1.里親の数と里親委託の現状(登録里親、児童委託里親、委託児童の年度別推移)

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1.里親の数と里親委託の現状(登録里親、児童委託里親、委託児童の年度別推移)

 登録里親数は、昭和24年度(1949年10月)の4,153家庭から昭和31年度末(1957年3月)の17,836家庭までは急増し、昭和37年度(1963年3月)の19,275家庭をピークに減少に転じました。昭和50年度末(1976年3月)まで急減し、昭和51年度(1977年3月)以降は、平均1%の率で緩やかに減少しています。平成14年度末(2003年3月)の登録里親数は、7,161家庭です。

 委託家庭数は、昭和24年度(1949年10月)の1,873家庭から増え続け、昭和32年度末(1958年3月)の8,537家庭をピークに減少に転じました。昭和44年度末(1970年3月)より減少率が減り、当年以降は、平均1.7%の率で減少しています。平成14年度末(2003年3月)の委託里親数は、1,873家庭です。

 登録里親への児童委託率は、昭和24年度(1949年10月)の70.0%より年平均1.8%の割合で減少を続け、昭和48年度末(1974年3月)には、26.0%まで落ちました。この26.0%という委託率は、里親登録をしても、4家庭のうち1家庭にしか子どもが委託されず、残り3家庭には子どもが委託されないという状況です。
 翌年より委託率は若干持ち直しましたが、平成元年度末(1990年3月)までは、30%前後を推移しています。平成2年度(1991年3月)より再び減少に転じ、年平均1.2%の率で減少し、平成9年度末(1998年3月)の22.2%で底値となりました。この22.20%という委託率は、里親登録をしても、5家庭のうち1家庭にしか子どもが委託されず、残り4家庭には子どもが委託されないということです。
 その後、委託率はわずかに回復し、平成14年度末(2003年3月)の委託率は、26.2%です。里親に登録されても、なかなか子どもが委託されないという現状は、なんら変わっていません。

 ちなみに、登録里親数の減少が緩やかになった1976年から2003年の登録里親数と委託率の相関係数(ピアソンの積率相関係数)をとると、0.75もの強い相関関係がありました。里親になっても、子どもが委託されないのですから、年々登録里親数が減少するのも理解出来ます。
 逆に言えば、委託率をあげていけば、登録里親数も増えていくものと思います。現実に、里親委託率を上げることで、里親が増えている自治体もあります。委託率が50%を超える自治体から、たった一人しか児童を委託していない委託率2.8%の自治体まで、さまざまです。児童相談所の里親委託への取り組みをよ、強く要求していく必要があります。
※自治体ごとの登録里親数、委託里親数、委託率などについては、別のページでお知らせいたします。

 児童養護施設では、虐待の増加により、定員が一杯となっている状況ですが、いくつかの自治体では、里親委託を増やさず、児童養護施設の新設を行っています。(千葉市、さいたま市、京都市など)
 里親委託率を26.2%から50%にするだけで、1,700名もの児童を、新たに里親家庭に受け入れることが出来、その数は定員50名の児童養護施設34か所分となります。
 また、厚生労働省は地域小規模施設(定員6名のグループホーム)を100か所にする計画を出していますが、それでも高々60名の児童しか受けられません。里親への委託率を50%にあげることで、283か所分のグループホームを設置するに等しい効果があります。
 なぜ、里親への委託率を増やさず、児童養護施設の新設、グループホームの新設を行うのか、理解に苦しみます。

 子どもの権利条約第20条には、「家庭環境を奪われた児童又は児童自身の最善の利益にかんがみその家庭環境にとどまることが認められない児童は、国が与える特別の保護及び援助を受ける権利を有する」とあり、さらに、「国の与える代替的監護として、特に、里親委託、イスラム法のカファーラ、養子縁組又は必要な場合には児童の監護のための適当な施設への収容を含むことができる」とあり、里親委託や養子縁組を最優先にしています。(文責:sido 2004/11/01)



