1990年の里親記事へ  1980年代の里親記事


1989/10/11 朝日新聞

養子家族ストーリー 野口佳矢子著(本だな)
朝刊 19頁 第1家庭 写図無 (全368字)

双子の小学校6年生と同2年生――3人の男の子を、幼い時に養子に迎えて育ててい る一家の物語だ。
 18年前に結婚した野口さん夫婦は、子どもは何人でもほしい、5人でも6人でも、 と思っていた。しかし、妊娠の兆しはない。区の広報で養子縁組里親の制度があるこ とを知り、児童相談所を通じて、1979年、双子の子どもたちを迎え入れた。育っ た子どもたちに、養子であることを告げる厳しい経験を経て、野口さんたちはひとつ の家族をつくり上げていく。
 子どもたちの成長とともに、家族はいくつかの試練に直面する。その都度、両親は 子どもたちと時間をかけて話し合う。社会に対しても、「本当」のことを語る。
 親と子のきずなは当たり前、と思い込んで子育てをしている親たちに、家庭や家族 とは何かを、改めて問いかける子育て記だ。
 (教育史料出版会・1,339円=消費税込み)

朝日新聞社


1989/03/30 朝日新聞

ぬいぐるみを檻に入れられて バーチ著、塩谷紘訳(本だな)
朝刊 17頁 第1家庭 写図無 (全379字)

8つの〈ぼく〉は、ママが病気になって施設に預けられる。シスターの合図で、いっ せいにすわり、食事をし、寝る、息苦しい生活。孤児のマークからは「ここには友だ ちがいないのがルールだ」と教えられる。友だちが次々にいなくなると、かえってさ びしいから。でも〈ぼく〉は、気に入りのぬいぐるみドギーをみつけ、こっそり自分 のものにする。ドギーは、そのあと続くつらい体験を支えてくれる友だちとなった。 やがて〈ぼく〉は、管理に追われ子どもの心理などわからない大人の間から、信頼で きる父親がわりのセルを見つける。
 アル中の父、病気がちの母をもった著者が、たびたび施設や里親に預けられた自分 の体験を、子どもの目から書き、85年にアメリカのベストセラーになった。50年 代の話だが、子どもにとって理解ある大人とは、教育とは、施設とは、素直に考えさ せてくれる。(暮しの手帖社、1300円)

朝日新聞社


1989/02/04 朝日新聞

施設児童の厚生省調査、年齢高くなり在所期間も延びる
朝刊 30頁 2社 写図無 (全422字)

親の死亡、離婚、行方不明などで、養護施設、乳児院、母子寮に入ったり、里親に預 けられた子供の実態調査を、3日厚生省がまとめた。ほぼ5年ごとに実施している調 査で、施設にいる児童総数は、前回より減ったが、養護施設児童の4割以上は親が行 方不明になったり、離婚が原因だった。
 調査は昭和62年10月時点で、全国の養護施設、乳児院、母子寮、里親の児童約 4万4000人余とその保護者を対象にした。施設児童の総数は、養護施設が3万2 000人から2万9500人になるなど、各施設で減っているが、平均年齢はやや高 くなり、在所期間も延びている。
 入所理由をみると、養護施設の児童全体では「親の行方不明」が24.9%(前回 27.1%)で最も多く、次いで「両親の離別」18.7%(同20.0%)となっ ている。いずれも前回調査に比べて減っているが、「親の行方不明」のうち、「母親 の不明」が7割近くを占めた。また、「虐待・酷使」が2.6%(同2.2%)で、 前回を上回った。

朝日新聞社


1988/12/18 朝日新聞

「里親読本」「国際協力事業団」(読者とともに)
朝刊 22頁 第2家庭 写図無 (全700字)

