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1994/08/29 西日本新聞

「ほほえみ電話里親事業」が5年目、国立療養所大牟田 筑後
朝刊 20頁 20版20面4段 (全1550字)

 重度心身障害児(者)とボランティアの里親が電話で交流する福岡県大牟田市橘、国立療養所大牟田病院(石橋凡雄院長)の「ほほえみ電話里親事業」が五年目を迎えた。 病院で暮らす障害児の社会とのふれあいを目的にした試みは着実な成果を見せ、障害児にとって生きがいにもなりつつあるようだ。
 ▽懸命に笑顔で反応
 同病院で療育中の障害児(者)は約八十人。このうち、言葉が出なくても何らかの応答ができる二十一人が、ほほえみ電話に参加。週に一度、約十分間の声のふれあいは、 子供たちの自己表現の場でもある。受話器を支えることも、相手の呼びかけに正確に答えることも困難だが、懸命に笑顔で反応する。
 同病院がまとめた四年間の経過報告書では「言葉が増え、発声が明確になった」「風邪や発熱などが目に見えて減った」とある。
 同病院神経内科の飯田良子指導主任(45)は「表情が豊かになり、コミュニケーションの発信度は高まっている。生きがいができたから病気も減ったのでしょう」と分析する。
 ▽とまどいながらも
 七月からの第五次里親は二十二人。日ごろ「何か自分にもできることはないだろうか」と感じていた筑後地区の四、五十歳代の主婦が中心で、うち十四人が二年以上の継続 者。
 しかし、活動は「電話一本で済む手軽なボランティア」ではない。里親たちが必ずぶつかるのが「一方通行」の壁。受話器の向こうから聞こえてくるのは言葉にならない声だけ。 どんな話をしても「一方通行の感覚だけが残り、毎回悩んだ」(里親の一人)という。目に見えないもの、耳に届かないものを信じる心がなければ続かない。
 六月まで二年間里親を勤めた渡辺伊都子さん(55)=大牟田市=も「最初はとまどいました。だけど、これがこの子たちの表現なんだ、私に理解する能力がないんだって思っ たら気が楽になりました」と振り返る。
 ▽全国で唯一の試み
 ほほえみ電話は、全国でも同病院だけの試み。日本障害者協議会広報委員長の大野智也氏(東京在住)は「意思疎通が確認できない障害児を対象にしたのは画期的。障害 の度合いによって、われわれがコミュニケーション方法を先に判断してしまうことは誤っているのかもしれない」と話す。
 成果を挙げながらも他の病院がなかなか実施しない原因は「施設側にある」と飯田主任。「指導や訓練をすることだけで満足し、地域の人とかかわる必然性を感じていない」と 指摘する。
 ▽より多くの人に…
 今後の課題は「ほほえみ電話」対象以外の入院児の社会参加をどうするか。同病院では、手紙や「だっこ里親」の実施を検討中。「手紙だったら、看護婦が子供の気持ちになっ て家族に書く。だっこは定期的に病院を訪れてもらう。対象は広がるはずです」と飯田主任。
 「言葉の数を増やすとか、声が大きくなることが目的ではありません。本当に評価してほしいのは、子供たちが生きがいを見つけられたこと。量ではなく質が大事なんです」と強 調した。
 里親ボランティアについての問い合わせは同病院=0944(50)1000=へ。(塚崎謙太郎記者)

西日本新聞社


1994/08/17 西日本新聞

仕事場探訪=「大村子供の家」主任保母・福崎洋子さん 長崎
朝刊 18頁 0版18面1段 (全1612字)

