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1992/12/2 朝日新聞

「横堀ホーム」人生素晴らし 写真集を自費出版、紹介 群馬・大胡町
朝刊 74頁 群馬版 写図有 (全1299字)

 健康な人も、弱い人も、子供も、老人も、お互いに相手のことを思いながら、安心 して生活していくところに、私たちは意味を見いだしている――。大胡町堀越で、養 護を必要とする子供や障害者、老人が共同生活を送っているファミリー・グループホ ーム「横堀ホーム」ができて10年が過ぎた。「親」である横堀哲夫(59)、三千 代(61)夫妻が、ホーム誕生10年を記念して写真集「家に帰る−横堀ホームの十 年」を自費出版した。哲夫さんが撮りためてきた写真約200枚に、三千代さんがそ の時々の思い出を添えた。「能力、個性の違う人間が支え合って生きていく生活の素 晴らしさを知ってほしい」と語っている。

 ファミリー・グループホームは、里親制度と施設制度の両面を備えており、「集団 養護家庭」「子供の家」とも呼ばれる。年齢制限もなく、条件が合わないために福祉 サービスを受けられない人たちも受け入れやすい。人件費や住居費などを自治体が助 成し、恵まれない子供を家庭的な環境の中で育てる。横堀ホームは1982年4月に 完成。公的な援助はなく、哲夫さんの収入や、それぞれがもらっている障害者手当、 年金などを持ちよって暮らしている。県内にはほかに例がない。
 今年の正月、「10年を迎えた記念に、何か形に残ることをしよう」と「家族」で 話し合った。写真集なら、野菜などを差し入れて助けてくれた地域の人に感謝をこめ て配ることができる。まだあまり理解されていないホームの活動をたくさんの人に知 らせることもできる。「よし。それでいこう」と決まった。
 現在ホームで生活しているのは中学1年生から63歳までの10人。彼らの暮らし ぶりや、これまでにホームから巣立っていった70人余りの生活の記録をまとめるこ とになった。
 夫妻は、県内の養護施設に住み込みで勤めていた30年間にさまざまな子供の手助 けをしてきた。施設を出て結婚した男性が、ある時、訪ねてきた。「施設にいるとき は、ストーブに入れる石油はいつもドラム缶にたくさんあったし、決まった時間に食 事が出てきたが、今はまるで違う。生活するのに疲れた」とこぼした。家庭生活を経 験したことのない子供が大人になっていきなり社会に出ても、なかなか適応できない のだ。そうした経験が下敷きになって、ファミリー・グループホームを造ることに踏 み切った。うわさを聞きつけた養護施設の卒業生が大勢集まってきて、手助けをして くれたという。
 最初は里親のつもりで始めたが、次第に、障害者やお年寄りも集まってきた。どん な人でも受け入れる夫妻のもとを訪れる人は後をたたない。
 先日のこと。19歳から6年間をホームで過ごし、今は福祉施設で給食の仕事をし ている女性が、ホームで開いたクリスマス会に、東京から手伝いに来てくれた。「来 たばかりのころは1人でトイレにも行けなかったのに、帰宅後、『帰りつきました』 と電話をくれるような立派な娘になりました」とうれしそうに話す。「この写真集が、 福祉に携わる人、志す人たちの参考になれば」と話す。
 1冊2500円。申し込みは、〒371・02 大胡町堀越1860の7 横堀ホ ーム(0272―83―6855)へ。

朝日新聞社


1992/12/19 朝日新聞

「これからの家族」を出版 川越の児童文学作家、花井泰子さん
朝刊 24頁 埼玉版 写図有 (全656字)

