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1996/12/30 中国新聞

お正月 一緒に楽しく 北備里親会が児童たち招く(広島県)
中国朝刊 北B 写有 (全499字)

 正月を心のふるさとで温かく過ごしてもらおうと、県北備地区里親会(牧田繁喜会長、三十四人)は二十九日、東広島市西条町、養護施設・広島新生学園(上栗哲男園長、七 十九人)の園児で幼児と小学生九人を冬季の一時里子として招いた。子どもたちは、それぞれ受け入れ九家族とともに、一月四日まで正月を楽しみ、家族体験をする。
 「よう来たね」。三次市十日市中、県三次合同庁舎での受け入れ式には、三次、庄原市、比婆、双三郡内の受け入れ家族をはじめ、同里親会後援会、三次児童相談所の関 係者、ボランティアの学生など約四十人が、笑顔で園児のマイクロバスを迎えた。
 上栗園長の母で、保母主任の上栗和子さんに引率された、四歳から十一歳の子どもたちは元気いっぱい。牧田会長が「風邪がはやっているので、健康に気をつけ、約束事を 守ってよい思い出をつくってください」と歓迎。小学五年生の女児が「一週間よろしくお願いします」とお礼を述べた。
 式のあとは、心尽くしの親子もちつき。みんなでぜんざいやきなこもちで、ぬくもりを確かめ合って、昼前、各家庭に向かった。上栗保母主任は「家庭を知るいい機会をつくって いただける」と感謝していた。

親子が一緒になってのもちつき。これも一つの家族体験だ

中国新聞社


1996/12/26 中国新聞

ようこそ!! 家族の一員 福山 施設の子供、里親と対面 年末年始 家庭で楽しく(広島県)
中国朝刊 福山 写有 (全275字)

 一緒に楽しい正月を過ごそうね―。備後地方の養護施設の子どもと里親の対面式が二十五日、福山市本町の市社会福祉会館であった。式の後、子どもたちは年末年始を過 ごすそれぞれの里親の家庭へ向かった。
 対面式は県東部里親連合会が主催。福山、尾道両市の乳児院など四施設の零歳児から小学六年までの十二人が、県東部の十二の家庭の母親や父親たちにあいさつ。福 山北ライオンズクラブなどから文具やケーキの贈り物をもらった。
 連合会はさまざまな事情で帰省できない子どもを夏と冬の二回、預かっている。子どもたちはもちつきや初もうでなどを里親の元で楽しみ、一月四日に戻る。

里親とプレゼントを開ける養護施設の子どもたち

中国新聞社


1996/12/26 朝日新聞

お正月は里親の家庭で温かく過ごそう 福山で一時帰省対面式 /広島
朝刊 82頁 広島版 写図有 (全327字)

 施設ですごす子供たちに家庭の温かさを味わってもらおうと二十五日、福山市本町 の市社会福祉会館で、子供たちと里親の冬期一時帰省対面式があった。福山や尾道、 府中市の施設などにいる零歳から十二歳までの十二人が半年ぶりに里親と対面=写真、 それぞれの家庭に向かい、楽しい年末年始をすごす。
 東部地区里親連合会の熊原卓史副会長が「悪さをしたときにはしっかりしかり、家 庭の一員として接してください。家族そろってよいお年を迎えてください」とあいさ つ。子供たちはクリスマスケーキや文房具、図書券のつまった袋を贈られ、うれしそ うにしていた。福山市内の里親のもとで正月を迎える女の子(一〇)は「掃除や料理 のお手伝いをしっかりして、みんなで楽しいお正月を迎えたい」と話していた。

朝日新聞社


1996/12/04 朝日新聞

恵まれぬ子に家庭贈り40年 小牧の矢満田篤二さんに人権賞 /愛知
朝刊 19頁 愛知版 写図有 (全678字)

 人権擁護の活動に功績のあった人や団体を表彰する名古屋弁護士会(村橋泰志会長) の第八回人権賞が三日、四十年にわたって、家庭的に恵まれない子どもたちに「第二 の家庭」を提供し続けてきた小牧市藤島二丁目、元県職員矢満田(やまんた)篤二さ ん(六二)に贈られた。「少しでも温かい家庭を子どもたちに」。そんな願いを込め、 縁結びをした親子は約六十組に及ぶ。

 旧満州(中国東北部)で生まれ、戦後引き揚げて来た矢満田さんが目の当たりにし たのは、離ればなれになった親子、親をなくし途方に暮れる子どもたちの姿だった。 それが、県職員になって、大半が児童福祉や障害者福祉に取り組むきっかけになった。
 児童相談所に勤め、里親制度を活用、施設の子どもたちに家庭のぬくもりを提供し た。乳幼児の場合、通常であればいったん施設に入れた後、養い親を紹介する。が、 矢満田さんは、出産を望まなかったり、産んでも育てられなかったりするケースでは、 妊娠中に養子縁組を勧めている。「胎児の安定につながる」のが理由で、国内でもあ まり例のない取り組みだ。
 矢満田さんが大切にしているのが、養子縁組後のアフタケア。養い親同士でつくる 交流グループにこまめに顔を出しているほか、一九九四年に退職すると自宅に社会福 祉相談室を開設し相談に無料で応じている。
 受賞について矢満田さんは「ソシアルワーカーは光が当たってはいけない。縁の下 の力持ちと思って仕事を続けてきた。それに光をあててもらい、現役のワーカーや後 輩にも励みになると思う」と話している。

 【写真説明】
 村橋会長から、表彰を受ける矢満田さん=中区の弁護士会館で

朝日新聞社


1996/08/13 中国新聞

施設の子供たち一日里親と交流 呉(広島県)
中国朝刊 呉B (全294字)

 呉市仁方婦人会(半田栄子会長)の十六人が十二日、仁方西神町、養護施設「仁風園」の子供たちの一日里親になった。婦人会のメンバーと子供たちは、仁方町の磯崎神 社に出掛け交流を深めた。
 仁風園の子供たちは、幼児や小学生計二十人。神社近くの砂浜で海水浴をした後、メンバーたちが用意したそうめん流しを楽しんだ。子供たちは、竹の樋(とい)を流れてくる そうめんを夢中ですくって口に―。二宮清之君(10)は「そうめん流しは初めて。とてもおいしかった」と喜んでいた。
 一日里親は今年で十六回目。婦人会の半田会長は「子供たちは学校の行き帰りに声を掛けてくれる。交流はずっと続けていきたい」と話していた。

中国新聞社


1996/08/13 中国新聞

里親と楽しい夏休み 福山 施設の子供たち対面(広島県)
中国朝刊 東A 写有 (全343字)

 県東部の養護施設や乳児院の子供たちと、夏期一時帰省先の里親との対面式が十二日、福山市東深津町三丁目の備後地域地場産業振興センターであった=写真。子供 たちは二十一日までの十日間、里親と一緒に夏休みを過ごす。
 福山、尾道両市内の四施設に入所している十八人や日ごろから里親のもとで暮らしている一歳から十八歳までの子供計三十八人が対象。受け入れる十八家族と対面し、各 施設や自治体の代表が「元気で楽しく過ごして来てください」などと述べ、文具券やお菓子などのお土産を贈った。
 最初は恥ずかしくて泣き出す子もいたが、里親たちと次第に打ち解けそれぞれの家庭に向かった。県東部地区里親連合会の友井一三会長(70)=府中市久佐町=は「また 冬も来ようと思ってくれるような夏休みにしたい」と話していた。

県東部の養護施設や乳児院の子供たちと、夏期一時帰省先の里親との対面式

中国新聞社


1996/07/28 中国新聞

里で 養護施設から里子20人招く(広島県)
中国朝刊 北B (全290字)

 <三次>北備地区里親会(牧田繁喜会長)は、今年も二十七日から八月二日までの一週間、東広島市西条町の児童養護施設・広島新生学園の園児を夏季一時里子として 招いた。
 今回は五歳から十二歳までの園児二十人。園のバスで三次合同庁舎に到着。出迎えた里親に「楽しい思い出をつくりたい」とあいさつ。十五家庭に分散して行った。
 各家庭では家族の一員として生活するほか、最終日は口和町のほたるみ公園に集まり、水遊び、ヤマメのつかみ捕りなど楽しむ。
 北備地区里親会は昭和四十五年、県北二市二郡の里親で結成。里子育成のほか、毎年、夏休みと冬休みは同学園児を招き、家庭生活を体験してもらっている。

中国新聞社


1996/06/19 中国新聞

入所児童に家庭の温かさ 虚弱児・養護施設 週末引き受け者募る 県(山口県)
中国朝刊 山B (全351字)

 県は本年度から養護施設、虚弱児施設に入所している児童が家庭で週末を過ごす「ウィークエンドホーム事業」の引き受け家庭の募集を始めた。
 対象は、土曜朝に施設に迎えに行き日曜夕に送り届けるまで児童の面倒が見られる家庭。都合のいい週末だけの引き受けも可能だ。里親を希望すればだれでも応募できる が登録の際簡単な調査がある。引き受け家庭には一回二千円の謝金が支払われる。
 現在、県内の九養護施設と一虚弱児施設には一歳未満から十八歳まで計四百二十二人が生活している。ウィークエンドホーム事業は九六年度の新規事業で、財団法人県 里親会(三吉カネ会長、登録会員百九人)が県の委託を受けて行う。家庭生活を体験させ、児童の社会適応性を増すのが狙い。
 登録希望者は山口市の中央、徳山、下関、萩の四児童相談所に申し込む。

中国新聞社


1996/05/12 朝日新聞

福祉施設への正しい理解を(声)
朝刊 5頁 オピニオン 写図無 (全458字)

 飯田市 三浦理佳(高校生 16歳)
 私は児童福祉施設に住む高校二年生です。四月二十五日掲載の平田美智子さんの 「福祉施設の子、意思尊重して」を読み、残念に思い反論します。
 まず、児童相談所は子どもの権利を尊重する場所であるため、決していいかげんな ことはしないはずです。結果的に元の施設に戻ったとしても、それはきちんとした判 断がなされたものだと思います。
 第二の体罰についてですが、確かに体罰はいけません。園長の調査はもちろんです が、子どもたちも逃走以外に手段がなかったのでしょうか。両者の十分な話し合いが 必要だったと思います。
 また、日本は里親・養子縁組など家庭でのケアが少ないのは、子どもを育てるとい ったことがすごく大変なためだと思います。欧米での例をあげるより、今の日本の福 祉の状況を一人ひとりが見つめるべきではないでしょうか。
 私は施設入所にあたり、事前に体験入所をして決めました。
 今、私たちには「子どもの権利条約」があり、自分たちの意見や考えが尊重されて います。児童福祉施設を正しく理解してほしいものです。

朝日新聞社


1996/04/29 中国新聞

春の叙勲 県内から105人受章 情熱一路 苦難乗り越え <勲六等瑞宝章> 似島学園児童指導員 小 野寺茂さん(67)=広島市南区似島町(広島県)
中国朝刊 叙勲 広B 写有 (全314字)

 ▽園生とのきずな深く
 今月一日、吉川豊前園長の後を継いだ。受章の知らせに、「子供たちと一緒に生きてきただけ」と謙虚に受け止める。岩手県出身。昭和三十三年、東京で建築関係の仕事を していた時、和歌を習っていた恩師の紹介で似島学園へ就職。智子夫人(58)と一緒に住み込み、家庭に恵まれない園生と生活をともにしてきた。
 園生たちの「父親」として愛情を注ぎ、就職で学園を去る園生を見送る時は、「いつも桟橋で涙をぬぐっていました」。盆や正月は里親の家庭で過ごさせたり、他の養護施設と 一緒に運動会を開催。孤立しがちな園生と社会との交流を進めてきた。学園は九月で創立五十周年。「これからも子供たちの幸せを実現できるように、力を注ぎたい」

小野寺茂さん

中国新聞社


1996/04/25 朝日新聞

福祉施設の子の意思を尊重して(声)
朝刊 5頁 オピニオン 写図無 (全455字)

 大和市 平田美智子(ソシアルワーカー 43歳)
 今月初め、千葉県船橋市の児童福祉施設「恩寵園」から児童・生徒十三人が逃走し た事件は、日本の児童福祉行政の問題を浮き彫りにした。
 第一に、逃げた子どもたちが一時保護された児童相談所はどこまで親身になって子 どもたちの訴えを聞いたのであろうか。結果的には園に子どもたちを戻してしまった。
 第二に、逃走の直接の原因となった園長の体罰について、きちんとした調査、処罰 がなされていない。
 第三に、児童相談所は子どもたちを施設に入れてしまうと後は施設に任せてしまう。 内部で暴力が起ころうと、外からチェックするシステムがないのはおかしい。カナダ や英国では子どもたちが施設や里親に入る際、どういう権利があり、何かあったらど こに連絡するか等きちんとした説明を受けると聞く。
 第四に、日本では施設収容対里親・養子縁組等家庭でのケアの割合が九対一で、欧 米の逆である。
 子どもたち自身がどういう場所で暮らしたいか意見を述べる権利を与えられていな いところに問題の出発点があるのではないか。

朝日新聞社


1996/03/28 朝日新聞

職業里親の制度化を考えよう 高橋佳三(論壇)
朝刊 4頁 オピニオン 写図有 (全1695字)

 六日付朝日新聞朝刊の「児童福祉制度抜本見直しへ」の記事を見て、ようやくとい う思いと同時に遅すぎたという感を深く持った。とくに最近、児童虐待、いじめ、不 登校などが子どもの権利条約とともに世の関心を集めているが、乳児問題の積極的な 議論無くして児童については語れないと思っている。なかでも乳児院での養育につい ては、その実態や問題点を学会などで発表してきたが、議論を得るまでには至らなか った。そこでいま一度乳児院の現状の概略を明らかにし、今後の方向についての私見 を述べてみたい。
 乳児院とは、保護者が死亡、病気または離婚などの理由により家庭で養育すること が困難となった一歳未満の児童(乳児という)が、児童福祉法二七条一項三号の措置 により入所する児童福祉施設である。そこで、乳児は家庭を離れ看護婦または保母 (養育者という)によって二十四時間養育される。乳児院は各都道府県に最低一カ所 はあり、全国で百十七カ所ある。
 まず乳児院の物理的環境についてみると、寝室、観察室、居室、ほふく室など乳児 の数に対しての空間が狭く、寝室(乳児一人当たりの基準面積一・六五平方メートル) など一室に十人以上が生活している。それは乳児にとって大きな集団でありすぎる。 施設によっては一歳を超えた児童がいるのに、食堂も確保されていないところさえあ る。また、施設への入所や訪問は、乳児にとっても保護者にとっても、施設の数が少 なくて大変である。
 次いで、人的環境については、養育者は乳児一・七人に一人の基準配置であり、週 四十時間労働のすすむなかで、一般公務員なみに土、日祝日の休暇、年休完全消化、 夏季などの特別休暇を考慮すれば、養育者一人の年間労働日数は約二百二十日で、二 十四時間体制を実施すると養育者一人が八・五人の乳児の世話をすることになる。養 育者一人で四人の乳児の世話をしようとすると乳児〇・八人に養育者一人が必要とな る。しかし、もしかりにこの割合で養育者が充足されても、何人もの養育者が入れ代 わりきて世話することになり、乳児は精神的に参ってしまうであろう。
 最後に、財政についてであるが、乳児一人に約四十万円が毎月措置費として施設に 支払われている。国と県が二分の一ずつを負担しあっているが、その額のほとんどが 施設職員の人件費として支出されている。養育者の増員は当然に措置費の増額となり、 国と県の負担増になる。
 そこで、今後の方向であるが、結論をいえば乳児院を廃止し、それに代わるものと して家庭を考えたい。乳児には施設養護から家庭養護を用意したい。乳児は養育者と の関係が一対一に近く、固定していて、一貫性と継続性が確保されていることが望ま れる。すなわち、ある家族の一員となってともにその家で一緒に暮らすということで ある。
 こうしたものに現行では里親制度がある。しかし、現実には十分機能していない。 その理由として、里親の多くが養子を前提としていることや、里親への評価が低いこ と(例えば児童を預かった時の里親手当は月額二万二千円)、児童相談所の消極的な 姿勢などがあると思う。
 そこでこの際、家庭の主婦が児童を養育してきた、また、養育しているという実績 を認め、その専門的養育能力を評価し、少なくとも現在の里親手当の十倍程度の金額 を支給し、乳児専門の里親(職業里親と呼ぶ)の育成と配置を考えてみては、と思う。 それに伴って、職員はほぼ養育者だけですみ、施設整備などはいらず、現在の施設予 算の半分以下でまかなえ、一石二鳥である。実施に当たっては、職業里親家庭の保健 指導や栄養指導、養育指導などを関係機関の専門家が定期的に巡回して相談に応じる。 もちろん、地域の医師と職業里親は緊密な連携をとることが大切である。
 乳児院の養育者は変則勤務や夜勤に疲れ、出産休暇を取り、育児休暇を取って働い ている。そして、自分の子を保育所などに預け、他人の子を施設で養育して、勤務を 続けているといったことが実態である。まず、この養育者を職業里親にしていくこと も一つの方法であろう。
 (たかはし・よしみ 岐阜県福祉人材センター所長、元岐阜県立乳児院院長=投稿)

朝日新聞社


1996/03/20 中国新聞

学校入学控え 福祉施設へ学用品 本社が贈る(広島県)
中国朝刊 東A 写有 (全296字)

 今春、小学校に入学する県東部の児童福祉施設の子供たちに中国新聞社は十九日、学用品セットを贈った。贈呈には県東部の企業約五十社が協賛している。
 福山市瀬戸町山北の県福山児童相談所(谷重彪所長)であった贈呈式には、同市加茂町下加茂、こぶしケ丘学園の子供たちや施設代表ら十二人が出席。藤平三郎中国新 聞福山支社長が「もうすぐ暖かい春が来ます。勉強に役立ててください」と、ノートや鉛筆などの入ったセットを手渡した。
 学用品は三十五セット用意し、福山、尾道両市と沼隈郡沼隈町にある七施設や里親の元にいる子供たちに贈られる。こぶしケ丘学園の宮村和樹君(6つ)は「使うのが楽しみ」 とうれしそうだった。

藤平支社長(左)から学用品を受け取る新1年生

中国新聞社


1996/03/06 朝日新聞

子ども人権センターなど設置 県の「子ども未来計画」素案 /神奈川
朝刊 25頁 神奈川版 写図無 (全462字)

 県は五日の県議会厚生常任委員会で、二十一世紀を担う子どもたちが育つ環境を総 合的に整えようという「かながわ子ども未来計画」の素案を明らかにした。
 計画は、児童福祉だけでなく、医療や教育、労働などの分野を視野に入れたもので、 子ども自身の成長を促す環境づくりと、家庭や地域といった育てる側への支援、里親 制度や児童福祉施設の充実などの社会基盤整備の三本柱から成る。
 具体的には、子どもの声を代弁して反映する機関「かながわ子ども人権センター (仮称)」の設置や、野外活動施設や児童館、図書館など、遊びや体験の場の充実を 盛り込んでいる。
 子育て支援では、核家族で孤立しがちな母子が集える「子育てサロン(仮称)」を 市町村に開設することや、ひとり親への医療費助成などの経済的支援を打ち出してい る。また、子育てと仕事の両立のため、保育所の開設時間や保育時間の延長、一時的 な保育サービスなどの充実も検討している。
 県福祉部は今後、児童相談所や保育所などの関連機関などから意見を聞いて成案を まとめ、策定中の県の新総合計画と同時に実施したい考えだ。

朝日新聞社


1996/01/09 中国新聞

ひと 立ち話 子供の先生 やはり父母
中国夕刊 夕二 写有 (全326字)

 「今の日本は、教育者を含めて心の教育ができていないのでは」とスリランカの僧りょで福祉財団理事長のシロガマ・ウィマラさん(43)。岡山市でこのほど教育をテーマに開か れたシンポジウムに参加した。
 驚くほど日本語が達者。一九七三年から四年間、和歌山県の高野山大学で学んだ。関西弁がまじる。
 スリランカの孤児の学費支援を募る「心の里親制度」を平成四年から日本国内で仏教団体と協力して続け、会員は現在二百人。一人三万円の年会費で子供一人が一年間暮 らせるという。
 愛着のある日本で相次ぐ子供のいじめ自殺に心を痛めている。「教育が職を見つけるためだけのものになっているせい」と指摘。「就学前の教育が大事。今も昔も、子供の第一 の先生は父母なのです」と訴える。

シロガマ・ウィマラさん

中国新聞社


1995/12/04 西日本新聞

「くまごろう旅日記」本村義雄<48>北九州−連載
朝刊 18頁 0版18面2段 (全1519字)

 ◇「ゴンギツネの里」◇新美南吉の生家を訪ねて
 愛知県知多半島の中間点に位置する半田市に入った時は午後四時半だった。
 すぐに市役所の児童課へ公演の折衝に出かけると、退庁時の多忙な中を山本弘課長が丁寧に応対されて「過密な日程になりますが、明日一日で五つの市立保育園を巡回し てください」と快く各園へも連絡してくださった。
 翌朝九時から東保育園、白山保育園、同胞保育園、清城保育園、岩滑保育園の順に巡演して行った。
 次の保育園の車を玄関前に待機させて、終演すると大急ぎで用具を積み込んで走るといった慌ただしさだったが、得難い勉強の機会に恵まれた一日でもあった。
 一つは、白山保育園が六年間実践してきた「縦割り保育の成果」を聞けたことである。三歳児から六歳児までを合同で保育する方式は「年長児が年少児の世話をよくする、泣く 子の面倒も見る、遊び方を教える、食事の世話もするなど効果は大です」と、廃品回収でそろえた三千冊の本棚の前で、浅井知世主任が自信満々の表情で語ってくれた。
 岩滑保育園の公演が終わると、池原安子園長の案内で童話作家・新美南吉(大正二年〜昭和十八年)の生家と里親の家を見学した。
 かやぶき平家建ての里親宅はそのままの姿で保存され、裏の土蔵は有志の手で整備されて私設の資料館になっていた。閉館時間はとっくに過ぎていたが、管理人が快く扉を 開けてくださった。
 館内には南吉が好んで投稿した児童文学雑誌『赤い鳥』や少年時代の写真・作品などが展示されていた。
 家の近くに広がる田園とそれらを囲む小さな丘の連なりを眺めていると、南吉代表作の一つ「ごん狐(ギツネ)」の物語りが頭の中を駆け巡っていった。
 村の若者「兵十」が苦心の末に捕らえたウナギをいたずら狐の「ごん」は一匹残らず川に投げ込んで逃げた。そのウナギは病の床についている老母に食べさせようと兵十が必 死の思いで捕まえたウナギだったとごんが知ったのは、丘の下の道を進む兵十の老母の葬式の行列を見た時だった。
 互いに独りぼっちになったごんと兵十。
 ごんはわびのつもりでこっそりと兵十に奉仕するが、それに気がつかなかった兵十に鉄砲で撃たれる―。
 という作品の粗筋をたどりながら「南吉は、あそこに見える丘の上にごんを座らせ、あの下の小道に兵十の老母の葬式を設定したのだろうか」と思わせるような庭先と小道であ った。
 池原園長が「南吉はほとんど無名のままに三十歳そこそこの若さで亡くなり、多くの遺稿が友人たちの手で発表されてやっと人々に知られるようになりました。見方によっては 南吉の作品は、人のために生きることの尊さを子供たちに伝えたいと願った遺書だったとも言えそうです」と熱っぽく語ったことが印象的だった。
 半田市は市制五十周年記念事業として「生家復元工事」を進めていた。
 「近く完成します。ぜひ見学にお出でなさい」と隣家の若奥さんに勧められた。
 文 本村義雄、絵 本村淑子