 ●福崎洋子さん(52)=長崎県大村市原口町
 玄関を入ると子どもたちの元気な遊び声が耳に飛び込んできた。大村市原口町の住宅地の一角。養護施設「大村子供の家」(松本厚生家長)には、家庭の事情や不登校など で入所した一―十八歳の子どもたち七十人が共同生活を送っていた。ここで二十三年のキャリアを持つ主任保母の福崎洋子さん(52)に、同施設の暮らしなどを聞いた。
 ▽追いかけた夢
 「最初に就職したのはバス会社でした」。子どもが好きで教師になる夢を持っていた福崎さんは、高卒後、希望とは違う道を選んだ。父親が病気で倒れ、家族の支えとして頼り にされたからだ。志望外の就職は、切羽詰まった選択だった。
 一路線走り終えるたびに床をぞうきんがけ。こわい運転手にしかられたことも。高校生の気分が抜けない福崎さんは、社会の厳しさを認識させられた。「おかげで根性がつきまし た」
 それでも夢を捨て切れず働きながら通信教育を受け保母の資格を取った。七年後、福崎さんは、子供の家の保母になった。
 ▽大所帯の家族
 子供の家の一日は、午前六時半に始まる。子どもたちに朝食を取らせ、学校へ送り出すとミーティング、掃除、洗濯。子どもたちの帰宅するまでのつかの間に休憩し、午後は勉 強を教えたり、おふろに入ったり。職員はほとんどが住み込みで、たくさんの子どもとたくさんのお母さんがいる大家族のようだ。
 「保母になって最初の授業で、子どもたちが机を引っくり返して大騒ぎ。おろおろしました」。滑りだしから強烈な思い出だった。
 だが、「外部からみる子どもの姿と実際は随分違う」。手に負えない暴れん坊とみえた子どもが、とても情が深く、病気で寝ていると心配して世話してくれたり…。「毎日、うれし い触れ合いがあります。子どもたちからいろんな幸せをもらっているようです」と笑みをこぼす。
 もちろんつらいこともある。子どもたちの入所には、いろいろな事情がある。物心ついた子どもたちから、そうした事情を尋ねられるとき、どう答えたらいいのか迷うことも多いとい う。
 ▽思わぬお年玉
 数年前、海外の児童福祉を学ぶため欧州に旅行した。そこでは、里親制度に力点が置かれ、地域全体が子どもを受け入れるため養護施設は無くなりつつあった。「社会で子ど もを育てようという意識を強く感じました」と福崎さん。
 「それに比べると日本人は『子どもは親のもの』という執着が強すぎて、行き詰まると心中という最悪パターン。子どものことを第一に考えてほしい」。福崎さんは力説する。
 今年の正月。福崎さんが育て、社会人となった一人の教え子が帰郷した。校内暴力に荒れた中学時代、何度も学校に謝りに通わされた子だった。その子は何げなく近づいて 来ると、福崎さんのポケットにそっとお年玉をしのばせた。
 「今年は絶対良い年になる、と喜びました」と福崎さん。「ずっと、一生、子どもたちとかかわっていきたい」。それが今の福崎さんの一番の願いだ。
 ▼メモ 定員八十人。約六千八百平方メートルの敷地に管理棟や児童棟、体育館など。子供部屋二室に一人の割合で保母がつく。父子家庭のための夜間養護や、通所養 護、短期入所なども行っている。(木下悟記者)

西日本新聞社


1994/07/08 朝日新聞

バザーで養護施設支援 不用品の提供呼びかけ 16日に木更津/千葉
朝刊 32頁 千葉版 写図無 (全579字)

 木更津市真里谷の社会福祉法人一粒会「野の花の家」(花崎みさを園長)をバック アップする野の花の家後援会(石川富子代表)が十六日午後一時からチャリティーバ ザーを開く。収益金は、野の花の家で暮らす子供たちの援助に充てられる。後援会は バザーのための家庭用品、日用雑貨品など家庭で眠る品々の無償提供を呼び掛けてい る。
 野の花の家は八五年四月に開園した。父母の病気や死亡、親の蒸発のほか、登校拒 否や校内暴力などさまざまな理由で家庭に恵まれない、二歳から十八歳までの児童、 生徒四十人を預かっている。
 ベトナム戦争などで親と死別したりはぐれたりして日本に来た東南アジアの子供が 多いことに心を痛めた花崎園長が里親を買ってでて養育。施設を開設し、この子たち を含めて全国各地の恵まれない子供を引き取って養育してきた。
 現在、昼は働き夜は市内の定時制に学ぶ男子の勤労学生や小学校低学年以下の幼い 子供の世話をする小、中学生もいて、元気で共同生活を楽しんでいる。悩みは一定額 の補助しか受けていないための資金不足。満足な養育も出来ず、見かねた地域住民ら がボランティアで後援会を組織した。
 後援会は八六年から二年に一度、バザーを開いている。一昨年のバザーでは約百万 円の協力が得られ、夏のキャンプの費用などに充てられた。バザーなどの問い合わせ は野の花の家(電話〇四三八―五三―二七八七)へ。