▽11月30日付で紹介した「里子育ての泣き笑い 31集目の里親読本に富山の尼 僧岩井さん」の記事がきっかけになり、「里親読本」を発行している財団法人「全国 里親会」へ、手紙や電話による問い合わせが殺到しました。
 「大半が、将来里親になりたいので、ぜひ読んでおきたい、という人たちでした。 これほど里親希望者が潜在していたなんて思ってもいませんでした」と同会の須田恒 雄事務局長(66)は反響の大きさに感激しています。筆者の1人、富山県黒部市の 岩井恵澄さん(62)も、「たくさんの方から励ましのお電話やお手紙を頂きました。 子供たちと『共に今を生きる』人たちが増えてくれれば」と話していました。
 「里親読本」(31集)はまだ多少残部があるそうです。希望する方は全国里親会 (03―404―2024)へ。(鹿)
 ▽6日付「それぞれの椅子」で、「船出」と題し、定年後の第2の人生にとフィジ ーへ技術指導に行く方を紹介したところ、記事中の国際協力事業団(JICA)の所 在地と電話番号を教えてほしい、と読者の方から問い合わせがありました。電話だっ たので、詳しい話はうかがえませんでしたが、お声の感じでは、同じように第2の人 生へ乗り出す年齢に差しかかっている方のようでした。海外派遣のシステムなどを知 りたかったのかもしれません。「それぞれの椅子」については、掲載後しばらくして から、思いがけないご質問を頂くことがあります。高齢化社会を迎えて、ほかにも同 様の関心をおもちの方がいらっしゃるかもしれません。国際協力事業団は、〒163
 東京都新宿区西新宿2ノ1ノ1、新宿三井ビル内、電話03ー346ー5311 (受付台)です。(蔵)

朝日新聞社


1988/11/30 朝日新聞

里子育ての泣き笑い 31集目の里親読本に富山の尼僧岩井さん
朝刊 17頁 第1家庭 写図有 (全751字)

実父母らにかわって子供たちを育てている里親や、養護施設職員らにとって、バイブ ルのような存在が、「里親読本」。財団法人全国里親会(東京都港区、渥美節夫会長) が昭和48年からほぼ年2冊のペースで、毎回1万部を出版している。来月出る31 集目の「里子養育事例集1」には、富山県黒部市の曹洞宗の尼僧岩井恵澄さん(62) 一家が登場する。
 岩井さんが里子として育てた13人の子供たちとの泣き笑いの日々を手記につづっ たもの。実子を持ったことのない岩井さんが生後間もない子の「母」になり、悪戦苦 闘したことや、やっと育てる自信が出来た100日後、新しい養父母が決まり、手放 さなければならなかったことなどエピソード豊かだ。
 岩井さんは手記にこう書いている――戦後の貧しさの中で、4年生の男の子と初め て里親里子の出会いを持ったのは、昭和25年のころでした。以来、1人が3人にな り、時には5人、6人という子宝でにぎわった日もありました。15、6年の間にそ の子たちはそれぞれ独立し巣立っていきました。現在は元里子(本人の希望で4年前 入籍)の22歳の娘と中学3年のいきいき娘、そして75歳の老尼(養母)と私の4 人家族です。
 階下は、仏間のほか、居間、客間、茶室などですが、いつでも開放される公民館の ような雰囲気です。この家は、社会人として独立した7人、その後、短期里子も含め 6人、合わせて13人の子供たちの「心の基地」であり、13人が誇りとする家庭だ と思っています。
 岩井さん自身養女で、尼寺の5代目と保育園の園長、里親の1人3役をこなしてき た。「思い出のすべてが美しく、感動的で、私自身の自己啓発につながる多くの出会 いをいただきました」と話していた。
 「里親読本シリーズ」への問い合わせは、同里親会(03―404―2024)へ。

朝日新聞社


1988/11/02 朝日新聞

育てた子ども461人、里親の心伝えたい 養育家庭制度15年
朝刊 21頁 第1家庭 写図有 (全1192字)