 最高値   最低値 

年 度 年 月 登録
里親
(A)
児童
委託
里親
(B)
未委託
里親
委託
児童数
委託率
(B)/(A)
平均
委託
児童数

平成14年度末 2003年3月 7,161 1,873 5,288 2,517 26.2% 1.3人
平成13年度末 2002年3月 7,372 1,729 5,643 2,211 23.5% 1.3人
平成12年度末 2001年3月 7,403 1,699 5,704 2,157 23.0% 1.3人
平成11年度末 2000年3月 7,446 1,687 5,759 2,122 22.7% 1.3人
平成10年度末 1999年3月 7,490 1,697 5,793 2,132 22.7% 1.3人
平成9年度末 1998年3月 7,760 1,725 6,035 2,155 22.2% 1.2人
平成8年度末 1997年3月 7,977 1,842 6,135 2,242 23.1% 1.2人
平成7年度末 1996年3月 8,059 1,940 6,119 2,377 24.1% 1.2人
平成6年度末 1995年3月 8,044 2,029 6,015 2,475 25.2% 1.2人
平成5年度末 1994年3月 8090 2,083 6,007 2,561 25.7% 1.2人
平成4年度末 1993年3月 8,122 2,159 5,963 2,614 26.6% 1.2人
平成3年度末 1992年3月 8,163 2,183 5,980 2,658 26.7% 1.2人
平成2年度末 1991年3月 8,046 2,312 5,734 2,876 28.7% 1.2人
平成元年度末 1990年3月 7,841 2,472 5,369 3,069 31.5% 1.2人
昭和63年度末 1989年3月 8,114 2,570 5,544 3,199 31.7% 1.2人
昭和62年度末 1988年3月 8,565 2,659 5,906 3,322 31.0% 1.2人
昭和61年度末 1987年3月 8,702 2,588 6,114 3,265 29.7% 1.3人
昭和60年度末 1986年3月 8,659 2,627 6,032 3,322 30.3% 1.3人
昭和59年度末 1985年3月 8,698 2,599 6,099 3,297 29.9% 1.3人
昭和58年度末 1984年3月 8,683 2,648 6,035 3,346 30.5% 1.3人
昭和57年度末 1983年3月 8,722 2,625 6,097 3,293 30.1% 1.3人
昭和56年度末 1982年3月 8,696 2,655 6,041 3,249 30.5% 1.2人
昭和55年度末 1981年3月 8,933 2,646 6,287 3,188 29.6% 1.2人
昭和54年度末 1980年3月 9,142 2,712 6,430 3,277 29.7% 1.2人
昭和53年度末 1979年3月 9,494 2,837 6,657 3,434 29.9% 1.2人
昭和52年度末 1978年3月 9,714 2,980 6,734 3,557 30.7% 1.2人
昭和51年度末 1977年3月 9,703 3,117 6,586 3,687 32.1% 1.2人
昭和50年度末 1976年3月 10,230 3,225 7,005 3,851 31.5% 1.2人
昭和49年度末 1975年3月 11,374 3,333 8,041 3,986 29.3% 1.2人
昭和48年度末 1974年3月 12,719 3,302 9,417 4,028 26.0% 1.2人
昭和47年度末 1973年3月 12,808 3,480 9,328 4,079 27.2% 1.2人
昭和46年度末 1972年3月 13,327 3,706 9,621 4,366 27.8% 1.2人
昭和45年度末 1971年3月 13,621 3,705 9,916 4,729 27.2% 1.3人
昭和44年度末 1970年3月 14,916 4,428 10,488 5,054 29.7% 1.1人
昭和43年度末 1969年3月 15,660 4,786 10,874 5,501 30.6% 1.1人
昭和42年度末 1968年3月 16,115 5,219 10,896 5,972 32.4% 1.1人
昭和41年度末 1967年3月 17,076 5,742 11,334 6,511 33.6% 1.1人
昭和40年度末 1966年3月 18,230 6,090 12,140 6,909 33.4% 1.1人
昭和39年度末 1965年3月 18,593 6,567 12,026 7,420 35.3% 1.1人
昭和38年度末 1964年3月 18,773 6,980 11,793 7,952 37.2% 1.1人
昭和37年度末 1963年3月 19,275 7,332 11,943 8,337 38.0% 1.1人
昭和36年度末 1962年3月 18,985 7,545 11,440 8,664 39.7% 1.1人
昭和35年度末 1961年3月 19,022 7,751 11,271 8,737 40.7% 1.1人
昭和34年度末 1960年3月 18,914 8,095 10,819 8,986 42.8% 1.1人
昭和33年度末 1959年3月 18,696 8,526 10,170 9,489 45.6% 1.1人
昭和32年度末 1958年3月 18,498 8,537 9,961 9,478 46.2% 1.1人
昭和31年度末 1957年3月 17,836 8,479 9,357 9,348 47.5% 1.1人
昭和30年12月 1955年12月 16,200 8,283 7,917 9111 51.1% 1.1人
昭和29年12月 1954年12月 14,419 7,673 6,746 8,519 53.2% 1.1人
昭和28年12月 1953年12月 12,953 7,210 5,743 7,979 55.7% 1.1人
昭和27年12月 1952年12月 11,310 6,736 4,574 7,488 59.6% 1.1人
昭和26年12月 1951年12月 9,471 5,944 3,527 6,619 62.8% 1.1人
昭和25年10月 1950年10月 7,429 4,859 2,570 5,488 65.4% 1.1人
昭和24年10月 1949年10月 4,153 2,909 1,244 3,278 70.0% 1.1人