 川越市砂の児童文学作家花井泰子さん(57)が、「家族」の在り方を問いかける 創作童話「これからの家族」を「けやき書房」(東京都三鷹市)から出版した。


 花井さんが、童話を書き始めたのは、20年ほど前。養護施設の子供たちに、自分 でつくった童話をはがきに書いて送る「小さい童話の会」の活動を、朝日新聞で知っ たのがきっかけだった。90年3月には「第12回子ども世界新人賞」と「第22回 埼玉文芸賞児童文学賞」を受賞した創作童話「新河岸川の八助」を出版している。
 物語は、主人公の明少年の両親が、クリスマスの日に交通事故で死んでしまう。明 は養護施設に預けられるが、独身の女性に里子として引き取られる。この女性は、老 人ホーム入っていたおばあちゃんも引き取って3人で生活を始める。1年後、この女 性が結婚して4人家族となり、他人同士がひとつ屋根の下で、互いに協力し合って困 難を克服し、幸せに暮らしてゆく「家族」の姿を描いた。
 花井さんは以前、川越市の婦人指導研修会に参加。児童相談所や養護施設、里親に なった人たちを訪ね、様々な事情で施設に入らなくてはならない子供の実態を目の当 たりにした。
 「ひとりぼっちで施設に入らざるを得ない子供たちがいる一方、テレビや電話のあ る自分の部屋に閉じこもって家族で過ごす時間が減っている親子。個人の生活がより 重要視され、家族のきずなは希薄になっています」と、花井さんは話している。
 「これからの家族」は、A5判、222ページ。1500円(消費税込み)。20 00部印刷され、近く全国の主要書店に並ぶ。

朝日新聞社


1992/12/15 朝日新聞

置き去り赤ちゃん、乳児院で「親」を待つ(ニュースの周辺) 栃木
朝刊 37頁 栃木版 写図無 (全837字)

 宇都宮市江野町の宇都宮乳児院に14日、生後約1週間の女の赤ちゃんが入所した。 この赤ちゃんは今月6日未明、宇都宮市住吉町の金沢産婦人科病院前の植え込みの中 で置き去りにされていた。これからは保護者か里親が現れるのを乳児院で待ち続ける。


 宇都宮中央署によると、赤ちゃんが発見されたのは午前2時ごろで、屋外の気温は 零度まで下がっていた。赤ちゃんの唇は紫色に変わり、手足も冷え切っていたが、同 日朝には元気な泣き声を取り戻した。
 おなかにはへその緒もついたままだった。母体側の切り口の状態から、母親が自分 で切ったのではないかとみられている。
 赤ちゃんが置き去りにされた場合、戸籍法に基づき、発見場所の市町村長が名付け 親になる。病院の看護婦からは「ハナコちゃん」と呼ばれていたこの赤ちゃんも、新 しい名字と名前がつけられた。五味渕勇一・県中央児童相談所長によれば「名字は捨 てられたことを全く想像させないようなありふれたものにしてある。名前はその子の イメージにぴったりする可愛らしいもの」。もちろん、赤ちゃんの姓名は関係者以外 には伏せられている。
 行方の知れない保護者と赤ちゃんの結び付きを示すものは、2枚の産着とピンクの 毛布、背中に入れられていた使い捨てカイロだけだ。中央署は宇都宮市内の産婦人科 病院などを中心に、母親の行方を捜しているが、いまだに手掛かりはない。乳児院に 入所したとき、赤ちゃんが持って来たのは、木の箱に入ったへその緒ひとつ。産着や 毛布などは乳児院に届けられていない。岡崎一男・宇都宮乳児院長は「乳児院は入所 してきた子供を平等に健やかに育てることだけが仕事。その子供の入所までの経緯を 示すものは、先入観が生まれてしまう」とその理由を話す。
 1986年から宇都宮乳児院が預かった捨て子は、この赤ちゃんで5人目。今まで の4人は、全員1年以内に里親に引き取られた。岡崎院長は「この赤ちゃんは、元気 な泣き声で自分の存在を主張している。必ず、いい里親さんが見つかりますよ」と笑 った。

朝日新聞社


1992/10/08 朝日新聞

両親絶縁した米少年に感慨(声)
朝刊 15頁 声 写図無 (全472字)

 下関市 大田恵子(主婦 43歳)
 米・フロリダ州で、12歳の少年が両親との絶縁を求めた裁判を起こし、その裁判 の様子が先日のテレビニュースで放映された。
 両親が離婚し、アルコール依存症の実父に長年、虐待され続けてきたという少年に、 裁判官は「親を懲らしめるために訴えたのか」と聞いた。少年は、「自分自身が幸せ になりたいためです」と答えた。
 少年は勝訴し、里親の養子になることが決まった。その瞬間、涙をぬぐう実母の前 で、少年が里親と抱き合い、喜ぶ光景を、私は複雑な気持ちで見入った。
 人はこの世に生をうけた以上、だれしも幸せになる権利がある。ここ数年、我が国 でも親が子を殺す事件が相次いで起きている。子は、親を選んで生まれてくるわけに はいかない。
 それだけに、この少年が自分自身の幸せを得るために、親を選択する権利を勝ち得 たことは称賛すべきことである。12歳にして、彼は自らの手で人間が人間らしく生 きることの権利を取り戻したのである。
 とはいえ、「血は水よりも濃し」といった親子の縁が薄れつつある今の社会現象に、 一抹の悲しさも一方で覚えるのである。