 全国でただ1つ、昭和48年に発足した東京都の養育家庭制度が15周年を迎え、東 京都は6日(3日は休館)まで、新宿区のセントラルプラザ(JR飯田橋駅そば)で 記念イベント「今日から親子に」を開いている。養育家庭というのは、父母の死亡、 離婚、あるいは捨てられたりと、様々な事情で養護施設に預けられている子供たちを 引き取り、親代わりに育てる、養子縁組を目的としない里親。養子縁組を望む家庭が 少ないので、1人でも多くの子供に「家庭生活」を味わわせるために設けられた。今 年3月末で199家庭が283人の子供たちを育てている。
 養育家庭への子供たちの委託期間は2年間だが、更新を続け、長期間にわたる場合 もある。中には、そのまま養育家庭から社会に巣立った子供たちもいる。
 この15年間に養育家庭での生活を経験した461人のうち2―4年が79人(1 7.1%)で一番多く、10年以上も21人(4.6%)いた。
 「社会が育てることを求められている子供たちは、東京だけでも3000人を超え ています。子供たちが社会人として巣立つためには家庭での生活経験が大切です。ぜ ひ養育家庭里親になって」というのが、制度の普及に努めてきた関係者の訴えだ。
 養育家庭里親は都内9カ所の養護施設に併設されている養育家庭センターが、窓口 になっている。立川市にある至誠学園もその1つで、現在30登録家庭のうち25家 庭が35人の子供たちを育てている。
 同市柏町に住む大村益次郎さん、礼子さん夫妻が同学園の養育家庭センターに養育 里親として登録したのは昭和53年。
 1年後の3月、間もなく小学校に入学する女の子の里親になった。徹夜で縫った洋 服を着せ、初めて子供の入学式に出席した。PTAの役員もやり、礼子さんは「子供 とは、遠慮なく裸でやり合わなければならない」ことも知った。
 「子育ての経験がなかったから、頭の中でよい母親像を作って子供に押し付けよう としました。子供の気持ちがわからなかったんですね」。その子も、もう高校1年生。 小さくてやせっぽちだったのが、たくましくなり、テニス部で活躍している。
 イベントの展示会のテーマは「今日から親子に……広げよう、伝えよう、里親の心」 。会場7階ふくしホールで里親制度の「歴史」を分かりやすいパネルで展示、期間中 制度についての問い合わせ、相談を受ける。 5日午前10時半―正午まで、10階会議室の里親体験発表会で、大村益次郎さんら 6人の里親が「私の子育て」について話した後、同会議室で午後1時半―3時半まで、 都児童相談センターの上出弘之所長が「養育相談」を受ける。
 6日午前10時から正午までは、10階会議室で「最近の子育て」をテーマに母子 愛育会総合母子保健センターの高橋悦二郎保健指導部長が講演する。
 問い合わせは、東京都福祉局児童部里親主査(03―212―5111内線27― 323、324)へ。

朝日新聞社


1988/07/20 朝日新聞

新制度で里親はどうなる 必要性高まる一方 岐阜の研修会から
朝刊 17頁 第1家庭 写図有 (全1026字)

 里親制度が発足して40年。戦災孤児など恵まれない子どもを救おうと出来たのだが、 社会の変化で、里親登録者、里子とも減る一方だ。厚生省は「これからの里親は一部 の篤志家ではなく、普通の人になってもらおう」と、「里親等家庭養育運営要綱」を 1月に全面改正した。子どもたちを養護施設から里親家庭に移すねらいを持った新し い里親制度の誕生だ。財団法人全国里親会は理解を深めようと全国各地で里親、児童 相談所職員への研修会を開いている。
 12日、岐阜市で約150人の関係者が参加して行われた東海・北陸ブロック里親 研修会。
 渥美節夫・全国里親会会長は「40年ぶりに厚生省が変わったことは画期的。私た ちが一貫して主張してきたことがやっと実った。オイルショック以降、各国とも財政 事情が厳しいこともあり、社会福祉の見直しから、児童は里親のもとで、というのが 世界的な傾向になった。新制度にぜひ、魂を入れてほしい」と訴えた。
 同要綱の主な改正点は、(1)これまで一度登録すればそのままだった里親の再認 定(5年以内)を行い、里親として活動出来るかどうかを確認する(2)里親の研修 規定を設けた(3)単親里親を認め、養育の能力があれば両親がそろっていなくても よいことになった(4)これまで消極的だった虚弱児、精神薄弱児についても知識・ 経験のある里親へ積極的に委託する。そのさい、通所施設へ通わせる二重措置も認め た、などだ。
 知恵の遅れた子どもの養育里親について問題提起をした岐阜県の里親安田俊亮さん は、「私の家庭は私たち夫婦、息子夫婦、孫2人の6人家族。障害者授産所を15年 間続け、約130人を受け入れた。現在16人残っている。残りは、おこづかい程度 は稼げるようになって自立して行った。難しい仕事だがこれからはますます必要にな る」と体験を披露した。
 日本の里親制度は昭和23年10月、戦災孤児など恵まれない児童救済の一環とし て発足、1年後の24年には、里親登録者4153人を数えた。この内の2909人 が3278人の子供たちの里親になった。
 しかし、里親登録者は37年の1万9275人をピークに年々減り、61年には8 702人に。
 里子として引き取られた子供たちの方も33年の9489人が最高で、61年には 3265人にまで減少している。
 原因は、人口の都市集中、家族形態の変化などがあげられるほか、子供たちの側に も孤児から、親がいても離婚、蒸発など、家庭崩壊などの新しい要因が出て来たから だ。