西日本新聞社


1995/10/27 朝日新聞

里親・里子体験発表と子育て講演会(くらしのインデックス)
朝刊 21頁 第1家庭 写図無 (全158字)

 31日午後1時半−4時半、東京・新宿の都議会議事堂1F都民ホール(JR・地 下鉄新宿駅)。「子どもを取りまく状況とこれからの子育て」と題して、東洋大学の 一番ケ瀬康子教授が講演。都の養育家庭制度により里親・里子の関係を築いている親 子の体験発表も。無料。問い合わせは都福祉局子ども家庭部育成課03−5320− 4122へ。

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1995/05/31 西日本新聞

「帰る家もなくて…」、福岡育児院体罰事件
朝刊 27頁 19版27面5段 (全1116字)

 福岡市東区の養護施設「福岡育児院」で三十日、明らかになった体罰事件は”閉ざされた小さな社会”で、子供たちが指導を名目に暴力で押さえ付けられている実態をあぶり 出した。「どんなにつらい体罰を受けても、ほかに帰る家がなく我慢するしかなかった」という女子生徒。育児院の特質が犯罪ともいえる行為を長期にわたって覆い隠し、エスカレ ートさせていた。【一面参照】
 「体罰で受けた傷を、布団の中で涙を流しながら冷やした。我慢するだけでつらかった」「トイレの中だけが安心できた」。体罰を受けた生徒らは、施設の中で受けた体と心の痛 みを語った。
 見かねて体罰を止めようとした職員は、最終的に施設を辞めざるを得ない状況に追い込まれ、生徒たちの痛みを理解する職員はほとんどいなくなった。福岡市も昨年、内部告 発を受けて調査したが、何もつかめず形だけに終わった。生徒たちはひたすら耐え続けた。
 体罰を行った指導者の一人は「何度口で言っても聞かないので、つい手が出た。間違ったやり方だとは思わない」と言い切る。非行の事実はあったとしても、ハンマーやバット まで使って長期間繰り返される体罰は「指導」の域をはるかに超えていた。
 閉そく状況を打ち破るきっかけになったのが「子どもの権利に関する条約」をテーマに昨年夏、北九州市で開かれた養護施設入所者の「全国高校生交流会」。参加した同育児 院の生徒たちは、全国の施設入所者から報告される体罰の多さに驚く一方で「自分たちが受けている指導は明らかにおかしいと思った」。
 交流会後、生徒たちは体罰をなくすために立ち上がろうと決意。以後、入所中の仲間に訴え、人権について真剣に考え出した。同時に外部にも実態を分かってもらう努力を始め ていた。
 子供の権利に詳しい福岡県弁護士会の八尋八郎弁護士は「養育能力のある親がいない子供は、欧米では施設への入所は管理する側とされる側との関係を生み、体罰は当 然起こり得るとして”里親制度”を取り入れ、一般家庭と同じ親子関係の中で教育している。今回の体罰問題は日本の福祉行政のぜい弱さを象徴している」と指摘している。
    ×      ×
 ●関係者が証言した主な体罰事件=表、略
    ×      ×
 ▼写真説明/指導員らによる日常的な体罰が明るみに出た福岡育児院=福岡市東区

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1995/05/21 朝日新聞

母親見つからず、乳児院に移る 横浜で置き去りの女児 /神奈川
朝刊 25頁 神奈川版 写図無 (全355字)

 横浜市中区元町の産婦人科病院で十七日に母親に置き去りにされた赤ちゃんが、二 十日、病院から同市内の乳児院に移された。児童福祉法に基づく処置で、家族が名乗 り出なければ、赤ちゃんは乳児院で育てられる。
 母親は病院では「柏木理沙(二六)」と名乗り、「佐賀県東松浦郡に住んでいたが、 半年前にいなくなった夫を捜しに、十六日に横浜に来た」などと話していたという。 しかし、加賀町署が佐賀県警に問い合わせたところ、該当者はいなかった。母親は失 そう当時、青いブラウスにジャンパースカート、白地に茶色のしま模様の靴下をはい て、茶色のバッグを持っていた。身長は約一五〇センチでショートカット。
 赤ちゃんは元気で、二十日午前、市南部児童相談所の職員が引き取り、乳児院に運 んだ。家族が名乗り出ない場合、ここで育てて里親を捜すことになる。

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1995/05/18 朝日新聞

孤児たちの戦後 「希望の家」から:下(ぷれいばっく) 【西部】
朝刊 23頁 福岡 写図有 (全2086字)

 「希望の家」があった山口県新南陽市の仙島に、小さな船着き場がある。「日米友 情の波止場」。一九五七年、慰問に訪れた米軍岩国基地の隊員と施設の子供たちが力 を合わせて建設した。子供たちはここから毎日、船で十分足らずの対岸の学校へ通っ た。

 《帰郷》
 波止場にはいま、中学時代を希望の家で過ごした原功(四六)の小型船・有朋丸が つながれている。東京で働いていたが、十年前にUターンした。
 希望の家は閉鎖され、島は無人になっていた。施設の跡地に二年余りかけ、手づく りで家を建てた。中古船を買い、かつて施設の子供たちが通学した船と同じ名をつけ た。趣味がこうじた注文家具の製作や船の修理を請け負いながら、ひとりで暮らす。
 原は四八年、山口県中部の徳地町で生まれた。三歳で父親が死に、子連れで再婚し た母親も七歳の時に死亡。親類や里親先を転々とした。小学校のころ、里親が貧しく て、ズボンの下にパンツをはかずに学校に行っていた。健康診断がある日は休んだ。 徐々に学校から足が遠のいた。

 《愛情》
 希望の家に来たのは中学一年の五月ごろ。子供たちは園長夫妻を「おじさん、おば さん」と呼んでいた。まるで大きな家族のようだな、と思った。
 朝六時ごろ起床。みんなで朝食をとり、小学生から高校生まで二、三十人がすしづ めの小型船に乗って学校に向かう。夕方、食事を知らせる鐘の音が島に鳴り響く。海 や山で遊んでいた子供たちが、それぞれに食堂へ集まってくる。
 「日本はもはや戦後ではない」と言われた時代だったが、施設の食糧事情は豊かと はいえなかった。自給用の農作業を子供たちも手伝った。
 夏場、学校をサボりたいときは、途中で船からわざと海へ落ち、泳いで島に戻った。 施設の仲間と昼までしか授業を受けずに抜け出し、帰ることもしょっちゅうだった。
 静かな瀬戸内海は、二十分ほどで泳ぎ切れた。「給食を食べに通っているようなと ころもあったね」。そんな原を、園長夫妻は愛情深く見守ってくれた。

 《慰問》
 希望の家には、月一回は慰問があった。婦人会、学生サークル……。さまざまな団 体が、お土産を持って訪れた。
 その中に米軍岩国基地の隊員たちがいた。彼らは寝袋やテント持参で泊まり込み、 施設の整備などを手伝った。クリスマスには基地のパーティーへ子供たちを招いた。
 原にとって、日本人の慰問は、来てあげた、という印象が強かった。「自分の幸福 を確かめるため、という部分が子供ごころに見え隠れした」。米兵にはそれが感じら れなかった、と振り返る。
 施設の子供ということで肩身が狭かった記憶は、原にはない。が、出身者の一人は 「学校では『仙島の子は』といわれることも多かった。ものがなくなったとき、希望 の家の児童だけ残して調べられたこともあった」と話す。
 中学を卒業した原は、地元の農機具会社やベッド販売会社で働いた後、東京へ出た。 製紙原料問屋に十年間勤め、不動産会社の営業などを経て、八五年に仙島へ戻った。 三十七歳になっていた。
 東京時代、自分でもよく働いたと思う。だが、疲れた。社長や上司が現れると急に 仕事を熱心にやり、もみ手するような社会が嫌になった。自然の中でのんびり暮らし たかった。「これからは今のペースで生きたい」という。

 《辛苦》
 新南陽市の隣の徳山市に住む男性(五七)は、希望の家の設立直後から十年以上を 過ごした。
 戦争で親と離ればなれになったという記憶があるが、よく覚えていない。自分がど こで生まれたかもはっきりしない。名前と生年月日は、親から聞いていた。
 四国などあちこちを転々とし、十三歳のころ希望の家に入った。それまでは学校に も行かず、船に乗って雑用を手伝いながら、独りで暮らしていた。
 青年になってからも、施設の子供の世話などを手伝った。三十年ほど前に施設を出 て、船の甲板員をした後、溶接関係の仕事を続けてきた。現在は妻と娘二人の四人家 族。
 戦争から五十年。「確かに豊かにはなったが、世の中が良くなった感じはしない」 と思う。
 人生を振り返ると、つらいこと、思い出したくないことも多かった。孤児だったこ とを娘たちに詳しくは話していない。「このまま静かに暮らしたい」
 園長夫妻の遺族は「希望の家の子供たちはさまざまな人生を歩んだ。施設の名を見 聞きすれば、心が痛む人がいるかも知れない。それを思うと、取材には協力できない」 という。
 希望の家を巣立った孤児たちの、その後の人生を見守るように、「友情の波止場」 はいまも、瀬戸内の海にたたずんでいる。(敬称略)

 <希望の家>
 朝鮮半島から引き揚げた故石丸一寿さんと、妻の故逸子さんが一九四九年、仙島の 別荘だった建物を借り受けて整備し、児童福祉法に基づく養護施設として認可された。 夫妻は独力で周囲の山地を開墾しながら、施設を拡充した。六七年、夫妻の引退で養 護施設としては閉鎖され、精神薄弱児収容施設に衣替えした。六八年に「鹿野学園」 と改称、山口県鹿野町に移転した。

 【写真説明】
 「希望の家」の跡地と、日米友情の波止場。海の向こうは周南コンビナート群=山 口県新南陽市で、本社ヘリから

朝日新聞社


1995/05/04 朝日新聞

児童の福祉と親権 虐待などがあれば保護(みんなのQ&A)
朝刊 4頁 オピニオン 写図有 (全1247字)

 Q 先月中旬、捜査当局が山梨県上九一色村のオウム真理教の施設を家宅捜索した 時、五十三人の子どもを保護して児童相談所に移したね。なぜこうした処置を取った の。
 A 児童福祉法に「保護者のない児童または保護者に監護させることが不適当であ ると認める児童(十八歳未満)を発見した者は、福祉事務所または児童相談所に通告 しなければならない」とあるんだ。この規定に従って、子どもを見つけた山梨県警が 山梨県中央児童相談所に報告し、児童相談所が「親と一緒にいなかったり、栄養不良 の子どもが多く、保護が必要」と判断したわけだ。
 Q あの子たちはこれからどうなるの。
 A 児童相談所が、子どもたちの家庭状況などを調べているところだ。一人ひとり 事情が違うから、親元へ戻していいのか、ほかの親族、たとえば祖父母に面倒を見て もらうのがいいか、養護施設や里親にゆだねるべきか、簡単には判断できないからね。
 Q 信徒である親が子どもの引き渡しを求めて裁判所に人身保護を申し立てたね。 親がいても養護施設などに預ける場合があるの。
 A 親に虐待されたり、放置されたりしていた子どもが、元の状態に戻ってしまっ ては、何のために保護したかわからないからね。法律的には、親の同意がなくても家 庭裁判所の承認があれば可能なんだ。
 Q 家裁が承認することは多いの。
 A 厚生省の統計によると、一九八九年度から九三年度までの五年間で、家裁への 請求は四十四件、承認されたのは三十件だった。児童相談所が扱う虐待の事例は年間 千六百十一件(九三年度)にも達している。虐待の実態からすると、請求件数そのも のが極めて少ないといわれている。
 Q なぜだろう。
 A 「親権」という言葉を聞いたことがあるだろう。民法では、親権者は「子の監 護及び教育をする権利を有し、義務を負う」と定めている。ところが、子を虐待する ような親の中には、子どもを育てる義務を果たしているとはとてもいえないのに、親 権をふりかざす人も少なくない。こういう親の親権を制限することに、児童相談所は 非常に慎重なんだ。もし家裁で請求が認められなかったら、一度対立した親との関係 修復が難しいという事情もあるようだ。虐待問題に取り組んでいる弁護士によると、 児童相談所や養護施設が保護した子どもを親に返してしまうことも少なくないという。 法律上は、親権を剥奪(はくだつ)することもできるが、そうした事例はまれだ。
 Q 子どもは親の所有物という考え方が背景にあるみたいだね。子どもの人権より 親の立場が優先されるのはおかしいなあ。
 A 日本が昨年批准した「子どもの権利条約」では、虐待などを受けた子どもの保 護のため、国はあらゆる措置をとると、明記されている。子どもの人権を守るために は児童福祉法などの改正が必要という意見も強い。今回の事例が、児童の人権や福祉 について議論を深めるきっかけになればいいね。
 (社会部・出河雅彦)

 【写真説明】
 児童相談所に運び込まれるオウム真理教信徒の子ども=4月14日、甲府市で

朝日新聞社


1995/05/02 朝日新聞

顔も知らぬ「実父」のもとへ 米イリノイ州の「子別れ裁判」
夕刊 2頁 2総 写図有 (全392字)

 【ニューヨーク1日=共同】米イリノイ州で里親夫婦に育てられてきた四歳の男児 が三十日、裁判所の命令により、顔も名前も知らない実の両親に引き渡された。約二 週間前、自分が里子であったことを知らされた男児はこの日、約二百人が見守る中、 泣き叫びながら四年間過ごした「自宅」から、実の両親に引き取られていった。
 男児は生まれて間もなく実の母親が里子に出し、シカゴ郊外に住む夫婦に育てられ た。当時外国にいた実の父親は帰国後、自分の子供が里子に出されたことを知り、養 育権を主張して裁判所に訴えを起こした。
 里親は「自分たちに育てられる方が子供は幸せ」と反論、州知事らも里親に同情的 だったが、イリノイ州最高裁は実の父親に養育権があると判決。連邦最高裁への上告 も却下され、判決が確定した。

 【写真説明】
 米イリノイ州のシカゴ郊外で4月30日、里親(右側)から男の子を引き取り、車 に乗り込む実の父親=AP

朝日新聞社


1995/04/09 朝日新聞

海を渡る赤ちゃん 朝日新聞大阪社会部著(新刊抄録)
朝刊 13頁 読書 写図無 (全169字)

 望まれずに生まれた赤ちゃんたちが、米国やヨーロッパ諸国へと「輸出」されてい る。過去十年間で六百五十人。「婚外子」に対する社会の根強い偏見と差別が、この 「国際養子」という現象を生み出している。国内で里親や養子縁組の手立てがもっと 真剣に考えられるべきではないか、と思わされる。豊かな国日本の貧しい内実を伝え る。
 (朝日新聞社・一、三〇〇円)

朝日新聞社


1995/03/17 西日本新聞

増える無国籍児、人権保護を視点に、求められる施策
朝刊 15頁 0版15面3段 (全1426字)

 先ごろ、両親不明の無国籍児に日本国籍を認める最高裁判決があり注目された。日本で生まれたのに、日本国籍も取れず、外国人である母親の国籍も取れない「無国籍児」 が急増しており、子供の幸せの視点からの施策が早急に求められている。
 ◎施設収容は倍増
 東京都社会福祉協議会乳児院部会の調査によると、一九九三年では、都内十二カ所の乳児院に在籍した三歳未満百四人のうち、無国籍児は十九人で、前年のほぼ二倍。こ の数年は、倍々の速度で増えている。
 しかし、これは施設に収容されている乳幼児で、施設以外で育っている子に関しては、その実態がほとんど分からない。
 法務省によると、日本人と結婚していない外国人女性の子供は、日本国内で生まれても、父親が不明の場合は日本国籍が取れない。母親が母国の在日大使館などに届け出 ればその国の国籍が取れるが、不法就労者の場合は、強制送還を恐れて、ほとんど届け出ないのが現実だ。
 ◎国家の保護がない
 母親が偽造旅券で入国し、母国で婚姻届に必要な証明書を取るために強制送還されると、入管法により一年間は再入国できない。
 外国人支援団体ヘルプ(東京)の松田瑞穂代表は「入管法と出生法や婚姻法を連動させる運用に問題がある。そのために無届けの子供が増えてしまう。婚外子だからといって 差別するのではなく、認知だけで国籍が取れるようにするべきだ」という。現在は胎児認知された子供だけ国籍が取れるが、出産後に認知されても国籍は取れない。
 無国籍児の場合は、いろいろな検診や予防注射などを公費で受けにくく、里親や養子縁組にも複雑な手続きが必要だ。さらにパスポートも取れないので、国外に出ても、どの 国の保護も受けられない。
 ◎後で選べるように
 同協議会乳児院部会長でもある日赤医療センター付属乳児院の坂田尭院長は、必ずしも一律に日本国籍を与えればいいものではないと、次のように語る。
 「子供を残して消えた女性が、後で金をためて引き取りにくるケースもある。そのとき母親と国籍が違うと面倒なことになる。また外国人同士の間で生まれた子供もいる。従っ て、仮の国籍を与えて、日本国籍の子供と全く同じに扱って、後で引き取る母親が現れなかったら、本人が十八歳になったとき、自分で国籍を選べるようにすればよい」
 一方、公的な施設以外の劣悪な保育環境に置かれている無国籍児たちを救うことも大切だ。坂田院長は「児童相談所や乳児院などでは子供の人権の保護からも母親の不法 就労をとがめたり、所轄官庁に届けたりしない柔軟性があるので、まず相談してほしい」と呼びかけている。
 ▼写真説明/乳児院にも増えている無国籍児=日赤医療センター付属乳児院

西日本新聞社


1995/01/30 朝日新聞

短期里親に1630家庭 阪神大震災
朝刊 26頁 2社 写図無 (全186字)

 阪神大震災で生活環境を奪われた児童、生徒を一時的に預かってもらおうと、神戸 市が全国の家庭に短期里親を呼びかけたところ、二十九日現在、北海道、東京、神奈 川、愛知、近畿六府県、福岡などの全国千六百三十家庭(受け入れ人数三千百三十六 人)からの申し込みがあった。地域ぐるみで「短期里親」を企画した同市北区のニュ ータウンでは、約百二十家庭が応募。この日、受け入れ第一号が誕生した。

朝日新聞社


1995/01/25 朝日新聞

子どもたち、懸命に生きる 里親の申し出も次々 阪神大震災
夕刊 12頁 2社 写図無 (全1118字)

 阪神大震災は、両親を一度に亡くした子どもたちを生んだ。つぶれた家の下で声を かけ合って助かった兄弟は父母のひつぎに寄り添った。祖父の家に身を寄せた二人は 春、高校、中学の受験に挑む。

 西宮市高木西町の中学三年畑中広介君(一五)と弟の小学六年、信介君(一二)兄 弟は十七日朝、自宅の二階で寝ていた。階下には中学校教諭の父進一さん(四七)と 母昌子さん(四五)がいた。
 木造二階建ての自宅は、近づいてきた兄弟の受験勉強のために、手狭になった近く のアパートから移り住んだものだった。
 自宅が崩れ落ちたとき、兄弟には床が飛びあがったように見えた。「兄ちゃん、ど こにいるの」。土煙の中で、涙声の信介君が兄を必死で捜す。「ここ」と広介君。広 介君の背中に、弟の信介君は夢中でしがみついていた。
 両親は、がれきの中からみつかった。「お父さんも、お母さんも、もう笑わないん だ」
 祖父の広さん(七五)らが遺体安置所のある中学校に駆けつけた時、兄弟は、両親 のひつぎにくっついてしゃがみこんでいた。両親の遺品になるものはまだ、何も見つ かっていない。
 地震後、神戸市内の二カ所の養護施設に、十九人の子どもが預けられた。
 兵庫区中道通二丁目の木造二階建て共同住宅で、祖母の良子さん(五一)と二人で 住んでいた会下山小学校六年の垂井勝彦君(一二)は、一階居間で寝ていた。タンス や置物が倒れ、闇(やみ)の中で、良子さんが「近くのおじちゃんを呼んで来て」と 繰り返した。五分ほどすると、良子さんの声は途絶えた。良子さんの遺体は三日後に 見つかった。
 勝彦君は昼はうどん店、夜は旅館で働く良子さんに育てられた。両親の顔は知らな い。勝彦君は神戸市北区の養護施設「天王谷学園」で暮らし、二十三日から近くの小 学校に通い始めた。
 学園の波来谷英美さん(六〇)は「夜になると添い寝の保母の手を握って泣いてい る」と打ち明ける。
 「阪神大震災で被災した子らを預かります」という申し出が全国から神戸市などに 寄せられている。
 兵庫県境にある人口一万人弱の港町・岡山県和気郡日生町は、神戸や西宮、芦屋各 市に、被災して親を失ったり、一人で疎開を余儀なくされたりした子ども二百人を受 け入れると申し出た。日生町役場は「昔から神戸港に働きにいく町民が多かった。何 とか手助けしたい」。
 大阪市天王寺区や福岡県甘木市の市民からも同様の申し出がある。大阪市内の自営 業者(五三)は「我が子は就職しており手がかからない。部屋が二つ空いている。子 どもたちの精神的な支えに」と話している。
 両親が亡くなった子どもらについて、兵庫県などは西宮市青木町の西宮児童相談所 など指定された八カ所の児童相談所に相談するよう呼びかけている。