朝日新聞社


1992/09/27 朝日新聞

実母との絶縁認定 米の裁判所
朝刊 26頁 2社 写図無 (全100字)

 【ニューヨーク25日=富永伸夫】12歳の少年が実母との絶縁を求めていた米国 フロリダ州での裁判で25日、少年が勝訴し、里親の養子になることが決まった。子 供に親を選ぶ権利を認めた、米国史上初めての判例。

朝日新聞社


1992/09/11 朝日新聞

里子3人、風のように(ひととき)
朝刊 19頁 第1家庭 写図無 (全663字)

 夏の初めの児童ホームでの里親会議。今年は小学4年の春奈ちゃんと6年の文絵ち ゃんが、我が家に来ることに決まった。帰ろうとすると、主任保母のN先生に呼びと められた。
 「恵が『どうしてもお宅に行きたい』というのですが、3人はご無理でしょうね」
 恵ちゃんは昨年末に来た子で、今年は中学生。規則は小学生が対象だが、里親が同 意すれば許可される。子供から望まれるなんて里親みょうりに尽きるというもの。2 人も3人もたいした違いがなかろう。たかをくくって引き受けた。
 さて、夏休みも終わり近くやって来た3人。さあ、今夜のメニューは……。「魚は 嫌い」「肉はいや」「カップラーメン大好き」「カレー」「ハンバーグ」などと、勝 手なことをいう。
 協議の末、スパゲティミートソースとトリの空揚げ、それにサラダと決まった。
 買い物から料理のお手伝いでワイワイガヤガヤ、何とにぎやかなこと。ひごろ、食 べなれない献立に、おじいちゃんは目を白黒。
 女3人寄ればかしましいとはいうものの、おふろでもザーザー、キャーキャーの連 発だ。テレビのくだらぬ番組を「ワァー」と遅くまで見る。チャンネル権を奪われた おじいちゃんは、負け犬のようにおとなしく付き合った。
 3泊4日の里子旋風。今年は一段と大きく吹き荒れた。帰る際、3人は「来年も希 望してあげるからね」とあっけらかんと言った。
 疲れた。けれどこの充実感はどうだろう。
 窓からの風に近づく秋の気配を感じながら、「来年は、ちとしつけを」などと、鬼 の笑うようなことを考えている。
 (北九州市八幡西区 松尾迪子 主婦・67歳)

朝日新聞社


1992/08/13 西日本新聞

福岡市でふれあい里親制度の対面式、施設の子供が家庭へ
朝刊 17頁 20版17面2段 (全465字)

 お盆期間中、乳児院や養護施設などで生活する子供たちに家庭生活を体験してもらう福岡市の「ふれあいお盆里親制度」の対面式が十二日、福岡市中央区赤坂の中央市民 センターで行われた。
 同制度は施設の子供たちに家庭の温かさを味わってもらおうと国際児童年(一九七九年)を機に開始。十四回目の今年は、福岡子供の家など市内四施設の二歳から十六歳ま での八十五人が、十五日まで三泊四日の日程で里親の五十七家族の元で生活する。
 対面式では五斗美代子市児童相談所長が「里親の人たちと一緒に素晴らしい思い出を作ってください」とあいさつ。里親の家族と対面した子供たちは花束を手渡し、「よろしくお 願いします」と恥ずかしそうにあいさつを交わした。
 今年初めて里親を希望した粕屋郡粕屋町の八尋八郎さん(42)は「中一と小一の子供さんを預かります。五人の子供がいるのでにぎやかなお盆休みになりそうです」と話して いた。子供たちは里親と各家庭に向かい、楽しい家庭生活を始めた。

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1992/07/07 西日本新聞

家庭の味体験させて、お盆の里親募集・福岡市児童相談所
朝刊 24頁 30版24面2段 (全403字)