朝日新聞社


1987/11/06 朝日新聞

里親に片親もOK、資質向上へ再認定も 厚生省が制度改正
朝刊 3頁 3総 写図無 (全544字)

 厚生省は5日、里親制度などを抜本的に改めることを決め、同制度の改正運営要綱 を各都道府県に通知した。主な改正点は(1)里親の認定条件を緩和し、“片親”で も認める(2)5年ごとに再認定する方式を導入する(3)毎年1度里親研修を行う ――など。また民法の改正で、特別養子制度が来年1月から施行されることになった ため、特別養子制度を養子縁組の1つとして定めることも決めた。いずれの改正も、 実施は来年1月1日から。
 今回の改正は、特別の篤志家に里親になってもらってきたこれまでの考え方を改め、 「普通の人に立派な里親になってもらう」のが狙い。“片親”でもよいとしたのは、 里親候補の範囲を広げる試みであり、再認定や研修制度の導入は、子どもにとっても 望ましい里親の資質向上が目的。従来は一度里親に認定されると半永久的に登録され るため、事実上子どもの養育はできない高齢者も多かった。5年ごとの点検ができれ ば、不適格者の認定を取り消すこともできるからだ。
 またこれまで障害児は里子に出すことができなかったが、改正要綱では(1)虚弱 児、精薄児らの里親は、保母、ボランティア経験者ら、必要な知識があること(2) 指導、訓練を受ける必要がある障害児は施設に通わせてもよい、と定め、障害児の里 親制度にも道を開いている。

朝日新聞社


1987/07/23 朝日新聞

特別養子制度の確立急げ 岩崎暁男(論壇)
朝刊 5頁 総合面 写図有 (全0字)

朝日新聞社


1986/10/16 朝日新聞

ガラスの家族(今日の問題)
夕刊 1頁 1総 写図無 (全832字)