朝日新聞社


1994/08/29 西日本新聞

「ほほえみ電話里親事業」が5年目、国立療養所大牟田 筑後
朝刊 20頁 20版20面4段 (全1550字)

 重度心身障害児(者)とボランティアの里親が電話で交流する福岡県大牟田市橘、国立療養所大牟田病院(石橋凡雄院長)の「ほほえみ電話里親事業」が五年目を迎えた。 病院で暮らす障害児の社会とのふれあいを目的にした試みは着実な成果を見せ、障害児にとって生きがいにもなりつつあるようだ。
 ▽懸命に笑顔で反応
 同病院で療育中の障害児(者)は約八十人。このうち、言葉が出なくても何らかの応答ができる二十一人が、ほほえみ電話に参加。週に一度、約十分間の声のふれあいは、 子供たちの自己表現の場でもある。受話器を支えることも、相手の呼びかけに正確に答えることも困難だが、懸命に笑顔で反応する。
 同病院がまとめた四年間の経過報告書では「言葉が増え、発声が明確になった」「風邪や発熱などが目に見えて減った」とある。
 同病院神経内科の飯田良子指導主任(45)は「表情が豊かになり、コミュニケーションの発信度は高まっている。生きがいができたから病気も減ったのでしょう」と分析する。
 ▽とまどいながらも
 七月からの第五次里親は二十二人。日ごろ「何か自分にもできることはないだろうか」と感じていた筑後地区の四、五十歳代の主婦が中心で、うち十四人が二年以上の継続 者。
 しかし、活動は「電話一本で済む手軽なボランティア」ではない。里親たちが必ずぶつかるのが「一方通行」の壁。受話器の向こうから聞こえてくるのは言葉にならない声だけ。 どんな話をしても「一方通行の感覚だけが残り、毎回悩んだ」(里親の一人)という。目に見えないもの、耳に届かないものを信じる心がなければ続かない。
 六月まで二年間里親を勤めた渡辺伊都子さん(55)=大牟田市=も「最初はとまどいました。だけど、これがこの子たちの表現なんだ、私に理解する能力がないんだって思っ たら気が楽になりました」と振り返る。
 ▽全国で唯一の試み
 ほほえみ電話は、全国でも同病院だけの試み。日本障害者協議会広報委員長の大野智也氏(東京在住)は「意思疎通が確認できない障害児を対象にしたのは画期的。障害 の度合いによって、われわれがコミュニケーション方法を先に判断してしまうことは誤っているのかもしれない」と話す。
 成果を挙げながらも他の病院がなかなか実施しない原因は「施設側にある」と飯田主任。「指導や訓練をすることだけで満足し、地域の人とかかわる必然性を感じていない」と 指摘する。
 ▽より多くの人に…
 今後の課題は「ほほえみ電話」対象以外の入院児の社会参加をどうするか。同病院では、手紙や「だっこ里親」の実施を検討中。「手紙だったら、看護婦が子供の気持ちになっ て家族に書く。だっこは定期的に病院を訪れてもらう。対象は広がるはずです」と飯田主任。
 「言葉の数を増やすとか、声が大きくなることが目的ではありません。本当に評価してほしいのは、子供たちが生きがいを見つけられたこと。量ではなく質が大事なんです」と強 調した。
 里親ボランティアについての問い合わせは同病院=0944(50)1000=へ。(塚崎謙太郎記者)

西日本新聞社


1994/08/17 西日本新聞

仕事場探訪=「大村子供の家」主任保母・福崎洋子さん 長崎
朝刊 18頁 0版18面1段 (全1612字)

 ●福崎洋子さん(52)=長崎県大村市原口町
 玄関を入ると子どもたちの元気な遊び声が耳に飛び込んできた。大村市原口町の住宅地の一角。養護施設「大村子供の家」(松本厚生家長)には、家庭の事情や不登校など で入所した一―十八歳の子どもたち七十人が共同生活を送っていた。ここで二十三年のキャリアを持つ主任保母の福崎洋子さん(52)に、同施設の暮らしなどを聞いた。
 ▽追いかけた夢
 「最初に就職したのはバス会社でした」。子どもが好きで教師になる夢を持っていた福崎さんは、高卒後、希望とは違う道を選んだ。父親が病気で倒れ、家族の支えとして頼り にされたからだ。志望外の就職は、切羽詰まった選択だった。
 一路線走り終えるたびに床をぞうきんがけ。こわい運転手にしかられたことも。高校生の気分が抜けない福崎さんは、社会の厳しさを認識させられた。「おかげで根性がつきまし た」
 それでも夢を捨て切れず働きながら通信教育を受け保母の資格を取った。七年後、福崎さんは、子供の家の保母になった。
 ▽大所帯の家族
 子供の家の一日は、午前六時半に始まる。子どもたちに朝食を取らせ、学校へ送り出すとミーティング、掃除、洗濯。子どもたちの帰宅するまでのつかの間に休憩し、午後は勉 強を教えたり、おふろに入ったり。職員はほとんどが住み込みで、たくさんの子どもとたくさんのお母さんがいる大家族のようだ。
 「保母になって最初の授業で、子どもたちが机を引っくり返して大騒ぎ。おろおろしました」。滑りだしから強烈な思い出だった。
 だが、「外部からみる子どもの姿と実際は随分違う」。手に負えない暴れん坊とみえた子どもが、とても情が深く、病気で寝ていると心配して世話してくれたり…。「毎日、うれし い触れ合いがあります。子どもたちからいろんな幸せをもらっているようです」と笑みをこぼす。
 もちろんつらいこともある。子どもたちの入所には、いろいろな事情がある。物心ついた子どもたちから、そうした事情を尋ねられるとき、どう答えたらいいのか迷うことも多いとい う。
 ▽思わぬお年玉
 数年前、海外の児童福祉を学ぶため欧州に旅行した。そこでは、里親制度に力点が置かれ、地域全体が子どもを受け入れるため養護施設は無くなりつつあった。「社会で子ど もを育てようという意識を強く感じました」と福崎さん。
 「それに比べると日本人は『子どもは親のもの』という執着が強すぎて、行き詰まると心中という最悪パターン。子どものことを第一に考えてほしい」。福崎さんは力説する。
 今年の正月。福崎さんが育て、社会人となった一人の教え子が帰郷した。校内暴力に荒れた中学時代、何度も学校に謝りに通わされた子だった。その子は何げなく近づいて 来ると、福崎さんのポケットにそっとお年玉をしのばせた。
 「今年は絶対良い年になる、と喜びました」と福崎さん。「ずっと、一生、子どもたちとかかわっていきたい」。それが今の福崎さんの一番の願いだ。
 ▼メモ 定員八十人。約六千八百平方メートルの敷地に管理棟や児童棟、体育館など。子供部屋二室に一人の割合で保母がつく。父子家庭のための夜間養護や、通所養 護、短期入所なども行っている。(木下悟記者)

西日本新聞社


1994/07/08 朝日新聞

バザーで養護施設支援 不用品の提供呼びかけ 16日に木更津/千葉
朝刊 32頁 千葉版 写図無 (全579字)

 木更津市真里谷の社会福祉法人一粒会「野の花の家」(花崎みさを園長)をバック アップする野の花の家後援会(石川富子代表)が十六日午後一時からチャリティーバ ザーを開く。収益金は、野の花の家で暮らす子供たちの援助に充てられる。後援会は バザーのための家庭用品、日用雑貨品など家庭で眠る品々の無償提供を呼び掛けてい る。
 野の花の家は八五年四月に開園した。父母の病気や死亡、親の蒸発のほか、登校拒 否や校内暴力などさまざまな理由で家庭に恵まれない、二歳から十八歳までの児童、 生徒四十人を預かっている。
 ベトナム戦争などで親と死別したりはぐれたりして日本に来た東南アジアの子供が 多いことに心を痛めた花崎園長が里親を買ってでて養育。施設を開設し、この子たち を含めて全国各地の恵まれない子供を引き取って養育してきた。
 現在、昼は働き夜は市内の定時制に学ぶ男子の勤労学生や小学校低学年以下の幼い 子供の世話をする小、中学生もいて、元気で共同生活を楽しんでいる。悩みは一定額 の補助しか受けていないための資金不足。満足な養育も出来ず、見かねた地域住民ら がボランティアで後援会を組織した。
 後援会は八六年から二年に一度、バザーを開いている。一昨年のバザーでは約百万 円の協力が得られ、夏のキャンプの費用などに充てられた。バザーなどの問い合わせ は野の花の家(電話〇四三八―五三―二七八七)へ。

朝日新聞社


1994/07/08 朝日新聞

養護児童の5人に1人は親の責任放棄が原因 厚生省調査
朝刊 3頁 3総 写図無 (全596字)

 養護施設や里親などに委託された子供のうち五人に一人が、親の放任や養育拒否、 虐待など、明らかに親の責任放棄が原因となっていることが七日、厚生省の実態調査 で明らかになった。非行にはしって教護院に入所した子供の二六%が「父母の放任や 怠惰」によるもので、里親委託の二一%が親の養育拒否が原因となっている。約二十 年前の調査では、親の責任放棄による養護児童は一割以下にとどまっていた。
 この調査は、家庭環境などの理由で里親に預けられたり、養護施設、情緒障害児短 期治療施設、教護院、乳児院に入所している児童などについて一九九二年末に実施、 全国すべての児童施設から回答を得た。
 それによると、母子寮を除いて、養護問題が発生した理由では、最も多いのは父母 の行方不明で一七%、次いで離婚が一三%、父母の仕事上の問題と父母の入院がそれ ぞれ一〇%となっている。
 明らかに親の責任放棄などによって預けられたケースをみると「父母の放任、怠惰」 が八%で、教護院の子供の二六%がこの原因で入所している。子供に愛情を感じられ ず、子育てはいやだとする養育拒否は六%で、里親に預けられている子供の二一%が この理由による。
 また、最近問題になっている「父母の虐待・酷使」は千百三十一人(三%)に達し、 このうち九百四十七人(八四%)が養護施設に入所している。
 七〇年の調査では、捨て子や虐待、放任・怠惰など親の責任放棄は九%だった。

朝日新聞社


1994/05/31 朝日新聞

せっかんされた里子の死は頭部打撲が原因 坂戸 /埼玉
朝刊 24頁 埼玉版 写図無 (全81字)

 坂戸市塚越で里親に投げ付けられ、二十九日に死亡した田口貴子ちゃん(二つ)の 司法解剖が三十日、埼玉医大で行われ、死因は頭部打撲による外傷性くも膜下出血と 分かった。

朝日新聞社


1994/05/30 朝日新聞

里親にせっかんされた里子死亡 坂戸 /埼玉
朝刊 24頁 埼玉版 写図無 (全133字)

 坂戸市塚越で十六日夜に、里親にせっかんされ、意識不明の重体だった田口貴子ち ゃん(二つ)は二十九日午後零時四十五分ごろ、入院先の鶴ケ島市の関越病院で死亡 した。
 貴子ちゃんは里親の水村清容疑者(四〇)に排便のことでうそをついたと責められ、 布団に二、三回投げつけられた。

朝日新聞社


1994/01/16 朝日新聞

実態知りたい国際養子縁組(声)
朝刊 5頁 オピニオン 写図無 (全633字)

 川崎市 星野寛美(医師 32歳)
 一日付本紙の「海を渡る赤ちゃん」を読ませていただきました。
 不倫や十代の未婚の母が十年間に六百五十人も国際養子として子供を手放している ということですが、私自身、一産婦人科医として日常診療の中で「自分では育てられ ない」と悩む妊婦に接する機会も多いため、「ああ、これが日本の現状なのだなあ」 と思いつつ拝見いたしました。
 しかし、非常に残念に思われてならないのは、無届けや多額の寄付を取る団体まで もが介在する国際養子縁組がどうして今まで放置されてきたか、ということです。
 日本国内には、いろいろな事情で子供を手放す人たちがいる一方で、昨年の琢磨ち ゃん事件に象徴される「どうにかして子どもが欲しい。子育ての苦労がしたい」と悩 んでおられる不妊症の方も多いのです。
 また、日本でも一九八八年以来、特別養子という子供の福祉を最優先させた養子制 度ができており、それまで国際養子でなければできなかった法的保護が国内でも十分 にできるようになっています。私自身、国内の養子縁組に取り組んでいる組織にかか わっていますが、養子問題に対する人々の受け止め方、イメージは思われているほど 暗くはありません。
 厚生省では研究会を発足させ実態調査に乗り出すということですが、外国の里親の もとに養子に行った後の子供たちが自分たちのルーツをたどれるようになっているの か、果たして子供の福祉に基づいた養子縁組がなされているのか、一日も早く明確に していただきたいと考えます。

朝日新聞社


1994/01/15 朝日新聞

大井で置き去りの赤ちゃん、見送り受け乳児院へ  /埼玉
朝刊 24頁 埼玉版 写図有 (全796字)

 入間郡大井町亀久保の産婦人科・内科医院「立麻医院」(立麻和男院長)の前に今 月四日夜、生後まもない男の赤ちゃんが置き去りにされた。赤ちゃんは健康状態の検 査などを終えた十四日、元気に退院した。実の親はまだ見つかっていない。県北の乳 児院で育てられることになったこの子に、看護婦さんたちが縫いぐるみをプレゼント した。
 立麻院長(六〇)をはじめ十五人の看護婦や職員が、交代で面倒を見てきた。一時 は黄だんが出て、心配された。一日十二時間の光線療法で、黄だんはなくなった。発 見当時二四五〇グラムだった体重は、二六九二グラムに増えた。十日には出生届が出 され、戸籍も作られた。大井町長が名付け親。
 男の子は、紙袋に入れられて置き去りにされていた。中にあったメモには「育てら れない。一年後に連絡します」。最後に「この縫いぐるみをそばに置いてほしい」と も。小さなカバの縫いぐるみも一緒だった。
 だが、縫いぐるみは、保護責任者遺棄の疑いで捜査している警察が、証拠として持 って行った。
 看護婦さんたちは、イヌのキャラクターの縫いぐるみを男の子に贈った。院長夫妻 も加わり、産着などの衣服を買った。この日朝、入浴後の男の子は、プレゼントされ た産着を着せられた。縫いぐるみと並んで、看護婦さんと記念撮影。
 午前十時前、迎えに来た川越児童相談所の職員に抱かれ、玄関を出た。「面会に行 くからね」。看護婦さんたちが、手を振った。
 「さみしい気もするが、頑張って生きてほしい。たとえ親が名乗り出なくても、い い人に引き取られ、あの子にとって良い方向に進んでもらいたい」。初めに発見した 看護婦(二四)は、そう話した。
   ◇
 県児童福祉課によれば、八九年度からの五年間に“捨て子”の報告は、この子を含 めて六十四件。実の親が名乗り出たケースは、ほとんどない。大多数の子どもたちは、 二歳になるまでに里親に引き取られ、養子縁組されるという。

朝日新聞社


1994/01/10 朝日新聞

望まれて、ママがいて 養子大国・米に渡った赤ちゃん
朝刊 23頁 1社 写図有 (全1776字)

 日本で生まれ、欧米などの夫婦に養子として迎えられる「国際養子」。その数は、 この十年間で少なくとも六百五十人にのぼり、じわじわと増えている。この国から赤 ちゃんはなぜ旅立つのか。異国で幸せをつかめたのだろうか。養子大国アメリカに渡 った赤ちゃんたちのその後を追った。
 (萩一晶、山崎靖)

 クリスチーナ(八つ)は、ハワイに住んでいる。私立大学総長の養父ケント(四五) と養母エリザベス(三八)に六年前、日本から迎えられた。パソコンが好きな、利発 で元気な女の子だ。三年前にはルーマニアから弟と妹が迎えられ、五人で暮らす。
 生まれは大阪。両親はともに耳が不自由だった。四カ月のとき、両親が離婚。乳児 院に預けられた。
 施設で過ごした一年半、国内での養子縁組の話は三回あった。最初の夫婦は事情を 聞いただけで断りにきた。次の二組は会いには来たが、まとまらなかった。
 エリザベスも「気にならなかった、といえばうそになる」と言う。クリスチーナに は知人の紹介で会った。「実の子でも事故とかある」と心を決めた。
 迎えにきた二人に、二歳の娘はなかなか心を開かなかった。日本人の母を持つエリ ザベスが日本語で「本を読んであげる」といっても、「いやや、あっちいけ」と叫ん だ。ハワイでも、夜になるとベッドで泣いて「カズちゃん」と呼んだ。かわいがって くれた保母の名前だった。
 ある夜、ふろからあがり、ふざけて裸で逃げ回った。エリザベスがやっと捕まえ、 髪をふいていたときだ。
 「おかあさん」
 初めてそう呼んでもらえた。胸が熱くなった。二カ月がたっていた。
 大阪市中央児童相談所は、これまで千三百人の子どもに、日本で里親を見つけた。 しかし、国内で見つからず、国際養子となった例もある。
 口がい裂の子がいた。近親相かんの子、父や母の国籍が違う子……。さまざまな 「事情」のある百八十人の子どもたちが、この三十六年間に海を渡った。クリスチー ナもその一人だ。
 「ハンディ」を背負った子どもたちが、海外では家族の愛情にはぐくまれる。「社 会の受け皿の大きさが違うのでしょうか」。ケースワーカーがいった。
  ×  ×  ×
 昨年のクリスマス前。雪のちらつく熊本の街に、一人の女の子が訪ねてきた。
 エリン(一〇)。米フィラデルフィアに住む小学校五年生である。福岡で生まれ、 一歳のときに海を渡った。養父フィリップ(四一)と養母ルース(四二)に子どもは いなかった。しかし、二年後に妹が生まれた。青いひとみと金髪。大きくなるにつれ、 エリンとの違いがはっきりしてきた。
 「本当のお母さんじゃない」と、エリンがルースにだだをこねるようになったのは、 二年ほど前からだ。両親に連れられての来日は、「日本のママ」を捜しにきたのだっ た。
 かつて預けられた社会福祉法人「慈愛園」を訪ねた。「なぜ、私はこの園に引き取 られたの」。潮谷義子園長(五四)に問いかけた。
 「お母さんは離婚して、借金を抱えてたのよ」
 園長は問われるまま、実母の住所を伝えた。しかし、その後何度も引っ越していた。 母に会えなかった。
 新天地で幸せをつかんだ赤ちゃんは多い。しかし成長し、いつかアイデンティティ ーの問題に直面する。
 エリンは四日間滞在した。街で母と同じ年代の女性を見ると立ち止まった。「日本 のママがどんな顔しているか、知りたかった。もう少し大人になったら、また来ます」 。そう言い残して、熊本を飛び立った。
 (敬称略)

 ○あっせん団体に「寄付金」225万円 ハワイでの「料金表」
 米国は毎年六千―一万人を海外から迎える養子大国だ。国際養子を手がけるあっせ ん団体は、全米で二百を超える。女性の晩婚化が進み、産む時期を逃したり、産まな いつもりがほしくなった人が増えているという。「健康で、生まれたての赤ちゃんが ほしい」と関係者は話す。
 韓国は「養親と養子の年の差は最高四十歳まで」、ルーマニアは「養父母の結婚歴 三年以上」など、多くの国が何らかのルールを設けている。日本はあっせん団体の 「良識」まかせの状態だ。
 ハワイのあっせん法人で養子の「料金表」を見た。
 地元ハワイ 百八万円
 中国 百四十九万円
 日本 二百二十五万円
 日本の費用のうち、日本側のあっせん団体への寄付金が百二十五万円、米国側へが 百万円である。
 日本は、世界で「最も高い」国の一つだった。

朝日新聞社


1994/01/08 朝日新聞

外国の子供の里親で励みに(声)
朝刊 5頁 オピニオン 写図無 (全459字)

 東京都 秋元玲子(アルバイト 35歳)
 現在私は、ある民間援助団体でアルバイトをしている。ここの主な活動は精神里親 制度だ。開発途上国の貧しい子供に日本の里親が毎月決まった額を送金し、生活を援 助する。
 里親にとっても子供にとっても、楽しみは何といっても文通である。その手紙の翻 訳が私の仕事だ。
 子供たちから送られてくる絵や写真では、四方を山に囲まれた田園地帯、泥とベニ ヤ板で出来た小さな家。学校から帰ると水くみやヤギの世話をするそうだ。日本の里 親から送られた美しい絵はがきやハンカチに目を輝かせ、毎日学校へ行けることに心 底、感謝している。
 そんな文通を里親は心待ちにしているのだ。毎日郵便受けを見に行くという人も、 自分の孫のように思っている身よりのないお年寄りもいる。
 一通の手紙がそのような人の心をどれだけ明るくすることだろう。国際貢献、国際 親善は何も選ばれた一部の人たちのものではない。ごく普通の市民が民間外交官にな り他国を知ること、それは豊かな日本の生活や真の幸福を改めて見つめ直す良い機会 なのではないだろうか。

朝日新聞社


1994/01/06 朝日新聞

事情(赤ちゃんの旅立ち:5 この国の足音) 【大阪】
朝刊 26頁 2社 写図有 (全1394字)

 ハワイの小学生たちは「お泊まり会」が大好きだ。
 クリスチーナ(八つ)も前夜遅くまで、友達の家で仲間六人と騒いだ。たっぷり昼 寝をしてから起きてきた。
 高台にある自宅の窓から、ホノルルの夜景が見渡せる。年の瀬の夕食時、私立大学 総長の父ケント(四五)は娘に「昨日は楽しかったかい」と聞いた。妻エリザベス (三八)は「野菜も食べてね」といった。
 六年前、日本から養子として迎えられた。三年後、今度はルーマニアから弟と妹が 来た。一家五人、食卓のうえで三つの国が出会った。