 親の病気などで施設生活する子供たちが家庭の味を体験する「ふれあい(お盆)里親行事」が今年も行われる。主催者の福岡市児童相談所は二十日まで里親を募集してい る。
 約八十人の児童たちが八月十二日から三泊四日の日程で公募の里親の元に帰省する。
 里親行事は今年で十四回目。昨年は五十一家族が八十一人を受け入れた。
 昨年の里親の半数はここ数年、継続して子供を受け入れており、中には六年間同じ子供の里親になったケースもある。
 福岡市内には四つの児童施設があり、現在約二百五十人が入所中。里親は四日間預かれることが条件で、市外在住でもよい。十五日午後二時から福岡市南区大楠一丁目 の同市児童相談所で事前説明会。問い合わせは同市児童相談所=092(522)2737。

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1992/05/11 西日本新聞

施設の子らがスポーツで交流、アイリンピック大会 山口
朝刊 24頁 20版24面3段 (全589字)

 山口県内の児童福祉施設や精神薄弱者施設の入所者・子供たちが一堂に集まる「第二十五回県アイリンピック大会」(県など主催)が十日、山口市吉敷の維新記念公園陸上 競技場で開かれ、参加者は、汗ばむような初夏の日差しを浴びながらスポーツを楽しんだ。
 アイリンピックは、各種の福祉施設の入所者たちが、スポーツやレクリエーションを通じて施設間の相互交流を深めるのが狙い。昭和四十一年以来、同五十四、五十六年を除 いて毎年五月に開催されている。
 大会には、養護施設、身体障害児施設、里親会など五十一の施設・団体から、入所者、ボランティア、家族など合わせて約四千人が参加。開会式では、山口市の、るりがくえ ん通勤寮の松坂康成さん(27)が「母の日の今日、明るく、楽しく、元気に頑張ります」と力強く宣誓した。
 競技は、施設対抗リレーや玉転がし、リズム体操、車いすパン食い競走など盛りだくさん。リズム体操では、児童養護施設に入所している二―六歳の幼児約五十人が参加。 ボランティアのお姉さんたちのリードで「大きなたいこ」「モコモコピョン」のリズム音楽に乗って、元気いっぱいの体操演技を披露。会場から大きな拍手を浴びた。

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1992/05/08 西日本新聞

宮大農学部の里親制度、許さんと第1号の縁組 宮崎
朝刊 20頁 0版20面3段 (全496字)

 宮崎大学農学部(玉井理学長)が、全国に先駆けて発足させた教職員による留学生の里親会・レインボーブリッジ会の第一号縁組がまとまり、七日に調印式があった。
 里子になったのは、中国吉林省出身の許徳龍さん(32)。調印式には、同学部国際交流員ら十五人が出席。玉井学部長が「留学生の研究に力を尽くすのはもちろん、経済面 でも協力をしたい」とあいさつ。覚書を交換し、関係者が握手を交わした。
 許さんの専攻は、家畜微生物学。昨年、東京大学に研究生として在学中に、この里親制度を知って応募した。今後二年間、同会から学資、生活費として月額九万円が支払わ れる。許さんは「援助はとても助かります。将来は博士号を取得したい」と話していた。同学部には現在、三十七人の留学生が在学しているが、文部省の国費留学生に指定され るのは、年間わずかに数人。経済的負担から留学したくてもできない留学生が多いことから「一人でも多くの留学生を受け入れよう」と昨秋、同制度がスタートした。今回は、許さ んを含め中国、韓国などから約十人の応募があった。

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1992/04/08 朝日新聞

「親方」の職種拡大 親いない少年に職業指導する役、厚生省が見直し
夕刊 10頁 2社 写図無 (全894字)

 養護施設で生活し、中学校を卒業した少年が仕事に就くとき、手に職をつけるため の保護者を認定する「保護受託者制度」が、40年を経過して現代の若者気質に合わ なくなっている。大工や左官などの職種に限られていたためで、「親方」についての 修業などに途中でやめるケースが増えている。厚生省は「喫茶店のマスター」や「ス ーパーの店長」などにまで枠を広げるよう、見直すことを決めた。5月までに改正す る。


