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この国の子どもの命の軽さ
里子傷害致死事件(判決)から里親への「丸投げ」委託を問う

津崎哲雄  京都府立大学 

1 問題の所在

 2002年11月、我が国で初めて里親による里子傷害致死事件が起こった。本年10月7日里母に対する刑事裁判の判決が下ったが、検察の厳しい求刑(懲役6年実刑)に対応する懲役4年実刑であった。判決文を読む限り、(検察も)判事も事件の原因をほぼ全面的に里母個人の人格・資質・養育態度・責任感に帰しており、この国の里親委託制度が抱える深刻な問題に全く何もふれず、悲惨な環境に陥れられていた里母のみを道徳的に裁くことによって、一件落着としようとする姿勢は社会正義執行機関の実践からは程遠いと言わざるを得ない。筆者はその理由を若干の点に絞り提起したい。

2 宇都宮事件における行政関与の検討

 里親委託は法規による措置であり、措置権者である県知事が行う行政事務としての社会的養護サービスの一環である。里子も施設入所児と同様に最善の利益を保障される権利を有するものである。
 ところが、今回の事件の裁判の過程で(あるいは県の調査で)判明している通り、里子委託後ほぼ4ヶ月もの長期間にわたり県(直接には児童相談所)による委託後訪問指導がなされておらず、その他、里親へ委託した後、死亡するまで(実際には2日前まで)ほとんど実質的には里親への支援および里子の育成情況のチェックが行われていない。
 このことは、県による里親への里子の「丸投げ」以外の何ものでもなかろう。残念ながら、全国的にはこの「里親への丸投げ」が常態であり、児童養護施策における里親委託の著しい不振と入所施設養護偏重の主要因となっている。里親支援には、委託中の一時休息(レスパイト)事業を含め、種々の次元の支援があるが、今回の事件で最も注目されるのは、委託後訪問指導と委託中の支援(養育相談)、および委託里子に関する情報提供(という形での支援)及び里親研修に関わる行政側の問題である。

(1)里親委託後訪問指導制度の問題
 委託後支援訪問自体は法的にはその頻度を国が規定していないので、当該自治体の裁量に委ねられており合法であった。
 しかし、裁判過程で判明したように、発達上多くの問題を抱えた2歳児を委託した後、4ヶ月もの間、里親への訪問指導が行われなかったことは、合法ではあっても専門的実践としては常軌を逸していると判断せざるをえない。
 このことが実際にこの事件の鍵となった事実であったことは、事件直後に県が緊急に「委託後1月以内の訪問指導を制度化」(この頻度自体の問題性は添付の英国の制度を参照)したこと、また間接的には厚労省が最近「里親家庭養育支援事業」構想(添付参照)を公にし、制度化を目指していることからも伺えよう。(委託後訪問指導頻度の法定化は里親委託担当児童ソーシャルワーカーの人的資源---児童福祉司---の業務量に密接に関連しており、国は「丸投げ」原則のゆえに自治体裁量という形で野放しにしているのである)

(2)委託中の里子についての養育相談
(児童相談所の養育支援)

 多くの里親の声によれば、児童福祉司は「困ったらいつでも相談して」というらしい。しかし、このメッセージは、里子の諸問題に直面した里親が積極的に福祉司に相談するという建て前で発せられているものの、里親の側からすれば逆拘束を伴うメッセージである(つまり、今回の事件も例外ではないが、養子縁組希望が多いこの国の里親にとって、委託された里子に養育困難を抱えていると委託側に申告することは、養親候補としての適性や未熟里親としての判断材料と扱われるかも知れず、心理的には相談しにくいのが現状であるという。換言すれば、行政側には「丸投げ用」のリップサービスに過ぎぬのであり、受ける側は養育困難に際し率直に相談できない/しないことを前提にしたメッセージとなっているのである。一体全体、こうした相談があったとして、的確に助言できる専門性を備え、かつ専門的助言を求められるような人間関係を里親との間に樹立することを前提に実務に従事している福祉司が、全国1700名ほどのうちに何人あるであろうか!)。
 宇都宮事件の場合、死亡事件の2日前の訪問指導で「愛情不足では? そのうち問題はなくなりますよ」とか、「来年にはレスパイト制度ができるのでそれまで我慢して」と児童福祉司が指導したとのことであるが、既に過度なストレスで血尿すらもよおしていたという里母への支援には程遠い現実が存在していたと言える!