朝日新聞社


1994/07/08 朝日新聞

養護児童の5人に1人は親の責任放棄が原因 厚生省調査
朝刊 3頁 3総 写図無 (全596字)

 養護施設や里親などに委託された子供のうち五人に一人が、親の放任や養育拒否、 虐待など、明らかに親の責任放棄が原因となっていることが七日、厚生省の実態調査 で明らかになった。非行にはしって教護院に入所した子供の二六%が「父母の放任や 怠惰」によるもので、里親委託の二一%が親の養育拒否が原因となっている。約二十 年前の調査では、親の責任放棄による養護児童は一割以下にとどまっていた。
 この調査は、家庭環境などの理由で里親に預けられたり、養護施設、情緒障害児短 期治療施設、教護院、乳児院に入所している児童などについて一九九二年末に実施、 全国すべての児童施設から回答を得た。
 それによると、母子寮を除いて、養護問題が発生した理由では、最も多いのは父母 の行方不明で一七%、次いで離婚が一三%、父母の仕事上の問題と父母の入院がそれ ぞれ一〇%となっている。
 明らかに親の責任放棄などによって預けられたケースをみると「父母の放任、怠惰」 が八%で、教護院の子供の二六%がこの原因で入所している。子供に愛情を感じられ ず、子育てはいやだとする養育拒否は六%で、里親に預けられている子供の二一%が この理由による。
 また、最近問題になっている「父母の虐待・酷使」は千百三十一人(三%)に達し、 このうち九百四十七人(八四%)が養護施設に入所している。
 七〇年の調査では、捨て子や虐待、放任・怠惰など親の責任放棄は九%だった。

朝日新聞社


1994/05/31 朝日新聞

せっかんされた里子の死は頭部打撲が原因 坂戸 /埼玉
朝刊 24頁 埼玉版 写図無 (全81字)

 坂戸市塚越で里親に投げ付けられ、二十九日に死亡した田口貴子ちゃん(二つ)の 司法解剖が三十日、埼玉医大で行われ、死因は頭部打撲による外傷性くも膜下出血と 分かった。

朝日新聞社


1994/05/30 朝日新聞

里親にせっかんされた里子死亡 坂戸 /埼玉
朝刊 24頁 埼玉版 写図無 (全133字)

 坂戸市塚越で十六日夜に、里親にせっかんされ、意識不明の重体だった田口貴子ち ゃん(二つ)は二十九日午後零時四十五分ごろ、入院先の鶴ケ島市の関越病院で死亡 した。
 貴子ちゃんは里親の水村清容疑者(四〇)に排便のことでうそをついたと責められ、 布団に二、三回投げつけられた。

朝日新聞社


1994/01/16 朝日新聞

実態知りたい国際養子縁組(声)
朝刊 5頁 オピニオン 写図無 (全633字)

 川崎市 星野寛美(医師 32歳)
 一日付本紙の「海を渡る赤ちゃん」を読ませていただきました。
 不倫や十代の未婚の母が十年間に六百五十人も国際養子として子供を手放している ということですが、私自身、一産婦人科医として日常診療の中で「自分では育てられ ない」と悩む妊婦に接する機会も多いため、「ああ、これが日本の現状なのだなあ」 と思いつつ拝見いたしました。
 しかし、非常に残念に思われてならないのは、無届けや多額の寄付を取る団体まで もが介在する国際養子縁組がどうして今まで放置されてきたか、ということです。
 日本国内には、いろいろな事情で子供を手放す人たちがいる一方で、昨年の琢磨ち ゃん事件に象徴される「どうにかして子どもが欲しい。子育ての苦労がしたい」と悩 んでおられる不妊症の方も多いのです。
 また、日本でも一九八八年以来、特別養子という子供の福祉を最優先させた養子制 度ができており、それまで国際養子でなければできなかった法的保護が国内でも十分 にできるようになっています。私自身、国内の養子縁組に取り組んでいる組織にかか わっていますが、養子問題に対する人々の受け止め方、イメージは思われているほど 暗くはありません。
 厚生省では研究会を発足させ実態調査に乗り出すということですが、外国の里親の もとに養子に行った後の子供たちが自分たちのルーツをたどれるようになっているの か、果たして子供の福祉に基づいた養子縁組がなされているのか、一日も早く明確に していただきたいと考えます。