 保護受託者制度は親子関係を築く里親制度と異なり、養護施設や里親、教護院など から中学を卒業した少年が社会的に自立できるように職業を指導するいわば「親方」 制度で、知事に認定されれば、少年1人ごとに月1万9000円が支払われる。
 1951年に児童福祉法に基づいた児童局長通知で創設された。「親方」になるの は「仕事の経験を相当年数積んで熟練したもの」で、大工や建具職、美容・理容師な どの職種に限定されていた。
 しかし、近年になって、中卒者の離職率は高くなり、75年の離職率は20%だっ たが、89年には41%と倍増。とくに、親方―弟子の関係が厳しい職種が敬遠され がちで、建築業関係に就職した少年の離職率は5割を超えている。このため、約30 年前は2500人以上いた「親方」は、現在は数人しかいなくなってしまった、とい う。
 今回の見直しでは、ガソリンスタンドの店長やソバ屋の経営者など個人商店だけで なく、セールスマンも「親方」の対象となり、直接自分が職業指導せずに知人を介し て指導する場合も認められるなど、大幅に職種を広げる。
 厚生省の調べでは、90年に養護施設から中学を卒業した生徒は約3000人で、 3割近い約850人が就職した。
 また、これまで「親方」になるにはさまざまな制約があり、経済状態や近所の評判、 家庭の雰囲気など細かい点まで調べられたうえ、「食事はなるべく変化に富み、かつ 児童の労働を補うに足る熱量を含有していなければならない」など、衣服から疾病対 策まで細かい規定が盛り込まれていた。
 見直しでは、細かい認定の手続きを廃止して、熱意と愛情を持って職業指導できる 人なら対象となるよう定めることにしている。

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1992/02/25 西日本新聞

家庭の孤立化強まる、福岡市児童相談所が養護事情分析
朝刊 24頁 30版24面4段 (全806字)

 「養護施設などで措置した子供をみると、家庭の孤立化は一層強まっている」。福岡市児童相談所(同市南区大楠、五斗美代子所長)が実施した一九八九年度の養護分析が このほどまとまった。市内の施設などで措置した全事例を分析、七七年度と八二年度との比較を行っており、より深刻な子供の養護事情が裏付けられた。
 調査は乳児院、養護施設、里親などに措置委託した子供百六人、八十世帯を対象に実施。結果は、同相談所が開設二十周年を記念してこのほど発行した「児童相談所開設2 0年誌」に掲載されている。
 それによると、子供の三分の二が六歳未満の乳幼児で、全体の半数に発育不良や学力不振など情緒面の問題がみられた。養護の理由では、父母の突発的な事故よりも母 の家出、置き去り、虐待など家族の破綻(たん)を伴う事例が以前より目立っている。また親の学歴、経済状態とも低い傾向にあり、依然、経済問題との絡みが根強かった。
 さらに父母自体の生育経過をたどると、父親の約三三パーセント、母親の約五三パーセントに問題がみられた。親自身が肉親との離別を経験したり、親子関係がよくないなど の場合が多かった。
 子供の入所前、七七年度では約二〇パーセントが祖父母や伯・叔父母に養育されていたが、八九年度ではわずか約三パーセント。
 親族からの援助を受けられない主な理由は、「援助のゆとりがない」が約五一パーセント、「関係がよくない」が約三三パーセントと、いずれも以前より増加していた。
 同相談所は「施設入所者数は横ばいだが、内容が深刻化している。今後、子供だけでなく家族全体を視野に入れた総合的な支援システムが必要」と結論づけている。

西日本新聞社


1992/02/24 西日本新聞

[交流日誌]マイセハ里親かごしま会・入佐真澄世話係
朝刊 5頁 15版5面3段 (全496字)

 ●マイセハ里親かごしま会 入佐真澄・世話係
 フィリピンでは、子供たちも生活費を稼ぐために労働力として駆り出され、学校に行きたくても行けない者が、数多くいます。このような不遇な子供たちへ、せめて義務教育の六 年間だけでも学ばせてやりたい、という願いをもつ民間団体。マイセハと呼びますが、正確にはマニラ・八木教育里親運動の会というのです。今年が、発足十周年の記念の年に なります。
 小学生で一年に一万三千円の就学資金を出してやることによって、里親・里子の縁が結ばれ、卒業するまでその関係は続きます。私も今、小学三年の少女を里子として預かっ ておりますが、三月には就学資金伝達のため、代表団の一人としてマニラに行ってきます。里子に会えるのも楽しみの一つです。
 今、全国の里親数は約千人。それぞれが、時折送られて来る里子からの手紙の封を切るのが楽しみのようです。
 鹿児島県姶良郡姶良町平松五四八一、電話0995(65)3304。