 劇団「新人会」が近く公演する『ガラスの家族』というロック・ミュージカルドラ マのけいこを見た。
 米国の女流作家キャサリン・パターソンさんの原作で、白人少女ギリー・ホプキン スが主人公。彼女は父が行方不明、母とも一緒に暮らせず、4歳のときから里親に預 けられて育つ。
 子ども心に「人間は強くなければならない。弱さを見せると他人につけこまれる」 と信じている。
 だから、だれに対しても、徹底的にツッパる。当然もて余されて、里親も次々と変 わる。
 舞台は、12歳に達したギリーと、5人目の里親となった未亡人メイムや隣人、学 校の黒人女教師たちとの「たたかい」から始まる。そして、次第に成長してゆく彼女 の心の軌跡を描き出す。いまでいうネクラな話だが、軽快なロック音楽に乗ってスピ ーディーに展開される。
 「子どもに迎合するドラマが多い中で、どこまで彼らの柔らかい心を揺さぶれるか に賭(か)けたい」というのが、製作の意図だという。見ていて感動的だったのは、 手に負えない悪ガキ少女の挑発に、深い優しさをこめながらも、毅然(きぜん)とし てたじろがない大人たちの姿だった。
 「私たちは一緒に暮らしている。だから家族じゃないか。それが家族なんだよ」と いうメイムおばさんのせりふには、いまの日本の家庭に向けての鋭い問いかけがこめ られていよう。
 血がつながっていれば、それだけで本当に家族なのか。逆に、血がつながっていな い者同士は、それだけで冷たい他人なのか。とりわけ、家庭に恵まれない幼い者たち に、それではだれが手をさしのべるのか。
 日本でも、里親の制度は定められているが、それを必要としている子どもの数に比 べて、受け入れを申し出る家庭はきわめて少ない。私たちは、いまひどく狭くて、弱 々しい人間関係しか結べなくなっているのかもしれない。
 そんなことを考えさせられるドラマである。残念ながらというべきか、まじめな芝 居の常として、21日からの公演を前に、前売り券の売れ行きは、いまひとつだそう である。

朝日新聞社


1986/07/13 朝日新聞

父親が赤ちゃんを売り物に 米国(海外トピックス)
朝刊 7頁 1外 写図有 (全0字)

朝日新聞社


1985/03/31 朝日新聞

親に捨てられる子、後を絶たず 日本で毎日6人も(現代社会)
朝刊 4頁 ガイド 写図有 (全1330字)

 アフリカ飢餓難民救済活動の盛り上がりは、日本人の多くが地球市民的な愛と連帯 の意識を持ち始めた表れでしょうが、ひとつ忘れてならないのは、日本では親から捨 てられる児童が今なお後を絶たない現実が足元にあることです。
 厚生省の養護児童実態調査(1983年3月1日現在)がこのほど、その現状を明 らかにしました。調査対象は児童福祉法(1947年制定)に基づいて、乳児院・養 護施設・母子寮で集団的に養護されているグループと、個々の里親に委託された家庭 的養護グループとに大別されます。
 乳児院とは、親に捨てられたり、親が病気などで養育できない乳児を預かる施設で す。また養護施設とは、保護者のいない児童や、いたとしても虐待や長期間不在など で保護を必要とする子供たちを世話します。そして里親とは、家庭に恵まれない児童 を自宅に預かって親代わりに育てる人です。希望者の中から、都道府県知事が適格者 を選んで、養育を委託します。
 養護児童の総数は4万7684人でした。総数は5年前の前回調査より466人減 りました。捨て子の総数も前回807人が今回は673人に減りました。しかし「両 親の行方不明」が依然1万479人もありました。
 捨て子と親の「蒸発」を合わせると総数の23%に達し、この5年間、毎日平均6 人の児童が、日本のどこかで親から見捨てられたことになります。
 敗戦後10年間ほどは生活苦による捨て子が圧倒的多数でした。米兵との間にでき た混血児の捨て子が目立った時代です。でも大抵の赤ちゃんは人目につきやすい場所 に捨てられ、かぜなどひかないよう暖かくして、おわびの手紙を添えたものが少なく ありませんでした。
 それが1970年前後から様相が一変しました。
 東京のゴミ捨て場で、出産直後の男児が、ゴミ同然の姿で発見・救助されて(19 69年11月)、世間を驚かせました。それから、捨て子の発見場所は、駅のコイン ロッカー、公衆便所の床、路地のポリ容器、買い物袋に詰めてデパートの階段……な どが珍しくなくなりました。生きている赤ちゃんを、用のなくなった物品同様あっさ り捨ててしまう、という感覚です。
 深夜、生後2カ月の男児を布ぐるみにして自動車道路の中央に置き、車にひかそう とした父親もいました。なぜこんな恐ろしい親が増えたのでしょうか。
 東京都新宿区で乳児院・養護施設を38年間経営してきた梅森公代さんはこう指摘 します。
 (1)親から自分を大切にされた経験がなく、命の貴さを教わらずに育ったため、 自分自身が、わが子にとってかけがえのない存在だという自覚に欠けた親が多い(2) しかし産んだ以上は、経済生活その他の事情でたとえ育てられなくても、できる限り 面会に来るなど親としての誠意を尽くしてほしい(3)生活が苦しいうちは施設に預 けて、お金がたまったら迎えにいく、という考えの親がいるが、それよりまず自分で 子供を育てる楽しみと喜びを知ってほしい、と。
 乳児院では、いわゆる「未婚の母」から生まれた子が急増しつつあります。全国的 な実態は不明ですが、施設によっては半数ちかいところもあります。社会的に自立も できないうち、無責任に、赤ちゃんを産ませたり産んだりすべきでないことは、言う までもありません。

