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1991/12/28 朝日新聞

元気で「親子」が再会 正月前に丹波へ 年末年始里親事業 兵庫
朝刊 87頁 兵庫版 写図有 (全542字)

正月を前に27日、丹波地方の家庭に、養護施設「立正学園」(加古川市)と「子供 の家」(尼崎市)の子どもら25人が元気にやってきた。さまざまな事情で父母と別 れて生活している18歳未満の子に温かい正月を楽しんでもらおうと、多紀、氷上両 福祉事務所が毎年実施している年末年始短期里親事業。「おかあちゃん」「大きくな ったね」と声をかけあい、1年ぶりの再会を本当の親子のように喜んでいた。
 同事業は1962年に始まり、多紀福祉事務所管内ではこれまでに約400人が里 親家庭になり、迎え入れた子どもは約800人。氷上福祉事務所管内でも約180人 が約200人の子どもと正月をともに過ごしている。両福祉事務所によると、短期な がらも“親子”のだんらんがきずなになり、手紙をやりとりするなどの交流が続いて いる。
 多紀郡を訪れたのは、立正学園の6歳から中学3年までの20人。マイクロバスで 丹南町の町民会館に着くと、降り続く雪に思わず「わぁ、寒い」。対面式では、長年 同じ子どもを世話している家庭が多いため、子どもを見つけた里親の顔に笑みが浮か んだ。式をすませた子どもらは多紀福祉事務所から菓子の詰め合わせを受け取り、み やげ話をいっぱい持ってそれぞれの家庭へ急いだ。
 1月4日まで、19軒の家庭に分かれて滞在する。

朝日新聞社


1991/11/21 西日本新聞

福祉の輪づくり推進、山口市で県総合社会福祉大会
朝刊 20頁 20版20面4段 (全1426字)

 山口県内の社会福祉関係者が一堂に会する「第四十一回県総合社会福祉大会」(県など主催)が二十日、山口市中央二丁目の山口市民会館で開かれ、これからの社会福祉 事業のあり方などについて活発な論議が行われた。
 同大会は、二十一世紀に到来する超高齢化社会を展望した「心のかよう福祉の風土づくり」を目指し、関係者の意識啓発のために開いたもので、県内の社会福祉団体や民生 児童委員、ボランティア関係者など約千五百人が出席した。
 午前中の式典では「福祉の輪づくり運動」の強力なな推進などをうたった大会宣言を採択。午後のシンポジウムでは、萩市母親クラブ連絡協議会の木村靖枝会長、光市身障 者福祉更生会の笠井弥太郎会長、宇部市福祉事務所の橋本剛所長ら五人をパネリストに迎え「地域福祉の充実や福祉の輪づくり運動をいかに進めるか」などについて、それぞ れの立場から意見を述べた。
 社会福祉功労県知事表彰を受けた人・団体は次の通り。(敬称略)

 【社会福祉施設従事功労者】相原タマエ(宇部市)上野尚子(同)塩田トミコ(同)松崎クキノ(山口市)池部久美子(徳山市)東敦幸(同)村谷道子(同)守田セツヨ(光市)渡辺照 子(同)川村幸徳(柳井市)矢尻豊徳(同)山根美和子(同)足立良明(新南陽市)高橋竜雄(熊毛郡上関町)岡崎邦子(都濃郡鹿野町)坂本百々江(豊浦郡豊北町)西村理一(阿 武郡阿東町)

 【社会福祉関係団体従事功労者】藤井孝明(宇部市)村田隆介(同)大田勇(萩市)秋本逸子(徳山市)山本和信(同)宇田恒助(防府市)西島一司(長門市)有田貞子(大島郡 大島町)川中正男(同)田中タケヨ(同)由良益雄(玖珂郡大畠町)緒方烈(吉敷郡秋穂町)

 【民生委員・児童委員功労者】小城松雄(下関市)坂倉武(同)白川登志子(同)〓田貞雄(同)中野田鶴子(同)浜辺新平(同)前田和子(同)山本慶市(同)和田晴美(同)坂本 貞夫(宇部市)中谷サダコ(同)藤田昌代(同)前出貞子(同)村岡康弘(山口市)阿武美智子(萩市)田淵逸枝(同)西山正(同)三好朝子(同)木村幸巳(徳山市)深川富江(同) 岩本ミサ子(防府市)上野清重(岩国市)広兼一光(同)麻生喜八郎(小野田市)林律子(光市)小林百江(新南陽市)礒辺輝子(大島郡東和町)井戸口梅子(同)中村愛(豊浦郡 豊浦町)山本清一(同)