西日本新聞社


1992/01/22 西日本新聞

日系二世女流作家ヒューストンさん、明治女テーマに九州取材
夕刊 2頁 0版2面4段 (全868字)

 第二次大戦中の日系米人隔離収容所の悲惨さを「フェアウエル・トゥ・マンザナー」(さらばマンザナー収容所)と題して白人の夫と共同出版した有名な日系二世女流作家、ジー ン・若月・ヒューストンさん(57)=米国カリフォルニア=が今、福岡市を基地に九州各地を取材旅行。「ファイアー・ホース・ウーマン」(ヒノエウマの女)と題する小説を書きつつあ る。
 明治時代、ヒノエウマ年生まれの女性は日本国内で嫁にもらい手がなく、写真見合いで米国移民の男性と結婚。そのハンディや気丈さ、女性らしさのゆえに、米国で生き抜くこ とができた。これらの要素が日系四世にも生きている筋にしたいという。
 明治女のイメージを求めて福岡市では、気っぷのいい”馬賊芸者”を生んだ「水茶屋券番」出の元芸妓(げいぎ)、高橋ふみさん(83)を取材、高橋さんの世話で櫛田神社の月 例会にも参加、お年寄りと交流した。高橋さんは米国人の日本陶磁器研究家アンディー・マスキさん(29)の里親を務めて下宿させており、「小唄やお辞儀など外国人に厳しく教 えていると批判する人もいますが、これが当たり前なんですよ」などと語った。
 ヒューストンさんは「高橋さんに明治女の心や伝統文化への愛着を感じる」と感動することしきり。「日本は経済大国になったが、美しい自然、それがはぐくんだ伝統的な心や文 化を失いつつある。私が東京を避けたのは九州からの移民が多かったこともあるが、まだ博多や農村などにこれらの要素が残っているからだ」と説明した。
 さらに「国際化は自分の文化を維持し、相手の文化を理解して協調することだ。米国は多民族国家であり、その文化の多様性のおかげで、発展してきた。しかし、米国は日系 米人を隔離する過ちを犯した。日本の文化をもっと理解すべきであり、私の本がその教育に役立てば幸いです」と語っている。

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1992/01/09 朝日新聞

正月早々、生後2カ月男児の捨て子 東京・三鷹の団地
朝刊 32頁 東京版 写図有 (全584字)

 正月早々の2日、三鷹市の団地に生後2カ月ほどの男の赤ちゃんが捨てられていた。 まだ名乗り出る人はなく、預けられた乳児院で無心の笑顔をふりまくだけ。名前も知 れない赤ちゃんに、春はまだ来ない。
 2日午後4時ごろ、三鷹市牟礼の公団三鷹台団地の芝生に置き去りにされているの を交通事故の現場へ向かう途中の三鷹署員が見つけた。髪は長め、子犬のイラストと 「WAN」の文字をちりばめたタオル地のパジャマを着、紙おむつをしていた。
 この場所は、同署牟礼派出所から約2メートルしか離れていないが、派出所からは 死角になっていて、署員はまったく気づかなかった。同署は、赤ちゃんを中野区白鷺 の聖オディリアホーム乳児院に預けるとともに、親を捜しているが、手がかりはない。
 赤ちゃんは元気いっぱい。よく笑い、それがかえって涙を誘う。親が名乗り出なけ れば、三鷹市長が命名、管轄の都杉並児童相談所が中心になり、里親を探すか、施設 に託すことになる。
 同乳児院の入江嘉子院長は「産んだ直後に捨てたのではないから、親に情は移って いるはず。名乗り出る可能性はある」と、ひたすら待つ。杉並児童相談所では、「正 月早々に捨てるとはよほどの事情があったのだろうが、何とか親が見つかって欲しい」 。
 都児童部によると、都内での捨て子は昨年度12人。「経済的に豊かになって、昔 よりは減りましたが、なかなかゼロにはなりません」

