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1993/12/30 朝日新聞

来年はいい年になあれ! 養護施設で正月迎える子供たち /千葉
朝刊 32頁 千葉版 写図有 (全1383字)

 お年玉、たこあげ、お雑煮……。楽しいお正月を施設で過ごす子どもたちがいる。 離婚や仕事、行方不明など親の事情が原因で、児童福祉法でいう養護施設に入ってい る子どもたち。県内に十三施設あり、どこも年末年始だけ事情の許す限り、保護者に 一時引き取ってもらうが、それすらかなわない子どもたちがいる。夷隅郡大原町にあ る「チルドレンス パラダイス 子山ホーム」を訪ねた。

 仲良しきょうだい三人組は、今月一日、この施設に入った。中三の姉と中二、五歳 の弟。十一月半ば、千葉市のJR千葉駅に近い中央公園で野宿していたのを警察に保 護された。
 事情を聴いたところ、両親が離婚、母親と暮らしていた。サラ金の返済を抱え、家 賃も払えず追いたてられた。母親は金策に走ったのか、子どもたちを置いたまま行方 がわからなくなった。
 中三の姉が五歳の弟の母親がわりをしている。今度の入試で高校を受ける予定で、 いま猛勉強している。
 ホームには二歳から高三まで五十人が暮らしている。両親とも行方不明中、引き取 った父親が服役中、親に虐待されて保護、など様々だ。
 一時引き取ってもらう期間は二十六日から一月五日まで。親や親類の所在がわかる 場合、迎えに来てくれるよう今月中旬、手紙を出した。半分が「転居先不明」などで 返送されてきた。二割ほどは手紙を出す先もわからない。迎えに来るといっていなが ら、来ない例もある。
 二十数人に引き取り手が見つかった。小学校四年生の女の子と六歳の男の子も、そ の一例だ。
 女の子は、三年前、浦安市内から施設に来た。親に食事を与えてもらえなかったり、 虐待されたりした。今年の秋、初めて「お母さんに会いたい」といった。児童相談所 を通じて母親に伝えたところ、「相談所にやった子。今ごろ会いたいといわれても困 る」。
 男の子は今年六月、母親が柏市内の託児所に預けた。「引き取りは遅くなる」とい っていた。預けた三日後、離婚、行方不明になったままだ。
 二人が一時帰る先は身内ではない。三十年ほど前、このホームを巣立った女性のと ころだ。結婚して今、印旛郡で理容業を営んでいる。ホームにいたころ、自分を訪ね る人はだれもいなかった。「ほかの子がうらやましかった。ゆくゆくは二人の里親に なりたい」と、ホームの大橋信雄園長(六四)にいっている。
 大橋園長によると、二十九日現在、正月も帰省できないのは二十八人。お年玉を用 意したり、初日の出を見る会、映画会、たこあげなどもする。園長の思いは複雑だ。 「ホームの正月をあんまり楽しくするわけにいかない。帰省した子どもたちがうらや ましがる場合だって、あるんです」
 父親のところに引き取られた子どもが「お父さんがパチンコや飲み屋に行って帰っ てこない。ホームに戻りたい」と泣き声で電話してきた例もある。
 伯父や伯母の家に行って二、三日で帰ってくる場合も多い。
 「自分の子の世話で手いっぱいなのでしょうか。面倒をみられていれば、ホームに 来ないはずですから」
 訪ねた日、子どもたちがボールをけり、ブランコを勢いよくこいでいた。大橋園長 は「さびしさを口には出しません。けれど、迎えに来てもらえる子、もらえない子、 正月は、自分の境遇を自覚させられる時でもあるんです」と話した。
 県内十三施設に入っているのは、今月一日現在で五百八十四人。このうちかなりの 子どもたちが施設で正月を過ごす。

朝日新聞社


1993/12/23 朝日新聞

「悲しみが残った」 琢磨ちゃん誘拐判決 【大阪】
朝刊 23頁 1社 写図有 (全1447字)