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1985/01/06 朝日新聞

乳児院に未婚の母の子急増、入所理由のトップに 養護施設、在所期間長期化
朝刊 3頁 3総 写図有 (全1294字)

 親の死亡や蒸発、離婚などの事情で、養護施設や乳児院、母子寮に入ったり里親に 引き取られている子供の実態調査の結果が、五日まとまった。厚生省がほぼ五年ごと に実施している調査。前回(五十二年)と比べて、(1)乳児院の赤ちゃんの中に 「未婚の母」の子が大幅に増え、入所理由の中でももっとも多くなった(2)養護施 設の子供の平均在所期間が半年も長くなり、家庭への復帰が難しくなっていることを うかがわせる――などの点が目立っている。
 乳児院は、捨て子や親の病気などで、家庭で養育できない乳児を入院させ、養育す る施設。養護施設は、保護者のない乳児、虐待されている子などを養護する施設。母 子寮は夫がいなかったり、それに準ずる事情のある女性を子供とともに受け入れ、保 護する施設だ。
 調査は五十八年三月、里親に委託された子供の全部と、施設入所児童の一部、合わ せて一万一千人余りの子供と、その保護者を対象に行われた。
 〈年齢・期間〉子供の平均年齢は、いずれも前回より高くなった。平均の在所(委 託)期間も、母子寮を除いては長期化している。
 とくに養護施設で在所が長引き、平均年齢が高くなって、家庭への復帰が以前より 困難になっていることをうかがわせる。厚生省はこの調査だけでは理由はわからない としているが、前回と比べて親の死亡や入院は減っていることから、親の養育能力が 落ちてきたことの表れとも見られる。
 〈心身の状況〉体が虚弱だったり障害をもっている子供の割合は、養護施設で8. 7%(前回は6.9%)、乳児院で19.3%(15.7%)、母子寮で8.1% (8.6%)、里親委託で5.6%(5.1%)。全体として、わずかながら増えて いる。
 とくに乳児院では、約55%の子供が「病気になりやすい」状態だ。
 〈入所などの理由〉わが子の養護・養育を他人に任せなければならなくなった、親 の事情はなにか。
 養護施設児の場合、(1)行方不明(蒸発)28.4%(前回は28.7%)(2) 離別21.0%(19.6%)(3)長期入院12.8%(12.9%)の順。乳児 院児では(1)長期入院16.7%(19.0%)(2)行方不明16.0%(20. 5%)(3)離別11.7%(13.9%)。里子では(1)行方不明25.6% (25.5%)(2)離別19.0%(21.0%)(3)死亡9.2%(11.7 %)となっている。
 ただ、乳児院児では「その他」の理由によるものが26.3%を占め、このうち1 8%分は、母が未婚のまま出産し、自力では育てられないというケース。実質的には 「長期入院」を上回り、入所理由の第一位といってよい。前回調査では「その他」が 19.3%あったが、そのうちどの程度が「未婚の母」によるものかは、分類をして いないためわからない。しかし、厚生省は各施設の話などからみて「未婚の母」の子 であることを理由とする乳児院への入所はこの五年間で大幅に増えた、とみている。
 また、母子寮への入所理由は(1)家庭内環境が不適当37.7%(33.5%) (2)経済的理由23.9%(24.8%)(3)住宅事情20.3%(21.3%) の順に多かった。

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