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1992/01/05 朝日新聞

さし引き0円なり 「わが子」投資、里親20年(願いましては:4)
朝刊 30頁 2社 写図有 (全1601字)

 おばちゃんは「娘」(17)の右手首をつかむと、無言で洗面所へ引っ張って行っ た。洗面器にお湯をはり、小さな手を一瞬だけ、お湯の中に押し込む。
 「これ熱いろ?口の中さ入れられっか」
 「入れられね」
 「お年寄りにもちょうどいいお湯をやらねばの」
 山形県羽黒町の特別養護老人ホーム。鶴岡市の太田征子さん(47)は、知恵遅れ の「娘」にお湯の熱さを教えた。昨夏の実習中、おばあさんに熱過ぎるお茶を出し、 口の中をヒリヒリさせた直後のことだ。
 「娘」は3歳の時、置き去りにされ、施設でいじめられ続けた。3年前、里子とし て太田さんの家に来た。養護学校卒業後は、老人介護での自立を目指している。
    *   *   *
 太田さんは、里親を20年続けている。20人以上の「わが子」を社会に送り出し た。夏、冬休みには留学生たちにも自宅を開放する。
 現在の太田家は、夫や両親ら家族6人、里子の高校生の「息子」4人と「娘」、同 じように迎え入れた精神障害者3人、それに下宿させている山形大生4人。
 午前5時20分、18人分の食事と、弁当作りで1日が始まる。バスの時間を見計 らって、7時42分から順に高校生の部屋に行き、「起きれ」とふとんをはぎ取る。
 手のあいた昼は、自宅が共同作業所に変わる。精神障害者と一緒に、単価1円の手 作業を昨春から始めた。夕食の後片付けを終え、4畳半の自室で日記を書くときだけ が1人の時間。
    *   *   *
 20年前、知人に頼まれて精神障害者を預かったのが、里親のきっかけだった。農 機具製造業をしていた父親(81)が工員らを住み込ませていたので、大家族には、 慣れていた。
 貧困。離婚。母子家庭での親の再婚……。口コミで、子供を預けに来る親が続いた。
 最初から経済的な余裕があったわけではない。25年前の結婚当時、会社役員の夫 (60)は保証人として背負った7800万円の負債を抱えていた。子供をつくらず、 太田さんも喫茶店を経営。夫婦で月120万円を返しながら、預かった子供たちを育 てた。それが、生きる証(あかし)になっていった。
 借金を完済したある夜、食卓で夫がぽつりと言った。
 「必要以上の財産を持つより、人間に投資しよう」
 待っていた言葉。
 庭に平屋を新築し、「わが子」は、さらに増えた。
 特別な子育て理論などなかった。今も、体当たり、取っ組み合いの毎日。
 登校拒否のまま太田さんのもとに来た女子高生とは8カ月間、自転車で並んで登校 した。「万引きしたわが子」を引き取りに警察へ行った。隠したばこを見つけると、 「息子」のしりをほうきの柄で思い切りひっぱたく。
    *   *   *
 高校卒業後、3人に1人は実母のもとに引き取られる。その日に備えて「わが子」 全員に「おばちゃん」と呼ばせている。
 船員になってからも休暇には太田家に帰宅する「息子」のもとに、5年前、実母が 不意に現れた。十数年ぶり。水入らずに、と太田さんは座を外した。
 金の無心だった。「息子」は預金の3分の2に当たる400万円をおろして「これ は命を与えてくれたお礼。もう会うつもりはない」と、机の上に差し出した。「息子」 に頼まれ、太田さんは途中から同席した。実母は泣いていた。「このお金の重みだけ は、どうか分かって下さい」。一言だけ、口をはさんでしまった。
 太田家の生活費は月に約100万円。夫の年収は右から左に消えていく。大みそか、 居間に集まった「家族」全員の前で太田さんが夫に礼を言うのがならいになった。
 夫は短い言葉でいつもねぎらってくれる。
 「お前は、金の使い方が、本当にうまいね」
 元日、太田さんは新しい日記に、大みそかから老人ホームで始まった「娘」の2度 目の実習ぶりを書いた。部屋には、巣立って行った「わが子」たちの成長を記録した、 だれにも見せない日記帳が22冊。最期の日、全部ひつぎに入れてもらおうと決めて いる。

朝日新聞社


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