 「うその世界に逃避して、子ができた楽しみに浸っていた」。生まれたばかりの乳 児を連れ去った夫婦の行為を裁判長は「現実逃避」と指摘した。二十二日、鳥取地裁 で判決が言い渡された琢磨ちゃん誘拐事件。夫婦一体で犯した罪の責任はそろって懲 役三年に。一方、琢磨ちゃんの両親は最後まで法廷に姿を見せないまま。ちっちゃな うそから始まった犯行は、それぞれの夫婦に忘れられない悲しい思いを残した。

 午後三時半、清水敏明被告は白、由美子被告は深緑の色違いだが、そろいのセータ ー、ジーンズ姿で法廷に入った。小池洋吉裁判長に促され、二人は証言台で寄り添っ て立った。
 「夫婦一体の犯行であり、それぞれ懲役三年に処す」。判決主文に続いて、理由の 言い渡しが約四十分。二人は顔をあげて裁判長をじっとみつめた。
 最後に小池裁判長が「夫婦二人が仲良く生きていけるのが幸せ。出所後でもまだ遅 くはない。お互い手を携えて歩んでいってほしい」と述べると、二人は手を握り合い、 一瞬、見つめ合って涙を浮かべた。
 「赤ちゃんができたみたい」。周囲の期待にこたえようとウソをついたのがすべて の始まりだった。二人が不妊に悩み、病院での治療にも、養子縁組にも失敗し、心理 的に追い込まれていった。
 清水夫妻は逮捕後、花井和彦、広江さん夫婦らにあてて計六通の謝罪の手紙を書き、 弁護士に託した。
 「『クリスマスのプレゼントに何がほしい?』
 『赤ちゃん』
 『デパートで売っているものなら、どんなに金を出しても買ってくるんだけどなあ』 …。困ったような顔で答えた夫を、知らずに傷つけていたかも知れない」(十月十九 日付、由美子被告)
 だが、これらの手紙は受け取りを拒否され、花井さん夫婦のもとには届いていない。
 夫婦そろって懲役三年という判決に、弁護側は「出所後も、夫婦が同時に更生への 道を歩み始めることができるようにとの配慮だと解釈している」と話し、控訴しない 方針だという。
 一方、花井さん夫婦は「事件のことは早く忘れたい」と、ついに法廷には姿を見せ なかった。夕方になって、報道陣の求めに応じてコメントを寄せた。
 「判決に対して不満に思うことはありません。決まった刑罰を受けていただき、人 の人生に傷をつけるということの罪の重さを十分に考えていただきたいと思います」
 連れ去られた時、二、六五四グラムだった琢磨ちゃんは八カ月近くになり、体重七、 〇二〇グラムに。十一月末には父の支えで「立っち」できるようになった。

 ○社会の目を育てる必要
 神戸市の委託で里親紹介事業をしている家庭養護促進協会の橋本明事務局長の話  日本人の子育て観、風土、文化の貧しさを教えてくれた事件だと思う。不妊で悩むほ とんどの人には実子を期待する世間の何げない態度がプレッシャーになり、社会の目 とか差別、偏見というものに対する恐れになっている。血縁のない子供を実子と同じ ような目線で見る雰囲気を、社会の中で育てていかないと、不妊の夫婦を心理的に不 安定にし、こうした悲劇に追い込みかねないだろう。

 ○妻の意思を認めた判決
 第二回公判を傍聴した作家、早坂暁氏の話 周囲のプレッシャーに負け、欲しけれ ば奪うなんて許されない。奪われた夫婦は、どんなに悲しくつらいことか。もし見つ からなかったら、毎日毎日どこかで生きてるだろうと捜し回っているはずで、殺され たよりも残酷だ。そういう想像力もないのでは話にならない。同じ量刑の判決が出た のは、裁判所も妻に強い意思があったと認定したからでしょう。順当な判決です。

朝日新聞社


1993/10/16 朝日新聞

全国の里親集まる 宇部で集会 【西部】
朝刊 30頁 2社 写図無 (全187字)