 ○チャンス3回あった
 クリスチーナは、大阪で生まれた。両親はともに耳が不自由だった。
 四カ月のとき、両親は離婚。父が一年余り娘の世話をしたが、結局、乳児院に預け た。
 施設で過ごした一年半、国内での養子縁組のチャンスは三回あった。だが、最初の 夫婦は事情を聞いただけで、翌日に断りにきた。次の二組は、会いには来たが不調に 終わった。
 「気にならなかった、と言えばうそになる」とエリザベスは言う。八七年冬、知人 の紹介で大阪の施設を訪ね、クリスチーナに会っていた。「実の子でも事故にあうこ とはあるわ」。夫と話し合い、心を決めた。
 迎えにきた二人に、二歳のクリスチーナはなかなか心を開かなかった。日本人の母 を持つエリザベスが日本語で「本を読んであげる」といっても、「いやや、あっちい け」と叫んだ。
 ハワイに戻り、毎日、海や公園に遊びに行った。昼間は機嫌よく遊んだが、夜にな るとベッドで泣きながら「カズちゃん」と呼ぶ。施設で、かわいがってくれた保母の 名前だった。
 二カ月後。ふろからあがると、クリスチーナはふざけて裸で逃げ回った。やっと捕 まえ、髪をふいていると突然、タオルの向こうから顔をのぞかせた。
 「お母さん」
 初めて母と呼ばれた。エリザベスは胸が熱くなった。

 ○無国籍のまま8カ月
 ジェイスンは、静岡の米国人宣教師リッキー・ゴードン(四一)の家で初めての正 月を迎えた。生後八カ月の男の子。外国人登録証には「無国籍」とある。
 実母は昨春、大きなおなかを抱えて、愛知県にある女性救援施設に駆け込んだ。 「住むところも、お金もない」。東南アジア系の女性だった。
 間もなく出産。たまたま施設を訪れたあっせん団体の女性の胸に、「自分では育て られない」と赤ちゃんを押し付けた。一週間後、姿を消した。
 経験から、あっせん団体は「純粋な日本人と確認できない子どもを、日本人は引き 取らない」と考えた。五月、赤ちゃんは五人の実子がいるゴードン家に仲間入りし、 ジェイスンと名付けられた。
 半年前、静岡市役所に出された出生届はまだ受理されていない。法務省が母親の国 籍を調査中で結論が出ないため、ジェイスンは無国籍で、養子縁組の手続きもできな い。パスポートも保険証ももらえない。

 ○受け皿の大きさに差
 大阪市中央児童相談所は、これまでに千三百人の子どもに国内で養子里親を見つけ た。しかし、さまざまな事情から国内で養父母が見つからず、国際縁組となったケー スもある。
 口がい裂の子がいた。左手小指の関節が一つ少ない子もいた。近親相かんの子、父 や母の国籍が違う子、「赤ちゃん」と呼ぶには年の過ぎた子…。約百八十人の子ども たちが、この三十六年間に海を渡った。クリスチーナも、その一人である。
 「社会の受け皿の大きさが違うのでしょうか」とケースワーカーが言った。(敬称 略)

朝日新聞社


1994/01/01 朝日新聞

国際養子のルール化遅れる日本 人権と幸せの施策を<解説>【大阪】
朝刊 30頁 2社 写図有 (全1646字)

 「望まれず」に生まれた日本の赤ちゃんら六百五十人以上が、この十年間に国際養 子として海を渡っていた。この事実は、豊かなはずの日本の「裏面」を、福祉の「貧 困」を、問い直すものではないだろうか。
 世界のボーダーレス化、経済格差の拡大、先進国の少子社会化などを背景に、国際 養子縁組は広がる傾向にあり、ルールづくりを求める声が世界で高まっている。だが、 少子社会でありながら「輸出国」でもある日本の政府は、実態すら把握していない現 状である。
 赤ちゃんの養子縁組は、国内の場合でもデリケートな問題だ。子を手放す実母に十 分な説明がなされたか、相手は養父母として適格か、縁組後のフォローができるのか。 人種や文化が違う海外に渡る場合は一層、慎重さが求められる。
 同じ国際養子でも、養父母が日系人か、白人かでは少し質が異なる。海を渡る年齢 にもよる。子育ての喜びを真剣に求める夫婦に出会えれば、赤ちゃんが幸せになるチ ャンスは広がるだろう。
 しかし、まずは国内での縁組の努力が十分に払われ、国際縁組はその後の「選択」 と考えるべきではないか。赤ちゃんがほしい夫婦は、国内にも多い。
 赤ちゃんは大きくなったとき、アイデンティティーの問題に直面する。「実費」名 目とはいえ、一部の団体で、赤ちゃんという人間の縁組に多額の金が受け渡しされて いる現実は、営利目的のあっせんを禁じた児童福祉法の観点からも疑問が大きい。
 アジア、中南米諸国からの国際養子では、幼児売買、臓器移植のための献体、養父 母の幼児虐待などが一部で問題になっている。昨年五月、日本など六十六カ国が参加 してオランダで開かれた国際私法会議でも、国際養子縁組のあり方が議題になり、養 子縁組は中央当局(政府)の管理下で行われるべきだ、とのハーグ条約を採択した。 八九年に国連で採択された子どもの権利条約でも、国際縁組は二国間の「権限ある当 局によって進められるべきだ」としている。
 こうした流れの中で、かつて多数の幼児を米国などに養子として出していたフィリ ピン、韓国なども、すでに政府が最終的な権限を持つシステムをつくり、「赤ちゃん 流出」を食い止めようとしている。
 米国のあっせん団体によると、養子を送り出す側は、韓国が「養親と養子の年の差 は最高四十歳まで」、中国は「実子、養子を問わず子供がいない家庭にのみ」、ルー マニアは「養父母の結婚歴三年以上」など、多くが何らかの原則をもうけている。だ が、日本は民間のあっせん団体の「良識」まかせの状態だ。
 厚生省は、継続的に養子あっせんしている団体・個人の都道府県への届け出を義務 づける通達を出したが、届け出しているのは、まだ一部。無届けの任意のあっせん団 体と相手国のあっせん法人や専門弁護士との間で手続きが進めば、実態は表に出にく い。
 赤ちゃんの人権をより確実に保護するためには、国際養子縁組に対する政策的、法 的な国の対応が不可欠だろう。
 (大阪社会部 「赤ちゃん」取材班)

 ○国内では制度整う
 厚生省児童家庭局の大泉博子・育成課長の話 日本国内では、特別養子縁組制度や 養護施設、里親制度が整っている。縁組後のフォローの難しい国際養子縁組を、安易 に実施すべきではないと思う。厚生省としては、外郭団体の児童問題調査会と協力し て、近く国際養子縁組の数やあっせん団体の縁組のやり方などの実態調査に取り組む。 その結果などを見きわめながら、法務省と協議して対応していきたい。
        *       *       *
 【国際養子縁組】
 養父母と養子の国籍が異なる縁組。養父母が来日して家庭裁判所で縁組したり、赤 ちゃんが「孤児ビザ」で渡って相手国で縁組されるケースが多い。
 欧米は縁組成立とともに生みの親と養子の親子関係がなくなる「完全養子」制度が 多く、日本側での扶養義務や相続権利などの関係は事実上なくなる。
 日本でも八八年に民法が改正され、戸籍上も従来の「養子」ではなく「長男」「長 女」と記載される「特別養子制度」が設けられた。

朝日新聞社


1993/12/30 朝日新聞

来年はいい年になあれ! 養護施設で正月迎える子供たち /千葉
朝刊 32頁 千葉版 写図有 (全1383字)

 お年玉、たこあげ、お雑煮……。楽しいお正月を施設で過ごす子どもたちがいる。 離婚や仕事、行方不明など親の事情が原因で、児童福祉法でいう養護施設に入ってい る子どもたち。県内に十三施設あり、どこも年末年始だけ事情の許す限り、保護者に 一時引き取ってもらうが、それすらかなわない子どもたちがいる。夷隅郡大原町にあ る「チルドレンス パラダイス 子山ホーム」を訪ねた。

 仲良しきょうだい三人組は、今月一日、この施設に入った。中三の姉と中二、五歳 の弟。十一月半ば、千葉市のJR千葉駅に近い中央公園で野宿していたのを警察に保 護された。
 事情を聴いたところ、両親が離婚、母親と暮らしていた。サラ金の返済を抱え、家 賃も払えず追いたてられた。母親は金策に走ったのか、子どもたちを置いたまま行方 がわからなくなった。
 中三の姉が五歳の弟の母親がわりをしている。今度の入試で高校を受ける予定で、 いま猛勉強している。
 ホームには二歳から高三まで五十人が暮らしている。両親とも行方不明中、引き取 った父親が服役中、親に虐待されて保護、など様々だ。
 一時引き取ってもらう期間は二十六日から一月五日まで。親や親類の所在がわかる 場合、迎えに来てくれるよう今月中旬、手紙を出した。半分が「転居先不明」などで 返送されてきた。二割ほどは手紙を出す先もわからない。迎えに来るといっていなが ら、来ない例もある。
 二十数人に引き取り手が見つかった。小学校四年生の女の子と六歳の男の子も、そ の一例だ。
 女の子は、三年前、浦安市内から施設に来た。親に食事を与えてもらえなかったり、 虐待されたりした。今年の秋、初めて「お母さんに会いたい」といった。児童相談所 を通じて母親に伝えたところ、「相談所にやった子。今ごろ会いたいといわれても困 る」。
 男の子は今年六月、母親が柏市内の託児所に預けた。「引き取りは遅くなる」とい っていた。預けた三日後、離婚、行方不明になったままだ。
 二人が一時帰る先は身内ではない。三十年ほど前、このホームを巣立った女性のと ころだ。結婚して今、印旛郡で理容業を営んでいる。ホームにいたころ、自分を訪ね る人はだれもいなかった。「ほかの子がうらやましかった。ゆくゆくは二人の里親に なりたい」と、ホームの大橋信雄園長(六四)にいっている。
 大橋園長によると、二十九日現在、正月も帰省できないのは二十八人。お年玉を用 意したり、初日の出を見る会、映画会、たこあげなどもする。園長の思いは複雑だ。 「ホームの正月をあんまり楽しくするわけにいかない。帰省した子どもたちがうらや ましがる場合だって、あるんです」
 父親のところに引き取られた子どもが「お父さんがパチンコや飲み屋に行って帰っ てこない。ホームに戻りたい」と泣き声で電話してきた例もある。
 伯父や伯母の家に行って二、三日で帰ってくる場合も多い。
 「自分の子の世話で手いっぱいなのでしょうか。面倒をみられていれば、ホームに 来ないはずですから」
 訪ねた日、子どもたちがボールをけり、ブランコを勢いよくこいでいた。大橋園長 は「さびしさを口には出しません。けれど、迎えに来てもらえる子、もらえない子、 正月は、自分の境遇を自覚させられる時でもあるんです」と話した。
 県内十三施設に入っているのは、今月一日現在で五百八十四人。このうちかなりの 子どもたちが施設で正月を過ごす。

朝日新聞社


1993/12/23 朝日新聞

「悲しみが残った」 琢磨ちゃん誘拐判決 【大阪】
朝刊 23頁 1社 写図有 (全1447字)

 「うその世界に逃避して、子ができた楽しみに浸っていた」。生まれたばかりの乳 児を連れ去った夫婦の行為を裁判長は「現実逃避」と指摘した。二十二日、鳥取地裁 で判決が言い渡された琢磨ちゃん誘拐事件。夫婦一体で犯した罪の責任はそろって懲 役三年に。一方、琢磨ちゃんの両親は最後まで法廷に姿を見せないまま。ちっちゃな うそから始まった犯行は、それぞれの夫婦に忘れられない悲しい思いを残した。

 午後三時半、清水敏明被告は白、由美子被告は深緑の色違いだが、そろいのセータ ー、ジーンズ姿で法廷に入った。小池洋吉裁判長に促され、二人は証言台で寄り添っ て立った。
 「夫婦一体の犯行であり、それぞれ懲役三年に処す」。判決主文に続いて、理由の 言い渡しが約四十分。二人は顔をあげて裁判長をじっとみつめた。
 最後に小池裁判長が「夫婦二人が仲良く生きていけるのが幸せ。出所後でもまだ遅 くはない。お互い手を携えて歩んでいってほしい」と述べると、二人は手を握り合い、 一瞬、見つめ合って涙を浮かべた。
 「赤ちゃんができたみたい」。周囲の期待にこたえようとウソをついたのがすべて の始まりだった。二人が不妊に悩み、病院での治療にも、養子縁組にも失敗し、心理 的に追い込まれていった。
 清水夫妻は逮捕後、花井和彦、広江さん夫婦らにあてて計六通の謝罪の手紙を書き、 弁護士に託した。
 「『クリスマスのプレゼントに何がほしい?』
 『赤ちゃん』
 『デパートで売っているものなら、どんなに金を出しても買ってくるんだけどなあ』 …。困ったような顔で答えた夫を、知らずに傷つけていたかも知れない」(十月十九 日付、由美子被告)
 だが、これらの手紙は受け取りを拒否され、花井さん夫婦のもとには届いていない。
 夫婦そろって懲役三年という判決に、弁護側は「出所後も、夫婦が同時に更生への 道を歩み始めることができるようにとの配慮だと解釈している」と話し、控訴しない 方針だという。
 一方、花井さん夫婦は「事件のことは早く忘れたい」と、ついに法廷には姿を見せ なかった。夕方になって、報道陣の求めに応じてコメントを寄せた。
 「判決に対して不満に思うことはありません。決まった刑罰を受けていただき、人 の人生に傷をつけるということの罪の重さを十分に考えていただきたいと思います」
 連れ去られた時、二、六五四グラムだった琢磨ちゃんは八カ月近くになり、体重七、 〇二〇グラムに。十一月末には父の支えで「立っち」できるようになった。

 ○社会の目を育てる必要
 神戸市の委託で里親紹介事業をしている家庭養護促進協会の橋本明事務局長の話  日本人の子育て観、風土、文化の貧しさを教えてくれた事件だと思う。不妊で悩むほ とんどの人には実子を期待する世間の何げない態度がプレッシャーになり、社会の目 とか差別、偏見というものに対する恐れになっている。血縁のない子供を実子と同じ ような目線で見る雰囲気を、社会の中で育てていかないと、不妊の夫婦を心理的に不 安定にし、こうした悲劇に追い込みかねないだろう。

 ○妻の意思を認めた判決
 第二回公判を傍聴した作家、早坂暁氏の話 周囲のプレッシャーに負け、欲しけれ ば奪うなんて許されない。奪われた夫婦は、どんなに悲しくつらいことか。もし見つ からなかったら、毎日毎日どこかで生きてるだろうと捜し回っているはずで、殺され たよりも残酷だ。そういう想像力もないのでは話にならない。同じ量刑の判決が出た のは、裁判所も妻に強い意思があったと認定したからでしょう。順当な判決です。

朝日新聞社


1993/10/16 朝日新聞

全国の里親集まる 宇部で集会 【西部】
朝刊 30頁 2社 写図無 (全187字)

 第三十九回全国里親大会が十五日、山口県宇部市で開かれ、全国から約千二百人が 参加した。里子の養育年数が五年以上で、地方の里親活動に貢献した全国五十八組の 里親が、大会会長表彰を受けた。ベトナムの里子三人や日本の子どもを育てた山口県 美祢市の住職河内真海さんの妻美舟さん(五〇)が代表し「里子と共に育ち合う親と なり、自立心、協調性、人への思いやりを育てていきたい」と謝辞を述べた。

朝日新聞社


1993/10/07 西日本新聞

ショートステイ事業、佐賀県が”子供版”実施へ
朝刊 1頁 17版1面1段 (全496字)

 佐賀県は子供を対象にしたショートステイ事業を導入することを決めた。事業主体は市町村で、近く藤津郡嬉野町をモデル団体として実施し、来年度以降、県内全市町村に広 げる。
 同事業は、保護者が出産や病気、事故、介護などで育児に手が回らなくなった場合、七日間を限度に児童福祉施設に預かるもので、高齢者を対象にしたショートステイの子供 版。
 実施施設としてあらかじめ市町村が児童福祉施設や乳児院、母子寮、同県福祉審議会の児童福祉専門分科会が認定した里親を、受け入れ施設として指定する。嬉野町は隣 接する塩田町の児童養護施設「済昭園」を指定、対象児童を受け入れる。
 生活保護世帯などを除いた一般家庭の場合、半額が利用者負担で一人一日、二歳未満児で六千円、二―十八歳は四千二百五十円。残る半額を国、県、市町村が負担する。
 働く女性が増え、仕事と子育てが両立できる社会、安心して子供を生み育てられる社会づくりを目指し、同県は、出張など仕事に伴う場合にも利用枠を広げることを検討する。

西日本新聞社


1993/09/23 朝日新聞

新生児の里子委託で縁結ぶ児童相談所 広がる動き、児童福祉司が調査
朝刊 20頁 第2家庭 写図有 (全1479字)

 家庭に恵まれない子供を生まれた直後から、養親候補者の家庭に預かってもらい、 将来は特別養子縁組する「新生児里子委託」が、少しずつ広がっている。「あくまで 子供のために考える」を前提に、積極的に取り組む児童相談所もわずかながら増えて きた。

 この問題は、東京の上智大学でこのほど開かれた日本社会福祉学会で取り上げられ た。全国の児童相談所を対象に行ったアンケート調査の結果が発表されたが、新生児 の養子縁組のあっせん希望相談を受けたことがあったのは、回答を寄せた百十カ所の うち九十七カ所。実際に、新生児からの里子委託に取り組んでいたのは、十四カ所だ った。
 調査をした愛知県一宮児童相談所の矢満田篤二さん(五九)もこの新生児からの里 親委託に取り組んできた児童福祉司の一人。これまでに十四人の赤ちゃんと家庭の縁 結びをした。「現在の養子縁組は、家のためではなく、親が必要な子供が親を獲得す る制度だ」と話す。
 縁結びは、まだ生まれる前から話を進めたケースも十ある。その場合、子供を欲し がる夫婦に対しては、次の三つの条件を説明したという。
 (1)養子縁組が決まるまでには約一年かかる。それまでは里子委託であり、実の 親から引き取りの要求が出た時には返さなければならない。
 (2)わが子を出産したときと同様に考えて、障害の有無で引き取りを左右するよ うであれば、希望は受け付けない。
 (3)養親候補とする夫婦の年齢は原則として四十歳未満。子供の性別を気にした り、実親がどのような人であったかを気にするようではだめ。
 赤ちゃんが生まれたあとは、養親候補者に名付け親になってもらうことが多い。さ らに、産院に来てもらい、「育児トレーニング」をする。ミルクの飲ませ方、おふろ の入れ方、おむつの交換などを学んでもらい、大丈夫だと見たところで委託する。
 矢満田さんはこうした縁結びを一九八三年から始めた。現在は全員が里子委託から 養子縁組に進んだ。親子のきずなができやすく、子供の成長後も親子の関係がうまく いっているケースが多いという。
 しかし、養子に出したいと望まれた子供のほとんどが乳児院に預けられている。今 回の調査でも、新生児の里子委託はしないとした児童相談所が三十三カ所あった。
 理由は「障害の有無が判明するまで、慎重に発達状況を観察する」「実親らがみず から育てたいと変化する可能性がある」だった。
 しかし、矢満田さんは「子供のえり好みを里親に認めていることは、子供の人権を 無視することになる。また、障害をもつ子供は家庭的養育の機会まで奪われる二重の ハンディを負うもので許されるべきではないのではないか」と話している。
 新生児里子委託について、仏教大学の津崎哲雄助教授(児童福祉)は「イギリスで は十二歳未満の子供は、施設ではなく家庭で育てるというのが、大原則になってきて いる。わが国でも家庭に恵まれない子供に対して、乳児院などの施設万能の考え方を せず、里親制度を生かしてほしい。そのためにも妊娠している時からの児童相談所の 取り組みはもっと広がってもらいたい」と話していた。
 矢満田さんの連絡先は、一宮児童相談所(〇五八六―四五―一五五八)。

 <里子委託> 児童福祉法にさだめられた制度で、家庭に恵まれない十八歳未満の 子供の養育を、都道府県知事に登録された里親が委託費を受け取って育てる制度。昨 年十二月末で全国で二千二百六人の里親に、二千六百八十二人の里子が委託されてい る。特別養子制度は一九八八年からの制度で、六カ月以上養育した家庭に恵まれない 子供を家庭裁判所の審判を受けて養子にする制度。

朝日新聞社


1993/09/23 朝日新聞

里子委託<用語>
朝刊 20頁 第2家庭 写図無 (全168字)

 児童福祉法にさだめられた制度で、家庭に恵まれない十八歳未満の子供の養育を、 都道府県知事に登録された里親が委託費を受け取って育てる制度。昨年十二月末で全 国で二千二百六人の里親に、二千六百八十二人の里子が委託されている。特別養子制 度は一九八八年からの制度で、六カ月以上養育した家庭に恵まれない子供を家庭裁判 所の審判を受けて養子にする制度。

朝日新聞社


1993/08/21 朝日新聞

親子の心模様 京都市里親会が会誌「はぐくむ」発刊 /京都
朝刊 28頁 京都版 写図有 (全353字)

 四十年近い歴史をもつ京都市里親会が、里親の体験記などを収めた会誌「はぐくむ」 を初めて発行した。表紙には、鴨川という親のもとで育ち、飛び立っていくユリカモ メが描かれている。同会のシンボルでもあるユリカモメたちとの奮闘の日々をつづっ た七編の体験記では、親子の葛藤(かっとう)や悩みなど、複雑な心模様がありのま まに紹介されている。
 現在、三十五組が会に登録しているが、出生率の低下、若い母親の子育てを好まな い風潮などの影響で、里親の数は減少傾向にあるという。森康次同会会長は「鳥取の 幼児誘拐事件でも子どもができない親の苦悩が浮き彫りにされた。親子の触れ合いの 貴重な実践記録を読んで、里親たちの置かれている状況を広く知ってほしい」と語り、 希望者には無料で配布している。連絡先は同会事務局(電話801・2929)。