(3)里子選択/委託におけるインフォームド・コンセント手続き不在(または里子に関する情報提供という形の支援)の問題

 この国の里親委託が「丸投げ」になっている他の証拠は、里子選択や委託におけるインフォームド・コンセント(十分な説明を受けて委託を承諾すること)手続きが、制度的・実務的に存在しない現実である。
 形式的に謳う自治体はあろうが、実際には全く無視されているか、優先順位は著しく後におかれ、養育する里子についての十分な情報が提供されぬまま、里子が委託されるという行政実務が何の疑問もなく戦後半世紀以上も続いている。この手順は、里子に関する情報提供という形ではあるが、里親支援の前提となる必要不可欠な準備であり、これなくしては里子養育の基本情報を欠落させたままに「丸投げ」委託していると言われてもしょうがなかろう。
 同じ子どもが施設委託される場合には、児相が作成した児童票(ケース記録)全体の写しが送られるが、里親へは例外的な若干の自治体(筆者の知識では大阪府・市/北海道/岡山など)が別の簡略様式で関連情報を送っているという。このことは、施設長は法的に親権を代行しており、里親にはそれがないという社会的養護担当者の法的地位の違いを理由とするにしても、施設委託に比べ明らかに里親委託の養育条件をより困難なものにしており、里子と施設児の間に法の下の平等な取扱いをしていないと考えざるをえないのではなろうか。里親という篤志家への委託(「丸投げ」)だからということでは、理由にはなるまい!
 このことは特に宇都宮事件では決定的要因であった。(出生直後から乳児院での集団養護を受け)愛着障碍をもって満2歳に達し、乳児院を出なければならなくなった被害女児は、通常であれば県下のいずれかの児童養護施設に措置変更されるのだが、その発達(実際は愛着)障碍の故に県下に引き受ける施設はなく、2度にわたる里親委託の不調を経験していたのである。
 こうした里子の発達上のニードに直接関わる情報(ソーシャルワークの対象となるクライエントの生活歴・過去の養育経験・養育環境・人間関係などを知らずに社会的養護を担当することなど、通常の社会福祉実践ではあり得ないことであるが!)を全く提供せずに委託していたのであるから、これはもはや児童ソーシャルワークが実践されたとは、どのような意味においてもいうことはできない。これは栃木県だけのことであろうか?里親たちの声によれば、ほとんどの自治体が栃木と同じ手法で粛々と委託と呼ばれる「丸投げ」を続けてきているのである。

(4)その他の関連する主要問題:里親研修と児童相談所の問題
 まともな里親委託制度が機能している国であれば、里親認定前/認定後/委託時/委託中における里親への研修が委託の成否を左右する前提条件の一つであることは常識である。虐待やネグレクトの心的外傷体験を抱える里子、あるいは幼少期における集団養護の弊害から生じる愛着障碍に苦しむ里子、彼らの発達上の当然のニードや行動様式(試し行為や退行、攻撃性やパニックなど)への理解や対処法についての研修は、あらゆる里親委託のための必須用件とならざるをえない。
 宇都宮事件の里親は研修体験皆無であった。養子縁組を希望している里親の熱心さ・一途さに便乗し、里子の生活歴すら知らせずに「丸投げ」する委託が不調をきたすのは全く当然である。これで成功するとすれば、最初から里親に神業を求めていると言ってもいいすぎではあるまい。せめて最近一部の里親に受講義務を課した専門里親研修程度のものを、全里親(と認定申請者)に認定前・認定後・委託中・委託後にくり返し適切な研修を提供することが、委託成功の最低条件である。事件後に栃木県は早急に里親認定申請者や認定者を対象とする研修を制度化したが、これはとりもなおさず、事件当時の里親研修の不在を証しするものであろう。
 児相問題は、これまでの諸問題以上に根源的かつ深刻である。なぜなら、この国には里親委託制度の根幹は委託機関の里親支援(の質と量)であるという認識がほとんどなかったからである。里親が居れば里親委託ができるという神話に基づいていたこの国の「丸投げ」里親委託が、今回の事件で暴露されたのであり、この国では(欧米流の)専門的支援に基づく社会的養護としての里親委託制度は存在していなかったという現実の開示(ディスクロージャー)が、この悲劇の犠牲者となった幼子の命であがなわれたのである。つまり、欧米の里親委託制度にみられる里親委託機関の専門性・人的資源の質と量から考えれば、この国の里親委託制度はデニス・オニール事件が起こった戦時中(1945年1月)の英国のレベルにいすら達していないといわざるを得ない。