 第三十九回全国里親大会が十五日、山口県宇部市で開かれ、全国から約千二百人が 参加した。里子の養育年数が五年以上で、地方の里親活動に貢献した全国五十八組の 里親が、大会会長表彰を受けた。ベトナムの里子三人や日本の子どもを育てた山口県 美祢市の住職河内真海さんの妻美舟さん(五〇)が代表し「里子と共に育ち合う親と なり、自立心、協調性、人への思いやりを育てていきたい」と謝辞を述べた。

朝日新聞社


1993/10/07 西日本新聞

ショートステイ事業、佐賀県が”子供版”実施へ
朝刊 1頁 17版1面1段 (全496字)

 佐賀県は子供を対象にしたショートステイ事業を導入することを決めた。事業主体は市町村で、近く藤津郡嬉野町をモデル団体として実施し、来年度以降、県内全市町村に広 げる。
 同事業は、保護者が出産や病気、事故、介護などで育児に手が回らなくなった場合、七日間を限度に児童福祉施設に預かるもので、高齢者を対象にしたショートステイの子供 版。
 実施施設としてあらかじめ市町村が児童福祉施設や乳児院、母子寮、同県福祉審議会の児童福祉専門分科会が認定した里親を、受け入れ施設として指定する。嬉野町は隣 接する塩田町の児童養護施設「済昭園」を指定、対象児童を受け入れる。
 生活保護世帯などを除いた一般家庭の場合、半額が利用者負担で一人一日、二歳未満児で六千円、二―十八歳は四千二百五十円。残る半額を国、県、市町村が負担する。
 働く女性が増え、仕事と子育てが両立できる社会、安心して子供を生み育てられる社会づくりを目指し、同県は、出張など仕事に伴う場合にも利用枠を広げることを検討する。

西日本新聞社


1993/09/23 朝日新聞

新生児の里子委託で縁結ぶ児童相談所 広がる動き、児童福祉司が調査
朝刊 20頁 第2家庭 写図有 (全1479字)

 家庭に恵まれない子供を生まれた直後から、養親候補者の家庭に預かってもらい、 将来は特別養子縁組する「新生児里子委託」が、少しずつ広がっている。「あくまで 子供のために考える」を前提に、積極的に取り組む児童相談所もわずかながら増えて きた。

 この問題は、東京の上智大学でこのほど開かれた日本社会福祉学会で取り上げられ た。全国の児童相談所を対象に行ったアンケート調査の結果が発表されたが、新生児 の養子縁組のあっせん希望相談を受けたことがあったのは、回答を寄せた百十カ所の うち九十七カ所。実際に、新生児からの里子委託に取り組んでいたのは、十四カ所だ った。
 調査をした愛知県一宮児童相談所の矢満田篤二さん(五九)もこの新生児からの里 親委託に取り組んできた児童福祉司の一人。これまでに十四人の赤ちゃんと家庭の縁 結びをした。「現在の養子縁組は、家のためではなく、親が必要な子供が親を獲得す る制度だ」と話す。
 縁結びは、まだ生まれる前から話を進めたケースも十ある。その場合、子供を欲し がる夫婦に対しては、次の三つの条件を説明したという。
 (1)養子縁組が決まるまでには約一年かかる。それまでは里子委託であり、実の 親から引き取りの要求が出た時には返さなければならない。
 (2)わが子を出産したときと同様に考えて、障害の有無で引き取りを左右するよ うであれば、希望は受け付けない。
 (3)養親候補とする夫婦の年齢は原則として四十歳未満。子供の性別を気にした り、実親がどのような人であったかを気にするようではだめ。
 赤ちゃんが生まれたあとは、養親候補者に名付け親になってもらうことが多い。さ らに、産院に来てもらい、「育児トレーニング」をする。ミルクの飲ませ方、おふろ の入れ方、おむつの交換などを学んでもらい、大丈夫だと見たところで委託する。
 矢満田さんはこうした縁結びを一九八三年から始めた。現在は全員が里子委託から 養子縁組に進んだ。親子のきずなができやすく、子供の成長後も親子の関係がうまく いっているケースが多いという。
 しかし、養子に出したいと望まれた子供のほとんどが乳児院に預けられている。今 回の調査でも、新生児の里子委託はしないとした児童相談所が三十三カ所あった。
 理由は「障害の有無が判明するまで、慎重に発達状況を観察する」「実親らがみず から育てたいと変化する可能性がある」だった。
 しかし、矢満田さんは「子供のえり好みを里親に認めていることは、子供の人権を 無視することになる。また、障害をもつ子供は家庭的養育の機会まで奪われる二重の ハンディを負うもので許されるべきではないのではないか」と話している。
 新生児里子委託について、仏教大学の津崎哲雄助教授(児童福祉)は「イギリスで は十二歳未満の子供は、施設ではなく家庭で育てるというのが、大原則になってきて いる。わが国でも家庭に恵まれない子供に対して、乳児院などの施設万能の考え方を せず、里親制度を生かしてほしい。そのためにも妊娠している時からの児童相談所の 取り組みはもっと広がってもらいたい」と話していた。
 矢満田さんの連絡先は、一宮児童相談所(〇五八六―四五―一五五八)。