朝日新聞社


1994/01/15 朝日新聞

大井で置き去りの赤ちゃん、見送り受け乳児院へ  /埼玉
朝刊 24頁 埼玉版 写図有 (全796字)

 入間郡大井町亀久保の産婦人科・内科医院「立麻医院」(立麻和男院長)の前に今 月四日夜、生後まもない男の赤ちゃんが置き去りにされた。赤ちゃんは健康状態の検 査などを終えた十四日、元気に退院した。実の親はまだ見つかっていない。県北の乳 児院で育てられることになったこの子に、看護婦さんたちが縫いぐるみをプレゼント した。
 立麻院長(六〇)をはじめ十五人の看護婦や職員が、交代で面倒を見てきた。一時 は黄だんが出て、心配された。一日十二時間の光線療法で、黄だんはなくなった。発 見当時二四五〇グラムだった体重は、二六九二グラムに増えた。十日には出生届が出 され、戸籍も作られた。大井町長が名付け親。
 男の子は、紙袋に入れられて置き去りにされていた。中にあったメモには「育てら れない。一年後に連絡します」。最後に「この縫いぐるみをそばに置いてほしい」と も。小さなカバの縫いぐるみも一緒だった。
 だが、縫いぐるみは、保護責任者遺棄の疑いで捜査している警察が、証拠として持 って行った。
 看護婦さんたちは、イヌのキャラクターの縫いぐるみを男の子に贈った。院長夫妻 も加わり、産着などの衣服を買った。この日朝、入浴後の男の子は、プレゼントされ た産着を着せられた。縫いぐるみと並んで、看護婦さんと記念撮影。
 午前十時前、迎えに来た川越児童相談所の職員に抱かれ、玄関を出た。「面会に行 くからね」。看護婦さんたちが、手を振った。
 「さみしい気もするが、頑張って生きてほしい。たとえ親が名乗り出なくても、い い人に引き取られ、あの子にとって良い方向に進んでもらいたい」。初めに発見した 看護婦(二四)は、そう話した。
   ◇
 県児童福祉課によれば、八九年度からの五年間に“捨て子”の報告は、この子を含 めて六十四件。実の親が名乗り出たケースは、ほとんどない。大多数の子どもたちは、 二歳になるまでに里親に引き取られ、養子縁組されるという。

朝日新聞社


1994/01/10 朝日新聞

望まれて、ママがいて 養子大国・米に渡った赤ちゃん
朝刊 23頁 1社 写図有 (全1776字)

 日本で生まれ、欧米などの夫婦に養子として迎えられる「国際養子」。その数は、 この十年間で少なくとも六百五十人にのぼり、じわじわと増えている。この国から赤 ちゃんはなぜ旅立つのか。異国で幸せをつかめたのだろうか。養子大国アメリカに渡 った赤ちゃんたちのその後を追った。
 (萩一晶、山崎靖)