 【里親】本末博行(下関市)野村清風(厚狭郡楠町)

 【心身障害克服更生者】佐々木幸治(下松市)早川洋太郎(岩国市)大谷昌富(阿武郡福栄村)

 【社会福祉奉仕者・団体】▽個人=丹田幸雄(下関市)岡福弘見(徳山市)中住範輔▽団体=婦人ボランティアサークルたんぽぽの会(宇部市)岩国手話サークル四ツ葉会(岩 国市)岩国点訳あすなろ会(同)第一竜王会(小野田市)

 【ホームヘルパー功労者】山本喜美子(下関市)木村ツヤ(長門市)藤村倫枝(玖珂郡玖珂町)角田美弥子(熊毛郡熊毛町)田中愛子(美祢郡秋芳町)

西日本新聞社


1991/09/27 西日本新聞

増える子供受難−−現状と問題点を五斗美代子氏に聞く
朝刊 13頁 0版13面4段 (全1116字)

 各地の児童相談所や民生委員、児童相談委員に寄せられる情報や相談に、親の幼児虐待や子供の放任に関した内容が目立ってきた。聞けばすさまじいものもある。こうした 「子供受難」の背景にあるものは一体何か。虐待された子供たちの現状と問題点について、福岡市児童相談所の五斗美代子所長に聞いた。
 まず「子供受難」の実態を相談からみると「たたく」から始まり「殴る」「ける」へと進む。中には水ぶろに入れたり、熱湯を掛けたり、さらに信じられないようなことだが、ノコギリで 体に傷をつけたりと、親の行為としては信じられない残虐な行為にエスカレートする場合もある。
 子の年齢は無抵抗な赤ん坊から小学生が中心で、両親から虐待されても逃げ道のない子供ばかりだ。虐待した後に、そのやけどや傷に驚き、治療に行った病院から相談所へ 連絡が入る、というケースがほとんど。そのような親を怖がって街でたむろし、万引して警察に補導される子供もいる。
 相談所に寄せられた虐待の相談件数は昭和六十二年度は二件、それが平成元年度には十八件に増加。平成二年度は十件と減ったが、本年度はまた増加傾向にある。
 子供の「放任」も目立つ。子供の食べる食事を作らず、買ってきた弁当を与えたり外食ばかりさせる。覚せい剤で母親が逮捕されたり病気で入院しても、子供の世話をする人が いない。こうした訴えで相談所にやって来る子供が後を絶たない。
 相談員が親と面接し、再び親元へ子供を返すか、そうでなければ乳児院(三歳未満)か養護施設に預けることになる。昨年からは親だけではなく、家族の問題として考えようと 「家族療法」も始まった。この療法は最近、全国的にスタートしたもので、家庭環境が子供にとって重要だ、という認識からだ。
 虐待、放任をする親たちは、二十代から三十代ばかり。結婚や家族の在り方が多様化し、考え方も夫婦ばらばら。子育てについても無知で、しつけの仕方や体罰の限度を知ら ない。子供への愛情も薄く、親類との付き合いもないようだ。親たちの不平不満が、子供にしわ寄せされている。
 このような子供たちに家庭の味を知ってもらおうと、毎年夏に三泊四日で「ふれあい(お盆)里親行事」を開いている。ボランティアで受け入れる家庭が毎年増えているのが、子 供たちにとって何よりの救いだ。

西日本新聞社


1991/08/24 西日本新聞

特別養子制の遺産残した菊田昇医師が死去、胎児尊重訴え続け
夕刊 3頁 0版3面3段 (全1364字)