 <里子委託> 児童福祉法にさだめられた制度で、家庭に恵まれない十八歳未満の 子供の養育を、都道府県知事に登録された里親が委託費を受け取って育てる制度。昨 年十二月末で全国で二千二百六人の里親に、二千六百八十二人の里子が委託されてい る。特別養子制度は一九八八年からの制度で、六カ月以上養育した家庭に恵まれない 子供を家庭裁判所の審判を受けて養子にする制度。

朝日新聞社


1993/09/23 朝日新聞

里子委託<用語>
朝刊 20頁 第2家庭 写図無 (全168字)

 児童福祉法にさだめられた制度で、家庭に恵まれない十八歳未満の子供の養育を、 都道府県知事に登録された里親が委託費を受け取って育てる制度。昨年十二月末で全 国で二千二百六人の里親に、二千六百八十二人の里子が委託されている。特別養子制 度は一九八八年からの制度で、六カ月以上養育した家庭に恵まれない子供を家庭裁判 所の審判を受けて養子にする制度。

朝日新聞社


1993/08/21 朝日新聞

親子の心模様 京都市里親会が会誌「はぐくむ」発刊 /京都
朝刊 28頁 京都版 写図有 (全353字)

 四十年近い歴史をもつ京都市里親会が、里親の体験記などを収めた会誌「はぐくむ」 を初めて発行した。表紙には、鴨川という親のもとで育ち、飛び立っていくユリカモ メが描かれている。同会のシンボルでもあるユリカモメたちとの奮闘の日々をつづっ た七編の体験記では、親子の葛藤(かっとう)や悩みなど、複雑な心模様がありのま まに紹介されている。
 現在、三十五組が会に登録しているが、出生率の低下、若い母親の子育てを好まな い風潮などの影響で、里親の数は減少傾向にあるという。森康次同会会長は「鳥取の 幼児誘拐事件でも子どもができない親の苦悩が浮き彫りにされた。親子の触れ合いの 貴重な実践記録を読んで、里親たちの置かれている状況を広く知ってほしい」と語り、 希望者には無料で配布している。連絡先は同会事務局(電話801・2929)。

朝日新聞社


1993/08/13 西日本新聞

81人の里子と56家族が顔合わせ、ふれあい里親行事 福岡
朝刊 16頁 30版16面1段 (全465字)

 養護施設の子供たちをお盆の間、一般家庭で預かる、福岡市のふれあい里親行事の対面式が十二日、同市役所であり、八十一人の里子と受け入れの五十六家族が顔合わ せをした。
 何らかの理由で家庭生活が送れない子供たちに、家庭の温かさを味わってもらおうと、同市児童相談所(山下宣義所長)が国際児童年の昭和五十四年から始め、今年で十五 回目。東区の和白青松園など三カ所の養護施設と福岡乳児院に入所している一歳―高校三年生が、同日から三泊四日で各里親宅で生活する。
 里子たちは、身の回り品を詰めたリュックやバッグを手に対面式へ。それぞれの里親に花束を贈り、はにかみながら「よろしくお願いします」。昨年に続いて同じ組み合わせの” 縁組”も多く、近況などに会話が弾む光景も見られた。
 三年連続で同じ里子を受け入れた城南区鳥飼の原田良江さん(40)は「うちの六人の子供ともすっかり仲良しになり、毎年楽しみにしています」と話していた。