 クリスチーナ(八つ)は、ハワイに住んでいる。私立大学総長の養父ケント(四五) と養母エリザベス(三八)に六年前、日本から迎えられた。パソコンが好きな、利発 で元気な女の子だ。三年前にはルーマニアから弟と妹が迎えられ、五人で暮らす。
 生まれは大阪。両親はともに耳が不自由だった。四カ月のとき、両親が離婚。乳児 院に預けられた。
 施設で過ごした一年半、国内での養子縁組の話は三回あった。最初の夫婦は事情を 聞いただけで断りにきた。次の二組は会いには来たが、まとまらなかった。
 エリザベスも「気にならなかった、といえばうそになる」と言う。クリスチーナに は知人の紹介で会った。「実の子でも事故とかある」と心を決めた。
 迎えにきた二人に、二歳の娘はなかなか心を開かなかった。日本人の母を持つエリ ザベスが日本語で「本を読んであげる」といっても、「いやや、あっちいけ」と叫ん だ。ハワイでも、夜になるとベッドで泣いて「カズちゃん」と呼んだ。かわいがって くれた保母の名前だった。
 ある夜、ふろからあがり、ふざけて裸で逃げ回った。エリザベスがやっと捕まえ、 髪をふいていたときだ。
 「おかあさん」
 初めてそう呼んでもらえた。胸が熱くなった。二カ月がたっていた。
 大阪市中央児童相談所は、これまで千三百人の子どもに、日本で里親を見つけた。 しかし、国内で見つからず、国際養子となった例もある。
 口がい裂の子がいた。近親相かんの子、父や母の国籍が違う子……。さまざまな 「事情」のある百八十人の子どもたちが、この三十六年間に海を渡った。クリスチー ナもその一人だ。
 「ハンディ」を背負った子どもたちが、海外では家族の愛情にはぐくまれる。「社 会の受け皿の大きさが違うのでしょうか」。ケースワーカーがいった。
  ×  ×  ×
 昨年のクリスマス前。雪のちらつく熊本の街に、一人の女の子が訪ねてきた。
 エリン(一〇)。米フィラデルフィアに住む小学校五年生である。福岡で生まれ、 一歳のときに海を渡った。養父フィリップ(四一)と養母ルース(四二)に子どもは いなかった。しかし、二年後に妹が生まれた。青いひとみと金髪。大きくなるにつれ、 エリンとの違いがはっきりしてきた。
 「本当のお母さんじゃない」と、エリンがルースにだだをこねるようになったのは、 二年ほど前からだ。両親に連れられての来日は、「日本のママ」を捜しにきたのだっ た。
 かつて預けられた社会福祉法人「慈愛園」を訪ねた。「なぜ、私はこの園に引き取 られたの」。潮谷義子園長(五四)に問いかけた。
 「お母さんは離婚して、借金を抱えてたのよ」
 園長は問われるまま、実母の住所を伝えた。しかし、その後何度も引っ越していた。 母に会えなかった。
 新天地で幸せをつかんだ赤ちゃんは多い。しかし成長し、いつかアイデンティティ ーの問題に直面する。
 エリンは四日間滞在した。街で母と同じ年代の女性を見ると立ち止まった。「日本 のママがどんな顔しているか、知りたかった。もう少し大人になったら、また来ます」 。そう言い残して、熊本を飛び立った。
 (敬称略)

 ○あっせん団体に「寄付金」225万円 ハワイでの「料金表」
 米国は毎年六千―一万人を海外から迎える養子大国だ。国際養子を手がけるあっせ ん団体は、全米で二百を超える。女性の晩婚化が進み、産む時期を逃したり、産まな いつもりがほしくなった人が増えているという。「健康で、生まれたての赤ちゃんが ほしい」と関係者は話す。
 韓国は「養親と養子の年の差は最高四十歳まで」、ルーマニアは「養父母の結婚歴 三年以上」など、多くの国が何らかのルールを設けている。日本はあっせん団体の 「良識」まかせの状態だ。
 ハワイのあっせん法人で養子の「料金表」を見た。
 地元ハワイ 百八万円
 中国 百四十九万円
 日本 二百二十五万円
 日本の費用のうち、日本側のあっせん団体への寄付金が百二十五万円、米国側へが 百万円である。
 日本は、世界で「最も高い」国の一つだった。

朝日新聞社


1994/01/08 朝日新聞

外国の子供の里親で励みに(声)
朝刊 5頁 オピニオン 写図無 (全459字)

 東京都 秋元玲子(アルバイト 35歳)
 現在私は、ある民間援助団体でアルバイトをしている。ここの主な活動は精神里親 制度だ。開発途上国の貧しい子供に日本の里親が毎月決まった額を送金し、生活を援 助する。
 里親にとっても子供にとっても、楽しみは何といっても文通である。その手紙の翻 訳が私の仕事だ。
 子供たちから送られてくる絵や写真では、四方を山に囲まれた田園地帯、泥とベニ ヤ板で出来た小さな家。学校から帰ると水くみやヤギの世話をするそうだ。日本の里 親から送られた美しい絵はがきやハンカチに目を輝かせ、毎日学校へ行けることに心 底、感謝している。
 そんな文通を里親は心待ちにしているのだ。毎日郵便受けを見に行くという人も、 自分の孫のように思っている身よりのないお年寄りもいる。
 一通の手紙がそのような人の心をどれだけ明るくすることだろう。国際貢献、国際 親善は何も選ばれた一部の人たちのものではない。ごく普通の市民が民間外交官にな り他国を知ること、それは豊かな日本の生活や真の幸福を改めて見つめ直す良い機会 なのではないだろうか。

