from 2000/8/15 カウント

2000/8/15 岡山県知事にお願い状を出しました。


岡山県知事様へ

 岡山県知事様、初めまして。私たち夫婦は、東京都より児童を委託されている養育家庭の里親です。97年2月に里親として登録され、98年10月に乳児院にいる男の子の養育を東京都知事より委託されました。
 委託された子どもは、生後10日ほどで乳児院に入り、措置変更直前の2才10ヶ月で私たち夫婦に委託されました。最初のウチは、なかなか馴染まず、赤ちゃん返りや「見境のない社交性」と呼ばれる施設病ともいう行動に悩まされましたが、少しずつ家庭にも馴染んできており、1年8ヶ月たった今では、元気に保育園に通っております。血は繋がらないながらも、実の親子以上に親子になれればと、日々過ごしております。

 さて、貴HPを拝見していますと、道路の「里親」なる表記が目に付きました。道路の管理をボランティアなどに委託する事業は、公共心の育成などに効果も期待され、大変すばらしい発想だと思います。ただ、その名称に「里親」を使うのは、いかがなものでしょうか。
 児童福祉法第27条3に、里親とは「保護者のない児童又は保護者に監護させることが不適当であると認められる児童を養育することを希望する者であって、都道府県知事が、適当と認める者をいう。」とあります。
 道路の清掃や管理をするボランティアを「里親」と呼ぶことは、この法律の趣旨にそぐわないのではないでしょうか。そして、それ以上に、私たち里親と里親家庭で育つ子どもに失礼ではないでしょうか。
 私たち里親は、道路清掃・管理するかのごとく、子どもを引き受け、育てているのではありません。子どもを親元に帰すまで、または18才になり自立するまで、人間の子どもとして慈しみ育てています。
 
 岡山県に於きましても、26の里親家庭に28名の里子が委託されています。(1996年全国里親会資料より)
この里親家庭で育つ子どもたちが、道路の「里親」という言葉を聞いたときに、どのような気持ちになるとお考えでしょうか。産みの親から育ててもらえない心の傷を負いながらも、新しい家庭で親子関係を作ろうと努力している子供に、「自分たちは道路と同じか」と、さらに傷を負わせかねません。

 現実に、人間の里親制度があり、里親とその家庭で育つ子どもたちがいる状況で、道路の「里親」なる名称を使うことは、お控えいただきたいとメールを差し上げる次第です。是非、再考下さるようお願いいたします。

 なお、このお願いは、私たちのホームページで公開するとともに、回答がいただけるのでしたら、同様に公開いたす所存です。あしからず御了承下さい。