西日本新聞社


1993/07/07  西日本新聞

お盆のボランティア里親募集、福岡市児童相談所
朝刊 21頁 20版21面1段 (全496字)

 せめてお盆の時期には施設の子どもたちに家庭の温かさを味わってもらおうと、福岡市児童相談所は二十日まで、お盆期間中(八月十二―十五日)に子どもを預かってもらうボ ランティアの里親を募集している。
 この制度は国際児童年(一九七九年)を機に始まり、ことしで十五回目。福岡乳児院など、市内の四施設で生活している一歳から高校生までの子どものうち、お盆期間中も帰 省できない約八十人の里親を募る。
 施設の子どもたちは、両親の離婚などの事情で家庭生活を体験しておらず、児童相談所では「関心のある家庭は相談を」と呼びかけている。
 年齢、性別など里親申込者の希望を聞き、児童相談所と施設が縁組を決定。決まった里親に事前に連絡をした上で、八月十二日に対面式を行う。
 同児童相談所では、七月十五日午後二時から説明会を開く。申し込み、問い合わせは(522)2737=同相談所まで。

西日本新聞社


1993/07/03 朝日新聞

誘拐事件生んだ実子願望(記者ノート) 【大阪】
朝刊 4頁 オピニオン 写図有 (全1441字)

 永島学(鳥取支局)

 「生まれたよ。元気な男の子や」。あてのない赤ん坊探しの旅の途中、夫婦は岡山 市内から双方の実家に電話した。「どこの病院?」と大喜びの親たちに問われ、「お 金がないから、もう切れる」とあわてて電話を切った。三月二十五日、犯行の五日前 だ。周囲に「妊娠した」といつわってから積み重なった小さなウソの、最後のつじつ ま合わせだった。
 鳥取市で起きた琢磨ちゃん誘拐事件は、兵庫県加古川市内の元刑務官夫婦が捕まっ て一段落したが、一方で、子どもができない夫婦の深刻な思いを浮かび上がらせた。
 二人は結婚五年半。妊娠しにくい事情はあったが、可能性ゼロではなく、医師の説 明も受けていた。体外受精、顕微授精など不妊治療法も進み、養子を実子として届け られる特別養子制度も五年前にできたのに、なぜ、そのような方法を選ばなかったの か。
 二人は一度は親類の子をもらおうと考えたが、具体的な行動はしなかった。「実子 として届けられる子が欲しかった。子どもが近所で『あの子は実の子ではない』とい われたらかわいそうだと思った」という。
 厚生省によると、養子を紹介する里親事業は各自治体の児童相談所で実施され、民 間団体も東京、大阪、神戸などに計五つある。神戸市の委託で里親事業を三十一年間 続けている家庭養護促進協会の橋本明事務局長(四九)は「十五年ほど前から、子育 て自体を楽しむ人もでてきましたが、まだまだ周囲の目が違う」と嘆く。「捕まった 夫婦もそれが問題だったのでしょう。実子にこだわる土壌がある限り、同じような事 件は起こります」
 二人が、戸籍の上でも養子を実子として記載できる特別養子制度を知ったのは、昨 年夏「赤ちゃんができたみたい」と最初のウソをついた後だった。家庭裁判所の審判 など手続きに半年から一年近くかかるため、「出産予定日」を控えて、「どうしよう もなかった」という。
 ある捜査員は「うちも妹夫婦に子どもができないが、子は天からの授かり物。周り がとやかく言っちゃいけない」とつぶやいた。日ごろ家庭では捜査のことなど話さな い捜査員らも、今回は妻たちとしばしば話をしたという。独身の私にも結婚観の見直 しを迫る事件だった。
 子どもがいなくても幸せに暮らしている夫婦は多い。「でも、日本の家庭はまだ子 どもが中心。そうでない人は、普通とは違うという目で見られてしまう。公判は、 『赤ちゃんは、まだ?』という周囲の何気ない言葉に追い詰められていった二人の情 状面の立証が中心になるでしょう」と担当弁護士の一人。
 捜査幹部も「赤ちゃんを中心に、同情しあった男と女、親と子の姿が、かわいそう なほどにじみ出た事件」という。容疑者夫婦の仲のよさは、知人の間でも有名だった。
 しかし、ある産婦人科医(四四)は「他人から奪いたいほど子どもをほしがってい る夫婦はたくさんいる。でも、実際に奪ってしまう安易さは、わがままでしかない」 と指摘する。
 捕まった妻は「赤ちゃんをすぐに返してあげて」といい、夫は「悪いことをしたの だから、弁護士はいらない」と話したという。だが、奪った赤ちゃんを抱いてひとと きの幸せを味わった元刑務官夫婦は、被害者夫婦の苦しみからは目をそむけていた。
 夫婦の二割が不妊に悩むともいわれるいま、同じ苦しみを抱えて努力する夫婦も、 それを乗り越えた夫婦もたくさんいる。元刑務官夫婦の場合、どちらか一人が周りに ウソを打ち明ける「小さな勇気」を持ち、世間体へのこだわりを捨てていれば、別の 道はあったのではないか。