朝日新聞社


1994/01/06 朝日新聞

事情(赤ちゃんの旅立ち:5 この国の足音) 【大阪】
朝刊 26頁 2社 写図有 (全1394字)

 ハワイの小学生たちは「お泊まり会」が大好きだ。
 クリスチーナ(八つ)も前夜遅くまで、友達の家で仲間六人と騒いだ。たっぷり昼 寝をしてから起きてきた。
 高台にある自宅の窓から、ホノルルの夜景が見渡せる。年の瀬の夕食時、私立大学 総長の父ケント(四五)は娘に「昨日は楽しかったかい」と聞いた。妻エリザベス (三八)は「野菜も食べてね」といった。
 六年前、日本から養子として迎えられた。三年後、今度はルーマニアから弟と妹が 来た。一家五人、食卓のうえで三つの国が出会った。

 ○チャンス3回あった
 クリスチーナは、大阪で生まれた。両親はともに耳が不自由だった。
 四カ月のとき、両親は離婚。父が一年余り娘の世話をしたが、結局、乳児院に預け た。
 施設で過ごした一年半、国内での養子縁組のチャンスは三回あった。だが、最初の 夫婦は事情を聞いただけで、翌日に断りにきた。次の二組は、会いには来たが不調に 終わった。
 「気にならなかった、と言えばうそになる」とエリザベスは言う。八七年冬、知人 の紹介で大阪の施設を訪ね、クリスチーナに会っていた。「実の子でも事故にあうこ とはあるわ」。夫と話し合い、心を決めた。
 迎えにきた二人に、二歳のクリスチーナはなかなか心を開かなかった。日本人の母 を持つエリザベスが日本語で「本を読んであげる」といっても、「いやや、あっちい け」と叫んだ。
 ハワイに戻り、毎日、海や公園に遊びに行った。昼間は機嫌よく遊んだが、夜にな るとベッドで泣きながら「カズちゃん」と呼ぶ。施設で、かわいがってくれた保母の 名前だった。
 二カ月後。ふろからあがると、クリスチーナはふざけて裸で逃げ回った。やっと捕 まえ、髪をふいていると突然、タオルの向こうから顔をのぞかせた。
 「お母さん」
 初めて母と呼ばれた。エリザベスは胸が熱くなった。

 ○無国籍のまま8カ月
 ジェイスンは、静岡の米国人宣教師リッキー・ゴードン(四一)の家で初めての正 月を迎えた。生後八カ月の男の子。外国人登録証には「無国籍」とある。
 実母は昨春、大きなおなかを抱えて、愛知県にある女性救援施設に駆け込んだ。 「住むところも、お金もない」。東南アジア系の女性だった。
 間もなく出産。たまたま施設を訪れたあっせん団体の女性の胸に、「自分では育て られない」と赤ちゃんを押し付けた。一週間後、姿を消した。
 経験から、あっせん団体は「純粋な日本人と確認できない子どもを、日本人は引き 取らない」と考えた。五月、赤ちゃんは五人の実子がいるゴードン家に仲間入りし、 ジェイスンと名付けられた。
 半年前、静岡市役所に出された出生届はまだ受理されていない。法務省が母親の国 籍を調査中で結論が出ないため、ジェイスンは無国籍で、養子縁組の手続きもできな い。パスポートも保険証ももらえない。

 ○受け皿の大きさに差
 大阪市中央児童相談所は、これまでに千三百人の子どもに国内で養子里親を見つけ た。しかし、さまざまな事情から国内で養父母が見つからず、国際縁組となったケー スもある。
 口がい裂の子がいた。左手小指の関節が一つ少ない子もいた。近親相かんの子、父 や母の国籍が違う子、「赤ちゃん」と呼ぶには年の過ぎた子…。約百八十人の子ども たちが、この三十六年間に海を渡った。クリスチーナも、その一人である。
 「社会の受け皿の大きさが違うのでしょうか」とケースワーカーが言った。(敬称 略)

朝日新聞社


1994/01/01 朝日新聞

国際養子のルール化遅れる日本 人権と幸せの施策を<解説>【大阪】
朝刊 30頁 2社 写図有 (全1646字)