3 この国の児童養護施策構造-----この点については、国連子どもの権利約に基づく国内法・制度の実施情況に関する政府報告を審査した国連子どもの権利委員会勧告に見る通り、この国の児童養護施策は著しい構造的偏りがあり、その是正が勧告されているものの一向に改善されない。
 利用者の声がサービス構造にほとんど反映されない児童養護の領域は、この国の精神医療体制と同様、民間事業者(病院/施設経営者)保護を軸として戦後半世紀以上連綿と存続してきたのであり、この構造の改変は容易ではない。高度な政治課題であるから。そうした構造の結果、里親委託制度は施設資源の補完程度にみなされてきたのであり、保育所資源不足の1950-60年代には「昼間」里親制度(保育ママ制度・家庭福祉員制度などと呼ばれ、現在でも若干の自治体が実施しているが、いわゆる英国等にみられるチャイルドマインダー制度のこと)という変則的応用制度として一時期脚光をあびたが、保育所数が充足するとただちに解消され、主要資源と位置づけられてきた入所施設不足のガス抜き的役割を担わされてきたのである。1990年代初頭に発見された家庭内児童虐待問題がもたらした施設資源不足に対応する最近の里親施策改編もこの脈絡からも理解しておく必要があろう。
 そのことは、社会的養護実施における各都道府県(政令指定都市)の里親委託利用率は、各自治体人口に占める児童養護施設の数・措置定員数と相関関係にあることでもわかる!(つまり施設が多い自治体では里親委利用率が一般に低く、最も高い新潟県は児童養護施設が少なく、最下位近くを占有している九州各県は施設定員数が最も多いことからわかる。但し宮崎のみ例外)。つまり、この国の児童養護施策は民間施設経営のための児童供給という構造を基本的特色としているといってよかろう!この構造に規定された里親委託制度が「丸投げ」となっているのは当然かもしれない。こうした実態が児童福祉制度の一環としての社会的養護サービスに相応しいものであるのかどうか、関係者は自問しているのであろうか?

4 公式事件調査委員会の設置と児童養護施策改善のための勧告
 今回の判決に辛くも次のような一文が記されている。判事の良心のかけらとでも言えようか。すなわち、「---少なくとも委託後の児童相談所の対応が適切であったかどうかに関して、疑問が残らないではない。」である。このことを裁判所が調査せずに判決を下したことは法的に問題がなかったとしても、この国の児童福祉実践・制度に関わる関係者としては抜き差しならぬ問題を残すことになる。つまり、二度と同じ失敗をくり返さぬための教訓がこの悲劇から何も得られないからである。イギリスは深刻な児童虐待事件については税を使い公式事件調査を実施するよう定めている(1989年児童法)。この宇都宮事件はこの国最初の里親による里子傷害致死事件である。しかも裁判所も、わずか一行、それも間接的ではあるが、行政実務における問題を判決文に入れている。控訴裁判での審理では当然のことながら、この一文を判事に挿入させた事実関係・制度/実務の消息を何らかの方法で調査し、その問題点を開示することは、関係者もにならず、里親委託制度の利用者/サービス提供者の双方に関わる重大関心事であろう。しかしながら、執行猶予を目指す控訴審では、こうした事実究明の作業は十分には行い得ないであろう。
 それゆえ、筆者は関係者に強く要請したい!厚生労働省あるいは栃木県、あるいは全国里親会が、公金を用いてこの事件の詳細な事実関係を究明し、里子が死に至った情況を綿密に調査して、これまで筆者が指摘してきたようなことも含め、因果関係・制度的欠陥・実務上の失敗などがあるのかないのか、あれば何か、それを防止するには国や地方自治体は何をどう変えるべきか、勧告する文書を作成し、公表することを!この幼子の悲劇的死を無駄にしないために!

結語---以上のような先進国にはまれな名ばかりの里親委託施策のゆえに、里親研修も受けず、愛着障碍児を「丸投げ」委託され、児相からの委託後訪問指導や委託中支援の皆無で、インフォーマルな支援(夫や親族/里親仲間など)をも受けられず、異国の孤独な生活環境において血尿を出すまで苦しみつつ(養子としたい)里子を死に至るまで虐待せざるをえなかった韓国籍里母を懲役4年実刑に処したこの判決は、社会正義の観点からは問題が残るといわざるをえない。筆者の常識では、真に裁かれるべきは、この国の「丸投げ」里親委託制度を放置してきた歴代政治家・厚生官僚であり、民間施設偏重構造に意義を申し立ててこなかった児童福祉関係者ではなかろうか。(筆者もその中の一人であることの自覚を肝に命じて!