朝日新聞社


1993/06/19 朝日新聞

「子どもを育てたい」 養子縁組に関心 不妊に悩む夫婦らに講座
朝刊 19頁 第1家庭 写図有 (全1662字)

 鳥取市の産婦人科医院で起きた赤ちゃん誘拐事件で、養子縁組制度が改めて関心を 持たれている。不妊に悩む容疑者夫婦は、親類との間で進めていた養子縁組の話がつ ぶれたという。養子縁組の現状はどうなっているのだろうか。社団法人家庭養護促進 協会が大阪市内で開いている「養子を育てたい人のための講座」をのぞいた。

 神戸市と大阪市に事務所を持つ同協会は、親の離婚や病気、家出などの事情で、親 に育ててもらえない子どもたちの里親を探している。「愛の手運動」として里親探し を進めた子どもは、三十年間で約三千人。うち養子縁組までこぎつけたのは千二百五 十人になる。
 大阪市天王寺区の市立社会福祉センターで十二日開かれた今年度最初の講座には、 三十代後半から四十代前半の夫婦を中心に二十七組が出席。京都府や滋賀県からもや って来た人もおり、ほぼ全員が不妊に悩む夫婦だ。
 この日は、カー用品販売店に勤める大阪府寝屋川市の岸晃昌さん(二一)が、約四 十人の養親希望者を前に自らの養子体験を語った。
 岸さんは生後まもなく、同協会大阪事務所を通じて滋賀県内の住職の養子になった。 小学三年のとき、父母から養子と知らされた。二歳違いの弟も養子だった。そんなに ショックはなかった。「おれは養子やねんぞ」と友達に言いふらしたほどだ。
 中学二年のころ、何となく実の親に会いたくなった。高校卒業前に実親の手掛かり を求めて協会を訪ねたこともあるが、結局会わなかった。「自分を産んだ人がどんな 顔か見たかっただけ。母親とは思っていない」と、岸さんは率直に話した。
 受講者から「反抗期はあったか」「どういうとき実親に会いたいと思うか」「養子 であることを知らされないほうがよかったか」など質問が相次いだ。
 同協会大阪事務所長の岩崎美枝子さんは、養子を迎える心構えについて「子どもが いない親側のさびしさの埋め合わせにされるのでは、子どもは迷惑です。血のつなが りがなくても親子になれることを信じて、子どもを迎えてほしい。日本の社会ではま だ少数派の生き方でしょうが、誇りを持ってほしい」という。
   ◇   ◇
 十一日のひととき欄に養子を育てる喜びを投稿した兵庫県三木市の主婦、東中香代 さん(四五)は、特別養子で「長男」を授かった。
 子宮摘出で不妊がはっきりした東中さんは四年前、「望まれずに生まれる赤ちゃん がいる」という話を聞き、すぐに神戸家庭裁判所に特別養子縁組を申し出た。生まれ て八日目、産院を退院するときに赤ちゃんを引き取り、育て始めた。その後、裁判所 による調査が続き、十カ月後にようやく養親と認められた。
 東中さんは、養護施設で暮らす子どもを夏休みと冬休みに預かる季節里親も引き受 けている。「事情をまったく知らない人に『うちの子は養子なの』と言うと、一瞬驚 いた表情になり、次に『えらいわね』と言われることが多い。『それはよかった、す てきね』と言ってほしい。養子が特別なことでなく、当たり前に受け入れられる世の 中になればいいと思います」と理解を求めている。
  ◇   ◇
 家庭養護促進協会の連絡先は大阪事務所(06・762・5239)、神戸事務所 (078・341・5046)。

