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2003/09 時事通信配信 子どもの家庭で暮らす権利の明文化を5月に設置された厚生労働省の諮問機関社会保障審議会児童部会「社会的養護のあり方に関する専門委員会」を第2回から全て傍聴しています。里親の一人として感想を述べたいと思います。まず、「子どもの権利擁護の強化」が検討項目にあるのに、子どもの権利の位置づけが不明確です。子どもの権利条約第20条は、「家庭環境を奪われた児童」が「国が与える特別の保護及び援助を受ける権利を有する」とし、国の与える代替的監護として、里親委託を一番に挙げています。しかし、「子どもが家庭で暮らす権利」について議論されていません。 長期間の乳児院暮らしを経て里親家庭に来た幼児は、「愛着障害」と呼ばれる様々な問題行動を起こし、多くの里親が苦労しています。われわれはその経験から、ほかの先進国と同様「乳幼児は原則里親委託を!」と主張しています。 昨年、里親制度の厚生労働省令制定趣旨で「児童の発達において、乳幼児期の愛着関係の形成が極めて重要であり、できる限り、家庭的な環境の中で養育されることが必要である」とうたわれました。 委員会では、「家庭で暮らす権利」に逆行する乳児院の在所を就学前まで延長する「乳幼児ホーム」構想や、児童養護施設に乳児院を併設する一貫養育構想など、子どもを施設に囲い込む意見ばかりが目立ちました。 昨年、「少年の主張」大会で総理大臣賞をとった児童養護施設に暮らす中3の男の子は、作文の最後を「父さん、母さん、聞こえましたか。○○はここにいる。」と締めくくっています。これは家庭を求める心の叫びではないでしょうか。 現在の施設には、在所期限の定めがなく、親の所在が不明でも、子ども時代全てを施設で過ごすケースが2割程度ありますが、在所年限を定めようという意見もありません。委員会の議論からは、施設の地域小規模化や、大きな施設であればマンションのように区切るユニットケアにするなど、「施設中心」の現状を変える気はなく、里親については「少し増やしましょう」という程度の印象を受けました。 米国では、1909年、ルーズベルト大統領が招集した第1回全米児童福祉会議で、「家庭生活は、文明の最もすばらしい所産である。緊急止むを得ない理由でない限り、子どもから家庭を奪ってはならない。両親の死亡、あるいは止むを得ない事情で子どもが家庭生活を続けることができなくなる場合には、子どもの実の家庭に最も似た環境で育てられるべきである」との宣言が採択され、施設から里親への転換点となりました。 日本でも、親が育てられない子どもについての「子育ての理想」を示し、それを実現する「社会的養護のあり方」を議論する必要があります。社会的養護を必要とする子どもを受け入れる、わたしたち社会のあり方も問われているのです。(投稿:sido) |