朝日新聞社


1993/08/13 西日本新聞

81人の里子と56家族が顔合わせ、ふれあい里親行事 福岡
朝刊 16頁 30版16面1段 (全465字)

 養護施設の子供たちをお盆の間、一般家庭で預かる、福岡市のふれあい里親行事の対面式が十二日、同市役所であり、八十一人の里子と受け入れの五十六家族が顔合わ せをした。
 何らかの理由で家庭生活が送れない子供たちに、家庭の温かさを味わってもらおうと、同市児童相談所(山下宣義所長)が国際児童年の昭和五十四年から始め、今年で十五 回目。東区の和白青松園など三カ所の養護施設と福岡乳児院に入所している一歳―高校三年生が、同日から三泊四日で各里親宅で生活する。
 里子たちは、身の回り品を詰めたリュックやバッグを手に対面式へ。それぞれの里親に花束を贈り、はにかみながら「よろしくお願いします」。昨年に続いて同じ組み合わせの” 縁組”も多く、近況などに会話が弾む光景も見られた。
 三年連続で同じ里子を受け入れた城南区鳥飼の原田良江さん(40)は「うちの六人の子供ともすっかり仲良しになり、毎年楽しみにしています」と話していた。

西日本新聞社


1993/07/07  西日本新聞

お盆のボランティア里親募集、福岡市児童相談所
朝刊 21頁 20版21面1段 (全496字)

 せめてお盆の時期には施設の子どもたちに家庭の温かさを味わってもらおうと、福岡市児童相談所は二十日まで、お盆期間中(八月十二―十五日)に子どもを預かってもらうボ ランティアの里親を募集している。
 この制度は国際児童年(一九七九年)を機に始まり、ことしで十五回目。福岡乳児院など、市内の四施設で生活している一歳から高校生までの子どものうち、お盆期間中も帰 省できない約八十人の里親を募る。
 施設の子どもたちは、両親の離婚などの事情で家庭生活を体験しておらず、児童相談所では「関心のある家庭は相談を」と呼びかけている。
 年齢、性別など里親申込者の希望を聞き、児童相談所と施設が縁組を決定。決まった里親に事前に連絡をした上で、八月十二日に対面式を行う。
 同児童相談所では、七月十五日午後二時から説明会を開く。申し込み、問い合わせは(522)2737=同相談所まで。

西日本新聞社


1993/07/03 朝日新聞

誘拐事件生んだ実子願望(記者ノート) 【大阪】
朝刊 4頁 オピニオン 写図有 (全1441字)

 永島学(鳥取支局)

 「生まれたよ。元気な男の子や」。あてのない赤ん坊探しの旅の途中、夫婦は岡山 市内から双方の実家に電話した。「どこの病院?」と大喜びの親たちに問われ、「お 金がないから、もう切れる」とあわてて電話を切った。三月二十五日、犯行の五日前 だ。周囲に「妊娠した」といつわってから積み重なった小さなウソの、最後のつじつ ま合わせだった。
 鳥取市で起きた琢磨ちゃん誘拐事件は、兵庫県加古川市内の元刑務官夫婦が捕まっ て一段落したが、一方で、子どもができない夫婦の深刻な思いを浮かび上がらせた。
 二人は結婚五年半。妊娠しにくい事情はあったが、可能性ゼロではなく、医師の説 明も受けていた。体外受精、顕微授精など不妊治療法も進み、養子を実子として届け られる特別養子制度も五年前にできたのに、なぜ、そのような方法を選ばなかったの か。
 二人は一度は親類の子をもらおうと考えたが、具体的な行動はしなかった。「実子 として届けられる子が欲しかった。子どもが近所で『あの子は実の子ではない』とい われたらかわいそうだと思った」という。
 厚生省によると、養子を紹介する里親事業は各自治体の児童相談所で実施され、民 間団体も東京、大阪、神戸などに計五つある。神戸市の委託で里親事業を三十一年間 続けている家庭養護促進協会の橋本明事務局長(四九)は「十五年ほど前から、子育 て自体を楽しむ人もでてきましたが、まだまだ周囲の目が違う」と嘆く。「捕まった 夫婦もそれが問題だったのでしょう。実子にこだわる土壌がある限り、同じような事 件は起こります」
 二人が、戸籍の上でも養子を実子として記載できる特別養子制度を知ったのは、昨 年夏「赤ちゃんができたみたい」と最初のウソをついた後だった。家庭裁判所の審判 など手続きに半年から一年近くかかるため、「出産予定日」を控えて、「どうしよう もなかった」という。
 ある捜査員は「うちも妹夫婦に子どもができないが、子は天からの授かり物。周り がとやかく言っちゃいけない」とつぶやいた。日ごろ家庭では捜査のことなど話さな い捜査員らも、今回は妻たちとしばしば話をしたという。独身の私にも結婚観の見直 しを迫る事件だった。
 子どもがいなくても幸せに暮らしている夫婦は多い。「でも、日本の家庭はまだ子 どもが中心。そうでない人は、普通とは違うという目で見られてしまう。公判は、 『赤ちゃんは、まだ?』という周囲の何気ない言葉に追い詰められていった二人の情 状面の立証が中心になるでしょう」と担当弁護士の一人。
 捜査幹部も「赤ちゃんを中心に、同情しあった男と女、親と子の姿が、かわいそう なほどにじみ出た事件」という。容疑者夫婦の仲のよさは、知人の間でも有名だった。
 しかし、ある産婦人科医(四四)は「他人から奪いたいほど子どもをほしがってい る夫婦はたくさんいる。でも、実際に奪ってしまう安易さは、わがままでしかない」 と指摘する。
 捕まった妻は「赤ちゃんをすぐに返してあげて」といい、夫は「悪いことをしたの だから、弁護士はいらない」と話したという。だが、奪った赤ちゃんを抱いてひとと きの幸せを味わった元刑務官夫婦は、被害者夫婦の苦しみからは目をそむけていた。
 夫婦の二割が不妊に悩むともいわれるいま、同じ苦しみを抱えて努力する夫婦も、 それを乗り越えた夫婦もたくさんいる。元刑務官夫婦の場合、どちらか一人が周りに ウソを打ち明ける「小さな勇気」を持ち、世間体へのこだわりを捨てていれば、別の 道はあったのではないか。

朝日新聞社


1993/06/19 朝日新聞

「子どもを育てたい」 養子縁組に関心 不妊に悩む夫婦らに講座
朝刊 19頁 第1家庭 写図有 (全1662字)

 鳥取市の産婦人科医院で起きた赤ちゃん誘拐事件で、養子縁組制度が改めて関心を 持たれている。不妊に悩む容疑者夫婦は、親類との間で進めていた養子縁組の話がつ ぶれたという。養子縁組の現状はどうなっているのだろうか。社団法人家庭養護促進 協会が大阪市内で開いている「養子を育てたい人のための講座」をのぞいた。

 神戸市と大阪市に事務所を持つ同協会は、親の離婚や病気、家出などの事情で、親 に育ててもらえない子どもたちの里親を探している。「愛の手運動」として里親探し を進めた子どもは、三十年間で約三千人。うち養子縁組までこぎつけたのは千二百五 十人になる。
 大阪市天王寺区の市立社会福祉センターで十二日開かれた今年度最初の講座には、 三十代後半から四十代前半の夫婦を中心に二十七組が出席。京都府や滋賀県からもや って来た人もおり、ほぼ全員が不妊に悩む夫婦だ。
 この日は、カー用品販売店に勤める大阪府寝屋川市の岸晃昌さん(二一)が、約四 十人の養親希望者を前に自らの養子体験を語った。
 岸さんは生後まもなく、同協会大阪事務所を通じて滋賀県内の住職の養子になった。 小学三年のとき、父母から養子と知らされた。二歳違いの弟も養子だった。そんなに ショックはなかった。「おれは養子やねんぞ」と友達に言いふらしたほどだ。
 中学二年のころ、何となく実の親に会いたくなった。高校卒業前に実親の手掛かり を求めて協会を訪ねたこともあるが、結局会わなかった。「自分を産んだ人がどんな 顔か見たかっただけ。母親とは思っていない」と、岸さんは率直に話した。
 受講者から「反抗期はあったか」「どういうとき実親に会いたいと思うか」「養子 であることを知らされないほうがよかったか」など質問が相次いだ。
 同協会大阪事務所長の岩崎美枝子さんは、養子を迎える心構えについて「子どもが いない親側のさびしさの埋め合わせにされるのでは、子どもは迷惑です。血のつなが りがなくても親子になれることを信じて、子どもを迎えてほしい。日本の社会ではま だ少数派の生き方でしょうが、誇りを持ってほしい」という。
   ◇   ◇
 十一日のひととき欄に養子を育てる喜びを投稿した兵庫県三木市の主婦、東中香代 さん(四五)は、特別養子で「長男」を授かった。
 子宮摘出で不妊がはっきりした東中さんは四年前、「望まれずに生まれる赤ちゃん がいる」という話を聞き、すぐに神戸家庭裁判所に特別養子縁組を申し出た。生まれ て八日目、産院を退院するときに赤ちゃんを引き取り、育て始めた。その後、裁判所 による調査が続き、十カ月後にようやく養親と認められた。
 東中さんは、養護施設で暮らす子どもを夏休みと冬休みに預かる季節里親も引き受 けている。「事情をまったく知らない人に『うちの子は養子なの』と言うと、一瞬驚 いた表情になり、次に『えらいわね』と言われることが多い。『それはよかった、す てきね』と言ってほしい。養子が特別なことでなく、当たり前に受け入れられる世の 中になればいいと思います」と理解を求めている。
  ◇   ◇
 家庭養護促進協会の連絡先は大阪事務所(06・762・5239)、神戸事務所 (078・341・5046)。

 <特別養子制度とは> 養子制度には、従来の成人が多い普通養子に加え、八八年 に特別養子制度が設けられた。家庭裁判所の審判を経て、養子と実親との法律上の関 係を断ち切り、養父母との間に実の親子と同じ関係をつくることが目的だ。宮城県石 巻市の産婦人科医師が赤ちゃんを他人の実子としてあっせんした事件もきっかけとな り、民法や戸籍法が改正された。
 養親になれるのは一方が二十五歳以上の夫婦で、養子は六歳まで。試験養育期間が 六カ月以上必要。戸籍上は従来「養子」と記載していたのが「長男」「長女」と書け る。最高裁判所によると養子縁組が認められたのは、九二年度に普通が千百八十五件、 特別は四百六十九件。特別養子制度がスタートした年には、特別養子縁組の希望者が 多かったため三千二百一件の申し立てがあり、うち七百三十件が認められた。

朝日新聞社


1993/05/04 朝日新聞

8日、朝霞で里親セミナー /埼玉
朝刊 24頁 埼玉版 写図無 (全298字)

 朝霞市が、八日午後一時から、同市岡のコミュニティセンターで「里親ってご存じ ですか?」と題したセミナーを開く。
 「里親制度」は、児童福祉法に基づいて、病気や離婚などの事情で子どもを育てら れない親に代わって、育てる制度。県内には昨年六月現在で、約四百三十組が里親と して登録しており、うち約百九十組が約二百四十人を実際に養育しているという。朝 霞市では、二組が四人を育てている。
 当日は、児童相談所の職員が制度や養護を必要とする子どもたちの実態を説明する ほか、同市内の里親が、体験談を話す。定員五十人で、市外の人も参加できる。参加 費は無料。問い合わせは同課(〇四八―四六三―一一一一、内線二六四二)へ。

朝日新聞社


1993/03/27 朝日新聞

マンションに置き去りの赤ちゃん元気に育つ 川崎・高津区 /神奈川
朝刊 25頁 神奈川版 写図有 (全225字)

 昨年十一月五日、川崎市川崎区川中島一丁目のマンション入り口付近に置き去りに されていた女の赤ちゃんは、現在、高津区の県立川崎乳児院で、すくすくと育ってい る。
 赤ちゃんは生後五カ月目。保護された当時は、体重約二千五百グラムだったのが、 約六千八百グラムに増えた。名付け親は高橋清川崎市長で、「川島昌美」と命名され た。
 川崎署では、県内の病院を中心に聞き込みをしたが、肉親の手掛かりは得られなか ったという。肉親が名乗り出ない場合、五月から里親探しが始まる。

朝日新聞社


1993/02/25 朝日新聞

養護施設の児童にわいせつ行為容疑 高校教員を逮捕 埼玉
夕刊 13頁 1社 写図無 (全362字)

 埼玉県警捜査一課と西入間署は二十五日、同県内の民間養護施設に入所している男 の子にわいせつな行為をしていたとして、国立筑波大付属高校(東京都文京区大塚一 丁目)教員の同県坂戸市山田町、小松広一容疑者(四〇)を強制わいせつの疑いで逮 捕した。
 調べによると小松容疑者は、九二年十一月初旬、同養護施設の小学六年生の男子 (一二)を自宅に連れ込み、「裸になれ」と命じて、写真を撮ったり体に触るなどし た疑い。同年五月にも同施設の中学一年生の男子(一二)に、裸にさせるなどのわい せつな行為をした疑い。
 同施設には親のいない子どもなど三十三人が入所。夏休みや正月に一般家庭に短期 間預かってもらう「里親運動」が進められている。小松容疑者は八九年暮れから「里 親になる」と出入りし始め、「勉強を教える」などと言って、子どもを連れ出してい た、という。

朝日新聞社


1993/01/28 西日本新聞

赤ちゃん置き去り10日、育てたいとの申し出10件 筑豊
朝刊 16頁 10版16面3段 (全558字)

 十八日朝に福岡県飯塚市伊岐須の民家の軒下で、タオル二枚にくるまれた赤ん坊が発見されて十日がたつ。飯塚署の調べでも、依然として親は見つかっていない。赤ん坊は 同市飯塚病院に入院、元気を取り戻しているが「赤ちゃんを育てたい」との申し出も殺到しているという。
 置き去りにされた日は午前中、小雪がちらついていた。同病院小児科の平田知滋担当医は「運び込まれたときは、体温が測れないほど冷えていた。発見が遅れれば、恐らく 助からなかっただろう」と話す。
 入院当初、二千四百四十八グラムの未熟児だったが、今では二千六百八グラムとなり「ベビーベッドで元気に成長している。ミルクもよく飲み、近く退院する予定です」(同病院 小児科)と言う。
 田川児童相談所によると、親が見つからなかった場合は、乳児院に送られるか、里親制度の登録家庭に引き取られる。赤ん坊は今のところ、鞍手町の乳児院で預かってもらう ことになっている。
 同病院にはこれまでに「わたしが育てたい」と十件以上の申し出が寄せられており、同署は「生んだお母さんに早く出てきてほしい」と話している。

西日本新聞社


1993/01/25 朝日新聞

「親子」見つめ直す契機に 里親探しの記録を出版 /兵庫
朝刊 87頁 兵庫版 写図有 (全865字)

 親と暮らせない子どもたちに里親を探す「愛の手運動」を進めてきた民間福祉団体、 社団法人「家庭養護促進協会」神戸事務所=神戸市中央区橘通三丁目=のケースワー カー、米沢普子さん(48)の相談記録と里親、里子の寄稿四編をまとめた「愛の手 をさがして」が、同協会の三十周年を記念して出版された。

 愛の手運動は、親の事情で育てられなくなった子どもを一般家庭で育ててもらおう と一九六二年に神戸で始まった里親さがし。現在は大阪にも事務所がある。米沢さん は大学卒業後、二十年間にわたりケースワーカーとして、血のつながらない親子の新 しい関係づくりに力を注いできた。
 「愛の手をさがして」は八章からなり、真実を知らせた時の親子の悩みや米沢さん の胸を打ったエピソードの数々のほか、里親制度の説明、外国の養子縁組との比較、 窓口に寄せられた相談内容などをつづっている。
 米沢さんのもとには、いろいろな人が相談に来た。「紹介された家庭とそりが合わ なかった」と、自分の生い立ちを知るために訪ねてきた若い女性。かつて世話をした ことのある米沢さんが、彼女の名前を思い出すと、「神戸は私の生まれた町。私の小 さい時のことを知ってくれている人がいた」と涙ぐんだ。
 ある女の子は、「生まれた時のことをお母さんに書いてもらうように」という宿題 を出され、帰るとすぐ「お母さんは産んでないから書けないよね」と言った。里親は 子どもが幼かったころから音楽が好きだったことや、泣き声が小さかったことを苦労 してまとめた。作文を学校へもって行く時の女の子の笑顔を、里親は今も忘れられな いという。
 「里親は、特別な人が特別なことをしているのではない」と米沢さん。「自分のル ーツを探し求め、何のために自分は生まれてきたのか、自問する里子の姿は生きるこ との意味を問い直すきっかけになる。血のつながらない親子の姿を通じて、親子関係 を見つめ直して欲しい」と話している。
 B六判、二百七十八ページ。千五百円。一般書店で販売している。問い合わせは家 庭養護促進協会神戸事務所(078・341・5046)へ。

朝日新聞社


1992/12/2 朝日新聞

「横堀ホーム」人生素晴らし 写真集を自費出版、紹介 群馬・大胡町
朝刊 74頁 群馬版 写図有 (全1299字)

 健康な人も、弱い人も、子供も、老人も、お互いに相手のことを思いながら、安心 して生活していくところに、私たちは意味を見いだしている――。大胡町堀越で、養 護を必要とする子供や障害者、老人が共同生活を送っているファミリー・グループホ ーム「横堀ホーム」ができて10年が過ぎた。「親」である横堀哲夫(59)、三千 代(61)夫妻が、ホーム誕生10年を記念して写真集「家に帰る−横堀ホームの十 年」を自費出版した。哲夫さんが撮りためてきた写真約200枚に、三千代さんがそ の時々の思い出を添えた。「能力、個性の違う人間が支え合って生きていく生活の素 晴らしさを知ってほしい」と語っている。

 ファミリー・グループホームは、里親制度と施設制度の両面を備えており、「集団 養護家庭」「子供の家」とも呼ばれる。年齢制限もなく、条件が合わないために福祉 サービスを受けられない人たちも受け入れやすい。人件費や住居費などを自治体が助 成し、恵まれない子供を家庭的な環境の中で育てる。横堀ホームは1982年4月に 完成。公的な援助はなく、哲夫さんの収入や、それぞれがもらっている障害者手当、 年金などを持ちよって暮らしている。県内にはほかに例がない。
 今年の正月、「10年を迎えた記念に、何か形に残ることをしよう」と「家族」で 話し合った。写真集なら、野菜などを差し入れて助けてくれた地域の人に感謝をこめ て配ることができる。まだあまり理解されていないホームの活動をたくさんの人に知 らせることもできる。「よし。それでいこう」と決まった。
 現在ホームで生活しているのは中学1年生から63歳までの10人。彼らの暮らし ぶりや、これまでにホームから巣立っていった70人余りの生活の記録をまとめるこ とになった。
 夫妻は、県内の養護施設に住み込みで勤めていた30年間にさまざまな子供の手助 けをしてきた。施設を出て結婚した男性が、ある時、訪ねてきた。「施設にいるとき は、ストーブに入れる石油はいつもドラム缶にたくさんあったし、決まった時間に食 事が出てきたが、今はまるで違う。生活するのに疲れた」とこぼした。家庭生活を経 験したことのない子供が大人になっていきなり社会に出ても、なかなか適応できない のだ。そうした経験が下敷きになって、ファミリー・グループホームを造ることに踏 み切った。うわさを聞きつけた養護施設の卒業生が大勢集まってきて、手助けをして くれたという。
 最初は里親のつもりで始めたが、次第に、障害者やお年寄りも集まってきた。どん な人でも受け入れる夫妻のもとを訪れる人は後をたたない。
 先日のこと。19歳から6年間をホームで過ごし、今は福祉施設で給食の仕事をし ている女性が、ホームで開いたクリスマス会に、東京から手伝いに来てくれた。「来 たばかりのころは1人でトイレにも行けなかったのに、帰宅後、『帰りつきました』 と電話をくれるような立派な娘になりました」とうれしそうに話す。「この写真集が、 福祉に携わる人、志す人たちの参考になれば」と話す。
 1冊2500円。申し込みは、〒371・02 大胡町堀越1860の7 横堀ホ ーム(0272―83―6855)へ。

朝日新聞社


1992/12/19 朝日新聞

「これからの家族」を出版 川越の児童文学作家、花井泰子さん
朝刊 24頁 埼玉版 写図有 (全656字)

 川越市砂の児童文学作家花井泰子さん(57)が、「家族」の在り方を問いかける 創作童話「これからの家族」を「けやき書房」(東京都三鷹市)から出版した。


 花井さんが、童話を書き始めたのは、20年ほど前。養護施設の子供たちに、自分 でつくった童話をはがきに書いて送る「小さい童話の会」の活動を、朝日新聞で知っ たのがきっかけだった。90年3月には「第12回子ども世界新人賞」と「第22回 埼玉文芸賞児童文学賞」を受賞した創作童話「新河岸川の八助」を出版している。
 物語は、主人公の明少年の両親が、クリスマスの日に交通事故で死んでしまう。明 は養護施設に預けられるが、独身の女性に里子として引き取られる。この女性は、老 人ホーム入っていたおばあちゃんも引き取って3人で生活を始める。1年後、この女 性が結婚して4人家族となり、他人同士がひとつ屋根の下で、互いに協力し合って困 難を克服し、幸せに暮らしてゆく「家族」の姿を描いた。
 花井さんは以前、川越市の婦人指導研修会に参加。児童相談所や養護施設、里親に なった人たちを訪ね、様々な事情で施設に入らなくてはならない子供の実態を目の当 たりにした。
 「ひとりぼっちで施設に入らざるを得ない子供たちがいる一方、テレビや電話のあ る自分の部屋に閉じこもって家族で過ごす時間が減っている親子。個人の生活がより 重要視され、家族のきずなは希薄になっています」と、花井さんは話している。
 「これからの家族」は、A5判、222ページ。1500円(消費税込み)。20 00部印刷され、近く全国の主要書店に並ぶ。

朝日新聞社


1992/12/15 朝日新聞

置き去り赤ちゃん、乳児院で「親」を待つ(ニュースの周辺) 栃木
朝刊 37頁 栃木版 写図無 (全837字)