 <特別養子制度とは> 養子制度には、従来の成人が多い普通養子に加え、八八年 に特別養子制度が設けられた。家庭裁判所の審判を経て、養子と実親との法律上の関 係を断ち切り、養父母との間に実の親子と同じ関係をつくることが目的だ。宮城県石 巻市の産婦人科医師が赤ちゃんを他人の実子としてあっせんした事件もきっかけとな り、民法や戸籍法が改正された。
 養親になれるのは一方が二十五歳以上の夫婦で、養子は六歳まで。試験養育期間が 六カ月以上必要。戸籍上は従来「養子」と記載していたのが「長男」「長女」と書け る。最高裁判所によると養子縁組が認められたのは、九二年度に普通が千百八十五件、 特別は四百六十九件。特別養子制度がスタートした年には、特別養子縁組の希望者が 多かったため三千二百一件の申し立てがあり、うち七百三十件が認められた。

朝日新聞社


1993/05/04 朝日新聞

8日、朝霞で里親セミナー /埼玉
朝刊 24頁 埼玉版 写図無 (全298字)

 朝霞市が、八日午後一時から、同市岡のコミュニティセンターで「里親ってご存じ ですか?」と題したセミナーを開く。
 「里親制度」は、児童福祉法に基づいて、病気や離婚などの事情で子どもを育てら れない親に代わって、育てる制度。県内には昨年六月現在で、約四百三十組が里親と して登録しており、うち約百九十組が約二百四十人を実際に養育しているという。朝 霞市では、二組が四人を育てている。
 当日は、児童相談所の職員が制度や養護を必要とする子どもたちの実態を説明する ほか、同市内の里親が、体験談を話す。定員五十人で、市外の人も参加できる。参加 費は無料。問い合わせは同課(〇四八―四六三―一一一一、内線二六四二)へ。

朝日新聞社


1993/03/27 朝日新聞

マンションに置き去りの赤ちゃん元気に育つ 川崎・高津区 /神奈川
朝刊 25頁 神奈川版 写図有 (全225字)

 昨年十一月五日、川崎市川崎区川中島一丁目のマンション入り口付近に置き去りに されていた女の赤ちゃんは、現在、高津区の県立川崎乳児院で、すくすくと育ってい る。
 赤ちゃんは生後五カ月目。保護された当時は、体重約二千五百グラムだったのが、 約六千八百グラムに増えた。名付け親は高橋清川崎市長で、「川島昌美」と命名され た。
 川崎署では、県内の病院を中心に聞き込みをしたが、肉親の手掛かりは得られなか ったという。肉親が名乗り出ない場合、五月から里親探しが始まる。

朝日新聞社


1993/02/25 朝日新聞

養護施設の児童にわいせつ行為容疑 高校教員を逮捕 埼玉
夕刊 13頁 1社 写図無 (全362字)

 埼玉県警捜査一課と西入間署は二十五日、同県内の民間養護施設に入所している男 の子にわいせつな行為をしていたとして、国立筑波大付属高校(東京都文京区大塚一 丁目)教員の同県坂戸市山田町、小松広一容疑者(四〇)を強制わいせつの疑いで逮 捕した。
 調べによると小松容疑者は、九二年十一月初旬、同養護施設の小学六年生の男子 (一二)を自宅に連れ込み、「裸になれ」と命じて、写真を撮ったり体に触るなどし た疑い。同年五月にも同施設の中学一年生の男子(一二)に、裸にさせるなどのわい せつな行為をした疑い。
 同施設には親のいない子どもなど三十三人が入所。夏休みや正月に一般家庭に短期 間預かってもらう「里親運動」が進められている。小松容疑者は八九年暮れから「里 親になる」と出入りし始め、「勉強を教える」などと言って、子どもを連れ出してい た、という。