 赤ちゃんあっせん事件で全国に大きな反響を巻き起こした産婦人科医の菊田昇氏が亡くなった。医師法違反に問われながらも、胎児の生命尊重を主張し続けた同氏が残した” 遺産”は―。
 事件の発端は昭和四十八年四月。宮城県石巻市で産婦人科医院を開いていた菊田医師が、中絶を頼みに来た母親を説得して出産させ、約百人の赤ちゃんを子宝に恵まれな い夫婦にあっせんしていたことが明らかになった。新しい両親がその子を”実子”として育てられるよう同医師は虚偽の出生証明書も発行していた。
 菊田医師は当時「受胎調節の失敗などで”望まれない子供”は、どうしてもできる。そんな時、母親は一歩間違えば子殺しの危険に直面する。母親が戸籍に子供の出生を書き 込みたくないからこそ、子殺しが起きる。子を救うためには実子あっせんしかない。それを認める特例法が、ぜひ必要だ」と主張した。
 しかし、全国の優生保護法指定医でつくる日本母性保護協会は「赤ちゃんをあっせんするなら養子の手続きを踏むべきだ」と菊田医師除名を決めた(五十年三月)。宮城県の産 婦人科学会も除名した(同年九月)。
 五十二年には、愛知県産婦人科医会の告発を受けて仙台地検が捜査を開始。同医師があっせんした赤ちゃんは四十八年以後も含めて約二百二十人に上っていたことが明ら かとなった。五十三年三月、同地検は菊田医師を医師法違反、公正証書原本不実記載などで略式起訴、仙台簡裁は罰金二十万円の略式命令を出した。
 この間、同医師は調べに対し「実子としてのあっせんは赤ちゃんの生命を守るために取った緊急避難措置」と主張する一方「今後は虚偽の出生証明書発行による赤ちゃんあっ せんはしない」との宣言もした。
 厚生省の六カ月の業務停止処分に対し、同医師は処分取り消しを求めて訴訟を起こしたが、一、二審とも敗訴。六十三年七月の最高裁でも「実子のあっせんは法律上許され ないだけでなく、医師の職業倫理にも反する」と上告棄却。
 しかし菊田氏の問題提起は世の中を動かし、六十二年には長い間求めてきた「実子特例法」に近い内容の「特別養子制度」が民法、戸籍法などの一部改正という形で実現し た。「実親の戸籍に出産事実を記載しない」という措置は認められなかったが、養子と生みの親との法律上の親子関係を断ち切る制度が誕生した。この成果に、菊田医師は「満 足は三分の二ぐらい。でも、これで日本の親子関係も血縁主義から愛情主義へと大きく変わるでしょう」と、喜びをかみしめた。
 今年四月には特別養子制度の創設に尽力したとして、スイスに本部がある国際生命保護連合から「世界生命賞」を贈られた。
 養子と里親を考える会理事長の米倉明東大教授(民法)は「客観的に見て、菊田さんが火つけ役になって、特別養子制度が生まれたといえます。あの人の問題提起に対して 政府も重い腰を上げたわけで、その点は忘れられません」と、その死を悼んでいた。

西日本新聞社


1991/07/06 西日本新聞

[募集]施設の子供たちのお盆の里親 福岡
朝刊 24頁 30版24面2段 (全527字)

 福岡市児童相談所は、同市の乳児院や養護施設で生活する子供たちをお盆期間中に一般の家庭に里帰りさせる「お盆の里親行事」を今年も実施する。同相談所では「家庭の ない子供たちに、ぜひ温かい生活を体験させてほしい」と里親の希望者を広く募っている。
 この行事は施設での生活を送る子供たちに、人格形成に欠かせない家庭生活をお盆期間だけでも体験させようとスタート、今回で十三回を数える。当初は市長が認定した里親 に預けていたが、昭和六十一年から一般市民の家庭にも里帰りさせている。七年間にわたって同じ家庭に迎えられる子供もいるなどすっかり定着している。
 今年の実施時期は八月十二日から三泊四日を予定。市内の施設に入所する約七十人の子供たちを預かれる五十世帯の家庭を募集する。子供たちは親が長期に入院したり、 所在不明になるなどの事情で施設生活を余儀なくされている。
 里親の募集締め切りは七月二十日。申し込み、問い合わせは〒815、福岡市南区大楠一ノ三五ノ一七、同市児童相談所=(522)2737=へ。同十六日午後一時半から同 相談所で行事の説明会を開く。

西日本新聞社


1991/05/27 朝日新聞

里親と里子がイチゴ狩り楽しむ 栃木・黒羽町
朝刊 37頁 栃木版 写図有 (全373字)

県県北地区里親会(浅野友衛会長)主催による「里親・里子イチゴ狩り」が26日、 黒羽町黒羽向町、農業佐藤和夫さん(43)方のイチゴ園で行われ、明るい声が響い た。
 この催しは、「里親と里子の“親子”のふれあいを深めてもらう」ことを狙いに、 黒羽地区の里親推進班長でもある佐藤さんの協力を得て、4年前から続けている。
 この日は大田原、黒磯、矢板市、那須、黒羽、烏山町など県北地区の里親、里子約 50人が参加した。浅野会長、同里親会顧問の諏訪昇一・県北児童相談所長が、「お いしいイチゴをたくさん食べて下さい」とあいさつ。
 “親子”たちは、広さが1000平方メートルほどあるハウスに入り、「女峰」を 箱いっぱいもぎとって口にし、「おいしい」「とても甘い」とうれしそう。その後、 同町片田の観光農園「ポッポ農園」に行き、ミニSLに乗るなど、楽しいひとときを 過ごした。