 宇都宮市江野町の宇都宮乳児院に14日、生後約1週間の女の赤ちゃんが入所した。 この赤ちゃんは今月6日未明、宇都宮市住吉町の金沢産婦人科病院前の植え込みの中 で置き去りにされていた。これからは保護者か里親が現れるのを乳児院で待ち続ける。


 宇都宮中央署によると、赤ちゃんが発見されたのは午前2時ごろで、屋外の気温は 零度まで下がっていた。赤ちゃんの唇は紫色に変わり、手足も冷え切っていたが、同 日朝には元気な泣き声を取り戻した。
 おなかにはへその緒もついたままだった。母体側の切り口の状態から、母親が自分 で切ったのではないかとみられている。
 赤ちゃんが置き去りにされた場合、戸籍法に基づき、発見場所の市町村長が名付け 親になる。病院の看護婦からは「ハナコちゃん」と呼ばれていたこの赤ちゃんも、新 しい名字と名前がつけられた。五味渕勇一・県中央児童相談所長によれば「名字は捨 てられたことを全く想像させないようなありふれたものにしてある。名前はその子の イメージにぴったりする可愛らしいもの」。もちろん、赤ちゃんの姓名は関係者以外 には伏せられている。
 行方の知れない保護者と赤ちゃんの結び付きを示すものは、2枚の産着とピンクの 毛布、背中に入れられていた使い捨てカイロだけだ。中央署は宇都宮市内の産婦人科 病院などを中心に、母親の行方を捜しているが、いまだに手掛かりはない。乳児院に 入所したとき、赤ちゃんが持って来たのは、木の箱に入ったへその緒ひとつ。産着や 毛布などは乳児院に届けられていない。岡崎一男・宇都宮乳児院長は「乳児院は入所 してきた子供を平等に健やかに育てることだけが仕事。その子供の入所までの経緯を 示すものは、先入観が生まれてしまう」とその理由を話す。
 1986年から宇都宮乳児院が預かった捨て子は、この赤ちゃんで5人目。今まで の4人は、全員1年以内に里親に引き取られた。岡崎院長は「この赤ちゃんは、元気 な泣き声で自分の存在を主張している。必ず、いい里親さんが見つかりますよ」と笑 った。

朝日新聞社


1992/10/08 朝日新聞

両親絶縁した米少年に感慨(声)
朝刊 15頁 声 写図無 (全472字)

 下関市 大田恵子(主婦 43歳)
 米・フロリダ州で、12歳の少年が両親との絶縁を求めた裁判を起こし、その裁判 の様子が先日のテレビニュースで放映された。
 両親が離婚し、アルコール依存症の実父に長年、虐待され続けてきたという少年に、 裁判官は「親を懲らしめるために訴えたのか」と聞いた。少年は、「自分自身が幸せ になりたいためです」と答えた。
 少年は勝訴し、里親の養子になることが決まった。その瞬間、涙をぬぐう実母の前 で、少年が里親と抱き合い、喜ぶ光景を、私は複雑な気持ちで見入った。
 人はこの世に生をうけた以上、だれしも幸せになる権利がある。ここ数年、我が国 でも親が子を殺す事件が相次いで起きている。子は、親を選んで生まれてくるわけに はいかない。
 それだけに、この少年が自分自身の幸せを得るために、親を選択する権利を勝ち得 たことは称賛すべきことである。12歳にして、彼は自らの手で人間が人間らしく生 きることの権利を取り戻したのである。
 とはいえ、「血は水よりも濃し」といった親子の縁が薄れつつある今の社会現象に、 一抹の悲しさも一方で覚えるのである。

朝日新聞社


1992/09/27 朝日新聞

実母との絶縁認定 米の裁判所
朝刊 26頁 2社 写図無 (全100字)

 【ニューヨーク25日=富永伸夫】12歳の少年が実母との絶縁を求めていた米国 フロリダ州での裁判で25日、少年が勝訴し、里親の養子になることが決まった。子 供に親を選ぶ権利を認めた、米国史上初めての判例。

朝日新聞社


1992/09/11 朝日新聞

里子3人、風のように(ひととき)
朝刊 19頁 第1家庭 写図無 (全663字)

 夏の初めの児童ホームでの里親会議。今年は小学4年の春奈ちゃんと6年の文絵ち ゃんが、我が家に来ることに決まった。帰ろうとすると、主任保母のN先生に呼びと められた。
 「恵が『どうしてもお宅に行きたい』というのですが、3人はご無理でしょうね」
 恵ちゃんは昨年末に来た子で、今年は中学生。規則は小学生が対象だが、里親が同 意すれば許可される。子供から望まれるなんて里親みょうりに尽きるというもの。2 人も3人もたいした違いがなかろう。たかをくくって引き受けた。
 さて、夏休みも終わり近くやって来た3人。さあ、今夜のメニューは……。「魚は 嫌い」「肉はいや」「カップラーメン大好き」「カレー」「ハンバーグ」などと、勝 手なことをいう。
 協議の末、スパゲティミートソースとトリの空揚げ、それにサラダと決まった。
 買い物から料理のお手伝いでワイワイガヤガヤ、何とにぎやかなこと。ひごろ、食 べなれない献立に、おじいちゃんは目を白黒。
 女3人寄ればかしましいとはいうものの、おふろでもザーザー、キャーキャーの連 発だ。テレビのくだらぬ番組を「ワァー」と遅くまで見る。チャンネル権を奪われた おじいちゃんは、負け犬のようにおとなしく付き合った。
 3泊4日の里子旋風。今年は一段と大きく吹き荒れた。帰る際、3人は「来年も希 望してあげるからね」とあっけらかんと言った。
 疲れた。けれどこの充実感はどうだろう。
 窓からの風に近づく秋の気配を感じながら、「来年は、ちとしつけを」などと、鬼 の笑うようなことを考えている。
 (北九州市八幡西区 松尾迪子 主婦・67歳)

朝日新聞社


1992/08/13 西日本新聞

福岡市でふれあい里親制度の対面式、施設の子供が家庭へ
朝刊 17頁 20版17面2段 (全465字)

 お盆期間中、乳児院や養護施設などで生活する子供たちに家庭生活を体験してもらう福岡市の「ふれあいお盆里親制度」の対面式が十二日、福岡市中央区赤坂の中央市民 センターで行われた。
 同制度は施設の子供たちに家庭の温かさを味わってもらおうと国際児童年(一九七九年)を機に開始。十四回目の今年は、福岡子供の家など市内四施設の二歳から十六歳ま での八十五人が、十五日まで三泊四日の日程で里親の五十七家族の元で生活する。
 対面式では五斗美代子市児童相談所長が「里親の人たちと一緒に素晴らしい思い出を作ってください」とあいさつ。里親の家族と対面した子供たちは花束を手渡し、「よろしくお 願いします」と恥ずかしそうにあいさつを交わした。
 今年初めて里親を希望した粕屋郡粕屋町の八尋八郎さん(42)は「中一と小一の子供さんを預かります。五人の子供がいるのでにぎやかなお盆休みになりそうです」と話して いた。子供たちは里親と各家庭に向かい、楽しい家庭生活を始めた。

西日本新聞社


1992/07/07 西日本新聞

家庭の味体験させて、お盆の里親募集・福岡市児童相談所
朝刊 24頁 30版24面2段 (全403字)

 親の病気などで施設生活する子供たちが家庭の味を体験する「ふれあい(お盆)里親行事」が今年も行われる。主催者の福岡市児童相談所は二十日まで里親を募集してい る。
 約八十人の児童たちが八月十二日から三泊四日の日程で公募の里親の元に帰省する。
 里親行事は今年で十四回目。昨年は五十一家族が八十一人を受け入れた。
 昨年の里親の半数はここ数年、継続して子供を受け入れており、中には六年間同じ子供の里親になったケースもある。
 福岡市内には四つの児童施設があり、現在約二百五十人が入所中。里親は四日間預かれることが条件で、市外在住でもよい。十五日午後二時から福岡市南区大楠一丁目 の同市児童相談所で事前説明会。問い合わせは同市児童相談所=092(522)2737。

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1992/05/11 西日本新聞

施設の子らがスポーツで交流、アイリンピック大会 山口
朝刊 24頁 20版24面3段 (全589字)

 山口県内の児童福祉施設や精神薄弱者施設の入所者・子供たちが一堂に集まる「第二十五回県アイリンピック大会」(県など主催)が十日、山口市吉敷の維新記念公園陸上 競技場で開かれ、参加者は、汗ばむような初夏の日差しを浴びながらスポーツを楽しんだ。
 アイリンピックは、各種の福祉施設の入所者たちが、スポーツやレクリエーションを通じて施設間の相互交流を深めるのが狙い。昭和四十一年以来、同五十四、五十六年を除 いて毎年五月に開催されている。
 大会には、養護施設、身体障害児施設、里親会など五十一の施設・団体から、入所者、ボランティア、家族など合わせて約四千人が参加。開会式では、山口市の、るりがくえ ん通勤寮の松坂康成さん(27)が「母の日の今日、明るく、楽しく、元気に頑張ります」と力強く宣誓した。
 競技は、施設対抗リレーや玉転がし、リズム体操、車いすパン食い競走など盛りだくさん。リズム体操では、児童養護施設に入所している二―六歳の幼児約五十人が参加。 ボランティアのお姉さんたちのリードで「大きなたいこ」「モコモコピョン」のリズム音楽に乗って、元気いっぱいの体操演技を披露。会場から大きな拍手を浴びた。

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1992/05/08 西日本新聞

宮大農学部の里親制度、許さんと第1号の縁組 宮崎
朝刊 20頁 0版20面3段 (全496字)

 宮崎大学農学部(玉井理学長)が、全国に先駆けて発足させた教職員による留学生の里親会・レインボーブリッジ会の第一号縁組がまとまり、七日に調印式があった。
 里子になったのは、中国吉林省出身の許徳龍さん(32)。調印式には、同学部国際交流員ら十五人が出席。玉井学部長が「留学生の研究に力を尽くすのはもちろん、経済面 でも協力をしたい」とあいさつ。覚書を交換し、関係者が握手を交わした。
 許さんの専攻は、家畜微生物学。昨年、東京大学に研究生として在学中に、この里親制度を知って応募した。今後二年間、同会から学資、生活費として月額九万円が支払わ れる。許さんは「援助はとても助かります。将来は博士号を取得したい」と話していた。同学部には現在、三十七人の留学生が在学しているが、文部省の国費留学生に指定され るのは、年間わずかに数人。経済的負担から留学したくてもできない留学生が多いことから「一人でも多くの留学生を受け入れよう」と昨秋、同制度がスタートした。今回は、許さ んを含め中国、韓国などから約十人の応募があった。

西日本新聞社


1992/04/08 朝日新聞

「親方」の職種拡大 親いない少年に職業指導する役、厚生省が見直し
夕刊 10頁 2社 写図無 (全894字)

 養護施設で生活し、中学校を卒業した少年が仕事に就くとき、手に職をつけるため の保護者を認定する「保護受託者制度」が、40年を経過して現代の若者気質に合わ なくなっている。大工や左官などの職種に限られていたためで、「親方」についての 修業などに途中でやめるケースが増えている。厚生省は「喫茶店のマスター」や「ス ーパーの店長」などにまで枠を広げるよう、見直すことを決めた。5月までに改正す る。


 保護受託者制度は親子関係を築く里親制度と異なり、養護施設や里親、教護院など から中学を卒業した少年が社会的に自立できるように職業を指導するいわば「親方」 制度で、知事に認定されれば、少年1人ごとに月1万9000円が支払われる。
 1951年に児童福祉法に基づいた児童局長通知で創設された。「親方」になるの は「仕事の経験を相当年数積んで熟練したもの」で、大工や建具職、美容・理容師な どの職種に限定されていた。
 しかし、近年になって、中卒者の離職率は高くなり、75年の離職率は20%だっ たが、89年には41%と倍増。とくに、親方―弟子の関係が厳しい職種が敬遠され がちで、建築業関係に就職した少年の離職率は5割を超えている。このため、約30 年前は2500人以上いた「親方」は、現在は数人しかいなくなってしまった、とい う。
 今回の見直しでは、ガソリンスタンドの店長やソバ屋の経営者など個人商店だけで なく、セールスマンも「親方」の対象となり、直接自分が職業指導せずに知人を介し て指導する場合も認められるなど、大幅に職種を広げる。
 厚生省の調べでは、90年に養護施設から中学を卒業した生徒は約3000人で、 3割近い約850人が就職した。
 また、これまで「親方」になるにはさまざまな制約があり、経済状態や近所の評判、 家庭の雰囲気など細かい点まで調べられたうえ、「食事はなるべく変化に富み、かつ 児童の労働を補うに足る熱量を含有していなければならない」など、衣服から疾病対 策まで細かい規定が盛り込まれていた。
 見直しでは、細かい認定の手続きを廃止して、熱意と愛情を持って職業指導できる 人なら対象となるよう定めることにしている。

朝日新聞社


1992/02/25 西日本新聞

家庭の孤立化強まる、福岡市児童相談所が養護事情分析
朝刊 24頁 30版24面4段 (全806字)

 「養護施設などで措置した子供をみると、家庭の孤立化は一層強まっている」。福岡市児童相談所(同市南区大楠、五斗美代子所長)が実施した一九八九年度の養護分析が このほどまとまった。市内の施設などで措置した全事例を分析、七七年度と八二年度との比較を行っており、より深刻な子供の養護事情が裏付けられた。
 調査は乳児院、養護施設、里親などに措置委託した子供百六人、八十世帯を対象に実施。結果は、同相談所が開設二十周年を記念してこのほど発行した「児童相談所開設2 0年誌」に掲載されている。
 それによると、子供の三分の二が六歳未満の乳幼児で、全体の半数に発育不良や学力不振など情緒面の問題がみられた。養護の理由では、父母の突発的な事故よりも母 の家出、置き去り、虐待など家族の破綻(たん)を伴う事例が以前より目立っている。また親の学歴、経済状態とも低い傾向にあり、依然、経済問題との絡みが根強かった。
 さらに父母自体の生育経過をたどると、父親の約三三パーセント、母親の約五三パーセントに問題がみられた。親自身が肉親との離別を経験したり、親子関係がよくないなど の場合が多かった。
 子供の入所前、七七年度では約二〇パーセントが祖父母や伯・叔父母に養育されていたが、八九年度ではわずか約三パーセント。
 親族からの援助を受けられない主な理由は、「援助のゆとりがない」が約五一パーセント、「関係がよくない」が約三三パーセントと、いずれも以前より増加していた。
 同相談所は「施設入所者数は横ばいだが、内容が深刻化している。今後、子供だけでなく家族全体を視野に入れた総合的な支援システムが必要」と結論づけている。

西日本新聞社


1992/02/24 西日本新聞

[交流日誌]マイセハ里親かごしま会・入佐真澄世話係
朝刊 5頁 15版5面3段 (全496字)

 ●マイセハ里親かごしま会 入佐真澄・世話係
 フィリピンでは、子供たちも生活費を稼ぐために労働力として駆り出され、学校に行きたくても行けない者が、数多くいます。このような不遇な子供たちへ、せめて義務教育の六 年間だけでも学ばせてやりたい、という願いをもつ民間団体。マイセハと呼びますが、正確にはマニラ・八木教育里親運動の会というのです。今年が、発足十周年の記念の年に なります。
 小学生で一年に一万三千円の就学資金を出してやることによって、里親・里子の縁が結ばれ、卒業するまでその関係は続きます。私も今、小学三年の少女を里子として預かっ ておりますが、三月には就学資金伝達のため、代表団の一人としてマニラに行ってきます。里子に会えるのも楽しみの一つです。
 今、全国の里親数は約千人。それぞれが、時折送られて来る里子からの手紙の封を切るのが楽しみのようです。
 鹿児島県姶良郡姶良町平松五四八一、電話0995(65)3304。

西日本新聞社


1992/01/22 西日本新聞

日系二世女流作家ヒューストンさん、明治女テーマに九州取材
夕刊 2頁 0版2面4段 (全868字)

 第二次大戦中の日系米人隔離収容所の悲惨さを「フェアウエル・トゥ・マンザナー」(さらばマンザナー収容所)と題して白人の夫と共同出版した有名な日系二世女流作家、ジー ン・若月・ヒューストンさん(57)=米国カリフォルニア=が今、福岡市を基地に九州各地を取材旅行。「ファイアー・ホース・ウーマン」(ヒノエウマの女)と題する小説を書きつつあ る。
 明治時代、ヒノエウマ年生まれの女性は日本国内で嫁にもらい手がなく、写真見合いで米国移民の男性と結婚。そのハンディや気丈さ、女性らしさのゆえに、米国で生き抜くこ とができた。これらの要素が日系四世にも生きている筋にしたいという。
 明治女のイメージを求めて福岡市では、気っぷのいい”馬賊芸者”を生んだ「水茶屋券番」出の元芸妓(げいぎ)、高橋ふみさん(83)を取材、高橋さんの世話で櫛田神社の月 例会にも参加、お年寄りと交流した。高橋さんは米国人の日本陶磁器研究家アンディー・マスキさん(29)の里親を務めて下宿させており、「小唄やお辞儀など外国人に厳しく教 えていると批判する人もいますが、これが当たり前なんですよ」などと語った。
 ヒューストンさんは「高橋さんに明治女の心や伝統文化への愛着を感じる」と感動することしきり。「日本は経済大国になったが、美しい自然、それがはぐくんだ伝統的な心や文 化を失いつつある。私が東京を避けたのは九州からの移民が多かったこともあるが、まだ博多や農村などにこれらの要素が残っているからだ」と説明した。
 さらに「国際化は自分の文化を維持し、相手の文化を理解して協調することだ。米国は多民族国家であり、その文化の多様性のおかげで、発展してきた。しかし、米国は日系 米人を隔離する過ちを犯した。日本の文化をもっと理解すべきであり、私の本がその教育に役立てば幸いです」と語っている。

西日本新聞社


1992/01/09 朝日新聞

正月早々、生後2カ月男児の捨て子 東京・三鷹の団地
朝刊 32頁 東京版 写図有 (全584字)

 正月早々の2日、三鷹市の団地に生後2カ月ほどの男の赤ちゃんが捨てられていた。 まだ名乗り出る人はなく、預けられた乳児院で無心の笑顔をふりまくだけ。名前も知 れない赤ちゃんに、春はまだ来ない。
 2日午後4時ごろ、三鷹市牟礼の公団三鷹台団地の芝生に置き去りにされているの を交通事故の現場へ向かう途中の三鷹署員が見つけた。髪は長め、子犬のイラストと 「WAN」の文字をちりばめたタオル地のパジャマを着、紙おむつをしていた。
 この場所は、同署牟礼派出所から約2メートルしか離れていないが、派出所からは 死角になっていて、署員はまったく気づかなかった。同署は、赤ちゃんを中野区白鷺 の聖オディリアホーム乳児院に預けるとともに、親を捜しているが、手がかりはない。
 赤ちゃんは元気いっぱい。よく笑い、それがかえって涙を誘う。親が名乗り出なけ れば、三鷹市長が命名、管轄の都杉並児童相談所が中心になり、里親を探すか、施設 に託すことになる。
 同乳児院の入江嘉子院長は「産んだ直後に捨てたのではないから、親に情は移って いるはず。名乗り出る可能性はある」と、ひたすら待つ。杉並児童相談所では、「正 月早々に捨てるとはよほどの事情があったのだろうが、何とか親が見つかって欲しい」 。
 都児童部によると、都内での捨て子は昨年度12人。「経済的に豊かになって、昔 よりは減りましたが、なかなかゼロにはなりません」

朝日新聞社


1992/01/05 朝日新聞

さし引き0円なり 「わが子」投資、里親20年(願いましては:4)
朝刊 30頁 2社 写図有 (全1601字)

 おばちゃんは「娘」(17)の右手首をつかむと、無言で洗面所へ引っ張って行っ た。洗面器にお湯をはり、小さな手を一瞬だけ、お湯の中に押し込む。
 「これ熱いろ?口の中さ入れられっか」
 「入れられね」
 「お年寄りにもちょうどいいお湯をやらねばの」
 山形県羽黒町の特別養護老人ホーム。鶴岡市の太田征子さん(47)は、知恵遅れ の「娘」にお湯の熱さを教えた。昨夏の実習中、おばあさんに熱過ぎるお茶を出し、 口の中をヒリヒリさせた直後のことだ。
 「娘」は3歳の時、置き去りにされ、施設でいじめられ続けた。3年前、里子とし て太田さんの家に来た。養護学校卒業後は、老人介護での自立を目指している。
    *   *   *
 太田さんは、里親を20年続けている。20人以上の「わが子」を社会に送り出し た。夏、冬休みには留学生たちにも自宅を開放する。
 現在の太田家は、夫や両親ら家族6人、里子の高校生の「息子」4人と「娘」、同 じように迎え入れた精神障害者3人、それに下宿させている山形大生4人。
 午前5時20分、18人分の食事と、弁当作りで1日が始まる。バスの時間を見計 らって、7時42分から順に高校生の部屋に行き、「起きれ」とふとんをはぎ取る。
 手のあいた昼は、自宅が共同作業所に変わる。精神障害者と一緒に、単価1円の手 作業を昨春から始めた。夕食の後片付けを終え、4畳半の自室で日記を書くときだけ が1人の時間。
    *   *   *
 20年前、知人に頼まれて精神障害者を預かったのが、里親のきっかけだった。農 機具製造業をしていた父親(81)が工員らを住み込ませていたので、大家族には、 慣れていた。
 貧困。離婚。母子家庭での親の再婚……。口コミで、子供を預けに来る親が続いた。
 最初から経済的な余裕があったわけではない。25年前の結婚当時、会社役員の夫 (60)は保証人として背負った7800万円の負債を抱えていた。子供をつくらず、 太田さんも喫茶店を経営。夫婦で月120万円を返しながら、預かった子供たちを育 てた。それが、生きる証(あかし)になっていった。
 借金を完済したある夜、食卓で夫がぽつりと言った。
 「必要以上の財産を持つより、人間に投資しよう」
 待っていた言葉。
 庭に平屋を新築し、「わが子」は、さらに増えた。
 特別な子育て理論などなかった。今も、体当たり、取っ組み合いの毎日。
 登校拒否のまま太田さんのもとに来た女子高生とは8カ月間、自転車で並んで登校 した。「万引きしたわが子」を引き取りに警察へ行った。隠したばこを見つけると、 「息子」のしりをほうきの柄で思い切りひっぱたく。
    *   *   *
 高校卒業後、3人に1人は実母のもとに引き取られる。その日に備えて「わが子」 全員に「おばちゃん」と呼ばせている。
 船員になってからも休暇には太田家に帰宅する「息子」のもとに、5年前、実母が 不意に現れた。十数年ぶり。水入らずに、と太田さんは座を外した。
 金の無心だった。「息子」は預金の3分の2に当たる400万円をおろして「これ は命を与えてくれたお礼。もう会うつもりはない」と、机の上に差し出した。「息子」 に頼まれ、太田さんは途中から同席した。実母は泣いていた。「このお金の重みだけ は、どうか分かって下さい」。一言だけ、口をはさんでしまった。
 太田家の生活費は月に約100万円。夫の年収は右から左に消えていく。大みそか、 居間に集まった「家族」全員の前で太田さんが夫に礼を言うのがならいになった。
 夫は短い言葉でいつもねぎらってくれる。
 「お前は、金の使い方が、本当にうまいね」
 元日、太田さんは新しい日記に、大みそかから老人ホームで始まった「娘」の2度 目の実習ぶりを書いた。部屋には、巣立って行った「わが子」たちの成長を記録した、 だれにも見せない日記帳が22冊。最期の日、全部ひつぎに入れてもらおうと決めて いる。