朝日新聞社


1993/01/28 西日本新聞

赤ちゃん置き去り10日、育てたいとの申し出10件 筑豊
朝刊 16頁 10版16面3段 (全558字)

 十八日朝に福岡県飯塚市伊岐須の民家の軒下で、タオル二枚にくるまれた赤ん坊が発見されて十日がたつ。飯塚署の調べでも、依然として親は見つかっていない。赤ん坊は 同市飯塚病院に入院、元気を取り戻しているが「赤ちゃんを育てたい」との申し出も殺到しているという。
 置き去りにされた日は午前中、小雪がちらついていた。同病院小児科の平田知滋担当医は「運び込まれたときは、体温が測れないほど冷えていた。発見が遅れれば、恐らく 助からなかっただろう」と話す。
 入院当初、二千四百四十八グラムの未熟児だったが、今では二千六百八グラムとなり「ベビーベッドで元気に成長している。ミルクもよく飲み、近く退院する予定です」(同病院 小児科)と言う。
 田川児童相談所によると、親が見つからなかった場合は、乳児院に送られるか、里親制度の登録家庭に引き取られる。赤ん坊は今のところ、鞍手町の乳児院で預かってもらう ことになっている。
 同病院にはこれまでに「わたしが育てたい」と十件以上の申し出が寄せられており、同署は「生んだお母さんに早く出てきてほしい」と話している。

西日本新聞社


1993/01/25 朝日新聞

「親子」見つめ直す契機に 里親探しの記録を出版 /兵庫
朝刊 87頁 兵庫版 写図有 (全865字)

 親と暮らせない子どもたちに里親を探す「愛の手運動」を進めてきた民間福祉団体、 社団法人「家庭養護促進協会」神戸事務所=神戸市中央区橘通三丁目=のケースワー カー、米沢普子さん(48)の相談記録と里親、里子の寄稿四編をまとめた「愛の手 をさがして」が、同協会の三十周年を記念して出版された。

 愛の手運動は、親の事情で育てられなくなった子どもを一般家庭で育ててもらおう と一九六二年に神戸で始まった里親さがし。現在は大阪にも事務所がある。米沢さん は大学卒業後、二十年間にわたりケースワーカーとして、血のつながらない親子の新 しい関係づくりに力を注いできた。
 「愛の手をさがして」は八章からなり、真実を知らせた時の親子の悩みや米沢さん の胸を打ったエピソードの数々のほか、里親制度の説明、外国の養子縁組との比較、 窓口に寄せられた相談内容などをつづっている。
 米沢さんのもとには、いろいろな人が相談に来た。「紹介された家庭とそりが合わ なかった」と、自分の生い立ちを知るために訪ねてきた若い女性。かつて世話をした ことのある米沢さんが、彼女の名前を思い出すと、「神戸は私の生まれた町。私の小 さい時のことを知ってくれている人がいた」と涙ぐんだ。
 ある女の子は、「生まれた時のことをお母さんに書いてもらうように」という宿題 を出され、帰るとすぐ「お母さんは産んでないから書けないよね」と言った。里親は 子どもが幼かったころから音楽が好きだったことや、泣き声が小さかったことを苦労 してまとめた。作文を学校へもって行く時の女の子の笑顔を、里親は今も忘れられな いという。
 「里親は、特別な人が特別なことをしているのではない」と米沢さん。「自分のル ーツを探し求め、何のために自分は生まれてきたのか、自問する里子の姿は生きるこ との意味を問い直すきっかけになる。血のつながらない親子の姿を通じて、親子関係 を見つめ直して欲しい」と話している。
 B六判、二百七十八ページ。千五百円。一般書店で販売している。問い合わせは家 庭養護促進協会神戸事務所(078・341・5046)へ。

朝日新聞社


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