高校入学を機会に訪ねてくるのだ。
 彼女たちは職員に問いかける。「なぜ私は乳児院に入ったの。なぜ他人に預けられ たの」。実の親の愛情に恵まれなかったという思いが、少女たちに不安を抱かせるの だろうか。
 長く勤める保母たちは「私も、この人も、あの人も、あなたのおむつを換えたのよ」 と答えることにしている。保母の一人、木下佳子さん(四〇)は「わずかな年月でも、 私たちにとっては子供たち。乳児院という“家族”の中でたくさん愛された自信を身 につけてほしい」と話す。
 保母たちが忙しく子供の世話をしているのを見て、少女たちは一様にほっとした表 情になるという。学校帰りに立ち寄り、職員に交じって子供たちの世話を始める生徒 もいる。
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 <里親制度> 実の親が子を引き取れるようになるまで、または子が高校を卒業す るまで代わって育てる制度。子供の少ない夫婦や独身者など256世帯が里親候補と して県に登録している。このうち58世帯で71人の子が暮らしている。県中央児童 相談所によると、約9割の里親が養子縁組を望んでいる。

 【写真説明】
 おじいちゃん代わりの院長と一緒にきねを握り、「おいちょー」「ぺったんこー」。 待ちきれず、きねについたもちをつまんでなめるおてんばな子も=宇都宮市の済生会 宇都宮乳児院で

朝日新聞社


1997/01/10 毎日新聞

今宮戎参道に福あめの露店−−家庭養護促進協会 /大阪
地方版/大阪 23頁 写図有 (全185字)

 家庭に恵まれない子どもたちの里親を探す家庭養護促進協会大阪事務所(天王寺区)は9日、今宮戎神社(浪速区)の宵戎で福あめの露店を参道の2カ所に出した=写真。11日までの十日戎の期間中、出店。売り上げは活動資金となる。
 出店には「あなたの愛の手を」と書かれた横断幕が掲げられている。出店1号店は地下鉄恵比寿町駅から同神社に向かう参道途中の右側。同2号店は神社の北側出口左わき。

毎日新聞社


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