朝日新聞社


1991/12/28 朝日新聞

元気で「親子」が再会 正月前に丹波へ 年末年始里親事業 兵庫
朝刊 87頁 兵庫版 写図有 (全542字)

正月を前に27日、丹波地方の家庭に、養護施設「立正学園」(加古川市)と「子供 の家」(尼崎市)の子どもら25人が元気にやってきた。さまざまな事情で父母と別 れて生活している18歳未満の子に温かい正月を楽しんでもらおうと、多紀、氷上両 福祉事務所が毎年実施している年末年始短期里親事業。「おかあちゃん」「大きくな ったね」と声をかけあい、1年ぶりの再会を本当の親子のように喜んでいた。
 同事業は1962年に始まり、多紀福祉事務所管内ではこれまでに約400人が里 親家庭になり、迎え入れた子どもは約800人。氷上福祉事務所管内でも約180人 が約200人の子どもと正月をともに過ごしている。両福祉事務所によると、短期な がらも“親子”のだんらんがきずなになり、手紙をやりとりするなどの交流が続いて いる。
 多紀郡を訪れたのは、立正学園の6歳から中学3年までの20人。マイクロバスで 丹南町の町民会館に着くと、降り続く雪に思わず「わぁ、寒い」。対面式では、長年 同じ子どもを世話している家庭が多いため、子どもを見つけた里親の顔に笑みが浮か んだ。式をすませた子どもらは多紀福祉事務所から菓子の詰め合わせを受け取り、み やげ話をいっぱい持ってそれぞれの家庭へ急いだ。
 1月4日まで、19軒の家庭に分かれて滞在する。

朝日新聞社


1991/11/21 西日本新聞

福祉の輪づくり推進、山口市で県総合社会福祉大会
朝刊 20頁 20版20面4段 (全1426字)

 山口県内の社会福祉関係者が一堂に会する「第四十一回県総合社会福祉大会」(県など主催)が二十日、山口市中央二丁目の山口市民会館で開かれ、これからの社会福祉 事業のあり方などについて活発な論議が行われた。
 同大会は、二十一世紀に到来する超高齢化社会を展望した「心のかよう福祉の風土づくり」を目指し、関係者の意識啓発のために開いたもので、県内の社会福祉団体や民生 児童委員、ボランティア関係者など約千五百人が出席した。
 午前中の式典では「福祉の輪づくり運動」の強力なな推進などをうたった大会宣言を採択。午後のシンポジウムでは、萩市母親クラブ連絡協議会の木村靖枝会長、光市身障 者福祉更生会の笠井弥太郎会長、宇部市福祉事務所の橋本剛所長ら五人をパネリストに迎え「地域福祉の充実や福祉の輪づくり運動をいかに進めるか」などについて、それぞ れの立場から意見を述べた。
 社会福祉功労県知事表彰を受けた人・団体は次の通り。(敬称略)

 【社会福祉施設従事功労者】相原タマエ(宇部市)上野尚子(同)塩田トミコ(同)松崎クキノ(山口市)池部久美子(徳山市)東敦幸(同)村谷道子(同)守田セツヨ(光市)渡辺照 子(同)川村幸徳(柳井市)矢尻豊徳(同)山根美和子(同)足立良明(新南陽市)高橋竜雄(熊毛郡上関町)岡崎邦子(都濃郡鹿野町)坂本百々江(豊浦郡豊北町)西村理一(阿 武郡阿東町)

 【社会福祉関係団体従事功労者】藤井孝明(宇部市)村田隆介(同)大田勇(萩市)秋本逸子(徳山市)山本和信(同)宇田恒助(防府市)西島一司(長門市)有田貞子(大島郡 大島町)川中正男(同)田中タケヨ(同)由良益雄(玖珂郡大畠町)緒方烈(吉敷郡秋穂町)

 【民生委員・児童委員功労者】小城松雄(下関市)坂倉武(同)白川登志子(同)〓田貞雄(同)中野田鶴子(同)浜辺新平(同)前田和子(同)山本慶市(同)和田晴美(同)坂本 貞夫(宇部市)中谷サダコ(同)藤田昌代(同)前出貞子(同)村岡康弘(山口市)阿武美智子(萩市)田淵逸枝(同)西山正(同)三好朝子(同)木村幸巳(徳山市)深川富江(同) 岩本ミサ子(防府市)上野清重(岩国市)広兼一光(同)麻生喜八郎(小野田市)林律子(光市)小林百江(新南陽市)礒辺輝子(大島郡東和町)井戸口梅子(同)中村愛(豊浦郡 豊浦町)山本清一(同)

 【里親】本末博行(下関市)野村清風(厚狭郡楠町)

 【心身障害克服更生者】佐々木幸治(下松市)早川洋太郎(岩国市)大谷昌富(阿武郡福栄村)

 【社会福祉奉仕者・団体】▽個人=丹田幸雄(下関市)岡福弘見(徳山市)中住範輔▽団体=婦人ボランティアサークルたんぽぽの会(宇部市)岩国手話サークル四ツ葉会(岩 国市)岩国点訳あすなろ会(同)第一竜王会(小野田市)

 【ホームヘルパー功労者】山本喜美子(下関市)木村ツヤ(長門市)藤村倫枝(玖珂郡玖珂町)角田美弥子(熊毛郡熊毛町)田中愛子(美祢郡秋芳町)

西日本新聞社


1991/09/27 西日本新聞

増える子供受難−−現状と問題点を五斗美代子氏に聞く
朝刊 13頁 0版13面4段 (全1116字)

 各地の児童相談所や民生委員、児童相談委員に寄せられる情報や相談に、親の幼児虐待や子供の放任に関した内容が目立ってきた。聞けばすさまじいものもある。こうした 「子供受難」の背景にあるものは一体何か。虐待された子供たちの現状と問題点について、福岡市児童相談所の五斗美代子所長に聞いた。
 まず「子供受難」の実態を相談からみると「たたく」から始まり「殴る」「ける」へと進む。中には水ぶろに入れたり、熱湯を掛けたり、さらに信じられないようなことだが、ノコギリで 体に傷をつけたりと、親の行為としては信じられない残虐な行為にエスカレートする場合もある。
 子の年齢は無抵抗な赤ん坊から小学生が中心で、両親から虐待されても逃げ道のない子供ばかりだ。虐待した後に、そのやけどや傷に驚き、治療に行った病院から相談所へ 連絡が入る、というケースがほとんど。そのような親を怖がって街でたむろし、万引して警察に補導される子供もいる。
 相談所に寄せられた虐待の相談件数は昭和六十二年度は二件、それが平成元年度には十八件に増加。平成二年度は十件と減ったが、本年度はまた増加傾向にある。
 子供の「放任」も目立つ。子供の食べる食事を作らず、買ってきた弁当を与えたり外食ばかりさせる。覚せい剤で母親が逮捕されたり病気で入院しても、子供の世話をする人が いない。こうした訴えで相談所にやって来る子供が後を絶たない。
 相談員が親と面接し、再び親元へ子供を返すか、そうでなければ乳児院(三歳未満)か養護施設に預けることになる。昨年からは親だけではなく、家族の問題として考えようと 「家族療法」も始まった。この療法は最近、全国的にスタートしたもので、家庭環境が子供にとって重要だ、という認識からだ。
 虐待、放任をする親たちは、二十代から三十代ばかり。結婚や家族の在り方が多様化し、考え方も夫婦ばらばら。子育てについても無知で、しつけの仕方や体罰の限度を知ら ない。子供への愛情も薄く、親類との付き合いもないようだ。親たちの不平不満が、子供にしわ寄せされている。
 このような子供たちに家庭の味を知ってもらおうと、毎年夏に三泊四日で「ふれあい(お盆)里親行事」を開いている。ボランティアで受け入れる家庭が毎年増えているのが、子 供たちにとって何よりの救いだ。

西日本新聞社


1991/08/24 西日本新聞

特別養子制の遺産残した菊田昇医師が死去、胎児尊重訴え続け
夕刊 3頁 0版3面3段 (全1364字)

 赤ちゃんあっせん事件で全国に大きな反響を巻き起こした産婦人科医の菊田昇氏が亡くなった。医師法違反に問われながらも、胎児の生命尊重を主張し続けた同氏が残した” 遺産”は―。
 事件の発端は昭和四十八年四月。宮城県石巻市で産婦人科医院を開いていた菊田医師が、中絶を頼みに来た母親を説得して出産させ、約百人の赤ちゃんを子宝に恵まれな い夫婦にあっせんしていたことが明らかになった。新しい両親がその子を”実子”として育てられるよう同医師は虚偽の出生証明書も発行していた。
 菊田医師は当時「受胎調節の失敗などで”望まれない子供”は、どうしてもできる。そんな時、母親は一歩間違えば子殺しの危険に直面する。母親が戸籍に子供の出生を書き 込みたくないからこそ、子殺しが起きる。子を救うためには実子あっせんしかない。それを認める特例法が、ぜひ必要だ」と主張した。
 しかし、全国の優生保護法指定医でつくる日本母性保護協会は「赤ちゃんをあっせんするなら養子の手続きを踏むべきだ」と菊田医師除名を決めた(五十年三月)。宮城県の産 婦人科学会も除名した(同年九月)。
 五十二年には、愛知県産婦人科医会の告発を受けて仙台地検が捜査を開始。同医師があっせんした赤ちゃんは四十八年以後も含めて約二百二十人に上っていたことが明ら かとなった。五十三年三月、同地検は菊田医師を医師法違反、公正証書原本不実記載などで略式起訴、仙台簡裁は罰金二十万円の略式命令を出した。
 この間、同医師は調べに対し「実子としてのあっせんは赤ちゃんの生命を守るために取った緊急避難措置」と主張する一方「今後は虚偽の出生証明書発行による赤ちゃんあっ せんはしない」との宣言もした。
 厚生省の六カ月の業務停止処分に対し、同医師は処分取り消しを求めて訴訟を起こしたが、一、二審とも敗訴。六十三年七月の最高裁でも「実子のあっせんは法律上許され ないだけでなく、医師の職業倫理にも反する」と上告棄却。
 しかし菊田氏の問題提起は世の中を動かし、六十二年には長い間求めてきた「実子特例法」に近い内容の「特別養子制度」が民法、戸籍法などの一部改正という形で実現し た。「実親の戸籍に出産事実を記載しない」という措置は認められなかったが、養子と生みの親との法律上の親子関係を断ち切る制度が誕生した。この成果に、菊田医師は「満 足は三分の二ぐらい。でも、これで日本の親子関係も血縁主義から愛情主義へと大きく変わるでしょう」と、喜びをかみしめた。
 今年四月には特別養子制度の創設に尽力したとして、スイスに本部がある国際生命保護連合から「世界生命賞」を贈られた。
 養子と里親を考える会理事長の米倉明東大教授(民法)は「客観的に見て、菊田さんが火つけ役になって、特別養子制度が生まれたといえます。あの人の問題提起に対して 政府も重い腰を上げたわけで、その点は忘れられません」と、その死を悼んでいた。

西日本新聞社


1991/07/06 西日本新聞

[募集]施設の子供たちのお盆の里親 福岡
朝刊 24頁 30版24面2段 (全527字)

 福岡市児童相談所は、同市の乳児院や養護施設で生活する子供たちをお盆期間中に一般の家庭に里帰りさせる「お盆の里親行事」を今年も実施する。同相談所では「家庭の ない子供たちに、ぜひ温かい生活を体験させてほしい」と里親の希望者を広く募っている。
 この行事は施設での生活を送る子供たちに、人格形成に欠かせない家庭生活をお盆期間だけでも体験させようとスタート、今回で十三回を数える。当初は市長が認定した里親 に預けていたが、昭和六十一年から一般市民の家庭にも里帰りさせている。七年間にわたって同じ家庭に迎えられる子供もいるなどすっかり定着している。
 今年の実施時期は八月十二日から三泊四日を予定。市内の施設に入所する約七十人の子供たちを預かれる五十世帯の家庭を募集する。子供たちは親が長期に入院したり、 所在不明になるなどの事情で施設生活を余儀なくされている。
 里親の募集締め切りは七月二十日。申し込み、問い合わせは〒815、福岡市南区大楠一ノ三五ノ一七、同市児童相談所=(522)2737=へ。同十六日午後一時半から同 相談所で行事の説明会を開く。

西日本新聞社


1991/05/27 朝日新聞

里親と里子がイチゴ狩り楽しむ 栃木・黒羽町
朝刊 37頁 栃木版 写図有 (全373字)

県県北地区里親会(浅野友衛会長)主催による「里親・里子イチゴ狩り」が26日、 黒羽町黒羽向町、農業佐藤和夫さん(43)方のイチゴ園で行われ、明るい声が響い た。
 この催しは、「里親と里子の“親子”のふれあいを深めてもらう」ことを狙いに、 黒羽地区の里親推進班長でもある佐藤さんの協力を得て、4年前から続けている。
 この日は大田原、黒磯、矢板市、那須、黒羽、烏山町など県北地区の里親、里子約 50人が参加した。浅野会長、同里親会顧問の諏訪昇一・県北児童相談所長が、「お いしいイチゴをたくさん食べて下さい」とあいさつ。
 “親子”たちは、広さが1000平方メートルほどあるハウスに入り、「女峰」を 箱いっぱいもぎとって口にし、「おいしい」「とても甘い」とうれしそう。その後、 同町片田の観光農園「ポッポ農園」に行き、ミニSLに乗るなど、楽しいひとときを 過ごした。

朝日新聞社


1991/03/29 朝日新聞

養親にも育児休業を求める
朝刊 3頁 3総 写図無 (全225字)

里親開拓運動を続けている社団法人家庭養護促進協会(事務局・大阪、神戸)は28 日、育児休業法案について(1)養子縁組の場合、満1歳に満たない子だけでなく、 年齢制限をなくして事実上養育を始めた日からの育児休業を認めてほしい(2)養子 縁組を前提に養子となる子供を引き取って養育をする者にも適用を――などの要望書 を小里労相、衆・参両院議長、海部首相あてに提出した。
 同法案は政府法案として29日、国会へ提出されるが、法案の中に養子に関する特 例の規定はない。

朝日新聞社


1991/03/25 朝日新聞

里親活動に道を求め 子供を持つのはいやですか?(テーマ討論)
朝刊 15頁 声 写図無 (全456字)

東京都 大谷律子(主婦 42歳)
 私はこのテーマについて、地球規模の観点からみて、政府、マスコミなどの憂慮の 表明はいささか島国的で、先見性に欠ける論議だと受けとめております。
 21世紀には世界の人口が倍増しようというこの狭い地球号。特に、途上国の人口 爆発は既に深刻な事態です。この南北格差に対して、先進国がいかなる貢献ができる かが、いま問われているのです。
 地球環境からも、ミクロ的には1人の人間が汚染源ともいえ、我が国の出生率低下 現象はむしろ喜ばしく、時代のニーズといえないでしょうか。
 また、子供を取り巻く問題。元はといえば人口過剰による競争社会、弱肉強食社会 のひずみであることは指摘されております。これからは、少ない子供を皆で見守り、 量より質の時代に入ったともいえます。多少経済力は低下しても、北欧のように少な い人口だからこそ、きめ細かな福祉の実現が可能なのです。
 私自身、子供は持ちませんでしたが、「フォスターペアレント」すなわち、第3世 界の子供たちの教育援助、精神里親活動に参加することになりました。

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1991/01/25 朝日新聞

19人の里子を育てる 神田のおかあさん(下町そぞろ歩き54)東京
朝刊 32頁 東京版 写図有 (全881字)

須田町の婦人部の世話役を務めて今春で満50年、大塚慶子さん(83)は地元では 「神田のお母さん」で通る。数々の奉仕活動を続ける中で、里親として育てた子供が 19人。1人として落後せず、皆まっとうに生きているのが誇りだ。
     *    *    *
 「里子を育てたのは戦後まもないころから30年間ほど。両親が別れたなど、家庭 に問題のあるケースがほとんど。福祉事務所などで子供の顔を見ると、この子は素直 に育ちそうとか、わかるの。施設に行くと、施設病っていう自分のことしか考えない 性格になりがちだから」「里親はよく女の子を預かりたがるの、女中代わりに使える から。私は男の子の方がサッパリしてるから好き。19人のうち女の子は6人だけ。 男の子は8畳間でうちの一人息子と一緒に4―5人ざこ寝させ、女の子は私のそばに 寝かせた。食べる物を十分に与え、暑さ寒ささえ気をつければ、子供ってひがまずに 真っ直ぐ育つものよ」
 生家は神田の青果市場の真ん中にあった。父親はかいわいでは珍しい弁護士で、金 持ちの依頼は一切受けず、貧しい人の面倒ばかり見る変わり者だった。母親も篤志家 で、困ってる人を見捨てることのできない性格だった。
     *    *    *
 「両親がそんなでしたから、市場の人たちが野菜を届けてくれる。魚や肉も届く、 両親の田舎の栃木からは米が来る、で戦後の大変な時期でも食べる物には不自由しな かった。お金こそなかったけど」「私は当たり前のことをやっただけ。小さいころは 『成績上がったよ』って通信簿を持ってきたり、大人になったら『今度係長になった』 と知らせてきたり、それはうれしいもんです。イヌやネコを高いお金出して飼う人の 気が知れない。人間の子供の方がよほど手がかからないから。民生委員の人が1人ず つでも里子を預かってくれれば、施設は要らなくなるんです」
     *    *    *
 香木を用いて香りの世界を極める香道の師匠でもある。神田噺子(ばやし)の保存 や女神輿(みこし)の育成にも力を尽くした。功を誇らず、慎みのある女性だ。
 (横田喬記者 画・石田良介さん)

朝日新聞社


1990/07/22 西日本新聞

[募集]3泊4日の里親行事・参加家庭 北九州
朝刊 26頁 0版26面1段 (全372字)

 福岡県北九州市一日里親の会(吉村茂夫会長)は、来月実施する「一日里親行事」の参加者を募集している。市内六カ所の養護施設にいる児童を里子として四日間預かり、 温かい家庭の雰囲気を味わってもらおうと毎年行われているもので、今年で二十一回目。
 同市内には、門司ケ関学園(門司区)、双葉学園(小倉南区)、若松児童ホーム(若松区)などの養護施設に、両親の行方が分からなかったり、親が長期入院しているなどの幼 児、児童、生徒約三百八十人がいる。
 今年は八月三日に里親、里子の縁組を行い、十七日から二十日まで三泊四日で実施。希望者は市内の各福祉事務所か児童相談所に今月二十五日までに申し込む。問い合 わせは、市児童相談所=093(681)8261。

西日本新聞社


1990/06/27 西日本新聞

[募集]お盆期間中、施設の子供の里親に 福岡市児童相談所
朝刊 23頁 20版23面1段 (全372字)

 身寄りのないこどもの里親になりませんか――福岡市児童相談所はお盆の期間中、身寄りのない子供を預かる里親を募集している。
 同相談所が昭和五十四年から行っている「ふれあいお盆里親行事」で、今年で十二回目。同市内の乳児園や養護施設に入所中の児童で、お盆に帰省先のないこどもに家庭 の雰囲気を味わってもらおうというもの。
 市内には福岡乳児院、福岡育児院、福岡子供の家、和白青松園の四施設に七十人の帰省先のない児童がいる。八月十一日から十四日までの三泊四日の日程で、一家庭一 ―三人の里親になってもらう。
 希望者は七月二日から二十一日までに、福岡市南区大楠一丁目三五ノ一七、福岡市児童相談所に電話=(522)2737=で申し込むこと。

西日本新聞社


1989/10/11 朝日新聞

養子家族ストーリー 野口佳矢子著(本だな)
朝刊 19頁 第1家庭 写図無 (全368字)

双子の小学校6年生と同2年生――3人の男の子を、幼い時に養子に迎えて育ててい る一家の物語だ。
 18年前に結婚した野口さん夫婦は、子どもは何人でもほしい、5人でも6人でも、 と思っていた。しかし、妊娠の兆しはない。区の広報で養子縁組里親の制度があるこ とを知り、児童相談所を通じて、1979年、双子の子どもたちを迎え入れた。育っ た子どもたちに、養子であることを告げる厳しい経験を経て、野口さんたちはひとつ の家族をつくり上げていく。
 子どもたちの成長とともに、家族はいくつかの試練に直面する。その都度、両親は 子どもたちと時間をかけて話し合う。社会に対しても、「本当」のことを語る。
 親と子のきずなは当たり前、と思い込んで子育てをしている親たちに、家庭や家族 とは何かを、改めて問いかける子育て記だ。
 (教育史料出版会・1,339円=消費税込み)

朝日新聞社


1989/03/30 朝日新聞

ぬいぐるみを檻に入れられて バーチ著、塩谷紘訳(本だな)
朝刊 17頁 第1家庭 写図無 (全379字)