 「望まれず」に生まれた日本の赤ちゃんら六百五十人以上が、この十年間に国際養 子として海を渡っていた。この事実は、豊かなはずの日本の「裏面」を、福祉の「貧 困」を、問い直すものではないだろうか。
 世界のボーダーレス化、経済格差の拡大、先進国の少子社会化などを背景に、国際 養子縁組は広がる傾向にあり、ルールづくりを求める声が世界で高まっている。だが、 少子社会でありながら「輸出国」でもある日本の政府は、実態すら把握していない現 状である。
 赤ちゃんの養子縁組は、国内の場合でもデリケートな問題だ。子を手放す実母に十 分な説明がなされたか、相手は養父母として適格か、縁組後のフォローができるのか。 人種や文化が違う海外に渡る場合は一層、慎重さが求められる。
 同じ国際養子でも、養父母が日系人か、白人かでは少し質が異なる。海を渡る年齢 にもよる。子育ての喜びを真剣に求める夫婦に出会えれば、赤ちゃんが幸せになるチ ャンスは広がるだろう。
 しかし、まずは国内での縁組の努力が十分に払われ、国際縁組はその後の「選択」 と考えるべきではないか。赤ちゃんがほしい夫婦は、国内にも多い。
 赤ちゃんは大きくなったとき、アイデンティティーの問題に直面する。「実費」名 目とはいえ、一部の団体で、赤ちゃんという人間の縁組に多額の金が受け渡しされて いる現実は、営利目的のあっせんを禁じた児童福祉法の観点からも疑問が大きい。
 アジア、中南米諸国からの国際養子では、幼児売買、臓器移植のための献体、養父 母の幼児虐待などが一部で問題になっている。昨年五月、日本など六十六カ国が参加 してオランダで開かれた国際私法会議でも、国際養子縁組のあり方が議題になり、養 子縁組は中央当局(政府)の管理下で行われるべきだ、とのハーグ条約を採択した。 八九年に国連で採択された子どもの権利条約でも、国際縁組は二国間の「権限ある当 局によって進められるべきだ」としている。
 こうした流れの中で、かつて多数の幼児を米国などに養子として出していたフィリ ピン、韓国なども、すでに政府が最終的な権限を持つシステムをつくり、「赤ちゃん 流出」を食い止めようとしている。
 米国のあっせん団体によると、養子を送り出す側は、韓国が「養親と養子の年の差 は最高四十歳まで」、中国は「実子、養子を問わず子供がいない家庭にのみ」、ルー マニアは「養父母の結婚歴三年以上」など、多くが何らかの原則をもうけている。だ が、日本は民間のあっせん団体の「良識」まかせの状態だ。
 厚生省は、継続的に養子あっせんしている団体・個人の都道府県への届け出を義務 づける通達を出したが、届け出しているのは、まだ一部。無届けの任意のあっせん団 体と相手国のあっせん法人や専門弁護士との間で手続きが進めば、実態は表に出にく い。
 赤ちゃんの人権をより確実に保護するためには、国際養子縁組に対する政策的、法 的な国の対応が不可欠だろう。
 (大阪社会部 「赤ちゃん」取材班)

 ○国内では制度整う
 厚生省児童家庭局の大泉博子・育成課長の話 日本国内では、特別養子縁組制度や 養護施設、里親制度が整っている。縁組後のフォローの難しい国際養子縁組を、安易 に実施すべきではないと思う。厚生省としては、外郭団体の児童問題調査会と協力し て、近く国際養子縁組の数やあっせん団体の縁組のやり方などの実態調査に取り組む。 その結果などを見きわめながら、法務省と協議して対応していきたい。
        *       *       *
 【国際養子縁組】
 養父母と養子の国籍が異なる縁組。養父母が来日して家庭裁判所で縁組したり、赤 ちゃんが「孤児ビザ」で渡って相手国で縁組されるケースが多い。
 欧米は縁組成立とともに生みの親と養子の親子関係がなくなる「完全養子」制度が 多く、日本側での扶養義務や相続権利などの関係は事実上なくなる。
 日本でも八八年に民法が改正され、戸籍上も従来の「養子」ではなく「長男」「長 女」と記載される「特別養子制度」が設けられた。

朝日新聞社


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