朝日新聞社


1991/03/29 朝日新聞

養親にも育児休業を求める
朝刊 3頁 3総 写図無 (全225字)

里親開拓運動を続けている社団法人家庭養護促進協会(事務局・大阪、神戸)は28 日、育児休業法案について(1)養子縁組の場合、満1歳に満たない子だけでなく、 年齢制限をなくして事実上養育を始めた日からの育児休業を認めてほしい(2)養子 縁組を前提に養子となる子供を引き取って養育をする者にも適用を――などの要望書 を小里労相、衆・参両院議長、海部首相あてに提出した。
 同法案は政府法案として29日、国会へ提出されるが、法案の中に養子に関する特 例の規定はない。

朝日新聞社


1991/03/25 朝日新聞

里親活動に道を求め 子供を持つのはいやですか?(テーマ討論)
朝刊 15頁 声 写図無 (全456字)

東京都 大谷律子(主婦 42歳)
 私はこのテーマについて、地球規模の観点からみて、政府、マスコミなどの憂慮の 表明はいささか島国的で、先見性に欠ける論議だと受けとめております。
 21世紀には世界の人口が倍増しようというこの狭い地球号。特に、途上国の人口 爆発は既に深刻な事態です。この南北格差に対して、先進国がいかなる貢献ができる かが、いま問われているのです。
 地球環境からも、ミクロ的には1人の人間が汚染源ともいえ、我が国の出生率低下 現象はむしろ喜ばしく、時代のニーズといえないでしょうか。
 また、子供を取り巻く問題。元はといえば人口過剰による競争社会、弱肉強食社会 のひずみであることは指摘されております。これからは、少ない子供を皆で見守り、 量より質の時代に入ったともいえます。多少経済力は低下しても、北欧のように少な い人口だからこそ、きめ細かな福祉の実現が可能なのです。
 私自身、子供は持ちませんでしたが、「フォスターペアレント」すなわち、第3世 界の子供たちの教育援助、精神里親活動に参加することになりました。

朝日新聞社


1991/01/25 朝日新聞

19人の里子を育てる 神田のおかあさん(下町そぞろ歩き54)東京
朝刊 32頁 東京版 写図有 (全881字)

須田町の婦人部の世話役を務めて今春で満50年、大塚慶子さん(83)は地元では 「神田のお母さん」で通る。数々の奉仕活動を続ける中で、里親として育てた子供が 19人。1人として落後せず、皆まっとうに生きているのが誇りだ。
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 「里子を育てたのは戦後まもないころから30年間ほど。両親が別れたなど、家庭 に問題のあるケースがほとんど。福祉事務所などで子供の顔を見ると、この子は素直 に育ちそうとか、わかるの。施設に行くと、施設病っていう自分のことしか考えない 性格になりがちだから」「里親はよく女の子を預かりたがるの、女中代わりに使える から。私は男の子の方がサッパリしてるから好き。19人のうち女の子は6人だけ。 男の子は8畳間でうちの一人息子と一緒に4―5人ざこ寝させ、女の子は私のそばに 寝かせた。食べる物を十分に与え、暑さ寒ささえ気をつければ、子供ってひがまずに 真っ直ぐ育つものよ」
 生家は神田の青果市場の真ん中にあった。父親はかいわいでは珍しい弁護士で、金 持ちの依頼は一切受けず、貧しい人の面倒ばかり見る変わり者だった。母親も篤志家 で、困ってる人を見捨てることのできない性格だった。
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 「両親がそんなでしたから、市場の人たちが野菜を届けてくれる。魚や肉も届く、 両親の田舎の栃木からは米が来る、で戦後の大変な時期でも食べる物には不自由しな かった。お金こそなかったけど」「私は当たり前のことをやっただけ。小さいころは 『成績上がったよ』って通信簿を持ってきたり、大人になったら『今度係長になった』 と知らせてきたり、それはうれしいもんです。イヌやネコを高いお金出して飼う人の 気が知れない。人間の子供の方がよほど手がかからないから。民生委員の人が1人ず つでも里子を預かってくれれば、施設は要らなくなるんです」
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 香木を用いて香りの世界を極める香道の師匠でもある。神田噺子(ばやし)の保存 や女神輿(みこし)の育成にも力を尽くした。功を誇らず、慎みのある女性だ。
 (横田喬記者 画・石田良介さん)

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