8つの〈ぼく〉は、ママが病気になって施設に預けられる。シスターの合図で、いっ せいにすわり、食事をし、寝る、息苦しい生活。孤児のマークからは「ここには友だ ちがいないのがルールだ」と教えられる。友だちが次々にいなくなると、かえってさ びしいから。でも〈ぼく〉は、気に入りのぬいぐるみドギーをみつけ、こっそり自分 のものにする。ドギーは、そのあと続くつらい体験を支えてくれる友だちとなった。 やがて〈ぼく〉は、管理に追われ子どもの心理などわからない大人の間から、信頼で きる父親がわりのセルを見つける。
 アル中の父、病気がちの母をもった著者が、たびたび施設や里親に預けられた自分 の体験を、子どもの目から書き、85年にアメリカのベストセラーになった。50年 代の話だが、子どもにとって理解ある大人とは、教育とは、施設とは、素直に考えさ せてくれる。(暮しの手帖社、1300円)

朝日新聞社


1989/02/04 朝日新聞

施設児童の厚生省調査、年齢高くなり在所期間も延びる
朝刊 30頁 2社 写図無 (全422字)

親の死亡、離婚、行方不明などで、養護施設、乳児院、母子寮に入ったり、里親に預 けられた子供の実態調査を、3日厚生省がまとめた。ほぼ5年ごとに実施している調 査で、施設にいる児童総数は、前回より減ったが、養護施設児童の4割以上は親が行 方不明になったり、離婚が原因だった。
 調査は昭和62年10月時点で、全国の養護施設、乳児院、母子寮、里親の児童約 4万4000人余とその保護者を対象にした。施設児童の総数は、養護施設が3万2 000人から2万9500人になるなど、各施設で減っているが、平均年齢はやや高 くなり、在所期間も延びている。
 入所理由をみると、養護施設の児童全体では「親の行方不明」が24.9%(前回 27.1%)で最も多く、次いで「両親の離別」18.7%(同20.0%)となっ ている。いずれも前回調査に比べて減っているが、「親の行方不明」のうち、「母親 の不明」が7割近くを占めた。また、「虐待・酷使」が2.6%(同2.2%)で、 前回を上回った。

朝日新聞社


1988/12/18 朝日新聞

「里親読本」「国際協力事業団」(読者とともに)
朝刊 22頁 第2家庭 写図無 (全700字)

▽11月30日付で紹介した「里子育ての泣き笑い 31集目の里親読本に富山の尼 僧岩井さん」の記事がきっかけになり、「里親読本」を発行している財団法人「全国 里親会」へ、手紙や電話による問い合わせが殺到しました。
 「大半が、将来里親になりたいので、ぜひ読んでおきたい、という人たちでした。 これほど里親希望者が潜在していたなんて思ってもいませんでした」と同会の須田恒 雄事務局長(66)は反響の大きさに感激しています。筆者の1人、富山県黒部市の 岩井恵澄さん(62)も、「たくさんの方から励ましのお電話やお手紙を頂きました。 子供たちと『共に今を生きる』人たちが増えてくれれば」と話していました。
 「里親読本」(31集)はまだ多少残部があるそうです。希望する方は全国里親会 (03―404―2024)へ。(鹿)
 ▽6日付「それぞれの椅子」で、「船出」と題し、定年後の第2の人生にとフィジ ーへ技術指導に行く方を紹介したところ、記事中の国際協力事業団(JICA)の所 在地と電話番号を教えてほしい、と読者の方から問い合わせがありました。電話だっ たので、詳しい話はうかがえませんでしたが、お声の感じでは、同じように第2の人 生へ乗り出す年齢に差しかかっている方のようでした。海外派遣のシステムなどを知 りたかったのかもしれません。「それぞれの椅子」については、掲載後しばらくして から、思いがけないご質問を頂くことがあります。高齢化社会を迎えて、ほかにも同 様の関心をおもちの方がいらっしゃるかもしれません。国際協力事業団は、〒163
 東京都新宿区西新宿2ノ1ノ1、新宿三井ビル内、電話03ー346ー5311 (受付台)です。(蔵)

朝日新聞社


1988/11/30 朝日新聞

里子育ての泣き笑い 31集目の里親読本に富山の尼僧岩井さん
朝刊 17頁 第1家庭 写図有 (全751字)

実父母らにかわって子供たちを育てている里親や、養護施設職員らにとって、バイブ ルのような存在が、「里親読本」。財団法人全国里親会(東京都港区、渥美節夫会長) が昭和48年からほぼ年2冊のペースで、毎回1万部を出版している。来月出る31 集目の「里子養育事例集1」には、富山県黒部市の曹洞宗の尼僧岩井恵澄さん(62) 一家が登場する。
 岩井さんが里子として育てた13人の子供たちとの泣き笑いの日々を手記につづっ たもの。実子を持ったことのない岩井さんが生後間もない子の「母」になり、悪戦苦 闘したことや、やっと育てる自信が出来た100日後、新しい養父母が決まり、手放 さなければならなかったことなどエピソード豊かだ。
 岩井さんは手記にこう書いている――戦後の貧しさの中で、4年生の男の子と初め て里親里子の出会いを持ったのは、昭和25年のころでした。以来、1人が3人にな り、時には5人、6人という子宝でにぎわった日もありました。15、6年の間にそ の子たちはそれぞれ独立し巣立っていきました。現在は元里子(本人の希望で4年前 入籍)の22歳の娘と中学3年のいきいき娘、そして75歳の老尼(養母)と私の4 人家族です。
 階下は、仏間のほか、居間、客間、茶室などですが、いつでも開放される公民館の ような雰囲気です。この家は、社会人として独立した7人、その後、短期里子も含め 6人、合わせて13人の子供たちの「心の基地」であり、13人が誇りとする家庭だ と思っています。
 岩井さん自身養女で、尼寺の5代目と保育園の園長、里親の1人3役をこなしてき た。「思い出のすべてが美しく、感動的で、私自身の自己啓発につながる多くの出会 いをいただきました」と話していた。
 「里親読本シリーズ」への問い合わせは、同里親会(03―404―2024)へ。

朝日新聞社


1988/11/02 朝日新聞

育てた子ども461人、里親の心伝えたい 養育家庭制度15年
朝刊 21頁 第1家庭 写図有 (全1192字)

 全国でただ1つ、昭和48年に発足した東京都の養育家庭制度が15周年を迎え、東 京都は6日(3日は休館)まで、新宿区のセントラルプラザ(JR飯田橋駅そば)で 記念イベント「今日から親子に」を開いている。養育家庭というのは、父母の死亡、 離婚、あるいは捨てられたりと、様々な事情で養護施設に預けられている子供たちを 引き取り、親代わりに育てる、養子縁組を目的としない里親。養子縁組を望む家庭が 少ないので、1人でも多くの子供に「家庭生活」を味わわせるために設けられた。今 年3月末で199家庭が283人の子供たちを育てている。
 養育家庭への子供たちの委託期間は2年間だが、更新を続け、長期間にわたる場合 もある。中には、そのまま養育家庭から社会に巣立った子供たちもいる。
 この15年間に養育家庭での生活を経験した461人のうち2―4年が79人(1 7.1%)で一番多く、10年以上も21人(4.6%)いた。
 「社会が育てることを求められている子供たちは、東京だけでも3000人を超え ています。子供たちが社会人として巣立つためには家庭での生活経験が大切です。ぜ ひ養育家庭里親になって」というのが、制度の普及に努めてきた関係者の訴えだ。
 養育家庭里親は都内9カ所の養護施設に併設されている養育家庭センターが、窓口 になっている。立川市にある至誠学園もその1つで、現在30登録家庭のうち25家 庭が35人の子供たちを育てている。
 同市柏町に住む大村益次郎さん、礼子さん夫妻が同学園の養育家庭センターに養育 里親として登録したのは昭和53年。
 1年後の3月、間もなく小学校に入学する女の子の里親になった。徹夜で縫った洋 服を着せ、初めて子供の入学式に出席した。PTAの役員もやり、礼子さんは「子供 とは、遠慮なく裸でやり合わなければならない」ことも知った。
 「子育ての経験がなかったから、頭の中でよい母親像を作って子供に押し付けよう としました。子供の気持ちがわからなかったんですね」。その子も、もう高校1年生。 小さくてやせっぽちだったのが、たくましくなり、テニス部で活躍している。
 イベントの展示会のテーマは「今日から親子に……広げよう、伝えよう、里親の心」 。会場7階ふくしホールで里親制度の「歴史」を分かりやすいパネルで展示、期間中 制度についての問い合わせ、相談を受ける。 5日午前10時半―正午まで、10階会議室の里親体験発表会で、大村益次郎さんら 6人の里親が「私の子育て」について話した後、同会議室で午後1時半―3時半まで、 都児童相談センターの上出弘之所長が「養育相談」を受ける。
 6日午前10時から正午までは、10階会議室で「最近の子育て」をテーマに母子 愛育会総合母子保健センターの高橋悦二郎保健指導部長が講演する。
 問い合わせは、東京都福祉局児童部里親主査(03―212―5111内線27― 323、324)へ。

朝日新聞社


1988/07/20 朝日新聞

新制度で里親はどうなる 必要性高まる一方 岐阜の研修会から
朝刊 17頁 第1家庭 写図有 (全1026字)

 里親制度が発足して40年。戦災孤児など恵まれない子どもを救おうと出来たのだが、 社会の変化で、里親登録者、里子とも減る一方だ。厚生省は「これからの里親は一部 の篤志家ではなく、普通の人になってもらおう」と、「里親等家庭養育運営要綱」を 1月に全面改正した。子どもたちを養護施設から里親家庭に移すねらいを持った新し い里親制度の誕生だ。財団法人全国里親会は理解を深めようと全国各地で里親、児童 相談所職員への研修会を開いている。
 12日、岐阜市で約150人の関係者が参加して行われた東海・北陸ブロック里親 研修会。
 渥美節夫・全国里親会会長は「40年ぶりに厚生省が変わったことは画期的。私た ちが一貫して主張してきたことがやっと実った。オイルショック以降、各国とも財政 事情が厳しいこともあり、社会福祉の見直しから、児童は里親のもとで、というのが 世界的な傾向になった。新制度にぜひ、魂を入れてほしい」と訴えた。
 同要綱の主な改正点は、(1)これまで一度登録すればそのままだった里親の再認 定(5年以内)を行い、里親として活動出来るかどうかを確認する(2)里親の研修 規定を設けた(3)単親里親を認め、養育の能力があれば両親がそろっていなくても よいことになった(4)これまで消極的だった虚弱児、精神薄弱児についても知識・ 経験のある里親へ積極的に委託する。そのさい、通所施設へ通わせる二重措置も認め た、などだ。
 知恵の遅れた子どもの養育里親について問題提起をした岐阜県の里親安田俊亮さん は、「私の家庭は私たち夫婦、息子夫婦、孫2人の6人家族。障害者授産所を15年 間続け、約130人を受け入れた。現在16人残っている。残りは、おこづかい程度 は稼げるようになって自立して行った。難しい仕事だがこれからはますます必要にな る」と体験を披露した。
 日本の里親制度は昭和23年10月、戦災孤児など恵まれない児童救済の一環とし て発足、1年後の24年には、里親登録者4153人を数えた。この内の2909人 が3278人の子供たちの里親になった。
 しかし、里親登録者は37年の1万9275人をピークに年々減り、61年には8 702人に。
 里子として引き取られた子供たちの方も33年の9489人が最高で、61年には 3265人にまで減少している。
 原因は、人口の都市集中、家族形態の変化などがあげられるほか、子供たちの側に も孤児から、親がいても離婚、蒸発など、家庭崩壊などの新しい要因が出て来たから だ。

朝日新聞社


1987/11/06 朝日新聞

里親に片親もOK、資質向上へ再認定も 厚生省が制度改正
朝刊 3頁 3総 写図無 (全544字)

 厚生省は5日、里親制度などを抜本的に改めることを決め、同制度の改正運営要綱 を各都道府県に通知した。主な改正点は(1)里親の認定条件を緩和し、“片親”で も認める(2)5年ごとに再認定する方式を導入する(3)毎年1度里親研修を行う ――など。また民法の改正で、特別養子制度が来年1月から施行されることになった ため、特別養子制度を養子縁組の1つとして定めることも決めた。いずれの改正も、 実施は来年1月1日から。
 今回の改正は、特別の篤志家に里親になってもらってきたこれまでの考え方を改め、 「普通の人に立派な里親になってもらう」のが狙い。“片親”でもよいとしたのは、 里親候補の範囲を広げる試みであり、再認定や研修制度の導入は、子どもにとっても 望ましい里親の資質向上が目的。従来は一度里親に認定されると半永久的に登録され るため、事実上子どもの養育はできない高齢者も多かった。5年ごとの点検ができれ ば、不適格者の認定を取り消すこともできるからだ。
 またこれまで障害児は里子に出すことができなかったが、改正要綱では(1)虚弱 児、精薄児らの里親は、保母、ボランティア経験者ら、必要な知識があること(2) 指導、訓練を受ける必要がある障害児は施設に通わせてもよい、と定め、障害児の里 親制度にも道を開いている。

朝日新聞社


1987/07/23 朝日新聞

特別養子制度の確立急げ 岩崎暁男(論壇)
朝刊 5頁 総合面 写図有 (全0字)

朝日新聞社


1986/10/16 朝日新聞

ガラスの家族(今日の問題)
夕刊 1頁 1総 写図無 (全832字)

 劇団「新人会」が近く公演する『ガラスの家族』というロック・ミュージカルドラ マのけいこを見た。
 米国の女流作家キャサリン・パターソンさんの原作で、白人少女ギリー・ホプキン スが主人公。彼女は父が行方不明、母とも一緒に暮らせず、4歳のときから里親に預 けられて育つ。
 子ども心に「人間は強くなければならない。弱さを見せると他人につけこまれる」 と信じている。
 だから、だれに対しても、徹底的にツッパる。当然もて余されて、里親も次々と変 わる。
 舞台は、12歳に達したギリーと、5人目の里親となった未亡人メイムや隣人、学 校の黒人女教師たちとの「たたかい」から始まる。そして、次第に成長してゆく彼女 の心の軌跡を描き出す。いまでいうネクラな話だが、軽快なロック音楽に乗ってスピ ーディーに展開される。
 「子どもに迎合するドラマが多い中で、どこまで彼らの柔らかい心を揺さぶれるか に賭(か)けたい」というのが、製作の意図だという。見ていて感動的だったのは、 手に負えない悪ガキ少女の挑発に、深い優しさをこめながらも、毅然(きぜん)とし てたじろがない大人たちの姿だった。
 「私たちは一緒に暮らしている。だから家族じゃないか。それが家族なんだよ」と いうメイムおばさんのせりふには、いまの日本の家庭に向けての鋭い問いかけがこめ られていよう。
 血がつながっていれば、それだけで本当に家族なのか。逆に、血がつながっていな い者同士は、それだけで冷たい他人なのか。とりわけ、家庭に恵まれない幼い者たち に、それではだれが手をさしのべるのか。
 日本でも、里親の制度は定められているが、それを必要としている子どもの数に比 べて、受け入れを申し出る家庭はきわめて少ない。私たちは、いまひどく狭くて、弱 々しい人間関係しか結べなくなっているのかもしれない。
 そんなことを考えさせられるドラマである。残念ながらというべきか、まじめな芝 居の常として、21日からの公演を前に、前売り券の売れ行きは、いまひとつだそう である。

朝日新聞社


1986/07/13 朝日新聞

父親が赤ちゃんを売り物に 米国(海外トピックス)
朝刊 7頁 1外 写図有 (全0字)

朝日新聞社


1985/03/31 朝日新聞

親に捨てられる子、後を絶たず 日本で毎日6人も(現代社会)
朝刊 4頁 ガイド 写図有 (全1330字)

 アフリカ飢餓難民救済活動の盛り上がりは、日本人の多くが地球市民的な愛と連帯 の意識を持ち始めた表れでしょうが、ひとつ忘れてならないのは、日本では親から捨 てられる児童が今なお後を絶たない現実が足元にあることです。
 厚生省の養護児童実態調査(1983年3月1日現在)がこのほど、その現状を明 らかにしました。調査対象は児童福祉法(1947年制定)に基づいて、乳児院・養 護施設・母子寮で集団的に養護されているグループと、個々の里親に委託された家庭 的養護グループとに大別されます。
 乳児院とは、親に捨てられたり、親が病気などで養育できない乳児を預かる施設で す。また養護施設とは、保護者のいない児童や、いたとしても虐待や長期間不在など で保護を必要とする子供たちを世話します。そして里親とは、家庭に恵まれない児童 を自宅に預かって親代わりに育てる人です。希望者の中から、都道府県知事が適格者 を選んで、養育を委託します。
 養護児童の総数は4万7684人でした。総数は5年前の前回調査より466人減 りました。捨て子の総数も前回807人が今回は673人に減りました。しかし「両 親の行方不明」が依然1万479人もありました。
 捨て子と親の「蒸発」を合わせると総数の23%に達し、この5年間、毎日平均6 人の児童が、日本のどこかで親から見捨てられたことになります。
 敗戦後10年間ほどは生活苦による捨て子が圧倒的多数でした。米兵との間にでき た混血児の捨て子が目立った時代です。でも大抵の赤ちゃんは人目につきやすい場所 に捨てられ、かぜなどひかないよう暖かくして、おわびの手紙を添えたものが少なく ありませんでした。
 それが1970年前後から様相が一変しました。
 東京のゴミ捨て場で、出産直後の男児が、ゴミ同然の姿で発見・救助されて(19 69年11月)、世間を驚かせました。それから、捨て子の発見場所は、駅のコイン ロッカー、公衆便所の床、路地のポリ容器、買い物袋に詰めてデパートの階段……な どが珍しくなくなりました。生きている赤ちゃんを、用のなくなった物品同様あっさ り捨ててしまう、という感覚です。
 深夜、生後2カ月の男児を布ぐるみにして自動車道路の中央に置き、車にひかそう とした父親もいました。なぜこんな恐ろしい親が増えたのでしょうか。
 東京都新宿区で乳児院・養護施設を38年間経営してきた梅森公代さんはこう指摘 します。
 (1)親から自分を大切にされた経験がなく、命の貴さを教わらずに育ったため、 自分自身が、わが子にとってかけがえのない存在だという自覚に欠けた親が多い(2) しかし産んだ以上は、経済生活その他の事情でたとえ育てられなくても、できる限り 面会に来るなど親としての誠意を尽くしてほしい(3)生活が苦しいうちは施設に預 けて、お金がたまったら迎えにいく、という考えの親がいるが、それよりまず自分で 子供を育てる楽しみと喜びを知ってほしい、と。
 乳児院では、いわゆる「未婚の母」から生まれた子が急増しつつあります。全国的 な実態は不明ですが、施設によっては半数ちかいところもあります。社会的に自立も できないうち、無責任に、赤ちゃんを産ませたり産んだりすべきでないことは、言う までもありません。

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1985/01/06 朝日新聞

乳児院に未婚の母の子急増、入所理由のトップに 養護施設、在所期間長期化
朝刊 3頁 3総 写図有 (全1294字)

 親の死亡や蒸発、離婚などの事情で、養護施設や乳児院、母子寮に入ったり里親に 引き取られている子供の実態調査の結果が、五日まとまった。厚生省がほぼ五年ごと に実施している調査。前回(五十二年)と比べて、(1)乳児院の赤ちゃんの中に 「未婚の母」の子が大幅に増え、入所理由の中でももっとも多くなった(2)養護施 設の子供の平均在所期間が半年も長くなり、家庭への復帰が難しくなっていることを うかがわせる――などの点が目立っている。
 乳児院は、捨て子や親の病気などで、家庭で養育できない乳児を入院させ、養育す る施設。養護施設は、保護者のない乳児、虐待されている子などを養護する施設。母 子寮は夫がいなかったり、それに準ずる事情のある女性を子供とともに受け入れ、保 護する施設だ。
 調査は五十八年三月、里親に委託された子供の全部と、施設入所児童の一部、合わ せて一万一千人余りの子供と、その保護者を対象に行われた。
 〈年齢・期間〉子供の平均年齢は、いずれも前回より高くなった。平均の在所(委 託)期間も、母子寮を除いては長期化している。
 とくに養護施設で在所が長引き、平均年齢が高くなって、家庭への復帰が以前より 困難になっていることをうかがわせる。厚生省はこの調査だけでは理由はわからない としているが、前回と比べて親の死亡や入院は減っていることから、親の養育能力が 落ちてきたことの表れとも見られる。
 〈心身の状況〉体が虚弱だったり障害をもっている子供の割合は、養護施設で8. 7%(前回は6.9%)、乳児院で19.3%(15.7%)、母子寮で8.1% (8.6%)、里親委託で5.6%(5.1%)。全体として、わずかながら増えて いる。
 とくに乳児院では、約55%の子供が「病気になりやすい」状態だ。
 〈入所などの理由〉わが子の養護・養育を他人に任せなければならなくなった、親 の事情はなにか。
 養護施設児の場合、(1)行方不明(蒸発)28.4%(前回は28.7%)(2) 離別21.0%(19.6%)(3)長期入院12.8%(12.9%)の順。乳児 院児では(1)長期入院16.7%(19.0%)(2)行方不明16.0%(20. 5%)(3)離別11.7%(13.9%)。里子では(1)行方不明25.6% (25.5%)(2)離別19.0%(21.0%)(3)死亡9.2%(11.7 %)となっている。
 ただ、乳児院児では「その他」の理由によるものが26.3%を占め、このうち1 8%分は、母が未婚のまま出産し、自力では育てられないというケース。実質的には 「長期入院」を上回り、入所理由の第一位といってよい。前回調査では「その他」が 19.3%あったが、そのうちどの程度が「未婚の母」によるものかは、分類をして いないためわからない。しかし、厚生省は各施設の話などからみて「未婚の母」の子 であることを理由とする乳児院への入所はこの五年間で大幅に増えた、とみている。
 また、母子寮への入所理由は(1)家庭内環境が不適当37.7%(33.5%) (2)経済的理由23.9%(24.8%)(3)住宅事情20.3%(21.3%) の順に多かった。

朝日新聞社


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